時間が無い 2
紅茶を飲み干して、気持ちを落ち着かせたシオリに、カスミは、話を促した。
「で? タラしでもない、鈍感でもないとする、その根拠は? カケルさんの心は、どんなだったの?」
「何もなかった。見渡す限り続く、白い砂の海。黒い空。遠いのか近いのか判らない、岩山の列なり。銀の眼の傷跡は、どこにもないし、下心の臭いもしなかった。ホントに、何もなかったの」
「ふーん。屋外のイメージって・・・珍しくない? 広大な迷宮ってのは、聞いたことあるけど、たいていは、部屋の中よね」
「そうなの。図書室だったり、子供部屋だったり、人によって様々だけど、限定された空間であることは、共通してた。でも、だからこそ、銀の眼は、荒らすことができた、とは言えない?」
「つまり、シオリは、銀の眼が手出しできなかった、って、言いたいのね?」
「うん。・・・おばあちゃんは、どう思う?」
カスミは、腕組みして、考えながら応えた。
「心の有り様が人それぞれなら、有り得ないとは言えない。そうね。銀の眼の能力で、カケルさんを計ることができないとなると・・・別の方法が必要、か。でも、その前に、シオリに聞いておかなきゃならないことがあるわね」
「何?」
「そもそも、カケルさんのコト、計る必要があるの? 今日のコトだって、つまりは、困ってるところを助けてあげた、ってだけでしょ? 彼との関わりは、これで終わり、とは思わない?」
「・・・思わない。・・・思えないの。・・・何故かは、解らないけど。・・・しかも、銀の眼が関わってるなら、無視なんて、できない」
視線を落として、思いつめたように言うシオリを見て、カスミは小さくため息を漏らす。
「カケルさんが、どういうヒトなのかは、さておき、あなたにとって、危険な存在なのか、そうでないのかは、見分けられるんじゃない?」
「どうやって?」
「あなたの魔除け、見せて」
シオリは、ずっと身につけているカスミ手製の魔除けのペンダントを渡した。カスミは、それを光に透かし、保護樹脂の傷や割れ、核に変色がないかを確かめる。
「大丈夫。キレイなまま。少なくとも危険な存在ではない、ということね」
カスミの言葉に、シオリは、ソファにもたれて、詰まらせていた息を吐く。カスミが言った。
「何よ。複雑な顔して」
「いろいろ、渦巻いてたのに、あっけないくて。何だか、ホッとしたような、物足りないような・・・。疲れちゃったよ」
「ずいぶん、気持ち、引っ掻き回されたからね。ゆっくり、お風呂に入って、早めに休みなさい」
「うん。・・・」
シオリは、ソファから立つと、リュックをとり、上着のポケットから、ハンカチを取り出した。
「・・・・あ、これ・・・」
立ち止まったシオリの手、広げたハンカチに挟まっていたものを、カスミは覗き込んで言う。
「何? 髪の毛? カケルさんの? こんなものどうやって、手に入れたの?」
「う、うん。・・・いろいろあって、その・・・無理矢理、引っこ抜いたちゃったの」
シオリは、顔を赤くして、うつむき、口ごもる。首を据えている時の細かい出来事は、恥ずかしくて言えなかった。しかし、カスミにとっては、今のシオリの態度だけで、充分、孫いじりができる。
「ふーん。あなたに、そこまでやらせるなんて、相当なヒトみたいね。で? 惚れ薬でも作る?」
「な! 何、言ってるのよ! やめてよ!」
「冗談よ、冗談。何にするの?」
「・・・魔除け・・・うん。魔除けにして」
「魔除けね。わかった」
ハンカチから、真っ直ぐな髪の毛を摘み上げて、カスミは言った。魔除け、って。シオリらしい、と言うか、何というか。こんなに大きくなっても、いじらしく感じてしまう。そしてまた、孫いじりしてしまうのだ。
「い、急がなくて、良いからね。その・・・ついで、で良いから・・・」
「はいはい。明日の朝までには、作っておくから、心配しなさんな」
「だ、だからっ! 急がなくっても、良いって・・・」
困惑するシオリの背中を押して、風呂場に押し込みながら、カスミは言う。
「いいから、いいから。ほら、早く、お風呂、入りなさい」
「や・・だから、違うの! おばあちゃん、わたしの話、聞いてた?」
「聞いてました! もう! サッサとなさい!」
「・・・っもぅ!」
カスミは、作業部屋のドアを閉めながら、孫いじりにむくれるシオリの顔を思い浮かべた。銀の眼のせいで、何度も、危ない目にあったり、ひどい仕打ちを受けたりした。にもかかわらず、真っ直ぐに、いつも、懸命に生きている。そして、成長し、強くなった。自慢の孫だ。
その大切な孫の前に、銀の眼ですら、手が出せない者が現れた。しかも、孫、本人が、その者との関わりを望んでいるフシがある。転機が訪れようとしているのだ。見極めねばならない。孫にとっての、この者の可否を。カスミは、摘んだ髪の毛を睨みつける。
「さて、カケルさん。遭いに来てもらうわよ、この金薬缶のカスミに。・・・」
彼女は、そう、つぶやき、旧いランプに火を灯した。
「ナナフシ町2ー3ー4ー8ー71ー6、って。何だよ、この住所。冗談だろ。意味、分からん」
午前、八時三十分。カケルは、端末から照射されるホログラフディスプレイを何度も確認しながら、途方に暮れていた。骨董品鑑定協会の場所が判らない。と言うか、自分が今居る場所もよく判らないのだ。
ナナフシ町は、町全体が、無計画に増改築された、巨大な迷路だったのだ。ビルの壁から、部屋が突き出ている、いわゆる、出屋など、可愛いもので、それが隣のビルと繋がっていたり、廊下の突き当たりのドアを開けると、突然、足場のない空間だったりする。カケルは、ウロウロしているうちに、自分が、地上に居るのか、屋内に居るのかさえ、判らなくなった。加えて、公式であるはずの、住所の番地のつきかたが、独特過ぎて、理解できない。直接、協会に電話を入れても、出ない。まだ、誰も出勤していないのだ。
目の前の自販機に、番地表示が貼ってある。それによると、現在地は2ー3ー4ー2ー10ー3。前半三つが同じというコトは、それなりに近くまで来ているようだが、後半三つを辿ることができない。彼は、そばにある階段に、腰を下ろした。一旦、落ち着こう。
ヴィーン、ヴィーン
端末が振動する。キョウから音声通話だ。
「おう。どした?」
「カケル、今、何処だ?」
「ナナフシ町には、居るんだが・・・迷った」
「はぁ?! 何してんだ。サッサと鑑定協会に行けって」
キョウの声が、少し緊迫していた。
「分家、何かあったのか?」
「さっき、五、六人、あからさまに怪しい奴等が、リスク管理対策部から出てきた。武装してたぞ。行き先は、ナナフシ町骨董品鑑定協会だ」
「武装って、どの程度だ」
「ハンドガンだろ、あの感じ。一人だけ、日本刀、提げてた。芝居がかって、バッカじゃね。応援、いるか?」
「いや。そっち張っててくれ。増援が出たら、足止め、頼む」
「了解。おめぇ、迷った、って言ったな」
「ん? あ、ああ」
また、バーカ、バーカが始まるな、と思ったが、キョウの反応は違っていた。
「そばに自販機と階段があるだろ。その階段、登ったら、左に折れて突き当たりまで行け。通路の右側が、目的地だ」
「な、何で、判るんだよ」
「おめぇなぁ・・・そんくらい、端末の地図検索で出来んだろ。便利な装備、持たされてんだから、ちょっとは、イジって、遊べよ。使わねぇから、いつまで経っても、使えねぇんだ」
必要とあらば使うさ。そう言いかけて、止めた。実際、使ってないのだから。変にイジって、壊したら、申し訳ない、などと、言えば、キョウは、言うだろう。バーカ、バーカ、と。
「おーい。・・・起きてるかー?」
「お、おう。了解。助かった。登って、左に折れて、突き当たりの右、だな」
「早く行け。俺らには、たいした武装でなくても、彼女には脅威だ。ちゃんと、守ってやれ」
「サンキュ。落ち着いたら、連絡する」
「待ってるぜ。じゃ、な」
カケルは、階段を駆け上がった。しばらく行ったところを左に曲がったが、突き当たりがない。壁の番地表示を見ると、一つ目の番号から違っていた。
「これは、・・・道を間違えた、な」
すぐに、引き返す。マガツキマテリアルのカオサ本社から、ここ、ナナフシ町まで、車なら、十分とかからない。端末の時刻表示は、八時四十五分。もう、着いている頃だ。
先ほどの、キョウからの通話を受けたとき、腰を下ろしていた階段を見つけた。そのすぐ脇に、曲がるべき通路を認める。その先の遠くに、突き当たりの壁があった。目的地の入り口が見えたところで、中から、男の怒声が聞こえた。
「小娘! 素直に渡せと言ってる! 解らんのか!」
カケルは、開け放たれたドアから素早く中に入った。
少し前、シオリは、駅で見かけた、出勤途中の職員二人と、鑑定協会の事務所に入った。彼女の直接の依頼者である協会理事長に、出張先で預かってきた物を見せて、今後の調査方針を打ち合わせする為だった。
「シオリちゃん、理事長、もうすぐ、出勤してくるから、待ってて」
事務所の隅にある、応接セットのソファに腰掛け、職員が出してくれた、お茶を一口、飲んだとき、乱暴にドアが開け放たれ、六人の人相の悪い、黒服の男たちが、事務所に入ってきた。
「理事長を出せ!」
「な、何ですか、あんたたち。いきなり大声で・・・」
黒服の一人が、応対に出た男性職員の胸ぐらをカウンター越しに掴み、引き寄せた。男性職員は、床から離れた足をバタつかせて、ひっ、と短い悲鳴をあげた。
「理事長がいないなら、シオリとかいう女の居場所を教えろ! 今すぐにだ!」
「シオリはここにいる。わたしよ」
シオリは、つかつかとカウンターに歩み寄る。掴まれていた手を離され、男性職員は後ろのデスクに倒れ込んで尻もちをついた。
「どういうつもり? ここには、あなた達みたいな人が、怒鳴り込んでくる、いわれはないはずよ」
「ここにはなくとも、あんたには、あるだろう?・・・」
黒服の中でも、ひときわ体の大きい、日本刀を提げた男が、男たちの後ろから、静かな口調で言った。
「何のコト?」
「しらばっくれるな! マガツキ本家のトキヒコ翁から、預かった物があるだろうが!」
「吠えるな。ソメヤ」
刀男は、ソメヤという胸ぐら掴み男を肘で押しのけ、シオリの前に出た。小柄なシオリは、刀男を見上げる。
「気丈だな、小娘。しかし、おとなしく、それを渡すのが、身のため、と言うものだ」
「名乗りもしない、あからさまに怪しい奴に、大切な預かり物を渡すと思う?」
「ふむ。それもそうか。儂は、こういう者だ」
そう言って、刀男は、名刺を出した。シオリは、それを片手で受け取り、読みあげる。
「マガツキマテリアル株式会社、リスク管理対策部、渉外担当部長、クニミツ・・・さん? 大層な肩書きだけど、要するに、分家の実行部隊長ってとこかしら。なら、トキヒコのお爺さまとは、エンもユカリもないじゃない」
シオリは、キッとクニミツを睨みつける。内心、慄えてはいたが、独りでやってみろ、と言われた仕事だ。店の看板を背負って、鑑定協会で下手は打てない。
「この町にはね、全国から、それこそ、いろんな物が集まってくるの。曰く付きの物から、あなた達みたいな、うさん臭い連中付きの物までね。そんなのに、いちいちビビってたら、商売になんないの。小なりとはいえ、そんな町で看板、掲げてるんだ! 古美術処、胡蝶堂、鑑定士シオリ! なめてんじゃないわよ!」
「小娘! 素直に渡せと言ってる! 解らんのか!」
クニミツの右手が、刀の柄を握り締める。
・・・抜く! 斬られる!
突然、シオリの目の前は、スローモーションのように動きが遅くなった。クニミツの左手親指が、鍔を押し、まさに、鯉口を切ろうとしたとき、シオリの目の前、クニミツとの間に、見覚えのある肩と胸板が割り込んだ。両肩をフワリと掴んだ腕が、そっと、シオリの体を持ち上げ、背後に半歩分ずらすと、振り向くように、片腕が弧を描き、掌がクニミツの刀の柄頭に押し当てられる。
ガチーン!!
凄まじい鍔鳴りが、部屋中に響いた。瞬間、シオリの目の前は、普通に時間が流れる、もとの景色に戻っていた。大男のクニミツが後ろによろめいている。
「無茶しすぎだ、シオリ。無手で刀に挑んで、勝てるワケないだろ? 俺以外は」
「貴様! 何奴?」
「ああ? 何奴? じゃないだろ。まったく、キョウの言う通り、芝居がかった奴だな」
カケルは、クニミツに近付くと、フッと姿を消した。
「うがっ! な、なんだ?!」
「ここは狭い。表に出てろ。悪い。誰か、窓、開けてくれ」
カケルは、クニミツの両手を背中で絞め上げていた。そのまま、男性職員が開けた窓に近付き、外を覗き込む。
「何だ。ここ、二階だったのか。おあつらえ向きに、下は駐車場じゃないか。あの車、お前らのか?」
「そっ、そうだ・・」
「そっか。じゃ、下で待ってろ」
「なっ! う、うわっ、やめっ」
まるで、空のダンボール箱を投げ捨てるように、大男を窓から放り出す。それから、残りの五人も、律儀に、逃げ出す者を捕まえてまで、同じ窓から放り出した。最後に、窓から乗り出して、カケルは、大声で言った。
「いいか、お前ら! 俺の顔と名前、よっく、覚えろ! 俺の名はカケル。今から、まとめて相手してやる。そこを動くな!」
シオリは、半ば呆然として、ことの成り行きを眺めていたが、カケルの大声で我に返った。
「カケル・・・何で、・・・ここにいるの?」
「ああ、シオリ。・・・悪い。出直してくる。すぐ戻ってくるから、この窓、開けといてくれ」
「? どういうこと?」
「下の駐車場から、普通に、あのドアに辿り着く自信がない」
「へ?」
「じゃ、また後で。・・・行くぞ! お前ら!」
そう言い残して、カケルは、窓から飛び降りた。