第4話 Dブレイカー
シーザーと走ること数十秒。
スライム程度だとなめていた僕は、その姿の見て絶句した。
そこには、全長五メートルはあろう化け物の姿があったのだ。
「あれが……Dブレイカー……」
喉から声を絞り出す。恐怖で声が出ないのだ。
茶色の毛皮を纏い、二足の足で地面に立っている化け物に、歯や爪や尻尾はなく、小さな丸い耳だけがついている。
目はどこか間抜けだし、特に強そうでもなんでもない。
しかし、この化け物は通常のゲームのように画面上にいるのではない。目の前に確かに存在しているのだ。
それが僕に恐怖を植えつけていた。
これが、VRMMORPG……!
「そうさねぇ。あれはマーグオスっていう、マングースのDブレイカーだねぇ」
マングースに似ているかはさておき、シーザーは特にあわてる様子もなく、いつもの感じで答える。
「マーグオスは、Dブレイカーの中では弱い方だよ。どうだい、戦ってみるかい?」
シーザーに問われる。
「いや、無理です無理です!」
僕は全力で否定した。
化け物の周りの建物は無残にも倒壊しているし、周りの人々は皆が皆逃げ出していた。
あんなデカブツと戦っても、建物同様無残に潰されるだけだ。
「あんたに拒否権はないんだよ、いいから行きな!」
そう言われ、ものすごい力で背中を押される。
そのせいで前に出た僕と、マーグオスの目が合う。
ウォオオオ……!
マーグオスが咆哮を上げる。
首筋にたらりと嫌な汗が垂れるのを感じる。
出来れば今すぐ逃げ出したいが、そんなことをしようものなら、すぐにシーザーに捕まる事だろう。
ええい、こうなれば、もうやけくそだ。
あんなものは見掛け倒しだ。
強そうでもなさそうだし、大きい分小回りは利き難い筈だ。
そうだ、やる前から諦めてはダメだ。
僕は自信にそう言い聞かせ、剣を抜く。
先程よりも、剣は重く感じた。
「たぁあああ!」
無意味な言葉をあげながら、僕はマーグオスに突進していく。
マーグオスは、こちらにパンチをしてくる。
パンチまでのモーションが長い。
僕はそれを回避する。
直後、背後でドンッと大きな音が鳴り、振り返る。
マーグオスの拳が地面にめり込んでいた。
あれに当たっていたら、今頃紙の様に平たくなっていただろう。
「怖すぎるだろ……」
喰らった姿を想像をして身震いする。
ここでは現実世界と同様痛みを感じるとミユキは言っていた。
ならばなお更喰らいたくない。
僕は再び走り出し、マーグオスとの距離を詰める。
股下ががら空きだ。
駆け抜けて、背後に回り込む。
「たぁああああ!」
再び無意味な声をあげながら、マーグオスの足に斬りかかる。
しかし、素早く反応したマーグオスに間一髪でそれを躱され、こちらに再び拳を繰り出させる。
「うわあ……!」
躱しきれず、僕は数十メートル撥ね飛ばされた。
「まだ、やれる……!」
立ち上がり、剣を構えなおす。
足に少しばかり痛みがあるが、それだけだ。
想像していたより痛くない。
僕は立ち上がる。
マーグオスは、四つん這いになっていた。
刹那、マーグオスが猛スピードで突進してくる。
咄嗟に横に飛びまろび、間一髪で回避する。あれをもろに喰らえば、一溜まりもなかっただろう。
マーグオスは、周囲にある建物をなぎ倒しながら急旋回し、再び猛突進してくる。
僕は立ち上がったばかりで、とても回避できる状態ではなかった。
「あ、ああ……」
猛スピードで迫ってくるマーグオスを避けられないと悟り、膝からがくりと崩れ、声ともつかない呻きをあげると地面にへばり付いた。
立ち上がろうと必死にもがくが、力が入らない。
しかし、マーグオスはどんどんと迫ってくる……。
駄目なのか……。
諦めかけた時、目の前に誰かが立つ。
それは、まるでピコピコハンマーのような、赤い頭部と黄の柄の大きなハンマーを持つシーザーだった。
彼女は一回転し、遠心力でハンマーを振る。
それは、タイミングよく突っ込んできたマーグオスの脳天を捉えた。
ウォオオオ……!
マーグオスは呻き声をあげると、その体は光に包まれた。
そして、弾けてそのまま消えていった。
「倒した……?」
僕は地面にへばったまま尋ねる。
「倒したよ。まったく、あれくらいでへこたれてるんじゃないよ」
シーザーが手を腰に当て、ため息混じりに言う。
「ほら、いつまでも地べたに座り込んでるんじゃないよ、みっともない」
シーザーが手を伸ばす。
僕はその手を取り立ち上がった。
「すいません……」
謝ると、シーザーは大きなため息を一つ吐く。
「まず、Dブレイカーに慣れるところから訓練だねぇ。戦闘についてはその後さねぇ」
僕も同じことを思っていた。
まずはDブレイカーに慣れないと、話にならないだろう。
しかし、これは大変なことになった。
あんなデカイものとこれから戦って行くとなると、先が思いやられる。
慣れれば、少しは何とかなるだろうか。
「なんだい、あんた怪我してるじゃないか」
シーザーに指摘され、足を見る。
確かに擦り傷が出来ていた。
マーグオスのパンチを喰らった後、足が痛んだのはこのためか。
しかし、怪我まで再現されているのか。
僕がそんなことを考えていると、シーザーが手の平を上に向ける。
すると、そこに光が集まり先程の青いりんごを形成した。
「ほら、食べな」
そのりんごをこちらに差し出す。
なぜ、こんな時に食べさそうとするのだろうか……。
「いや、いいですって……」
僕は断る。
「いいからお食べ」
「いや、だから……」
「食べな」
……しつこい。
多分、シーザーは僕が食べるまでこのやりとりを続けるつもりだろう。
「……分かりました」
僕はしぶしぶ従うことにする。
りんごを受け取り、まずは一口……。
甘酸っぱい果汁が口の中に広がる。
どうやら、味は普通のりんごと変わらないらしい。
二口目……。
やはり変化はない。
普通のりんごだ。
しかし、このりんごを食べると、足の痛みが和らいでいく気がする。
擦り傷を見てみると、傷口が閉じつつあった。
「それはポーションリンゴって言ってねぇ。食べると傷が治る、回復アイテムみたいなもんだねぇ」
「へえ……」
それで傷が治っていくということか。
“回復アイテム”とは、名の通り体力などを回復してくれるアイテムの事である。
ドリームワールドでは体力の類がないので、傷を治す効果に置き換えられたようだ。
ちなみに、ポーションと言うのは『液状で服用する薬』の事を指す。
りんごは固形なので、ポーションと言うのはいささか間違っているような気もする。
「でも、疲れまでは取れないから、宿屋で少し休もうかねぇ。あんたも疲れたろう?」
「確かに疲れましたね」
部活よりは動いてはいないが、さっきの恐怖やら緊張やら焦燥やらでどっと疲れた。
宿舎で休めるなら、是非そうしたい。
りんごを食べ終え、傷もある程度直ると、僕とシーザーは宿舎へと歩き出した。
* * *
「教官……。シーザー教官!」
道中、後ろからシーザーの名前を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、動きやすそうなレザーアーマーに身を包んだ、若い女性の姿があった。
そのレーザーアーマーからは肩やへそがのぞいていて、露出度は高めだ。
「ツ、ツナミじゃないか……!」
普段冷静なシーザーが、柄にもなく興奮していた。
まもなく二人は抱き合い、それぞれに喜びの表情を見せている。
その姿はまるで、生き別れた親子の再会のようだった。
それにしても、ツナミという名前をどこかで聞いたような……。
「お久しぶりです、シーザー教官!」
「ああ。久しぶりだねぇ、ツナミ」
シーザーを教官と呼ぶあたり、ツナミはシーザーの元教え子というところか。
「というか、あたしはもうあんたの教官じゃあないんだから、その呼び方はよしなよ」
「いいじゃないですか。減るもんじゃないんですから」
「そ、それはそうだけどねぇ……」
シーザーがおされ気味だった。
さすがは元教え子、シーザーの扱いに慣れているようだ。
「さっき果物屋のおばさんがあんたを見たって言ってたからねぇ」
「果物屋のおばさんが!? 懐かしいな、声かけてくれれば良かったのになー」
そうか、ツナミと言う名前は果物屋のおばさんが言っていた名前だった。 彼女もまた、青いりんごを貰ってシーザーに無理やり食べさせられた過去があるのだろうか、と僕は考える。
「あ、ごめんね。君、今の教官の?」
僕の存在に気付いたツナミが声をかけてくる。
「はい。カケルです。よろしくお願いします」
「私は、教官の元教え子のツナミ。よろしくね、カケル君」
そう言うとツナミはポケットからDフォンを取り出した。
「そうだ。これも何かの縁かもしれないし、ヨンバンを交換しない?」
「ヨンバン……?」
僕は首をかしげる。
そんなもの、見たことも聞いたことも食べたことも触ったことも嗅いだこともない。
「教官、まさか……?」
「そういえば、まだ教えてなかったねぇ」
「まったく、教官ったら……」
ツナミが呆れ、やれやれといった様子で手を額に当てる。
「ヨンバンっていうのはね、電話番号みたいなものだよ」
ツナミはこちらに向き直ると、シーザーの代わりに説明し始めた。
「ヨンバンはその名の通り、0000~9999までの一万通りの四つの番号のことを指すの。ドリームワールドには一万人のプレイヤーがいるから、一人一づつ必ず持っていることになるね。ヨンバンを交換すれば、電話やメールのやり取りが出来るよ」
「なるほど……」
はっきり言って、シーザーよりも教えるのは上手い。
シーザーと比べて圧倒的に頼りがいが有りそうだし、いっそのこと彼女の代わりに教官になってほしいくらいだ。
「ヨンバンはDフォンを接触させる事で交換が出来るよ。ちょっと貸してみて」
ツナミが手を差し出すと、僕は自分のDフォンをその手に乗せた。
彼女はそれを自分のDフォンにこつんと接触させる。
「はい、交換完了。ヨンバン帳で確認できるからね」
僕はDフォンを受け取ると、すぐさまヨンバン帳を開く。
そこには、しっかりとツナミのヨンバンが記録されていた。
バッグカメラといい、Dフォンの機能には驚かされるばかりだ。
「何かあったら、電話なりメールなりで聞いてくれていいから。後で教官のヨンバンも聞いておくんだよ」
僕は頷く。
「それでは教官、私はこれで……」
申し訳なさそうに、ツナミが言う。
「なんだい、もう行くのかい? ご飯くらい奢ろうと思っていたのにねぇ」
「すいません。いろいろ忙しくて……」
ぺこりぺこりと何度も頭を下げるツナミ。
「それならしょうがないけどねぇ。また会う時は、ゆっくり話をしようねぇ」
「そうですね、そうしましょう。それじゃあ教官、お元気で。カケル君も頑張ってね」
「はい、ありがとうございます!」
「あんたも元気でねぇ」
シーザーの言葉に頷くと、ツナミは踵を返して歩いていく。
「何が忙しいだい。いつから偉くなったんだろうねぇ」
その背中に、シーザーは一言二言呟いた。
「さてと、あたしたちも宿舎に行こうかねぇ」
シーザーはこちらに向き直りそう言うと、踵を返して歩き出した。
僕もそれに続いた。
* * *
僕とシーザーは、木製の決して大きいとはいえない宿舎に入った。
宿舎の中には小さな部屋が四つほどあり、その中の二人用の部屋を借りた。
ベッドが二つ、それ以外に家具はない。僕たちはそれぞれベッドに腰掛けていた。
「あんた、時間はまだ大丈夫かい?」
シーザーに聞かれ、Dフォンで時間を確認する。
ドリームワールドに来てから二時間が経過していたところだった。
起床時間にはまだまだ余裕がある。
「大丈夫です」
僕は答える。
「なら、少し横になったらどうだい? 疲れが取れるよ」
シーザーの質問で、僕の頭に一つの疑問が浮かんだ。
「ここで寝たら、どうなるんですか?」
ここは、ドリームワールドなんてかっこつけてはいるが、あくまで夢の中である。
現実世界で寝れば夢を見る。
では反対に、夢の中で寝ればどうなるのだろう。現実世界に戻ってしまうのではないか、僕はそう考えた。
「どうなるもこうなるもありゃしないよ。まさかあんた、現実世界に戻るとか馬鹿なこと考えてるんじゃないだろうねぇ」
僕はギクリ、と肩を震わせる。図星である。
「ミユキも言ってたじゃないか、ログアウトの方法はDフォンの電源を落とすことだけだってねぇ。あんたは何を聞いてたのさ」
「うぅ……」
何故だろう。
シーザーに指摘されると、なぜこうも悔しいのだろう。
「シーザーさんはその間何をしてるんですか?」
話題を変えようと、僕は質問する。
僕が寝ている間、シーザーは何をするのだろうか。
僕と違って、シーザーは疲れていなさそうだから寝る必要もないだろう。 まさかとは思うが、教え子を一人残して外に出かけるというのもないだろう。
「あたしは酒場に行って酒でも飲んでるよ。だから、あんたは心置きなく寝てな」
そのまさかだった。しかも酒とは……。
まあ、教官という職務に支障をきたさなければ、寝ている間に何をしてもらっても構わない。
それに、やめろと言ったところで、シーザーには無駄だろうから。
こっちとしても、その間はここで待ってると言われると、申し訳なく思って寝にくい。
「それじゃあ、少し休ませてもらいますね」
僕は、ベッドに横になる。
すると、一気に睡魔が襲ってくきた。
今気付いたが、疲れているのはマーグオスのせいではなく、シーザーのせいではなかろうか。
シーザーに振り回されているせいで、こうも疲れるのではないだろうか。 薄れ行く意識の中で、僕は考えた。
「ああ、ゆっくり休みなよ」
シーザーの声を最後に、僕の意識は途絶えた。