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四哀悲話  作者: 青田早苗
第四話、イェストラブの皇帝の話
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第八編

 二年の歳月が流れた。ソルヤムには簡単に漏れると思っていたのだが、案外平穏なままに時が過ぎた。

 帝都の北西にある属州、ハラルトルカブル州で反乱が起きたとの報せがグルビナムにもたらされた。

「数は?」

「およそ二万。隣の隷州チュアリへ向かっております。」

「なら増える可能性はあるな。」

 そう報告を受けていたグルビナムであったが、しばらく思案し、ソルヤムの前に向かう。しかしながら、告げた数字は少々違った。

「今回の反乱、数はおよそ一万五千。隣の隷州チュアリに向かっているとの報告がありましたので、最終的には二万になるかと。」

 実は今回の反乱を唆したのはグルビナムである。表向きは末弟のコズアールであったが。

 というのも、反乱ならどこでも構わないという訳にはいかなかった。都からの距離、そして時期を選ぶ必要があったからだ。都に置いている軍のうち、グルビナムに従った兵士達の軍をこれまでの一年であちらこちらに動かしていて、反乱の直前に都に戻していた。そのため、反乱が起きればよほどの大規模な反乱ではない限り、グルビナムの軍は動かされず都に残すことになる。

 コズアールを介したのは、ソルヤムの場合ある程度、反乱の裏にいる人物に当たりをつけている可能性があったからだ。コズアールの名が挙がれば、多少訝しむかもしれないが、少なくとも出兵する段階でグルビナムまで疑う事はない。

 いずれもソルヤムの思考を熟知しているグルビナムだからこそ計算ができたことだ。

 都の邸宅に残すエゲリスソイフには全てを打ち明けていた。今年、戴帽帯剣したばかりだが、お任せ下さいと胸を張る息子がこの上なく頼もしく感じる。ケシュケフュとネイリシュもまたグルビナムに賛同してくれた。

 

 予想通り、ソルヤムは自ら軍を率いて鎮圧に向かう。常の様に、グルビナムにも付いてくるように命じ、グルビナムの配下の軍は都に置いたままだ。

 ハラルトルカブルに向かう道中。先発が戻り、反乱軍の規模が二万ではなく二万五千ほどの事だと伝えられた。とはいえ、相手は常ならば鍬や斧を振るっている人間がほとんどである。鍛え抜かれたソルヤムの直属の軍人達の相手ではない。こちらの人数を考えても、多少手こずるかもしれないが問題はない。ソルヤムはそう判断した。

 ハラルトルカブルまであと三日という距離の時だった。早馬が一人駆けつけ、グルビナムに手紙を渡す。手紙を読んだグルビナムは一瞬体を震わせ、その後平静を装うが、鷹よりも鋭いソルヤムの目を誤魔化すことはできなかった。

「どうしたグルビナム。」

「いえ。」

 そうは言うがグルビナムの顔色は優れない。服の合間に隠された紙をソルヤムは目ざとく見つけた。頑に何でもないと言うグルビナムに、無理矢理手紙を出させてみれば、妾が危篤だと言う手紙。

 実際グルビナムの顔は相当に青ざめていた。

「これはお前が耄碌してから可愛がっていると言う妾のことか?」

「ご、ご存知でしたか。」

 当然だ。本人は隠しているつもりだったのかもしれないが、あのグルビナムが妾を囲った、その上、可愛がっていると宮中では一時その噂ばかりだった。

 怒った時ですら滅多に顔色を変えない弟の初めて見る表情にソルヤムはこう命じた。

「お前は都に戻れ。」

「しかし、皆、妻子を置いて来ているのです。私だけ…。」

「都に増援を命じる文を書く、軍を整えたら戻ってこい。その間だけなら顔を見るくらい出来るだろう。」

 ソルヤムならば、珍しく妾を可愛がっているグルビナムを面白半分、気遣い半分に都に戻すだろう、とは思っていた。だが、実際にその気遣いを見せられるとグルビナムの決意も揺らぐ。

 しかし、もはや後には引けない。

 グルビナムは自分の配下の軍を率いて前を見据える。どうやら、策は成功していたようだ。全て予定通りだと言う早馬がやってきた。


 増援を待たずに反乱軍を鎮圧し、大方の処理をした後は隣の属州の知事に任せ帰路に付いたソルヤム達であったが、突如反乱軍の残党が現れた。反乱を少ない人数で鎮圧し疲弊しているソルヤムの軍は、引けを取らずとも真っ向から勝負は出来ず、かわしながら退却をする羽目になる。

 途中、ソルヤム達の軍は、追い立てられて小さな森を通らざるを得なくなってしまった。

「この道筋は好かんな。」

 馬を駆らせながらソルヤムが呟く。ヴルペスがそれに応えた。

「森の先で待ち伏せしているでしょうか。」

「恐らくな。列を整え、森の出口が近づいたら矢を構えろ!待ち伏せされているぞ!」

 木々の切れ間の向こうに軍勢が見えた。

 しかしそこに靡くのはイェストラブの旗。ただし、鷹の紋様はない。

「違う、あれは援軍か。」

 何故、こんなところに、とドゥルグが口に出す。皆が一瞬、弓を引く手を緩めた時だった。

「放て!」

 目の前のイェストラブ軍から一斉に矢が放たれる。

 数が少なく列も乱れているとは言え、ソルヤム直属のイェストラブ最強の軍である。とっさに盾を構え、矢を切り捨てる。

「何をしている!皇帝陛下の軍であるぞ!」

 憤怒の形相でヴルペスが怒鳴った。だが、それを打ち消すようにソルヤムの怒号が響いた。

「矢を放て!」

 そして力の限り引き絞られた弓からは矢が二本同時に放たれた。

 動揺しながらも、皆、主に従い目の前のイェストラブ軍に向かって矢を放つ。

「容赦するな、突っ込め!鷹の兵でない者は皆、敵だ!」

 ソルヤムが雄叫びを上げながら先陣を切って、突っ込んでいく。その剣幕に、対峙するイェストラブ兵達も浮足立った。

「グルビナムめ!」

 まさか、という呟きを漏らして息を飲み込んだのはヴルペスである。

「他に誰がいる!」

 怒鳴っているがソルヤムの目はどこか楽しげであった。

「俺の考えを読み、ここに兵を伏せ、イェストラブの軍を動かせる者など他に誰がいる!反乱の鎮圧に手こずったのもあいつの策だ!」


 都の中に居たグルビナムの私兵。その一部をソルヤムの軍が反乱の鎮圧に向かった後、追うように都から向かわせた。私兵を率いるのはエゲリスソイフで、途中の関や砦にはソルヤムが反乱軍を陽動し、奇襲するための伏兵である旨を伝える書状を持たせた。妾が危篤の手紙は私兵達が無事都を出たことを告げるものであった。ソルヤム達が反乱軍を抑え、引き返す頃に私兵が追いつき、反乱軍の一部としてソルヤム達を襲う。低い可能性ではあるが、それでソルヤム達が敗れればそれでよし。その後、都に引き返したグルビナムが、増援と称した軍勢を率いてソルヤムを討つ。

 もし、グルビナムが都に帰されなければ、ケシュケフュが軍を率いて向かう。エゲリスソイフの軍に襲われたどさくさに紛れてソルヤムの元を離れ、都から来た軍を率いるつもりであった。


「陛下、輪の内側へ!我々がお守り致します!」

 気が付けば後ろから続く軍の本体とは切り離され、ソルヤムの周囲を守るのはヴルペスを初めとする十数人になっていた。

 それに気が付き、ヴルペスはやはりこれがグルビナムの仕業だと確信する。通常ならば軍の大将がこんな所で先陣を切る筈がない。ソルヤムがどのあたりにいるのか知っている人間でなければ無駄な策だった。

「囲まれたか。」

 包囲の一部が開き一人の男が現れた。その人物を見て、ソルヤムはいつも通り唇の片側を歪めて笑った。

「我々数人に対してこの人数とは、随分だな、グルビナム。」

 グルビナムが、ソルヤムの元を離れた時と変わらず青褪めた顔で馬上にあった。

「私は、小心者で、臆病ものでその上、武術は得意ではございませんので。卑怯な手を使う事に致しました。」

 聞いたソルヤムの目は愉快そうに細められる。

「呆れたものだ。三十の半ばも過ぎてやっと卑怯になったか。良いだろう。俺達にこの程度とはな。多勢だからと舐めるなよ。」

 剣よりも強く鋭くソルヤムの目がぎらついた。日頃鍛えている兵士達も思わず浮足立つ。舐めるなと言う言葉の通り、ソルヤムは強い。ソルヤムだけではない。馬も、まるでソルヤムと心を通わせているかのように、滑らかに動く。

 皆、軍神イシュテンが降り立ったのだと思った。

 右から来る剣を受け、もう一人突きを食らわせようとした剣をかわして左に体を倒す。倒した先の兵の鼻を肘で打ち砕き、怯んだ所でその兵の鳩尾を蹴り飛ばしながら馬上に戻る。その反動でふるった剣は二人の首を胴から切り離した。

 それでも無傷とはいかず、右腕と左足に小さな切り傷が出来ていた。だが小さな傷など気にすることなく、鷹の爪は獲物を狙う。剣の鞘を左に持ち、切りかかって来た剣を受けながら、寸分の狂いなく、目を狙って鞘を打ち付ける。右手の剣は、片手でふるっているとは思えない早さで右へ左へと煌めく。

 しかし例え致命傷でなくとも、徐々に、徐々に、ソルヤムの体には傷が増えていった。

 その時、背後から数十本の矢がソルヤムを襲う。何本かは帷子から出ていた肩や腿に刺さるが、ソルヤムがそれに怯む様子はない。しかし数本が、馬の首と脚に刺さったせいで、馬が脚を折り、ついにソルヤムは地面に落ちた。それでも落ちた先にあった斃れた兵の死体から剣を奪えば、鞘を投げ捨て、威嚇するようにゆっくりと立ちあがりながら周りを見渡す。

 既にヴルペス達とは引き離され、ソルヤムの周りを二十人以上の兵が囲んでいた。

 肩と足には矢が刺さったまま、にやりと、ソルヤムは威圧的な笑みを浮かべた。二振りの剣を持ち、立ちはだかる様は軍神よりも鬼神の名が相応しい。

「さあ、まだまだだ。」

 まるで、これからが本番だと言うように。


 しかし、いくらソルヤムが強くともやはり多勢に無勢。一人倒して二つ傷を付けられていたのが、一人倒して三つ、四つと傷が増える。やがて肩で息をするようになり、ついには二本の剣を持つことが出来ず一方を捨て両手で剣を振るい始めた。それでも、二人も一太刀で殺したのはさすがとしか言いようがなかった。だが、剣が相手の体に刺さったせいで、一瞬動きが止まった時だった。

「うっ。」

 ついに脇腹に致命的な傷を負った。

 大事を成し遂げた兵士にいつもの皮肉気な笑みを向けて、良くやった、と呟けば、

「ああ、もう動けん。」

と言って倒れ込んだのだ。剣も持たずごろんとその場に大の字になって無防備に寝そべる。荒い息とともに脇腹の下の草はどんどん赤く染まって行った。あまりの自然な挙動に兵士は止めを刺せずにいる。

 グルビナムが思わず駆けつけてその体を抱える。

「おい、ソルヤム!」

 背中を支える手でも鼓動と呼吸が分かる程だった。

「ソルヤム!」

「何をしている。早く、止めを、させ。」

 言うが早いか、どこに隠していたのか短刀をグルビナムの首筋にぴたりと添えた。周囲を囲んでいた兵が浮足立つ。

「お前は、昔から、必ず、最後の詰めが、甘い。」

 笑う顔は、いつもの皮肉気な笑みではなく、昔、後宮の庭で満面の笑みと共に手を差し出した時の顔。腕に抱えた男は、権威的な皇帝ではなく、昔から憧れていた兄であった。

「次は、気を付ける、こと、だな。」

 短刀が手から零れ落ちて赤く染まった草の上に転がった。先ほどまで驚くほど熱かった体から急に熱が失われている。

「お前なら、大丈夫だ。俺の、…」

 呼吸が辛くなったのか、急に咳き込む。咳と同時に血も零れ、途端、呼吸が荒くなった。

「おと…と。」

 唇の両端が上がって、幸せそうな笑みが浮かんだ。

 ソルヤムの名を呼ぶ慟哭が草原に響いた。



 イェストラブの史書を紐解けば、皇帝ソルヤムの死についてはこう書かれている。

『ハラルトルカブル州に反乱の気運ありとの報せに、皇帝ソルヤムは親征によりこれを鎮圧する。しかし、都に戻る道中、反乱軍の残党の奇襲を受けた。後の皇帝グルビナムが軍を率いて駆けつけ反乱軍を滅するも、僅かに及ばず、皇帝ソルヤムは凶刃に倒れた後であった。』


 この史実が正しいのかどうかは分からない。だが、事実としてソルヤムは死に、グルビナムは皇帝になったのだ。

 


 己が生かされていることに驚きながら、男は元の主の部屋を片付けていた。

 陛下が即位されたのは、兄を手にかけると言う暴挙の結果であることは少なくない人間が知っている。しかし、輝かしい光を浴びることになった陛下の影にある悲しみを知っている人間はどれほどいるのだろうか。服喪の期間が終わっても、未だ密かに喪章をつけている陛下。

 もしかしたら己が生かされているのは、陛下は昔語りの相手が欲しかったからかもしれない。二人が憎しみ合っていたのではないと知っている人間、つまるところ陛下の友でもあった人間は、ほとんどが元の主とともに死んでしまったのだから。

 辛抱強い御方だ。

 目をかけていた息子の一人も亡くしたと聞いている。友も息子もそして尊敬する兄も、全てを一度に亡くした心痛を推し量ることは難しい。

 陛下が喪章をつけなくなる日はまだ先のことだろう。

「陛下、これが先帝陛下お部屋に。」

 差し出されたのは、真黒になってしまった芙蓉の花の簪。

「時折、眺めておられました。」

 しばらく、グルビナムはその簪を見つめていたのだが、ふと瞼を閉じることで自らの視線を遮った。

「いや、これは北の墓場に埋めろ。」

 男は怪訝そうに主を見返す。口には出さないが、ソルヤムと一緒に葬ってやった方が良いのではないか、という顔をしていた。

「死後の眠りくらい、穏やかに眠らせて差し上げよう。この簪には、呪がかかっているからな。」

 どこか寂しげな笑みを浮かべ、グルビナムは告げたのだった。

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