きな臭い 2
重くなった空気から、這い出すように、スミヤが言う。
「勝てるんかいな、カケルさんは・・・」
「カケルは負けません! 絶対に」
カケルが言おうとしたことを、シオリが先に、スミヤに言った。少し驚いたが、すぐに思い直す。当然だ。シオリには、俺の心の声が聞こえるんだから、と。
「いや、勝たなアカンやろ」
「いいえ。勝つべきではないんです」
カケルは、スミヤの考えを、きっぱりと否定した。怪訝そうなスミヤに、カケルは続けて言う。
「この場合、勝つコトとは、滅する、というコト。監視対象物を破壊し、保護目標を死に追いやる。そうするべきではない」
「そんな、ビミョーな、ムツかしコト・・・」
スミヤのしかめっ面に、カケルは笑いかける。
「なに。要は、こう考えればいいんです。負けなきゃ、オッケー、ってね」
「それに・・・」
シオリがカケルの言葉に続ける。
「魔刃には、それだけ、大きな思いが込められているんです。道具屋としては、そこんトコ、ちゃんと解ってあげなきゃ。ムゲに壊しちゃ、可哀想でしょ」
スミヤは、腕組みしてうつむき、そして呟く。
「うん、そやな。それに、そんな大きな思い、壊したら、受ける遺恨もデカなるか・・・」
スミヤは、また、満面の笑顔で、二人を見る。
「道具屋としては、かぁ。シオリちゃんも、イッパシのコト、ゆうようになってんなぁ」
「あ。ごめんなさい。生意気でした」
「いやいや。エエねん。頼もしい、ちゅうことや。それにしても、二人共、息ピッタリやないか。何か、こう、・・・お似合い、ゆうんか?」
な、何、言ってんだ、このオッサン。カケルは、思わずうつむいた。
「や、やだなぁ、理事長。私達、昨日、会ったばかりなんですよ。お似合いって・・・」
「そうなん? ま、時間なんか、どーでもエエねん。・・・さよか。昨日ねぇ。・・・ところで、カケルさん。一つ聞きたいねんけどなぁ?」
スミヤは、笑顔を引っ込めて、カケルを見る。
「魔刃そのものも、そやけど、マガツキ分家の動きも気になるねん。・・・カケルさんは、独りで動いてんのかいな」
「いえ、俺の他に、バックアップ役が一人います。今は、分家の監視にあたってますが・・・」
「ちゅうことは、やで・・・」
背もたれから身を起こし、カケルを見て、スミヤは続ける。
「分家の動きは、常に把握できてる、と?」
「はい。そう考えて頂いて、差し支えありません」
スミヤの顔に笑みが戻る。
「うん。ホンで、カケルさんは、シオリちゃんが、探査作業にあたってる間、何かすることあんの?」
「基本的には、装備を整えて待機、ですね」
「ふーん。・・・なぁ。始末屋に仕事を頼むには、どないしたらエエんや?」
「と、言いますと?」
スミヤは、カケルのほうに身を乗り出し、満面の笑みを浮かべて言う。
「シオリちゃんが、探査作業に集中できるように、環境を整えたって欲しいんや。まぁ、身辺警護やな」
「あ、あの!」
シオリが、また、話に割り込む。
「お気持ちは嬉しいです。でも、わたしには見えないところで、コソコソされると、困るんですけど!」
「ほな、どないしたらエエんや?」
困惑気味に割り込んだシオリに、スミヤが間伐入れずに斬り返した。シオリは、何故か赤くなりながら答える。
「えっと、・・・だから、どうせ見張るなら堂々と、・・・わたしのそばで・・・。ダメですか?」
「どうなん? カケルさん」
「えっ・・・や・・・シオリが、そのほうが良いというなら・・・そうしますが・・・」
「さよか。ほな、そういうことで、頼むわ。管理機構に話つけたらエエんか?」
「いえ。これも仕事のうちですから、それには及びません。バックアップ役にだけは知らせる必要がありますが、これは俺がやっておきます」
「うん。あ、二十四時間体制で頼むで。まぁ、細かい点は、二人で決めたらエエけど、とにかく!」
スミヤは、初めて、カケルを睨みつけた。鼻先が触れんばかりに顔を近づけ、カケルに凄む。
「カケルさん、ワイの恩人のお孫さんや。くれぐれも、よろしゅう」
「は、はい。おまかせを」
すぐに、先ほどの笑顔に戻ったスミヤは、何故か縮こまっているシオリを見ると、間延びした声で言う。
「どないした、シオリちゃん。顔、赤いで」
「な、何でもないですよっ! やだなぁ、理事長」
「そうか? まぁ、エエけど・・・とにかく、探査のサワリだけでもやっとくか? 隣、空いてんで」
「は、はい。じゃあ・・・」
シオリは、荷物を持って席を立った。ついて行こうとするカケルに、スミヤが言う。
「ああ。カケルさん、ちょっと、エエか?」
「あ、はい・・・」
カケルは、立ち止まって、こちらを見ているシオリに、頷いてみせた。それを見たシオリも頷き、隣の面談室に入っていった。
「カケルさんは、シオリちゃんの探査作業、見たことないやろ?」
窓越しに、シオリの様子を確認しているカケルに、スミヤが話しかけた。カケルは、スミヤに向き直って、答える。
「はい。文献を漁って、アタリをつけてから聞込みをする、と聞いただけです」
「うん。その聞込み、なんやけどなぁ・・・あれ、見てみ」
スミヤは、カケルからシオリに目線を移した。白手袋をはめ、眼鏡をかけたシオリは、鞘をソっと撫でると紐をいじり、机に戻すと、鞘を虚ろに眺めはじめた。
「・・・あれは・・・何ですか?」
「うん。ワイも、よぉ解らんねんけどな、・・・モノの声、聴いとるらしいねん」
「はぁ・・・」
「シオリちゃんの探査作業は、とにかく、歩くねん。歩いて、いろんなモノに触って、声を聴く。聞込みするんは、人間だけやない。その辺の壁、道端の草木、花、ガードレール、信号機。その度、あの調子で、ボーっとするんや。こんなトコ狙われてみ。一溜まりもないやろ?」
つまり、スミヤは、探査作業中の無防備なシオリが、マガツキ分家の連中に狙われるのが、心配だったのだ。一旦は退けたが、これで済むとは思えない。カケルもそう思った。
シオリは、鞘を袋に収め、口紐を丁寧に縛って、手袋と眼鏡を外した。手早く荷物をまとめると、愛用のリュックに収め、部屋から出てきた。
「どやった?」
「手強いですね。この子、とっても無口で・・・」
そう言いながら、シオリは、カケルの隣にストンと腰掛ける。そして、テーブルに置かれたままのお茶を一口飲んで、ふうっと息を吐いた。カケルとスミヤの視線を感じ取ると、二人を交互に見て言った。
「な、何ですか? わたし、どこか変?」
「あ・・・や・・・別に・・・そうだ。キョウのヤツに連絡しとかないと。・・・俺、ちょっと行ってきます」
「えっ、ちょ、ちょっと、カケル?」
カケルは、端末を取り出すと、そそくさと事務所を出て行った。スミヤが、眼をキラキラさせて言う。
「いやいや。・・・カケルさんの隣にスッと寄り添うというか、その振る舞い? が、あんまり自然やったんで、つい、見惚れてしもたんよ。・・・昨日、会ったばっかりて、ホンマなん?」
「だっ! だから、ホントですって。もぅ! 何なんです? 普通に振る舞ってるだけですよ?」
「ふーん。・・・リュックの置き場所、いっつも自分の右側やん? けど、今日は左側。それも、わざわざ、置き辛そうに右手で置いたで。この辺では、ガード硬いで有名なシオリちゃんらしからぬ振る舞いやと、ワイは見るな。よっぽど、カケルさんのコト、信頼してるんやな」
「そ、そりゃ、カケルは、・・・彼は強いから・・・」
スミヤは、優しくシオリを見詰める。そして言う。
「強いから、信頼している。それだけか? ちょっと、ちゃうやろ。ん?」
「や、やめてくださいよ。おばあちゃんといい、理事長といい、何か、変ですよ」
「さよかぁ。カスミさんもか・・・シオリちゃん。カケルさんは、エエ人、いや、エエ男や。若いけど、しっかりしてはる。勇気も、優しさも持ってはる。ちょっと、控えめに過ぎるトコあるようやけど、それはまぁ、しゃあないわな。ただ、なぁ・・・」
「ただ、・・・何ですか?」
スミヤは視線を落として続ける。
「あんヒト、人間やないで。いや、ヒトデナシいう意味やない。生物学的に人間やない、ちゅう意味な」
「知ってます。だから・・・何なんです? カケルは、悪いコト、何もしてませんよ?!」
「知ってるって? ほな、何で、眼ぇ、アカなんねん? あの体格で、あのチカラは、どない考えても不自然やろ。何で、身体に刀、仕込めるねんな」
「それは・・・」
スミヤは、そっと溜息をついた。シオリを見て、言う。
「シオリちゃん。カケルさんは、ライカンスロープ症候群なんちゃうか?」
「ライカンスロープ・・・症候群?」
スミヤの顔から、笑みは消えていた。普段、あまり見せない、慎ましい表情が、発する言葉に、重みをかける。
「聞いたことくらいは、あるやろ? 何が原因で発症するのか、いまだに解ってない奇病のひとつ、や。発症したヒトは、必ず、狂暴化。その後、ほとんどの場合、自殺する。何でそうするのか、ハッキリとは解ってないけど、生きる痛みのせい、っちゅう説がある」
「生きる痛み?」
「うん。ライカンスロープ症候群の特性は、体中の筋組織の変性にあるらしいねん。見た目と機能は変わらんけど、性能が跳ね上がる。例えば、心臓は三百くらいの心拍やったら、平気で叩き出すらしい。肺機能やら、知覚系もそれに合わせて変性するんやと。カケルさんの、アカい眼ぇと怪力は、そのせいやな。そこまでやったら、エエこと尽くしなんやけど、知覚系の変性が最悪で、体中の痛点を鋭敏化するもんやから、とにかく、何をするにしても、痛いらしい。息しても痛い。何かに触れたり、触られたりしただけで激痛が走る。怪我しようもんなら・・・」
「・・・ひどい・・・」
「そやな。ある日、突然、そうなったら、神経が持たん。自殺してしまうのは、そのせいやないか? っちゅうことやねん」
シオリは、言葉を失った。立場上の特殊な事情など、大したことではなかったのだ。生きているだけで痛い、って。理不尽にも程がある。
「まぁ、ちゃんと確かめたワケやないし、全然、的外れなんかもしれん。けど、さっき、黒服の刀の男に、自分で、人ではない、って言い切ってたことを考えると、あながちハズレでもなさそうやろ?」
スミヤは、一息ついて、続ける。
「シオリちゃん、これだけは、覚えといてほしいねん。カケルさん、あんヒト、選ぶのは、相当な覚悟が必要やからな。エエな?」
「・・・はい」
シオリは、短く返事するのがやっとだった。そこに、カケルが戻ってきた。
「戻りました。バックアップ役に、ボディガードの件、伝えましたよ。・・・って、何かあったんですか? シオリ?」
深刻そうな二人を見て、カケルは、席を外していた間の会話が気になった。特に、シオリの消沈ぶりが。うー、また、このパターンかよ。
「あ・・・おかえりなさい・・・」
「・・・おわ! もうこんな時間か。スマン、ワイ、次の約束で、出掛けなアカンねん。この辺で、切り上げても、エエな?」
「は、はい・・・」
スミヤは、コップに残ったお茶を一気飲みし、二人の返事を待たずに席を立った。
「うー! 遅刻、遅刻ぅー!」
自分のデスクに放り出してあった鞄を引っ掴むと、中身をゴソゴソ引っ掻き回し、端末を取り出して、何やら、喋りつつ、事務所を出て行った。カケルとシオリは、ホストのいなくなった応接セットに取り残され、しばらく、呆然と座っていた。
「カケル・・・」
「ん?」
「わたし、お店に寄って、女将さんに、今のコト、報告しなきゃなんないの。一緒に行ってくれる?」
「もちろん。俺は、シオリのボディガードだからな」
「それと・・・」
シオリは、カケルを見ずに言う。
「歩きながら、話そう。・・・渡したい、渡さなきゃいけないモノもあるし・・・」
言い終わって、カケルを見たシオリの眼は、潤んでいた。