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序章

 障子ごしの薄明かりに目が覚めて、時計を見れば六時少し前だった。

 そろそろ夜明けか、と起き上がってみたものの、体が異常にだるい。手足を動かすのがやっとなほど、四肢に力が入らない。

 三月下旬の明け方はまだかなり冷える。室内の動かない空気はまるで冷蔵庫みたいだ。

 仕方なく再び布団にもぐりこんだ。

 するとすぐに、何かに縛られるかのような強制的な眠気が全身を包みこんでくる。今しがた見ていたリアルな悪夢の中へひきずりこもうと、目に映らない手が肩を押さえつけてくる。嫌なのに(あらが)う力が出てこない。

 ―――やっと見つけた。おまえだ。

 ぼんやりとした白い影がにやりと嗤う。

 ―――忘れたとは言わせない。契約をまっとうしろ。

 違う。そんなつもりじゃなかった。何もわかっていなかったんだ。

 言葉は声にはならなかった。だが必死に叫び続けた。このままでは体を奪われてしまう、あの白い影に。違う、違う、違うんだ。俺は―――おまえじゃない。

 夜明けの光が障子の隙間からすうと入りこんでくる。空気は固まったまま、動かない。

 中央に出現した妖気の渦が、震える白い手を虚しくのみこんでいった。


「うわあっ‥!」

 四宮(よつみや)茉莉花が台所で朝食の支度をしていると、二階でどすんと大きな音がした。続いて素っ頓狂な声が響く。

 茉莉花は慌てて包丁を放りだし、二階へ駆け上がった。

堂上(どうがみ)さん‥?」

「旦那? 大丈夫でやんすかい?」

 反動みたいに静まりかえった襖の前で、恐る恐る声をかける。背後に黒達磨も心配そうな顔で控えていた。

 少し間があって、いや、何でもない、とうろたえ気味の声が聞こえた。

 茉莉花は黒達磨と顔を見合わせた。

 正直なところ、世界の終わりが来たとしても堂上玲がうろたえるなんてありえない、と茉莉花は思っている。その彼が思わず悲鳴をあげるとはどういう状況なのだろう?

「あのう‥。入ってもいい?」

「だめ、困る‥。いや‥‥やっぱり‥達磨さんだけ入ってくれないかな。」

 再び顔を見合わせた。

 黒達磨が静かに襖を開けて入る。茉莉花は礼儀上、背を向けて目を逸らした。

 数秒後、襖の中から黒達磨の笑い声が聞こえた。いったい何が起きたのだろう?

「‥‥何てことはございやせんよ。春にはこんなこともありやす。眠っているだけでやんすから、とりあえず心配ございやせん。」

「でも‥‥。元に戻るかな?」

「さあ‥。どうでやんしょう? 嬢ちゃんのほうがよくわかると思いやすがね。」

「姫さまにこの状態を‥? まいったな。」

 黒達磨はくすくす笑いながら出てきて、手招きをした。

「嬢ちゃん。旦那がお困りでやんすよ。いい知恵を出してやってくなさいまし。」

 ともかく何を見ても驚かない覚悟で、部屋の中へ入った。

 まだ起きたばかりのようで、布団が寝乱れたまま敷いてある。その上で玲は枕を抱えて座っていた。膝には―――膝には十三、四才の長い黒髪の少女が寝ている。

 まあ、と言ったきり茉莉花は二の句が継げなかった。

 少女は両腕でしっかりと玲の腰に抱きついて、すやすやと眠っている。

「さ‥桜なの? どうして‥こんな姿に。」

「君にもわからない? どうしたんだろう‥。さっきから揺すっても全然起きないし。」

 玲は困惑しながらも、膝の上の少女の髪を愛おしそうに撫であげた。

「ど‥堂上さん。ちょっとそういうことはやめて。」

 茉莉花はうつむいて少しだけ赤くなった。成長した桜の姿はなぜだか茉莉花にそっくりだった。

「だって‥桜なんだからさ。」

「‥とにかく、離れて。」

「離れないんだよ、しっかりしがみついてて。目が覚めた時は胸に抱きついてたんだけど、すり抜けようとしたら眠ったまま腰に飛びついてきて‥。思わず叫んじゃった。で、こんな体勢で動けないわけ。‥ね、ノワール?」

「はい。桜しゃまはゆうべはとてもたいへんでちた。ご主人しゃまを守るのに、いっぱい力をちゅかって‥。」

 ノワールは眠そうにあくびをしながら、かみあわない答を返した。

「え?」

「なあに?」

 玲と茉莉花が同時にノワールを見つめる。

「じゃ、桜は俺を守ろうとしてこんなふうになっちゃったのか? いったい何から守ろうとしたんだ?」

「‥‥ゆめ?」

 ノワールは首をかしげた。

「夢なの? でもこの部屋には別に妖気は感じられないけど。」

「はい。桜しゃまは‥何かがご主人しゃまの中に入ろうとしてるって‥。あれ? 通ろうとしてる、だったかな? しゅみましぇん、姫しゃま‥。よくわかりましぇん‥。」

「ふうん‥。ともかく桜は堂上さんを守るためにしがみついているのね。それなら疲れ果てて眠っているだけなのかもしれない。」

 玲はよけいに感じ入ったらしく、ひしと桜を抱きしめた。

 まるで自分がもう一人いるみたいで茉莉花はいたたまれない気分になる。

 深呼吸を一つして気を落ち着かせてから、桜の手を取った。鈴を出してそうっと音を震わせ、霊力を桜に注ぎこむ。しばらくすると桜の目が開いた。

「あ‥姫さま‥。」

 桜はそうっと伸びあがり、玲から離れた。そして寝ぼけた顔であたりを見渡す。

「朝ですね‥。よかった、もう夢魔(むま)はいないようです。」

「夢魔? 昨夜ここへ忍びこんできたの?」

「はい‥。どうも何かに追われて逃げこんできたようなのですけれど‥。どうやって入りこめたのでしょう‥‥?」

 桜はそうつぶやくと、再び布団に横になって目を閉じた。眠くて眠くてどうにも我慢ができないようだ。

「ちょっと待って、桜。もう一つ、どうして大きくなってるの?」

「‥‥はい。花の季節がきたので‥。桜はご主人さまと‥‥。」

 答え終わらないうちに、無邪気な顔でことんと寝入ってしまった。

「‥‥大きくなってるのにも力を取られているみたい。」

 茉莉花は複雑な気分で桜の寝顔を見つめた。

 よくよく見れば似ているだけで、少し違う。左目の下に小さなほくろがあるし、髪の色も茉莉花ほど真っ黒ではない。もしかしたらこの姿は前世の茉莉花―――つまり桜の仕えていた姫さまなのだろうか。

「花の季節だからってことはさ‥。桜の花が散るまでこのままなのかな?」

 ほんの一瞬だけ、玲の顔をひどく寂しげな色が横切った。

「どうかしらね‥? 去年の今頃はまだ『懐古堂』を開いていなかったので、桜も達磨のおじさんも壱ノ蔵で眠っていたの。この姿には何か意味があるのでしょうけど‥。昨日の夢魔と関係があるのかしら?」

「夢魔って何?」

「夢魔は人の悪夢から生まれるモノ。たいていは人の心は強いので朝日で霧散してしまうのだけど、時には夢の中で恐怖心を喰らって物の怪に成長してしまう場合がある。そして夜づたいに移動して、今度は別の人の夢に取り憑くの。」

「‥何かに追われて逃げてきたって桜は言ってたよね。物の怪が追われるなら四宮か、夜鴉一族にってことかな?」

「それよりもどうやってここに入りこめたのかしら? 結界があるから、招き入れない限り物の怪は入れないはずなのに‥。昨夜の夢魔が誰の夢から生まれたかが、解ればいいんだけど。」

「どういう意味?」

「誰のどんな悪夢から生まれたかで夢魔の属性が決まるの。それが解れば、何から追われてここに来たかとかどうやってここに入れたのか、桜の変身と関係があるかどうかも解るはずだから。」

 玲はふうん、とつぶやいて桜の寝顔を見下ろした。

「‥‥その夢魔は今夜もまた来るかな?」

「たぶん。」

 茉莉花は微かに眉をしかめ、うなずいた。

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