第7話 桜の木の下で
目が覚めると、そこにはいつもの家の天井があった。
現実世界に戻ってきたのだ。
目覚まし時計を見ると、いつも起きる時間より十分ほど早かった。
もう少し眠っても良いかなと思い、そこで察する。
今寝たら、またドリームワールドに行ってしまうのではないか。
誤って行こうものなら、あのおばさんになんと言われるか……。
ドリームワールドのことは鮮明に覚えていた。
いろいろなことをしたのに、まったく寝不足ではないし疲れもなかった。
夢の中での出来事なのだから当たり前なのだろうが、とても不思議な気持ちになる。
眠りはせず布団でごろごろとしていたいが、先ほどから美味しそうな匂いが一階から漂ってくる。
その匂いにつられ僕は布団から出ると、頭を掻きながら一階へ向かった。
* * *
「おはよう、お兄ちゃん。いつもよりちょっと早いね」
一階に下りると、制服の白いブレザーにエプロンといった出で立ちの舞が、キッチンで朝食の支度をしていた。
我が家の朝食は、パンではなく白米だ。
朝はただでさえお弁当も作らなくてはならないのに、彼女は朝ごはんまで作ってくれている。
自分が手伝えたら、彼女はどんなに楽になるだろうか、と僕は考えるのだが、料理は不得意中の不得意なので手伝おうものなら逆に作業効率はぐっと下がるだろう。邪魔になるだけだ。
「おはよう。ちょっと早く目が覚めてね」
「目が覚めても、お兄ちゃん二度寝するくせに。何かあったんじゃないの?」
彼女の発言にひやりとする。
女の勘とでも言うのだろうか、こういう時の彼女は鋭い。
僕が何か隠し事をしても、隠し事をしていることをすぐに見抜かれてしまう。
そんなことが、良くあるのだ。
「まあいいや。もうすぐご飯出来上がるから、待っててね」
彼女は作業する手を止め、顔を上げるとこちらに微笑んだ。
僕はテーブルに着き、そこに置いてあった弁当箱をこっそり覗いた。
* * *
弁当箱の中には、白米に梅干、玉子焼きにウインナーと言った定番のものが入っていた。
今日の昼食は優弥の提案で、桜の木の下で食べる事になった。
「本当に綺麗な桜だねー」
咲がうっとりとして言う。
今日は青い地味目の髪留めをつけている。
僕は玉子焼きを口に放り、桜を見上げる。
昨日、無事に新入生を向かえた桜は、所々散ってしまっている箇所が見られるものの、十分美しく淡いピンク色の花を咲かせていた。
「咲ちゃんのほうが可愛いけどね」
優弥が格好つける様に言う。
相変わらず鬱陶しいやつだ。
「もう、優弥くんはお世辞が上手だね」
咲が微笑む。
まんざらでもなさそうだ。
咲を喜ばすことが出来て、優弥もご満悦の様だった。
そんな優弥に影が落ちる。
「私もそんな風に褒めてもらいたいものだな」
優弥の後ろに島津先輩が立っていた。
部活の時とは違い、ポニーテールにしておらず、ストレートに腰まで真っ直ぐ伸ばしていた。
「あ、綾波先輩、ちわーっす」
「桜のように散りたいか……?」
先輩が青筋を立てる。
念のため言うが、島津先輩は名前で呼ばれるのが嫌いなのだ。
「め、滅相もないっすよ」
どうやら優弥と島津先輩の日常茶飯事が始まったようだ。
今回は桜とのコラボレーションである。
部活では日常茶飯事なのだが、それを知らない咲は僕の隣でぽかんとしている。
それもそうだろう。
友達と知らない先輩がいきなり漫才を始めるのだから、困惑してもしょうがない。
向こうを見ると、島津先輩の友達とおぼしき二名の三年女生徒も、咲と同じくぽかんと口を開けていた。
「それで、桜より綺麗な綾波先輩が、どうしてここに?」
「どうしてって、私もお前たちと同じく友達と弁当を食べていたんだ。そしたら、うざい顔がいたんでな。ちょっと声をかけようとしたんだが、うざい顔のやつが生意気にも友達に『桜より可愛い』とか言っていたから、ちょっとムカついてな」
「うざい顔とか言わないで、名前で呼んでくださいよ、桜より綺麗な綾波先輩」
「誰もお前のことだとは言ってないぞ」
「いやいや、それ絶対俺でしょ!?」
「被害妄想が激しいんじゃないか?」
相変わらず、二人は面白い。
しかし、あの中に入りたいとは思わない。
「そういえば、桜より綺麗な綾波先輩は――」
「――そうやっておだてれば、許されると思っているだろ。それでも結局名前で呼んでることには変わりないんだから、あんまり調子に乗ってると、弁当入っていた銀紙を奥歯に噛ませるぞ」
「そ、それは勘弁してください!」
奥歯に銀紙、想像しただけでゾクゾクしてくる。
「あの人は、知り合い……?」
正気を取り戻したらしい咲が尋ねてくる。
「部活の先輩だよ。優弥とはいつもあんな調子なんだ」
「仲が良いんだね」
咲が苦笑交じりに言う。
「そうだね。あの二人はとても仲が良いよ」
僕は笑った。
咲はおそらく皮肉で言ったつもりなのだろうが、僕は優弥と先輩が仲が良いと思っている。
「でも私は、もう少しゆっくりゆったり桜が見たかったかな」
「それはそうだね……」
こればっかりは、苦笑するしかなかった。
* * *
夜もすっかり更け、僕は布団の中にいた。
かれこれ三十分程こうしているだろうか。
早く眠ってドリームワールドへ行きたいのだが、眠れないのだ。
早く行きたくて興奮しているのか、目が冴えて眠れないのだ。
ドリームワールドに行く目的、そんなものはない。
新しく始めたゲームを早くやりたい、そんなようなものだ。
「どうしたものかな……」
独りごち、考える。
そして、一つの考えにたどり着く。
……ひつじ!
昔から、眠れない時は羊を数えればいいと言われるが本当なのだろうか。
僕は試してみることにした。
「ひつじが一匹……」
声に出してみると、結構恥ずかしい。
心の中で数えることにしよう。
ひつじが一匹、ひつじが二匹、ひつじが三匹、ひつじが四匹、ひつじが五匹――