つらい 2
「・・・よく食べる・・・のねぇ」
四人掛けのテーブルに盆が五枚。そのうち四枚には、山盛りの惣菜と米飯、汁物が載せられていた。カケルは、それらを、もの凄い勢いで平らげていく。しかも、食い散らかすわけではなく、むしろ、行儀よく、きれいになくなっていくのだ。シオリは、呆れ返っている。
「そりゃ、もう。・・・腹、減って、ぶっ倒れそうだったしな。シオリ・・ちゃんは、それだけで、いいのか?・・・・」
「もう、お腹いっぱい。カケル・・さんにつられて食べ過ぎたかも」
汁椀を静かに戻しながら、カケルはシオリに言う。
「・・・なぁ。さんづけ、ちゃんづけ、やめないか? なんか、面倒くさい」
「うん。わたしも、今、そう思った」
痩せの大食い、というが、カケルの一見、普通の体格と、この大量の食料は、どう見ても、釣り合いが取れない。カケルは、二時間、定額の、この店には申し訳ない、と思った。元を取るどころではない。
最後に、揃えた箸を静かに置くと、手を合わせて、言った。
「・・・ごちそうさま。うー、食ったー。やっと、落ち着いた」
「ご、ごちそうさま」
カケルの食べっぷりに、圧倒され、なかば呆けていたのか、シオリも、慌てて、手を合わした。
そんなシオリを気にするでもなく、カケルは席を立つと、テキパキと食器をまとめ、盆に積み上げ、返却コーナーに行き、ダスターを持って戻ってくると、テーブルをきれいに拭き上げた。
シオリは、また、呆けはじめたが、カケルは、気にせず、また、返却コーナーのほうに消え、そして、両手に皿に載せたコーヒーカップを二客、持って現れた。
「コーヒーで、よかったんだよな?」
「あ、ありがと・・・」
シオリの前に、カップを置くと、慣れた手つきで、取っ手の向きを整え、カケルは自分の席についた。そして、すぐに口元まで、カップを上げると、香りを確かめ、ひとくち飲んで、小さく頷く。
「ん? どした?」
「あ・・・や・・・その・・・」
シオリは、慌てて視線を逸らすと、うつむいて口ごもった。
「テキパキ・・・してるから、ちょっと、ビックリ・・・」
あ、自分で片付けなくてもよかったのか。カケルは無意識に動いていたことに気づく。
「そうか。・・・クセなんだ。コーヒー飲むときにテーブルがゴチャゴチャしてると、落ち着かなくてな」
彼が、そう言うと、シオリは、ふーっと、息を吐いて、少し笑いながら言った。
「クセって・・・あー。おばあちゃん、いなくて、よかったぁ」
「お! 出た。ばあちゃん。どういう展開?」
「今の様子、見られてたら、絶対、わたし怒られてる。殿方に何させるんだ! って」
カケルは、吹き出しそうになった。何だ、それ。
「うわっ、古風、炸裂。凄いな!」
「そうだよね。古風、通り越して、化石化してるよ。でも、わたしの場合、小さい時からずっとだから、これが普通でさ。結構、ギャップに苦しんだよ。もう、慣れたけどね」
「ふーん。ま、でも、古風も悪いことばかりじゃない、と、俺は思うんだ」
カケルの言いように、シオリは興味が湧いたらしい。身を乗り出して、問う。
「えー? 例えば、どんなこと?」
「あまり他人に嫌われない。ま、やらかすことは、あるけど、関係修復が楽な気がする」
「あ、それは言えてる。ホントに嫌なヒトは、近寄ってこないし」
「だよな。実は俺にも、うるさいジジイがいてな。特に、食事については、もうトラウマだ」
「トラウマって。あ、だからか。あんまりきれいに食べるから、感心したよ」
シオリが楽しそうに笑っている。カケルも、いつしか、心から会話を楽しんでいた。
シオリは、カップに少しだけ砂糖を入れ、立てたスプーンをコーヒーに浸すとクルクルと掻き混ぜる。回転する水面を見ながら、彼女は話題を変えた。
「ねぇ、ところで、カケルは、何をしてるヒトなの?」
カケルは、すぐに答えなかった。少しあいた間に、シオリはカケルを見て、付け加える。
「仕事。してるよね」
「ああ。コーヒー屋、やってる。いや、やってた」
カケルの妙な返答に、シオリは、眉をひそめて、更に問う。
「やってた? 過去形?」
「いろいろあって、店、閉めたんだ。ちょうどいい機会だし、場所を移そうかと思ってる」
「ふーん」
シオリは、また、カップを見つめる。手は相変わらず、クルクルとスプーンを動かしていた。
・・・ああ、そんなに混ぜたら・・香りがとんでしまう。冷めてしまう。最初のひとくちが美味いのに。
カケルが、そう考えた途端、シオリは、ハッとしたようにカケルを見て、コーヒーをひとくち飲んだ。そして、カップを皿に戻すと、話しはじめる。
「わたし、一応、骨董品の鑑定士なんだけど、たまに、ちょっと変わった、お仕事もするの」
「うん」
突然、自分のことを話しはじめたシオリの様子を眺めながら、カケルは話の展開が読めずにいた。相槌をうったカケルを見て、シオリは先を続ける。
「骨董品って、部品の一部とか、対になってる片方とかが、なくなってる事がるの。あれば、たいていの場合、品物の価値が上がるから、それを見つけるっていう、お仕事」
「変わった仕事だな。どーやって、見つけるんだ?」
なぜ、彼女は、こんなことを話しはじめたのか。そう思いながら、カケルは話の続きを促すように、シオリに問う。
「まず、文献を漁って、アタリをつけてから、当時の持ち主とか、作った職人に、聞き取り調査したりで探すの」
「ふーん。骨董品専門の探偵って感じだな」
「うん。そんなとこね」
これで終わりか? いやいや、そんなことはないだろう。まぁ、ちょっと脱線するのもいいか。カケルは、そう思いながら、また、ひとくちコーヒーを飲む。
「そうかぁ。ってことは、需要を考えると、シオリの職場はナナフシ町か?」
「そう。道具屋さんが集まった、古いのも、新しいのも溢れかえった、グチャグチャな町」
「はは。グチャグチャか。面白そうなとこだ。・・・そこに、コーヒー屋ってのも、いいかもな」
「うん。いいと思うよ、それ」
立地としては悪くない。カケルは、予算はどのくらい必要だろうか、などと考えて、脱線しすぎに気づく。話を戻そう。
「ちょっと、本気で考えてみよう。・・・ところで、今日は、その骨董品探偵業で、出かけてたのか?」
「そう。骨董品鑑定協会の仕事なんだけど」
「ほーん。協会って、そんなものまであるのか」
「なにせ、グチャグチャな所だから、内輪もめしないように世話役がいるってコト。おかげで、わたしみたいな若輩でも、仕事にありつけるってワケ」
「えっ! じゃあ、シオリは独立開業してるってコトなのか?」
「いやいや、さすがにそれは・・・。でも、最近、やっと、独りでやってみろって、言って貰えるようにはなったかな」
「へー。大したもんだ。」
話が戻らない。強引に戻すか? さて、どうしたものか。
「でもね。・・・今回は、いつもみたいな地味な調査だけではダメみたい」
「ありゃ。何だよ、弱気になってるのか?」
「なくなったのが二週間前、それも紛失ではなく、どうやら、盗難っぽい、ときてる」
「おいおい。それって・・・何か、危なくないか? なんで、そんな仕事、受けたんだよ」
「うん。・・・でも、犯罪がらみは、ある意味、避けられないってところもあるの。高価な品とか、珍しい物も少なくないから。だから、協会に所属するのは、ある意味、自衛手段でもあるの」
「それにしたって・・・暴力沙汰に巻き込まれたりしないのか?」
「別に、盗まれた物を取り返すワケじゃないから、大丈夫よ。今、どこにあるのかを特定するだけだから」
話が少しずつ戻ってきている。ちょっと迷ったが、カケルは思い切って、聞いてみることにした。
「・・・どうやって特定するんだ?」
「うん。・・・声、を聴く。・・・それ以上は・・・ごめん。言えない」
「・・・なるほど。・・・声を聴く。・・・そういうことか。そのものに、直接、聴く」
カケルの頭の中に、今までに感じた違和感と、シオリとのやりとりが、浮かんでは消える。そして、シオリについての、ある仮説が出来上がった。
「それなら、文献も聞き取りも必要ないし・・・確実だ」
「・・・カケル・・・?」
「・・・あ、いや。ちょっと不思議に思ってたことがあったんだ。けど、これなら辻褄が合う・・・そろそろ、出ないか? 混んできた。家まで、送るよ」
「う、うん。そうだね」
二人は、電車には乗らず、夕闇の街を、シオリの家に向かって、ゆっくりと歩いた。夕焼けに染まった空を見上げているカケルに、シオリは話しかける。
「カケル・・あの・・・どうしたの? 急に出るなんて・・・」
「混んできたから」
「何か変だよ? わたし、マズいこと言った?」
別に、マズいことなど、言ってなかった。ただ、カケルは確かめたかったのだ。自分の仮説を。
「違う。もう少し、シオリと話したいけど・・・カラーコンタクト、入れ直してるし・・・」
「? 言ってる意味が、よく分かんないんだけど?」
「銀の眼に関わる話だから・・・気にしてるみたいだし、他人に聞かれそうな場所は、良くないだろ」
「・・・どういうこと?」
シオリも話を聞く準備ができたようだ。さて、どういえば、解りやすいだろう。カケルは少し考えてから、ゆっくりとした口調で話しはじめた。
「今日、峠道で初めて会ったとき、俺の声、聞こえたか?」
「う、うん・・・・聞こえたよ。・・それが、何?」
「あれ、実は、音になってない筈なんだ」
「え・・・で、でも・・・わたし、ちゃんと聞こえたよ。・・・ちゃんと会話してたじゃない。コントみたいな会話」
「はは。コントは良かった・・いやいや・・少なくとも、首がつながるまでは、声は出ていない。出ていたとしても、声にならない雑音だった筈だ」
シオリが、右耳に髪をかけ、手を頬にあてて考えるような仕草をした。カケルは、それを見て、意味なくドキリとする。慌てて、視線を前に戻した。
「そんな・・・・・・・あ、そうか・・・声帯が・・・声を出すところが壊れてた・・・」
「そうなんだ。俺も気づいたのは、つい、さっきなんだが。・・・シオリが来る前、何人かに話しかけても気づかれもしなかった。聞こえるはずのない声が、シオリにだけは届いた。つまり・・・」
「・・・つまり・・?」
「シオリは、物や人の思念を聴き取ることが出来る。おそらく、それには、銀の眼が関係している」
カケルが、そう言い終わると、シオリは足を止めた。二、三歩進んだ先で、シオリが立ち止まったことに気づいたカケルが、後ろを振り向く。シオリは、嬉しいような、悲しいような、複雑な表情で、しかし、まっすぐに、カケルを見詰めていた。ポロポロと、言葉をこぼすように、シオリは言う。
「・・・やっぱり、・・・解っちゃうんだ・・・そうだよ。わたしには・・・聞こえるの・・・」
カケルは、その時、なぜシオリが、突然、自分のことを話しはじめたのかが、解ったような気がした。気づいてほしい、解ってほしい。だが、そうしてもらうには、あまりに異常な自分の能力。彼は、シオリに近付いて、また、思ったままを口にした。
「怖がられて・・・いろいろ、あったろ。俺も覚えがあるから、何となく分かるよ」
「まいっちゃう。・・・会って、たった数時間しか経ってないのに・・・そんなことまで・・・」
「・・・お互い、人と違う能力を持ってるってのは、ちと辛いな」
「そうだね・・・」
線路沿いの小路から、金薬缶の赤煉瓦に続く大通りに出る。夕闇は、ますます濃くなり、風が出てきた。シオリの髪が、時々それになびく。カケルは、今一度、彼女を、よく、見た。
すっと伸びた背筋、小柄なのに、大股で、しっかりとした歩き方。そして、あの、まっすぐな眼差し。
・・・そうか。俺が、この娘を美人だと思うのは、容姿だけじゃないんだ。
どこか、凛とした雰囲気。
異常な能力は、一般社会で生活する上では、メリットより、むしろ、デメリットの方が大きい。だから、隠そうとする。それが、ハンデとなる。しかし、彼女は、そのハンデさえも個性として、気高く、潔く生きているのだ。
・・・こういうのを、天晴れ、って言うんだよな、ジジイ。
「わたしは話したよ、カケル」
「ん?」
普段は思い出さない祖父の顔が浮かんだとき、不意に話しかけられて、カケルは我に返った。シオリは、カケルの前に出て、立ち止まり、こちらに向き直った。
「だから、カケルも話して」
あの、まっすぐな眼差しが、カケルの目を射抜く。逃げられない。いや、逃げるべきじゃない。
「分かった。何を話せば良い?」
「コーヒー屋さんは、首を斬られたりしない。その話、嘘じゃないと思うけど、お店、閉めてまで、今、何をしてるの? カケルって、いったい何者なの?」
シオリの表情は、真剣その物だった。自分が、そうであるように、カケルもまた、特殊な事情を抱えていることを理解しているようだ。話しても、他言はしないだろう。彼は、覚悟を決め、答える。
「特殊危険物指定、って知ってるか? 劇薬とか化学物質を指す危険物、じゃないやつ」
「ううん、知らない」
カケルは、ゆっくり歩き出す。シオリも隣について歩き出した。
「大きく硬、軟、気の三つに分類され、更に、五段階の等級に分けられる。現存が確認されているのは三百七個体。例えば、人形とか、鏡、土地もいくつか。国宝もあったな」
「ちょ、ちょっと待って。その特殊危険物って、いわゆる、霊的なものを指してるの?」
シオリは、広げた両手を突き出すようにして、カケルの言葉を遮った。
「別に、霊的なものだけに限定してるワケじゃないはずだ。とにかく社会に実害があったもので、どう始末をつけたのか、よく判らないもの全部、だから。結果的に霊的なのが多いのは、そうゆう事情からだろう」
「そんなのが、野放しになってるってこと?」
シオリは蒼ざめていた。そういえば、怖いの嫌いだったな。カケルは、慌てて付け足す。
「いやいや。皆、封印されてるか、無効化されてる。ただ、その方法が解らないものが、指定対象なんだ。だから、封印の方法が確立されて、指定除外になった物だって、少なくはないんだぞ。もっとも、指定対象候補として、監視は続けられるんだがな」
シオリは、大きく息をついてから、カケルを睨みつける。
「もう! 怖いの苦手なの! 早く言ってよ」
「悪い。とにかく、その特殊危険物指定を管理してる半官半民の団体に、俺は登録されてるんだ。監視と現状調査が、今の仕事なんだよ」
「・・・ねぇ。ちょっと気になるんだけど・・・」
シオリは、考えながら、言葉を慎重に選んで、前を向いたまま言う。
「登録されてるって・・・団体職員として・・・ってコトよね?」
さすが、とカケルは思った。自然にサラッと言ったつもりでも、シオリには隠せなかった。今度は、カケルが、大きく息をついた。そして、シオリに告げる。
「違う。俺は、団体職員じゃない」
「えっ・・・じゃあ、まさか・・・」
「そう。特殊危険物指定、軟種一級として団体に登録されている管理対象物。俺は、ここでは、人ではないんだ」
夕日は、いつしか街の建物に遮られ、蒼くて暗い闇が、二人を包んでいた。突然、強く吹いた風が、シオリの髪を、激しく揺らす。彼女はカケルに近付いて、二の腕や胸板をパタパタ叩き、最後に彼の大きな手を両手で包んで、言った。
「そんな・・・うそ・・・だって、人だよ。どこから見たって。・・・手だって、暖かいもん。・・・何で危険物だ、なんて・・・人じゃない、なんて・・・ひどいよ」
カケルは、出来るだけやさしく笑って、空いている右手をシオリの手に重ねた。通行人が、訝しげに見ていたが、二人は気にも留めなかった。やがて、人通りが途切れたのを見計らって、カケルは言った。
「ショックだったか? でも、実際、俺が普通じゃないのは解るだろ? もし、俺が何かの拍子に暴れだしたら? 拘束しづらいし、普通の致命傷では、まず、死なないし、放っといたら、勝手に復活する。かと言って、おとなしくしてる今の俺を殺して封印するのも同じような面倒が起こる。な? とにかく、社会にとって、始末のつけようがないワケだから、指定されるのも当然だろ。それが、俺の特殊な事情なんだよ」
カケルは、一気に核心を告げた。とにかく、シオリが告げてほしいと言ったことには、応えることができたはずだ。ここから先は成り行きに任せよう。カケルは、そう結論づけ、シオリの手から、そっと離れた。
二人はしばらく無言で歩いた。シオリは何か言いたそうだったが、カケルは、とくに話をするでも、また話を促すでもなく、ただ、ゆっくりと歩いた。そして、とうとう、目的地に着いてしまった。
「・・・ありがとな。シオリ」
「・・え?」
「今日、助けてくれたのが、銀の眼を持ったシオリで良かった。首を斬られたのは、かなり痛かったが、それ以上にラッキーだった。今日は本当に良い日だった」
カケルは、また、思ったことをそのまま口にした。そうするのが、一番、良いと思ったから。シオリは、不意を突かれて、困惑しているようだが、気にしない。
「え?・・・急に・・・何?」
「ほら。着いたぞ、家だ」
「あ・・・着いちゃった・・んだ」
「じゃ、お疲れ」
そう言って、カケルはシオリを背に、橋を渡る方に歩き出した。八歩ほど進んだところで、シオリの声がした。
「ねぇっ!!」
カケルは振り向いて、仁王立ちのシオリを見た。
「また、逢えるよねっ?!」
「ああ!! 近いうちに、な!!」
カケルは、そう言って、大きく手を振った。
シオリも、応えて、大きく、大きく手を振っていた。