幸福の定義は人それぞれ
とある国で一人の女の子が生まれた。
その女の子は双子の姉妹の姉として育てられた。
しかし、彼女は美しく才能に溢れる妹と比べられ、いつしか家族からも使用人からも愛されなくなった。
彼女はたった一人自分を愛してくれた侍女とともに離れに幽閉され、多くの人に蔑まれながら生活していかなければならなかった。
彼女は離れに幽閉されてから泣き続けた。
なぜ自分だけこんな目に遭わなければいけないのか、なぜ自分はこんなにも不幸なのか。
5歳にも満たない少女に降りかかった理不尽は本来なら心を壊すのに十分なものだった。
だが、ある日のこと、彼女はスラムに住む自分と同じ位の年の子供を見掛けた。
自分以上にみすぼらしく、自分以上に理不尽な仕打ちを受けているにも関わらず、彼らの顔は決して不幸に染まっていなかった。明るく、純粋でどんな小さなことでも感謝して生きる彼らに少女は感銘を受けた。
自分以上に不幸な人でも幸せに生きている、自分は生きるのに十分な食べ物を与えられる、教育を受けさせてもらえる、清潔でいられる、彼女は自分はこれほどまでに幸せであるのに嘆いていたことを恥じた。
その日から彼女はあらゆることに心からの感謝を向けて生きるようになった。
食事を与えられれば一欠けらも無駄なく食べ、勉強をさせれば教師の一言も逃さず全て学んでいった。
普通ならば苦行ともいえる量の勉学も彼女は休まず、弱音の一つも吐く事も無くなくひたすらこなしていった。
そして、彼女が十五歳となったある日、父親から呼び出された。
「お父様、ヴィクティム只今馳せ参じました」
「ヴィクティム、お前にはイライザと共に国立学院に入学してもらう。なぜだか分かるか」
「はい、エルシャード家の至宝であるイライザ様に虫が付かぬよう盾となり、この世でもっとも美しく可憐なイライザ様の美しさをより引き立てる醜女となればよろしいのですね」
「そうだ。お前のような愚図が人の役に立つのだ。心して・・・」
「ああ、私はなんと幸福なのでしょうか。イライザ様の役に立つという大役を与えられ、さらにはエルシャード家の更なる発展の礎になれるなど、これは神が与えたもうた褒美なのでしょう。誠心誠意この身の全てを懸けて必ずやその大役を全うして見せます」
「あ、ああ、そうか」
少女ヴィクティムの父、エルシャード家の当主オズワルドは困惑した。
彼はこれまでヴィクティムに行ってきた仕打ちを自覚している。
家族として愛されず、どれほど努力しても認められず、常に妹のイライザと比べられる毎日だったのだ。
家族と妹を憎み、心が歪んでしまってもおかしくない。
彼女の心境を考えると普通ならばこのような屈辱的な役など文句の一つも出てもいいはずなのだが、ヴィクティムから出た言葉は心からの感謝と幸福に満ち溢れたものだった。
困惑しつつも、役に立ってくれるのならばそれでいいかと納得したオズワルドはさっさとヴィクティムを下がらせた。
しかし、オズワルドは気づけなかった。
ヴィクテムはいままでどんなことでも限界以上に取り組み、全てを学んできた。
すでに彼女は才女と讃えられ碌な努力をしてこなかったイライザでは太刀打ちできないほどに知識と力を持っているのだ。
「ふふふ、これほど幸せな気分になったのいつぶりかしら。ついに憧れのイライザ様のお役に立てるがくるなんて、ああ、幸せ」
「ヴィクティム様、本当によろしいんですか」
「あら、どうしたの、サナンナ。私のような愚図で役立たずな存在が誰かの為に働けるのよ。それはとても素晴らしいことじゃない」
「いえ、そういうわけではございません。ただ、学院に通うことになればこれまで以上にお辛いことが増えましょう。私はそれが不安でしかたないのです」
「サナンナは心配性ね。大丈夫よ、見るからに愚図で鈍間な私に直接声を掛けるほど暇なお方なんていらっしゃらないわ。むしろ、私が愚図であるほどイライザ様の素晴らしさが際立つのよ」
ヴィクティムの唯一の侍女サナンナはヴェクティムのある意味歪んだ成長に頭を悩ませていた。
どうしてこんな風に育ってしまったのか、と心の内で嘆いているが、かれこれ十年近くヴィクティムの侍女を務めているのだ。
このいろいろと逞しく育ってしまった主の味方になれるように彼女は昔決めた誓いに改めて誓った。
それから数ヶ月が経ち、ヴィクティムが学院に入学する日がやってきた。
無事に学院に入学することができたヴィクティムは割り当てられた寮の部屋に移動していると声を掛けられた。
妹のイライザである。
「あら、お久しぶりですわね、ヴィクティムお姉さま。お父様から話は聞いていますわ。しっかりと私の引き立て役を演じなさいな」
「はい、イライザ様。このヴィクティム・エルシャード、誠心誠意この大役を務めて見せます。イライザ様の輝かしい才能と美貌を見事引き立てましょう」
「あ、え、ええ、頑張りなさい」
皮肉たっぷりの言葉に嫌な顔を見せるどころか花が咲いたような満面の笑顔で答えた自分の姉ヴィクティムに怯むイライザ。
彼女の言葉で傷つき、怯え、怒りを向けた者は数多くいるが、笑顔を向けてくるのは初めての経験だった。
離れに幽閉される前の、記憶に残ってる姉の姿とは似ても似つかないその姿に得も知れぬ寒気を感じたが、やる気があるのはいいことだと解釈し、そのままヴィクティムの前から去っていった。
学院での生活が始まるとヴィクティムは常にイライザよりも二歩下がった行為をして、イライザを引き立てた。
課題の提出の遅れ、レポートの内容の甘さ、マナーの間違いなど本当にあらゆる所でイライザを姉とは全く違う才女と見せるため努力した。
イライザの学力や交友関係などを洗いざらいに調べ上げ、そこから計算して自分の行為を調整しているのだ。
ここまで来ると、もはや病気ではないかと思われるような努力だが、そのかいあってイライザの評判はどんどん上昇していった。
それと同時にイライザに求婚してくる男たちが増えたのだが、ヴィクティムはこれまた一人一人調べ上げ、イライザに相応しい地位と財を持ち、なおかつ顔の良い者を絞り込み、それ以外の男たちを裏から権力や金で黙らせていった。
この行為のおかげでさらにヴィクティムに悪評が付き纏うようになり、さらにイライザの結婚相手が三人まで絞られた。
一人はこの国の第一王子であるレオニド・ハイツ・ディルガスト、容姿、才能、地位、どれも特級であり、なによりイライザに恋心を抱いている。ヴィクティムにとって最有力候補の結婚相手だ。
二人目はハインケル・マグナス、古くから王家と親しい関係にあるマグナス家の長男でその権力と氷を髣髴とさせる美しい顔立ちから女性への人気が高い。また、剣術の腕は現騎士団長より上と噂されている。
三人目はマティウス・ジェルナンタ、ジェルナンタ家は商人から貴族となった成り上がり貴族だが、多くの商人を抱え込んでおりその財力と影響力は隣国までにも影響する。マティウス自身、商人としての才能に満ちており、今後さらに巨大になっていくと言われている。
この三人をオズワルドに報告したところ、非常に喜ばれ、イライザとの仲を進めるように命令された。
ヴィクティムはイライザに先の三人を紹介し、自分がイライザをイジメている所を見せ、きっかけを作ることを進言した。
紹介された三人に大喜びしたイライザは早速ヴィクティムの作戦に乗り、見事に三人と仲良くなるきっかけを作ることに成功した。
順風満帆に事が運んでいき、ヴィクティムは心から喜んだが、ある日をきっかけに変わっていった。
その日は一年の勉学の成果を競う重要なテストが行われる日だった。
イライザはヴィクティムのおかげですっかり調子を良くしており、慢心していた。
そのため、ヴィクティムにこんな命令をしてしまったのだ。
「このテスト、本気で挑みなさい。まぁ、貴女みたいな愚図が本気を出したところで大したことないのでしょうけど」
この命令を受けたヴィクティムは本当にいままで隠していた実力を発揮してテストに挑んだ。
ヴィクティムはイライザの引き立て役を務めながらも全ての授業の内容を片っ端から学習していたため、なんと全教科満点という学院始まって以来の快挙を成し遂げてしまったのだ。
この出来事でヴィクティムの見られ方が一気に変わった。
彼女とイライザのやり取りを見ていた生徒がその関係を学院全体に漏らしたのだ。
ヴィクティムがその現場を見ていた生徒を脅して口止めしていたが、これ機に瞬く間に広まった。
これにより、イライザは姉に手加減して貰わなければ勝てない卑怯者とされ、これまでイライザを慕っていた者は次々にヴィクティムの方に流れていった。
また、レオニドやハインケルと恋仲になるきっかけとなったイジメも自作自演であることも判明し、彼女に恋心を抱いていたレオニドたち結婚候補たちもイライザから離れていった。
これに対して、ヴィクティムはどれも自分が進んでやったことでイライザになんの罪も無いと主張したが、周りからは出来の悪い妹を必死に守ろうとする優秀な姉と見られ、余計イライザの評判を落としていった。
極めつけは、ヴィクティムがイライザの結婚相手を選別し、それ以外のどうでもいい男を黙らせていたことが明るみに出たのだ。この行為はまるで悪漢から女性を守る騎士のように捉えられ、女子生徒からも人気がでるようになった。
これによって、ヴィクティムの評価はイライザの引き立てるだけの存在から不出来な妹を守るためあらゆる不名誉も受け入れ盾となった人格者となってしまったのだ。
「はぁ、何故こんなことになってしまったのかしら」
「よかったではありませんか。これでヴィクティム様は誰からも愛される素晴らしい人だと証明されたのですよ」
「私が望んだ幸福はこんなものではないの。だれにも認められなくてもいい、誰からも蔑まれてもいい、自分が必要とされるだけで幸福だったのよ。それがこんな風になるなんて不幸でしょうがないわ」
「ヴィクティム様・・・」
ヴィクティムの周囲はこの事件をきっかけに激変していった。
レオニドからのプロポーズがあったのだ。これをオズワルドが承認した。
どんな形であれ王家と関係を持てることを望んでいたオズワルドにとってまさに願ったり叶ったりのことだった。
父の命令であるならと、ヴィクティムはこのプロポーズを受け、晴れて王妃となることを約束された。
イライザは周りから見放され、さまざまな問題行為を起こすようになっていった。ついにはオズワルドの手によってヴィクティムと同じように幽閉されることとなった。
そして、学院を卒業したヴィクティムはそのままレオニドと結婚し、王妃としての責務をこなす日々を送っていた。
「サナンナ、私はね、別に今の状況が嫌いなわけじゃないの。レオニド様はお優しい方だし、城の人たちもこんな私を王妃だと認めてくれている。でも、私が求めたのはこういうのじゃないの。イライザ様やお父様のために生き、そのまま誰からも見向きもされず朽ち果てるのが私の望みだった。ただ、それだけだったのにね」
「ヴィクティム様・・・。私はただの侍女に過ぎません。しかし、ヴィクティム様の味方だと思っております」
「ありがとう、サナンナ。貴女が側にいてくれて本当によかったわ」
こうして、ヴィクティムは王妃として民を導き、これまで以上に国を豊かにしていった。
誰からも愛され、讃えられたヴィクティム。
しかし、その心は本当に幸福で満ち溢れていたのかは彼女の侍女サナンナとヴィクティムしか知らない。
だれもが羨む場所だから幸せであるとは限らない。
例え地獄のような場所でも人よっては天国より素晴らしい場所かもしれない。
人の幸福とは本人にしか分からないのだろう。