時間が無い 1
「おい! カケル!」
マヤ川の橋を渡りきって、しばらく行ったところで、カケルは、背後から突然、呼び止められた。
「なんだ。キョウか・・・」
「なんだ、じゃねぇぞ、コノヤロ・・・!」
振り向いて、気のない返事をしたカケルに詰め寄る、キョウという長髪、長身のヤサ男。彼は川向こうに小さく見える、金薬缶の赤煉瓦を睨みながら言った。
「三回も定時連絡、サボりやがって。フォワードの自覚、無ぇだろ、おめぇ」
「自覚について、おまえに言われたかない。だが、定時連絡のコトは、すまないと思ってる。ちょっと、たてこんでた」
「たてこんでた? たてこんでた、だと? そんなことを言う口は、この口か?」
キョウは、素早くカケルの顎を掴むと、思い切り握り締めた。
「いはい、いはい! はに、ふんだ、はへろ!」
「心配して来てみりゃ、何だ? 女の子とデートだ? しかも、あんなキレーな娘と! うらやましい!」
やっぱ、そっちか! カケルはキョウの手を振りほどいて顎をさすった。キョウはカケルの両肩を掴んで言う。
「おめぇ、フォワード、俺と代われ! 俺も、あの娘と、お近づきにな・・・」
「ダメだ!!」
キョウが言い終わらないうちに、カケルは拒絶する。
「な、何だよ。ムキになんなよ。軽く、おふざけするトコだろ、ここは・・・」
語気が強すぎたのか、キョウは少し戸惑ったようだ。しかし、眼を逸らして、何も言わないカケルを見ると、ニヤニヤしながらカケルの肩を抱え、歩き出す。
「んー。そうか、そうか。まぁ、頑張りたまえよ、カケル君。何なら、さっさと食っちまえ」
「な! おまえと一緒にすんな!」
「へいへい。マジメも、たいがいにしねぇと、ビョーキになんぞ。気楽にいこーぜ、ブロウ」
「気楽に・・・ねぇ・・・」
カケルの肩から手を離したキョウは、背筋を伸ばして、真面目な顔つきでカケルに問う。
「それで? どうなんだよ。監視対象物と、保護目標は・・・」
「良くないな。もう、カオサ市内に入ってるはずだ。保護目標も危険な状態だ」
「やっぱ、逃げられたか?」
「すまん。不意打ちだったとはいえ、油断が無かったとは言えない」
「おいおい。・・・抜けなかったのかよ、イワトオシ」
キョウがカケルを驚いたように見た。
「いくら油断してたって、おめぇの迅さで抜けないってことは無ぇだろ、普通。どうかしたのか?」
カケルは苦笑しつつ、ため息混じりに言った。
「まさか、肘と膝が、逆さまに曲がるとは思わなかったんだよ」
「げっ。マジか。もう傀儡化してる?」
「いや、まだだろう。けど、墨が眼に拡がりはじめてた。もう、体は乗っ取られてる」
「そうか。・・・だとすると、もう、食わなくなる。クレジット履歴からの追跡は出来ないな」
「時間が無い。居場所の特定、どうする?」
キョウは、カケルの問いに、長い前髪を掻き上げて、頭を掻きながら答えた。
「それは、心配しなくても良い、らしい」
「? うちに探査系の能力、持ったヤツ、いないだろう」
訝しげなカケルをチラッと見て、キョウは、話を続ける。
「俺らが、この件に着手した時点で、遺失物探査のエキスパートに外注してたんだそうだ。凄ぇぞ、そいつ。今までに受けた依頼の半数が発見、何らかの成果物をあげたのが二割、喪失状況を突き止めたのが三割だと。解決率、実に百パーセント。信じられるか?」
キョウの話を聞きながら、軽いデジャブを感じる。まさか。
「キョウ。それって、ナナフシ町の骨董品鑑定協会か?」
「おう。それそれ・・・? 何で知ってんだよ、おめぇ」
「今日、偶然、知り合った」
「えっ! ってコトは、もしかして、さっきの、あの娘、か?」
「そうらしいな」
・・・シオリ。刃傷沙汰どころじゃないぞ。
カケルは、思わず、金薬缶の赤煉瓦を振り返った。ここからは、もう見えない。
「カケル! やっぱ、フォワード、代われ!」
「絶対に、ダメだ!!」
「うがぁぁぁ! 何で、俺、今回、バックアップ選んだんだぁ! くっそー!」
頭を抱えて悔しがるキョウを横目で見ながら、カケルは険しい顔になっていた。
「あ、それとな」
キョウが頭に手を置いたまま、付け加える。
「監視対象の所有者側で、妙な動きがあった」
「所有者って、マガツキ家か?」
「それは本家だ。俺が言ってるのは、分家のマガツキマテリアル」
「それが、どうしたんだ」
キョウはガードレールに片足をのせ、ストレッチを始めた。首だけは、カケルのほうに向け、話を続ける。
「マガツキ本家は、先祖代々、刀鍛冶を生業にしてる。マガツキマテリアルの象徴部門として、組織の上位に位置してるが、実際は、単なるお飾りだ。一方、分家のマガツキマテリアルは、工業製品の素材全般を扱ってる大手企業。何だっけ。そう、リスク管理対策部! とか言う部署に、二、三日前から、目付きの悪い連中が出入りしてる」
「反社会的組織とつながってる?」
「ま、そこまではいかないが・・・それに類するヤツらだろ。本家との関係が悪化してるとか何とか」
「監視対象に、そいつらが関わってくる、ってのか?」
「おそらく。それに、保護目標のこともある。分家の御曹司、その人だからな。ったく、面倒くせぇ」
大企業のお家騒動に興味はない。とにかく、監視対象と保護目標の確保。まずは、そこに注力すべきだろう。今は、あれこれ考える必要はない。そう結論づけて、カケルはキョウに告げる。
「何にしても、居場所の特定こそが最優先だと思う。探査役と話してみる。キョウはマガツキを張っててくれないか?」
「了解。それで行こう。ところで・・・」
「何だよ」
「おめぇ、彼女の連絡先、聞いてるのか?」
「あ・・・」
そういえば、聞いてない。まさか、今から、家に押しかけるワケにもいかない。
「あ、じゃねぇ。バカか、おめぇ。普通、聞くだろ。ホントにバカだな。バーカ、バーカ」
「う、うるさい! 今日、初めて会った娘に、そんなこと聞けるか!」
「おめぇなぁ。その初めて会った娘とデートしてたのは、何処の何奴だ」
「うっ・・・」
返す言葉がない。別れ際に、近いうちに、とは言ったが、まさか、こんなことになるとは。まぁ、予感があったとしても、聞けなかっただろうが。
「となると、鑑定協会経由か。朝までの時間は、もったいないが、しょうがねぇ。この先に、宿を取っておいた。少し休め。俺は、今から、分家を張る。何かあったら知らせるから、端末、繋げとけよ」
「おう」
カケルと眼で挨拶を交わすと、キョウの姿は夜の闇に溶けて消えた。
同じ頃、シオリは自宅の、今は使われていない一階店舗、接客コーナーの椅子に腰かけていた。カケルの背中を見送るともなく見送って、やがて、夕闇に紛れて見えなくなってから、家に入ったものの、二階に上がる気がしなかったのだ。
・・・おばあちゃんに、何て言おう
普段、しないことをしてしまった。あのときは、自然な成り行きだと思ったのだ。しかし、今、考えてみれば、今日、初めて会った男と食事など考えられない。
そうだ。今日という日が特別だったのだ。いろんな出来事が凝縮された、日常の希薄な日々とは違った、濃密な一日だった。そう思い至ると、ここで、ぼんやりしているよりも、話し相手がいたほうが良い気がする。多少からかわれるコトはあるだろうが、見たこと、聞いたこと、感じたことを吐き出す必要がある。
シオリは、カウンターに無造作に置かれた、小ぶりのリュックを持って、階段を上がった。
「おかえり。やっと上がってきた。何してたの、明かりもつけないで」
二階の明るいリビングに、シオリの祖母は居た。
「うん。ちょっとね・・・ぼんやりしてた」
「ま、座りなさい。お茶、いれるね?」
「うん、ありがと」
「で? 今日は、どんな一日だった?」
ソファにもたれたシオリの前に、紅茶を置き、彼女は、孫の前に腰を下ろした。
「何か、いろいろありすぎて、何処から話せばいいか、わかんない」
「あら、ステキじゃない。じゃあ、痩せの大食いさんについて、聞かせてもらおうかしら」
口につけたカップを持つ、シオリの手が止まった。それを見た彼女は、にっこり笑って、話を続ける。
「人だかりで、わたしをまけるなんて考え、甘いわね」
「つ、つけてたの?」
「まさか。先回りよ。あなた達が楽しそうに、お店に入ってくるところから、見てました」
彼女は、こともなげに言う。シオリは、開いた口がふさがらなかったが、やっとのことで斬り返す。
「さすがは金薬缶のカスミさん、と言いたいところだけど・・・いくら何でも、悪趣味が過ぎない?」
「そうね。でも、その悪趣味な、おばあちゃんは、彼、カケルさん? との楽しい会話の良いネタになったんじゃない?」
「は、話まで聞いてたの?!」
「名前くらいは、良いでしょ? いざという時の為よ。後は聞いてないから、許してちょうだい」
からかわれるどころじゃない。シオリには祖母が言った、いざという時の為、がショックだった。
「おばあちゃん。・・・いざという時って、まさか・・・カケルのこと、呪う気じゃ・・・」
「そこまでは言ってないでしょ? ただ、彼が、あなたにとって危険な存在なら、わたしは、ためらわない。とにかく、話してちょうだい」
カスミは穏やかな声で言う。シオリは、紅茶を飲んで、気持ちを落ち着かせた。そして、最初から順番に今日の出来事を話した。
峠道で生首に呼び止められたこと、体を探して首を据えてやったこと、その男に抱えられ家まで送ってもらったこと、途中で銀の眼を見られたこと、男が銀の眼を、シオリを怖がらなかったこと、銀の眼に関わる特殊な事情を話したこと、自分に特殊な事情があるように、男にも特殊な事情があったこと。
全部を話終えて、シオリは、大きくため息をついた。カスミも、ため息をついて言った。
「話だけでも、大変な一日だったのが解るわ。おつかれさま」
「うん。・・・ねぇ、おばあちゃん。カケルが銀の眼を怖がらなかったの、何故なんだろう」
二杯目の紅茶を口にして、シオリは言う。カスミは、それに応えて、思いつく理由をあげた。
「よほど肝の座ったタラしなのか、それとも、単に鈍感なのか、かしら?」
「わたしは、そのどちらでもない、ような気がするの」
「何故?」
「わたしには、カケルの心の声が聞こえてた。つまり、銀の眼は、いつものように、他人の心の声を捉えてた、ってコトでしょ?」
カスミは紅茶を一口飲んで頷く。
「そういうことね」
「いつもだったら、カラコンがはずれた裸の銀の眼を見たら、その人の心は怪我をするはず。だから、今まで、この眼を見た人は皆、怯えたり、怒ったりした。なのに、カケルは、まともに銀の眼を覗き込んでも、平気どころか・・・キレイだ・・・なんて、のんきなコト、言うの。だから、わたし、つい・・・」
シオリは言葉を詰まらせた。カスミが咎めるように言う。
「シオリ、あなた、まさか・・・カケルさんの心、覗いたの?」
「・・・うん」
「ダメじゃない! 出来ることと、して良いことは、違うのよ」
シオリは、うつむいていた顔を起こして訴える。
「だって、怖かったんだもん! カケル、銀の眼、覗き込んだんだよ?! また、あの時みたいに・・・」
「シオリ!」
カスミは、急にシオリの言葉を遮った。
「もう、過ぎたことでしょ? それに、あの件は、あなたのせいじゃない」
「でも! 銀の眼は、わたしの左眼なんだよ? わたしが・・・」
「やめなさい!!」
カスミはシオリを恫喝した。もの凄い形相で、肩で息をしながら。
「あの男は、報いを受けただけ。早く忘れなさい」
「・・・無理だよ。そんなの・・・」
カスミは、カップに残った紅茶を飲み干して、シオリを見た。可哀想に。銀の眼さえなければ、こんなことで思い悩むこともなかったろう。しかし、その銀の眼と、その能力と、生きると決めたのは、他ならぬ、シオリ自身なのだ。カスミは、諭すように言う。
「過去に囚われては、いけないの、シオリ。あがくと決めたのは、あなたよ。しっかりしなさい」
「・・・うん。・・・ごめんなさい。話、戻すね」
シオリも、残りの紅茶を飲み干した。