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四哀悲話  作者: 青田早苗
第四話、イェストラブの皇帝の話
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第二編

 なんだか今日はやけに宮殿が騒々しい。そう思っていると侍従の一人が尋常ではない様子でやって来た。どうしたのか、と尋ねれば、しばらくためらった後、ようやく侍従は口を開く。

「ソルヤム殿下が毒で倒れられたとのことです。一時は御危篤だったようですが、今は峠を越したと。」

 水差しに毒が盛られていたらしい。

「見舞いに行く。着替えの準備を。」

 そう言って立ちあがったグルビナムを侍従たちが引き留めた。

「おやめ下さい。万が一にも殿下がお出ましの際にソルヤム殿下の容体が急変しては嫌疑がかけられます。」

「ただでさえ、殿下の企みではないのかと口さがない者達は申しておるのです。」

 確かに、ソルヤムとグルビナムは年が近いせいもあって何かと互いを引き合いに出されている。正妃の長男が皇太子には相応しくはないかもしれないと近年言われ始め、外野の者達はバルユ、バーゴイ、ソルヤム、グルビナムを推す者に分かれ始めているのだとか。特に四人の中でも、皇太子はソルヤムかグルビナムだともっぱらの噂だった。本人達の思いとは違うところで働いた思惑が今回の事件かもしれないのだ。だが。

「いいから準備をしろ。次に会うのがソルヤムの葬式になったら、お前達をイシュテンの剣の前に蹴り出すぞ。」

 侍従達も結局は強く引き留めることも出来ず、渋々とは言え準備を始めた。


 ソルヤムの部屋に先触れを出せば案の定断られたが構わず部屋の前まで行く。エギールがお引き取りを、と断るのに対して抗議をしている時だ。中から一人の侍女が出て来て、ソルヤム殿下がグルビナム殿下であればお通しするように、と伝えて来た。

「ソルヤム、災難だったな。」

 寝台で顔だけをこちらに向けたソルヤムは答える代わりに、皮肉気に口の端を歪めた。額に玉の様な汗が浮かんでいて、先ほどの侍女が甲斐甲斐しく拭きとる。

「見当は付いているのか?」

「ああ。だが、確信がないんだ。」

「お前のことだ、どうせ毒見の手間が面倒だとか言ったのだろう?」

 まだ苦しそうではあるが、山を越えた様子はあったので小言を漏らせば、乳母みたいなと馬鹿にされた。しばらく他愛の無い話で笑っていたが、やがてソルヤムがうつらうつらとし始めた。

「少し休め。最近も寝不足が続いていたじゃないか。」

 それを聞くと急に迷子のような情けない顔をソルヤムは見せる。こういう弱々しいところを見せるとは珍しい、と僅かにグルビナムは瞠目する。

「眠るのが怖いんだ。二度と目を覚ますことがないんじゃないかと思って。」

 笑い飛ばそうとして、グルビナムにはそれが出来なかった。

「もうグルビナムには会えないんじゃないのか、と。」

 一度死掛けたソルヤムにはとってはそれが素直な感想なのだろう。滅多に見ることのないソルヤムの顔がなんだか年下の弟みたいでグルビナムは不謹慎にも、いつもこれくらい大人しければ、などと考えてしまった。

「大丈夫だ。次に起きるまでここにいるさ。なんなら、ヒラジェム叙事詩を朗読してやる。」

 開いた途端にソルヤムが舟を漕ぐ古典の名前を出せば、よく眠れそうだと笑ってソルヤムは目を閉じた。

 しばらくは寝台の隣で書を読んでいたが、すっかり夕暮れ時になってしまった。一度くらい目を覚ますかと思ったが、毒のせいだけではなく疲れていたのだろう、起きる気配もなかった。夕食のこともあるし、ソルヤムには悪いと思ったが、一度自室に引き返す。


 ソルヤムの部屋にいた侍女には報せをよこすようにと言付けておいたが、夕食を終えてもソルヤムが目を覚ましたと言う知らせは来なかった。もう寝台に入る時間だし、ソルヤムが目を覚ましていても、この時間になってからでは知らせに来ないかもしれない。滅多に見せることの無い弱った顔を見せられたせいで一度くらい顔を出した方が良いのではないか、と思いが過った。反対する侍従達を顔を見たらすぐ戻るからとねじ伏せ、侍従を一人だけ連れるとソルヤムの部屋へ向かった。

「殿下、妙です。」

 後ろに居る侍従の一人が耳打ちする。確かにおかしい。あれほどの大事が有ったと言うのに、扉の付近に護衛がいないのだ。護衛どころか侍従もいない。衛兵を呼びに戻ろう、と踵を返した時何かが割れる音がして慌ててソルヤムの部屋へ駆け込んだ。

「何者だ!」

 昼間の侍女が寝台の上のソルヤムを背中に庇い、侵入者に短剣を向けている。割れた音は侍女が手元にあった水差しを投げたからだろう。

「衛兵!衛兵!」

 侍従が声を張り上げる。こんな日に限って近くに居ないらしい。グルビナムも腰の短剣を抜いた。成人になっておらず長剣の帯剣を許されていない自分がこれほど悔しかったことは無い。

「急げ!ソルヤム殿下のお部…」

 外に居た衛兵に向かって声を張り上げていた侍従の言葉が途切れる。見れば別の侵入者が侍従から剣を抜くところだった。急に嗅ぎ慣れないしかしすぐに正体が想像できる、錆びついた臭いが鼻をつきグルビナムは戦慄した。

 死ぬかもしれない。

 侵入者の一人が侍女に向かって斬りかかって行った。また、見知った人間が無残に切られる所を見るのかと息を飲んだ。が、この侍女が只者ではなかった。強い。短剣で剣を受けると、すぐに侵入者の股間を蹴り上げその剣を奪えば、慌てた侵入者の二人が侍女に向かう。侵入者は五人。残りの一人がソルヤムに向かって斬りかかって来た。思わずグルビナムはその前に飛び出す。だがもう一人も切りかかって来て、二人の剣は受けられない、そう思った時、耳のすぐ横で金属がぶつかる音が聞こえた。

「貴様ら誰の差し金だ!」

 憤怒の形相のソルヤムが荒い息で剣を受けている。どこに隠していたのか、手に持つのは成人した時に持つ長さの剣。ようやく、衛兵たちの足音が聞こえてくる。ソルヤムが受けていた剣を跳ね返した音が均衡を破った。グルビナムも死に物狂いだった。剣術の稽古は受けていても実際に剣を交えたのはこれが初めてで、相手を倒す、というよりは切り殺されないために必死で剣を受けるだけだった。

「殿下!」

 その時、ようやく衛兵たちが駆け込んできた。侵入者達は流石に敵わないとみたか窓から飛び出す。あっと思った途端、侍女が一人の背中に向かって赤ん坊ほどもある大きさの壺を投げつけた。ぎょっとして宙を舞う壺を目で追えば、美しい弧を描いて侵入者の背に当たる。ぐぇっと無様な声を上げて落下した侵入者に、ほんの少しだけ憐憫の情を催したのは致し方ないだろう。衛兵たちが下で騒いでいる所を見ると、捕獲出来たようだ。大丈夫か、と、後ろを振り返った瞬間。眩暈を起したらしくソルヤムは寝台に倒れ込んだ。

 

「殿下。グルビナム殿下が捕縛されたようです。」

 ようやく熱が引いて起き上がったソルヤムを待っていた第一報は、それだった。髪を梳いていた侍女の手も思わず止まる。ソルヤムは眉間に皺を寄せ、報せを持ってきたエギールを問い詰める。

「先日の侵入者がグルビナム殿下の指示だったと口を割ったそうでございます。」

 有り得ない、と呟くと侍女に衛兵隊の人間を急いで呼んで来るように言い付ける。ソルヤムはしばらく何かを思案しているようだったが、グルビナムはどうしているのか?と尋ねた。

「今は北の塔で事情を聴いていると。」

 北の塔は牢獄という名が付いていない牢獄だった。皇族や高位の貴族の場合、ここで尋問を受ける。

「馬鹿馬鹿しい。侵入者如きの妄言を真に受けるとは。」

 しかし…と口を開きかけ、主人の前だった為に言葉を止めたエギールにソルヤムは先を促した。

「では。恐れながら、すべてグルビナム殿下の指示だとすれば筋が通るかと。」

「どういうことだ?許す、お前の考えを述べてみろ。」

「はい。恐らく毒で殿下の御命を狙ったものの、殿下が幸いにも回復なさったので、寝台に臥せっている所を狙ったのではないでしょうか?」

 確かに的は得ている。だが、寝台に臥せっている所を狙うのはグルビナムだけではない。

「おっしゃる通りでございます。ですが、先日はわざわざ殿下の元へ見舞にいらしたのはグルビナム殿下だけ。見舞ったところ、存外回復が早かったので焦ったのではないかと。」

「あまりにも拙速だ。グルビナムらしくない。あいつならもっと慎重に確実な方法をとる。」

「何より、毒の盛り方です。殿下があの晩水差しから直接飲まなければ、毒は効きようがありません。殿下がよく直接飲んでいるのを知っているのはグルビナム殿下だけです。」

「ベアル。お前は何と外に知らせた?」

 いつの間にか、侍女が衛兵隊長を連れて戻って来ていた。ベアルと呼ばれた侍女は殊のほか神妙な面持ちで答えた。

「はい。殿下が水を飲んだところ、毒が盛られていたようだと。」

「エギール。お前は誰の狗だ?」

 すっと侍従を見るソルヤムの目が細められた。

「この者を捕えよ。私が水差しから直接飲んだことは誰も知らない。」

 侍従の顔が青ざめた。

「どうせ、喉が渇くような薬を混ぜたのはお前だろう?」

 あの晩、ソルヤムは元々風邪気味で微熱があった。風邪薬だとエギールから渡され、毒見に飲ませた後に自分も飲んだ。いつもの風邪薬は元々喉が渇くような代物ではあったが、夜中、異常に喉が渇いて目を覚ましたのだ。水差しの水も勿論毒見役が飲んでおり、その後動かされたり蓋が開けられたりした形跡がなかったので、喉の渇きを覚えていたソルヤムは器に注ぐのも煩わしく水差しに口をつけて飲んでしまった。すぐに毒が盛られたと気が付き、ベアルを呼ぶと、水を飲んだら毒が盛られていたとだけ伝えろ、と言って気を失ったのだ。

「まあ、おそらくはバルユ兄上だろうがな。この前、目を付けられてしまったのは迂闊だった。」

 侍従を衛兵たちに預け、出て行こうとする衛兵隊長を引き止めて、グルビナムを塔から出すように告げる。だが、衛兵隊長は渋い顔をしたままだ。

「お言葉ですが、刺客の件にグルビナム殿下が無関係かどうかは…。」

「ふざけるな!」

 卓を蹴りつけたソルヤムの剣幕に、衛兵隊長は息を飲んだ。

 どういうことか、いくら皇子と言ってもたかだか十二の小僧に気押されていると言うのか。衛兵隊長は戸惑うとともに強張っている体と、警鐘よりも激しく脈を打ちすえる心臓の音に動揺した。ソルヤムの怒気で、空気が重い石のようだ。

「いいか、疑われるのを恐れて兄ですら見舞いに来ていない。来たのはグルビナムだけ。あの晩もグルビナムが訪れていなければ、とっくに私は殺されていた。大体、何故、あの晩は衛兵がすぐに来なかった?何故部屋のすぐ近くに居なかったのだ!どうせ金を渡されたか、女にこっそり呼び出されたかでもしていたのだろう!お前の不手際だ。今ここで首を刎ねられたいか!」

 すっと何の引っかかりもない音がして剣が抜かれ、首に添えられた。衛兵隊長は唾を飲み込むのですらためらう。髪を逆立てて怒るソルヤムは、将来鬼神と揶揄される呼び名を暗示する怒気を醸し出していた。

「グルビナムを連れてこい!今すぐに!」

 片膝を突いて控えていた隊長の足の間、それもぎりぎりのところに剣が突き立てられた。


 ソルヤムの一喝でグルビナムはすぐに塔から出され、ようやく二人は互いの無事を喜んだのだ。

 その時、侍女が悪魔の来訪を告げる。

「モツェレシュ夫人がお見えです。一言お見舞い申し上げたいと。」

 途端、はしゃいでいた二人の笑顔が強張る。案の定、水差しに直接口をつけるなどするからだ、そんな作法を教えたつもりは無い。と、こってり絞られ、その後の礼儀作法の授業は以前にも増して厳しくなった。

 色々とばっちりだ、とグルビナムが嘆くのも当然だった。



 澄み切った青空が心地よい日であった。空を見上げ、この日ばかりは自分が乾季の生まれで良かったと思う。

 銀色の縁取りや複雑な組紐で飾られた黒い帽子。黒檀で作られた鞘は真鍮の飾りが映える。同色の柄にはイェストラブの紋様が刻まれた翠玉がはめ込まれていた。

「イェストラブの守り神であるイシュテンの御加護を表して、イェストラブを支える男児たる証としてこれを授ける。」

 グルビナムに神官の手で帽子が載せられた。初めて被るそれはすんなりとグルビナムに馴染み、一旦馴染めば、ないほうが落ち着かないだろうと簡単に予想がついた。神官は続いて剣を捧げ持った。

「この剣は、汝がイェストラブの行く先を切り開き、イェストラブに振りかかる困難を撃ち払うべく、守り神イシュテンの愛し子たる皇帝陛下が汝の手に授ける物である。汝、この剣を如何に振るわん。」

「イェストラブの誇りの為、偉大なる皇帝陛下の御為。」

 たった一言述べるだけの口上が、これほど重かったことは無かった。

 神官が捧げる剣を受け取り、腰に佩く。ずしりと腰にまわした帯が重くなった。これが自分の肉体の一部となればその重みを感じるだろうか。イェストラブの為に振るう剣が我が身の一部になることにグルビナムは高揚した。


 薄暗い神殿の回廊を戻り、外へと向かった。重々しい神殿の扉が開かれ、光が差し込むと眩しさにグルビナムは目を細めて足を止めた。

 その光の筋の先に立っているのは、一月早く剣と帽子を得た兄。帽子を被ったソルヤムは大きくなって見え、剣を佩いた姿は頼もしくなって見える。外から差し込む光が薄いベールのように二人の間を分かつ。グルビナムにとっては、どうしても追いつけない壁のように感じた。どんなに頑張っても一月早く生まれたソルヤムより先に成人することは出来ないように、ソルヤムは必ず自分の少し先を歩くのだ。

 そのソルヤムの影は、真っ直ぐにグルビナムに向かって伸びていた。グルビナムが目指すべき先を示す道標のように。ソルヤムの姿をしばらく眩しげに眺めていたグルビナムは、まだ重みに違和感のある剣を左手でしっかりと握ると、道標に沿って一歩を踏み出した。

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