第1話 日常
今日は始業式だ。
今年で高校二年生になった僕、一之瀬翔は新しい教室でぼーっとしていた。
昨日見た夢は、不思議な夢だった。
ドリームワールド、だったか。
夢中のMMORPG、VRMMORPG、確かに面白そうではある。
しかし今考えると、それもただの夢だったのかもしれない。
第一、自分の体を動かすようにって――
そこで僕は思考を停止させる。
手元に影がおちたからだ。
振り返ると、そこには男女二人が立っていた。
「おいっす、翔」
「おはよう、翔くん」
僕の友達の、玖波優弥と平井咲だ。
優弥は、金髪でいつも元気で明るく、ムードメーカー的存在だ。
黒い学ランを着ると金髪がより目立つが、強面と言うよりは優形で、そこそこの端正な顔立ちをしているので、不良と間違われたことはないらしい。
僕とは、小学校からの付き合いで、親友とも呼べる仲である。
咲は、細くて穏やかな眉とは対照的に、ぱっちりと大きい瞳の持ち主の可愛らしい女の子だ。
首までの少し長めの栗色のショートカットにはいつも違った飾りをつけている。
今日は、始業式に合わせて来たのか、ピンク色の小さな桜だった。
胸に青いリボンのついた冬用の黒のセーラー服もばっちり似合っている。
彼女とは、高一の時に隣の席になり、親しくなった。その時に優弥も席に遊びに来ていたので、成り行き上仲良くなっていた。
「おはよう、二人とも。もしかして、同じクラス?」
「ああ、そのもしかしてだ」
「今年度もよろしくね!」
クラスが変わって上手くやっていけるだろうかと心配していたが、仲のいいこの二人が同じクラスだととても心強い。
この二人がいるなら、クラスで孤立することもないだろうから、無理して新たな友達を作る必要はなさそうだ。
「こちらこそ!」
僕は、笑顔でそう返す。
「そんで、お前は何ぼーっとしてたんだよ?」
優弥に顔を覗き込まれる。
「いや、なんでもないよ……」
何かあったにはあったのだが、あいにく他言無用らしいので、言うことはできないのだ。
許してくれ、優弥。
「まあ、なんかあったら相談してくれよな。困った時はお互い様だからな」
誇らしげに胸を叩く、優弥。
しかし、どうにも頼りなさそうだ。
「ああ、お互い様な」
「それで相談なんだが、宿題見せてくれないか?」
さっきの誇らしげな態度から一転、今度はごまをする優弥。彼はこういう滑稽なやつなのだ。
「いいだろ? 困った時はお互い様ってさっき言ったじゃないか」
優弥は最初からこれが目的だったらしい。
「まったく、しょうがないなあ……」
そう言って僕は宿題を渡す。
「あんがとさん」
そう言うと、優弥は自分の席に着き黙々とそれを移し始めた。
「あんな風に言われたら、断れないね」
咲が苦笑気味に言う。
「そうだね。ずる賢いって言うか、なんと言うか……」
僕もつられて苦笑した。
* * *
キーンコーンカーンコーン。帰りのチャイムが鳴る。
「それでは起立、礼」
「さようなら」
生徒たちは挨拶し、各々に解散し始める。
あたりはすぐに喧騒に包まれた。
「おーい、翔。部活行こうぜー」
優弥がかばんを持ってやってくる。
僕と優弥は同じ剣道部である。
「うん」
一つ返事で返し、席を立つ。
「あ、二人ともまた明日。じゃーね」
咲が僕たちに手を振る。
彼女は吹奏楽部だ。
「また明日ね」
「じゃーな、咲ちゃん」
僕と優弥がそう返すと、咲は教室を出て行った。
「そんじゃ、俺たちも行くか」
僕たちも、教室を後にした。
* * *
剣道部の活動場所である武道場へ行くと、その玄関に一人の女子が立っていた。
「こんにちは、島津先輩」
「綾波先輩、こんちわー」
島津綾波先輩だった。
島津先輩は、剣道部に所属する三年生、つまり僕たちの先輩にあたる。
焦げ茶色の腰まで伸びる長い髪は、剣道では邪魔になるためポニーテールにしている。
背が高くつり目がちだが、目鼻の整った綺麗な顔立ちをしていて、面で隠れてしまうのがもったいないくらいの美人だ。
「優弥……。学年が変わっても成長が見られないな……」
島津先輩が握り締めた拳を震わせている。
理由は分からないが、彼女は名前呼ばれることを毛嫌いしていた。
優弥はそれを知っていて、わざと彼女を名前で呼ぶのだった。
しかし、それは嫌がらせではなく、彼なりのコミュニケーションなのだろう。
それが、一年間優弥と島津先輩のやり取りを見て、僕が思ったことだった。
島津先輩もそれに対して怒りはするが、それは動物がする甘噛みのようなもので、本気で噛み付いてくる事はないのだ。
「学年が変わったって、成長するとは限りませんから」
「そうだな。精神年齢が三歳で止まってるもんな、お前の場合」
「いやいや、三歳は言いすぎっすよ、綾波先輩」
「いや、これでも大目に見積もってやったつもりだが」
「じゃあ、本当は何歳だと思ってたんっすか……」
「聞きたいか……?」
「いや、遠慮しておきます……」
そんなこんなで、優弥と島津先輩の茶番は日常茶飯事だった。
「なら、さっさと練習!」
島津先輩の唐突の一喝に、優弥だけでなく僕もびくりと肩を震わせる。
「はい!」
そろって返事をし、僕たちは練習を始めた。
* * *
家に帰る頃には、空は茜色に染まっていた。
「ただいまー」
そう言って家に入ると、パタパタと足音を立てながら誰かが玄関にやってくる。
「おかえりー」
妹の一之瀬舞花だった。
今年で中学三年生になった舞花は、不在の両親の代わりに家事全般をしてくれる頼れる妹だ。
さらに成績優秀で、中学校では生徒会長を務めている。
髪色は僕と同じく青みがかった黒色で、髪型はボブのため、ただでさえ丸い顔がより丸く見える。
顔つきもまだあどけなさが残り、丸顔も相まって幼く見える。
ちなみに、僕は彼女のことは舞と呼んでいる。
「もうちょっとでご飯できるからね」
舞はそういうと、キッチンへ戻っていった。
僕は二階に上がり、着替えをする。
再び僕が一階に戻ると、美味しそうな夕飯がダイニングテーブルに並んでいた。
今日の献立は肉じゃがのようだ。
「いただきます」
僕たちは椅子に座ると、そろって手を合わせた。
「それにしても、入学式から大変そうだね、舞は」
中学でも今日入学式があり、生徒会長である舞は朝早く家を出て行った。
「入学式だから大変なんだよ。でも、これが終わったから後は大きな行事も残ってないけどね」
舞の通う中学校は、生徒会が前期後期に分かれる。
前期は五月から十月、後期は十一月から四月までが任期である。
彼女は後期生徒会長なので、任期は四月まで。
四月の主な行事は入学式や始業式だが、逆に言えばそれくらいしかない。
「引き続きやろうとは思わないの?」
僕が尋ねると、舞は考える。
「うーん……。立候補するつもりではいるけど、今度は当選するか分からないからなあ……」
不安気味に俯く、舞。
「大丈夫だよ。一回生徒会長やってれば、その文信頼と実績があるんだから」
僕はそんな彼女を勇気付ける。
彼女が生徒会長をやってくれれば、兄として誇らしい。
「そうだね。それに今考えたってしょうがないか。立候補する事になったら、演説の練習には付き合ってね、お兄ちゃん」
彼女は顔を上げてにっこり微笑む。
「うん。いくらでも付き合ってあげるよ」
僕はそう返事をし、じゃがいもを一口食べた。
「熱っ!」
僕は猫舌なのだ。
* * *
僕は鏡で髪を整え、それから布団に潜り、考えていた。
ドリームワールドのことだ。
朝は、信じていないような素振りを見せていたが、やりたい気持ちももちろんあった。
というより、懐疑心よりも好奇心のほうが上回っている。
髪を直したのもドリームワールドがあると信じているからだ。
後で変えられると言われても、気になるものは気になる。
本音を言うと服も変えたいが、なかったらということを考えると恥ずかしいので、パジャマのままだった。
ドリームワールドがあるかないか。
考えていても、答えは一向に出ないだろう。
寝てしまったほうが早い。
寝て、ドリームワールドに行けなければ、明日優弥たちに話して笑い話にでもすればいい。
行けたら行けたで、ドリームワールドがあったということの証明になる。
僕は、逸る気持ちを抑えゆっくりと目を閉じた。