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四哀悲話  作者: 青田早苗
第三話、義を尽くした裏切り者の話
10/20

第四編

 事が起こったのは、芙蓉とパトゥラが揃いの衣裳を来て春祭りに現れた年だった。


 春祭りの夜、篝火の周りで男女が踊る中、臙脂の衣裳を来た二人の姿は血濡れた衣を纏ったようで。安は血濡れの衣を纏った芙蓉の姿に、自分の犯した罪を思い出す。きっと毅はあの晩の桂花の姿を思い起こしているのだろう。

 一体、毅はどんな思いで二人の姿を眺めているのか。桂花を奪った男が、その時の姿のまま娘の手を取って踊っている。存外、穏やかではない気分でいるのかもしれない。そう思いつくと、二人の姿を眺めている毅がどんな表情をしているのか見てはならないような気がして、安は空を見上げた。満月にはまだ遠く、半円の美しさも無い歪な月が輪郭を滲ませて浮かんでいる。旦那様に任された役目は泰獄で紋章を持った人間を待つこと。既にその役目は果たした。なら、イェストラブが攻めてくることが有れば、今度は泰獄のために死力を尽くそうと決意した。急に体が冷え、首に下げた守り袋が重くなった。その重みで首を切り落とそうとしているのかもしれない。薄く安は笑った。この守り袋を提げている限り罪を忘れることはないのだ、と。


 次の日の夕方、毅とともに酒を飲んでいる時。

「長殿。報告が。」

 パトゥラが固い表情で現れた。

「イェストラブの斥候らしき兵の姿が砥水の対岸に在りました。これが放たれた矢です。」

 確かに、泰獄で作られている弓とは素材が違う矢であった。

「イェストラブが攻めてくるかもしれないと?」

「ええ、さすがに今年の内に来ることはないでしょうが、来年の春までには備える必要があるかもしれません。イェストラブの動きに注意を。」

 パトゥラの答えに、毅も、裏切った本人である安も納得して頷いた。今、つまり春に斥候が動き始めたのならば軍を動かすのはどんなに早くても来年の春だろう、誰もがそう思ったのだ。だから、まさかその数カ月の後に七万の大軍が押し寄せてくるとは誰もが予想していなかったのだ。夏もまだ盛りを越えたばかりと言う頃に、イェストラブ侵攻の報せが入った時、誰も信じなかったくらいに。

 明日には三山の長も集まって会合があるという日の朝。安を叩き起こしたのは酒瓶をぶら下げた毅で、寝ぼけ眼を冴えさせたのは七万という数字だった。どうやら秘密裏に毅は報せを聞いていたらしい。

「どう思う?」

「どうって。」

「イェストラブに勝たないまでも、川を渡らせずに押しとどめられると思うか?」

「無理だな。」

 間髪いれずに安が答えると、ほんの僅かに窘めるような視線を毅は向けた。だが、毅とて同じ考えだったのだろう。勢いよく酒を煽った。

「ならどうしたらいい?皆で砥水に飛び込むか?」

 珍しく、笑えない冗談を毅が口走る。実は昨晩からずっと飲んでいるのではないかと、安は疑った。煽った酒瓶にもう酒がなくなったのだろう。逆さにして中を覗きこんで、酒瓶を揺らす。呆れて、酒瓶を毅から受け取ると、蓋を閉めて横に置いた。

「逃げればいい。」

「簡単に言うな。何人いると思っている?無勢とはいえ二万だぞ?ちょっと隣の山に行くのと話が違う。イェストラブが来る前に皆を逃がせる訳がない。」

「いいか、皆が平等に同時に逃げる必要なんてないんだ。」

 すっと、毅の目が冷たくなる。酒瓶で殴られるのではないかと安は身構えた。思わず、酒瓶の上に置いていた手の力を強め、凶器になりそうなものが無いことを確認する。

「落ちつけよ。皆が皆逃げ切れる訳がないんだ。仕方ないだろ?だから、どんな奴を先に逃がすか決めるしかない。俺は残るぞ?逃げるつもりはないが、逃げるとしたら空になった泰獄を眺めた後だ。」

「お前はともかく、他の奴らに逃げ切れないのを分かって残れというのか?」

「だが、それが一番多くを逃がせるし救える。違うか?」

 しばらく毅は宙を睨んでいた。

「帰る。」

 扉にぶつかりながら、山を登っていく姿を見送った。

 結局、その日の会合で、少ない人数を泰獄に残し、皆を少しずつ外に逃がすことに決まったのだ。

 

「安おじさん。」

 芙蓉が珍しく表情を出して、声をかけてきた。ただし、その表情は硬い。初め、毅を残してパトゥラとともに泰獄を離れることを憂いているのだと、思った。しかし。

「私、泰獄に残ることにしたの。」

「何を言うんだ、芙蓉。」

 芙蓉は成人してからは参謀役の手伝いをしており、泰獄から出るのはイェストラブ軍が近づいてから、ぎりぎりになったら逃げる、という話にはなっていたのだが。

 芙蓉は頑なだった。どうやら、皇太子が軍を率いていることは間違いないという知らせを聞いたようで、何とかして、イェストラブの皇太子に近づいて、寝首をかくのだと言ってきかない。

「いくらなんでも、無理だ。相手がせいぜいその辺の一平卒ならともかく。」

「無理ではないわ。きっと次に皇太子が私と会ったら間違いなく、夜伽をさせるでしょうから。」

 妙齢の女が恥じらいも躊躇いもなしに言うにはあまりにも思いがけない言葉に、どういうことか、と安はまじまじと芙蓉を見た。芙蓉が言うには、春祭りの日に北山では今までよりも遠くまで見通せる新しい遠眼鏡が披露されていたと。それをたまたま借りうけた芙蓉が砥水を眺めて見ようとあちこちを覗きながら岸へと向かっている時、見慣れない旅人、しかも立派な剣を腰に佩いた武人と思われる旅人が数人、砥水の対岸に居たのだとか。おかしいと思い、木の陰から遠眼鏡で旅人達の様子を探る。よく見なければわからなかったが、剣帯の留め具にイェストラブの紋章が見えた。もちろん最初はただの斥候兵だと思った。しかし、何人かの動きが随分と畏まっており、その口元を見れば「殿下」と言っていたと後に気が付いたのだと言う。その上、一人が何かを取りだした時、そこに見えたのは鷹の紋様。

 イェストラブ、鷹、殿下。そして、あの鋭い眼。

 春祭りの時は気が付かなかったが、今イェストラブが攻めて来て、きっとあの男が皇太子だったのだと確信した。

「皇太子が自ら?有り得ない?」

「ええ。でも、皇太子だけではなく軍師も連れているんです。そうすれば、軍の本体へと戻った頃には策は練り終わっているし、兵糧や武器も途中の領地で献上するよう命じながら帰れるでしょう。だから鷹の狩りは素早いのでは?そう思ったの。」

 さすがに、今回の泰獄攻めの早さと軍の大きさは予想が付かなかったけれど、と芙蓉は続ける。

「だとして、何故、お前が残る。そんな必要はない。」

「うぬぼれではなく、あの皇太子は私に執着していると目が合った時に分かったんです。ですから、次に皇太子の前にまみえる時、恐らく泰獄が落ちた後であれば必ず寝所に呼ばれるでしょう。そうすれば、鷹の翼を落とせる所まで近づけます。例え、皇太子の下に呼ばれなくても、戦場いくさばで女がいたら、呼びつけるのは地位が上の人間。そういう人間を一人でも葬ることが出来れば、鷹を落とさないまでも翼に傷を付けることは出来ます。」

 なんということか。

 この桂花にそっくりな娘は、桂花とは全く似ていない。そう言えば、パトゥラがあの憎らしい男に重なることは何度もあったが、芙蓉に桂花の面影を見ることは数えるほどしかなかったと思う。どんなに顔のつくりが似ていても、醸し出す空気や所作が違いすぎるのだ。姿は桂花に瓜二つにも関わらず、青い瞳は父親のそれと同じく冷徹な色であった。何より、この娘は人の心に敏い。敏いが故なのか、人の思いに冷酷だ。人の思いを知った上で弄ぶことに何のためらいもない。人の心に疎く、自分の心に忠実だった桂花。しかし、天真爛漫だった彼女は、心に疎くとも情に厚い人間だった。

「ですから、なんとしてでも私は泰獄に残りたいんです。例えイェストラブが泰獄を落としたとしても、あの鷹さえいなくなれば、こんな遠く離れた山の向こうの地まで力は及ばなくなるでしょう。一時、イェストラブに明け渡そうと、遠からず皆が泰獄へ戻ることは出来ます。」

「毅は頷かないだろう。」

「だから、お願いしているのではないですか。もう出られないという時になるまで父様の目をごまかしてください。」

「毅が駄目だと言っていることを、俺が良いと言うか?」

「らしくないわ。私が一番近づける可能性があるというのに。おじさんは、どんな時も、例え危険を冒しても可能性があるならば結果が良い方を取る人でしょう?」

 やはり桂花の娘だと思い直した。どちらも一度言いだすと絶対にやめない。爛々とした目でこちらを見つめる芙蓉に、段々と諦めの気持ちが勝ってきて、溜息を吐きながら米神を押さえた。安の様子に、自分の言い分が通ったことを理解した芙蓉はほんの少し明るい顔をする。

「パトゥラは何と言っている?」

「私の好きにさせてくれると。」

 毅が生き残った場合間違いなく捕えられるだろうし、パトゥラがルナルーチだと気が付かれずに済む可能性はかなり低い。イェストラブにいた頃、亡国の王族の処遇については執拗でかつ冷酷だと学んでいた。となれば、パトゥラや毅が「温情」にあやかることはまずない。万が一芙蓉の謀が上手くいったとして、誰がイェストラブで芙蓉を守ると言うのか。桂花の大事な忘れ形見を。自分なら、何とかしてイェストラブの者だと示せば、少しでも近い場所で守れるかもしれない。賭けではあるが、他の禁賊では負けしか有り得ない賭けである。自分なら勝ちを出せるかもしれないのだ。

 芙蓉と共に謀り、芙蓉は昔高熱の為目が見えないという触れ込みにした。そのほうが皇太子に近づいた時油断させられると考えたためである。安の他にも間者がいるだろうと思っていたのだが、予想に反してどこからも偽の情報であるとは伝わらなかった。その後、イェストラブが泰獄を落とせば、面白いほど芙蓉が言った通りになった。予想外だったのは、毅の首を刎ねないままイェストラブへと連れて行ったこと。パトゥラがルナルーチの末裔だと早くに気が付かれたことだった。イェストラブに戻った後、少しでも高い位に付きたかったので、パトゥラのことは自分が密告するつもりでいたのだが。


 だが、目下の問題は、この牢から何とかして外に出て、旦那様の元へと戻ることだな、と安は溜息を吐く。幽山も北山も落ち、残る南山も数日持てばよいほうだろう。砥水を挟んで、対峙していたイェストラブ軍。まさか、北山の北に在る万雪嶺、神峰を越えて進軍してくるとは思わなかったのだ。北山から急襲の報せを受け、幽山から駆けつけていた安は、北山の館で捕虜になっていた。捕虜を何かの基準で振り分けているのだろう。恐らく、職人や学者をイェストラブへと連れ帰るために。自分がいるのは、そうでないほうの牢であった。さらに、戦闘の最中、足に矢を受けており、今はまだ何とか持っているが傷口が化膿し、熱を上げるのも時間の問題だった。このままでは、位に付くどころか、生きてイェストラブの地を踏むことが出来るのかも危うい。

 どうしたものか、と足の痛みを堪えながら頭を捻る。本来なら、周囲に他の禁賊がいないときが良かったのだが、もはや背に腹は代えられない。

「なあ、あんた、くにはどこなんだ?」

 いつもの軽い調子で牢番の兵士に話しかける。もちろん、返事はない。

「なあ、バゥクスは酒がうまいんだろ?行く先はその辺りなのか?」

「お前の外套の留め具、随分変わってるな?」

「その留め具の形おかしくないか?イェストラブじゃそういうのが流行ってるのか?」

 イェストラブで使われるウルスク語とソヌの言葉は近い。全てが分からなくても、馬鹿にされていることだけはしっかり伝わっていたようだ。ついに我慢の限界が来たらしい兵士はぎろりとこちら睨むと、襟首を掴んだ。

『静かにしていろ!!痛めつけられたいのか!!?…?』

 自分の顔の目の前に、すなわち後ろにいる他の禁賊は見えないように、紋章が入ったメダルを突き出す。

「いいぜ、上官を呼んでこいよ。できれば、これと同じやつ持ってる上官を。」

 呆れ半分心配半分で成り行きを見守っている禁賊には、兵士が身につけていた留め具のことだと思っただろう。

 しばらくのあいだ兵士は逡巡していたが、安がその耳元で、これが偽物だったとしても大した咎めはないだろうが、本物だったらあんた生き延びれられないぜ?とウルスク語で囁けば血相を変えて、他の牢番へ交代の申し出をする。それを聞き、にやりと笑みを浮かべ、先ほどまで寝転がっていた場所へと戻ると、元と同じように昼寝を始めた。

 半時ほど経った頃だろうか。俄かに扉の外が慌ただしくなり、数人が行きかう音がする。牢番をしている兵士よりは身分が随分上だと分かるイェストラブ兵が数人、入って来た。禁賊達は何事かと扉を見る。そのうちの一人、自分と同じ年ごろの兵士が近づいて来て、安が寝転がっている顔の真横に立って見下ろして来た。

「お前か?」

 剣帯に織りこまれた紋様は、守り袋の中の紋様と間違いなく同じ物。しかも、なんとなく兵士の顔には見覚えがある。名前は忘れたが、恐らく同時期に旦那様の元で学んでいた子どもの一人だろう。痛む足を堪えてゆっくりとした動作で立ち上がると、そのイェストラブ兵の真正面に拳二つ分も無い近さで相手を見据えた。もしかすると名乗った途端口封じに殺されるかもしれない。泰獄に行けとは言われたが、戻ってこいとは言われていないのだ。

 足が震えた。

 これは、恐怖だ。殺されるかもしれない恐怖ではない。己が不要だと断じられる恐怖。芙蓉の下へ行くことが出来なくなる恐怖。

 それを押し殺すべく、くっと顎を引き、無様な声にならないように腹に力を入れる。

『アンジョルだ。二十数年前、ゲルヅォク閣下の命で泰獄に入った。こちらがその紋章である。』

 普段、ソヌ地方の訛をつけた喋り方をするが、口から淀みなく出るのは幼い頃教えられた、そしてイェリナに学んだきれいなウルスク語。

 皆に動揺が走る。

 間者がいるだろうとは思っていた。だが、まさか幼い頃から泰獄に居た安だったとは。

「安、どういうことだ!!?」

「お前、まさか!!?」

 残った中にいた数名の友人達が顔を青ざめさせながらも、事実を飲み込めずにいる。それを無視して、目の前の兵士に向かって言葉を続けた。

『閣下に任の報告をお伝えしたい。』

 イェストラブ兵は顎を微かに動かして頷く。

「悪いな、ま、間者がいるのは泰獄じゃあ皆が知っていることだろ。怨まないでくれ。」

 内心、殺されなかったことに安堵しているのをごまかすように、軽い調子で別れの挨拶をし、安はアンジョルに戻ったのだった。


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