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四哀悲話  作者: 青田早苗
第二話、落ち延びた王子の話
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第四編

『どうか、月神の地を。』


 父、母。

 シューバル、ヴィルシュギクス、イユボヴニク、オボジュバニュ、ドウヴィルバ。

 そう言って、デュムバの元から去ってしまった人々の姿が暗闇の中に現れては願いを託して消えて行った。皆が消えた暗闇にふわりと月神が現れて、デュムバの頬を撫で、そして月神もまた消えて行った。


 夢にしてはあまりにもはっきりとした手の感触が頬に感じられ、デュムバは目を覚ます。まだ夜明けには早い時間のようで、戸の隙間から月光が横向きに射し込んでいた。

 月神に導かれたように、靄を照らす月光を辿る。靄がかった夜の空気は不安が押し寄せるほどに静かであった。漆黒だった闇は、月光に照らされ青灰色になって静謐さに満ちる。青灰色の闇に漂う、月光に照らされた靄に体を浸せば、デュムバは月光に包まれた心地であった。


 いや、違う。

 これは、月神の加護なのだ。

 今日の夢は、夢でありながら夢ではなかった。


 夢ではなく、月神の示現であったのだと確信する。

 この時、デュムバは一種の恍惚とした状態にあったに違いない。ヴラナの計画に乗れば、この穏やかな幽玄の地を壊すことになると分かってはいても理解が及ばなかったのだ。ようやく月神の地を取り戻すことが出来る、それだけが天上から救いの糸のように垂れてきたと思えた。 

 ある意味でデュムバは王子として産まれていた。何人も自分達の為に死んでいった人間がおり、それをどんなに辛く悲しい物だと思っていても、それが摂理だと思っていた。傲慢とも言える思想であるが、デュムバにとっては決して変わりようの無い物であった。例え、衣装入れ程しかない部屋が、自宅になっていても。毎日着ていた滑らかな衣が、晴れ着になっても。幾種もの料理が盛られた皿が、汁物の器一つになっても。自分達の為に死んだ人間がいるのだから、大義を成さねばならなかったのだ。

 デュムバにその願いを託し、死んでいった彼らに報いるのがデュムバにできる弔いである。

 

 一族の悲願を果たせと言い含て育てた息子パトゥラ。だが、息子は、何故、怨みを籠った目を向けるのか。デュムバの隣では、同じように後ろ手に縄をかけられたヘレサが泣いていた。取り囲むのは、怒りを隠さない禁賊達。その怒りをいかずちにしたのかと思えるほどに、棒がパトゥラの手で二人に振るわれる。大人の腕程も有る太さの棒は子どもの手には簡単に振れるものではない筈だった。しかし、パトゥラは息を切らしても、両親へと向かって振るう手を一切緩めない。時折、骨が砕けるのが分かった。

 何故、罰を与えようとするのか。

「何故?」

 百を越えたあたりで、息切れをしながら冷たい視線を落とす息子をデュムバは見上げた。肋骨が折れたのか、息をする度に体が痛む。腕の関節は砕けているかもしれなかった。指先は痛みすらも分からなくなってきていた。

「あんた達のせいで、望は死んだ!今年の夏こそ翠に求婚すると言っていたのに!その翠も死んだ!あんなに弟妹を可愛がっていた由も死んだ。その弟も!妹も!」

 処罰の様子を見守っていた人垣からすすり泣きの声が漏れる。

 年若い息子の友人たちの顔が浮かんだ。そうだ、それだけの犠牲を払ってまでヴラナを泰獄へと招き入れたのだ。だからこそ、ヴラナに入り、月神の地をイェストラブから取り戻さなければならないのだ。

 なのに。

 何故、月神に背くようなことをしたのか。

「何故、皆を裏切ってまで!!!」

 パトゥラが泣きながら、再び棒を振るった。


 何故、我々を逃がすために命をかけたルナルーチの気高き臣民を裏切るのか。

 何故、祖先の地へと戻らないのか。

 何故、私とおパトゥラに託された思いを踏み躙るのか。

 

 何故。


 二百回の棒打ちの後、二人は傷だらけの体のまま両手両足を縛られ、北山の砥水にせり出した崖に吊るされた。少し離れた枝に吊るされたヘレサは最早瀕死で、音が出ない笛のように喉がひゅーひゅーと鳴っている。

「ヘレサ。」

 ヘレサはその声が聞こえたのか、何か声を出そうとして唇を振るわせた。

「大丈夫だ、お前は良く、やってくれた。父上も、シューバルも許してくれる。」

 そう声をかけてやると、血と泥で汚れた頬を一筋の涙が流れる。涙の跡だけが、美しい肌を見せていた。そして、喉の音が止んだ。

 デュムバもまた、熱と痛みで朦朧とした意識の中、あの日の王宮を思い出す。

 イェストラブの汚れた手に包まれたように、黒煙の中に消えて行った白亜の王宮の影を。あの時の屈辱を。


 デュムバは夢を見ていた。

 燃え盛る王宮の中を駆けていた。体が内側からも燃えているのではないかと思うほど熱かった。これほど長かっただろうか、と不思議に思うほどの長い回廊をひた駆ける。何故、逃げているのか。何処へ向かっているのか。それすらも分からなかった。やがて見えてきた扉の中へと転がり込んだ。ひんやりとした風が頬を撫でる。突いていた手の下の床が灰色の雲のような不思議な感覚で、ようやくここはどこかと辺りを見回す。


 息が止まったと思った。

 父、母、ヴィルシュギクス、オボジュバニュ、イユボヴニク、ドウヴィルバ、ハズグ、シューバル、祖父、祖母。

 皆がデュムバをぐるりと取り囲んでいた。いつの間にか隣にはヘレサが蹲っていて、顔を覆って泣いていた。

 ヴィルシュギクスの後ろには会ったことも無い、彼の一族が見えた。オボジュバニュの後ろには、街を歩いた時に見た臣民の姿が見えた。イユボヴニクの後ろには、ルナルーチの貴族達が、ハズグの後ろには、王宮に居た頃の友人達の姿が見えた。ドウヴィルバの後ろには、彼の妻や子供たちが見えた。シューバルの後ろには、その部下の騎士たちが。

 そして、祖父母と両親の後ろには、ルナルーチの歴代の国王の姿と、高みには月神が。

 皆が感情のない目でデュムバを見ていた。

「何故、そのような目で。」

 悲願を果たせなかったからか。

 信託を裏切ったからか。

 途端、デュムバの周りを劫火が囲った。体中が熱く、内側から裂けるような痛みが襲ってきた。

「何故…。」


 夏の夜。二人が吊るされた大木は、厚く生い茂った葉でその姿を覆い隠す。

 デュムバはひたすら月神に祈っていた。許しを乞い、そして月神の地へと導かれる願いを捧げていた。だが、厚い緑の葉は柔らかな月光を妨げて、一筋の光もその体には届かなかった。

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