つめたい 1
顔の左側が、冷たい。
彼は、短い草の上に、左の頬を下にして、転がっていた。春先の、まだ、冷たい空気は、真昼になっても、それなりにヒンヤリとしていて、なかなか、暖かくならない。もう、かれこれ半日も、その体勢でいるが、彼は動けなかった。なにせ、胴体が、首から下が、無かったのだから。
・・・いい加減、これはヤバいなぁ。
そう。こんな状態でも、彼は生きているのだ。生命維持のために必要な、酸素とエネルギーと血流が、完全に断たれた状態になっても、彼の脳細胞は機能することをやめない。
呆れんばかりタフネス。
とはいえ、そのタフネスも、限界が近づいていた。彼は、なんとしても、胴体を取り戻さねばならなかった。首を胴体に載せるだけで良い。傷口は、凄まじい勢いで治癒するだろう。
しかし、どうやって?
問題は、体がどこにあるのかが分からないこと。それに、離れてしまった体は、思うように動かない、ということ。つまり、自力での回復は不可能なのだ。
・・・首を斬られるというのは、こういうことなんだな。うん、単独行動での要注意事項に追加、だな。
危機的状況であっても、冷静に分析する。そうすることで、今、すべきことを明確にし、そこに全力を注ぐ。彼は、迷わない。彼曰く、バカだから。
・・・とにかく、助けてくれるヒトが必要なんだけど、・・・あ。・・・あの娘は、気付いてくれるだろうか・・・。
道路が、緩くカーブした先に、彼女の姿が見えた。ゆっくりとした歩調で、景色を楽しんでいるようだ。彼女が充分に近づくまで待って、彼は、声をかけた。
「あーっと、そこのあんた。ちょっと、頼みごとがあるんだが」
「へっ?・・・」
突然、間近からした声に、彼女は、キョロキョロとあたりを見回す。右、左、そして、踵をかえして後ろ。ヒトの姿はどこにもない。
「ここだ、ここ。えーっと・・・あんたの左側。足元」
「・・へっ?・・・ひぃぃっ!」
声の言うまま、視線を下げ、彼の生首と眼が合う。彼女は、その場にヘタり込んだ。
「・・・まぁ、当然のリアクションだわな」
彼女は、口をパクパクさせながら、逃げようとして、足を激しく動かした。だが、踵は地面を擦るだけだった。
「お、おいおい。ちょっと、待ってくれ、頼むから・・・」
「わっ、わたしは、何も見てません! 聞こえてません! こっ、ここを通りかかっただけだから、あああ、あなたの邪魔はしません!。黙って、ここから行かせてください!」
「え? い、いやいや。ほら、今、眼が合ったよな? 聞こえてるよな? だから・・・」
「い、嫌! わたし、何もしてない! 怖いの嫌い! 話しかけないで! どっか行って! お願い!」
「うん。出来れば、そうしたいんだが、今の状態では、どこにも行けない。動けないんだよ」
「あ、あなた誰よ! こんな所で何してるの! だいたい何で頭だけなわけ? しかも喋ってるなんて、ワケわかんない!」
・・・マズいぞ、これ。キレかけてる。せっかく、気付いてくれたのに、ここでヘソを曲げられると、次は無いかもしれない。とにかく、何とかなだめて、話をしないと。
彼は、努めて冷静に、言った。
「わ、分かった、分かった。ひとつずつ答えるから、落ち着いてくれ」
しばらくの沈黙。その後、警戒しながら、彼女は質問を始める。
「・・・・・・じゃ、じゃあ・・・名前。あなた誰?」
「カケル。年齢は忘れた。今は離れてるけど、ちゃんと体もある」
「・・・こんな所で、何してるの」
「いろいろあって、首を斬られた。こんな所に、頭だけ転がってしまって困ってる。助けてほしい」
多分、質問の答えとしては、的外れなんだろう。しかし、今、一番、言わねばならないことなのだ。
すかさずツッコミが入る。やはり彼女が知りたいコトではなかったようだ。
「首を斬られて、何で生きていられるのよ! しかも、普通に話しかけるなんて、おかしいよ! 変だよ、それ!」
「生まれつきなんだ。しょうがないだろ。首を斬られたのは初めてだから、ちょっとビックリしたが、前に、腹を撃たれたときに死ななかったから、予想はできた」
「・・・生まれつき? 予想はできた? ・・・泣くほど怖がらせておいて、・・・何、淡々と答えてるのよ! バカぁ!」
彼女は、すっくと立ち上がり、癪に障る生首男を踏みつける・・・つもりだった。しかし、腰が引けて、つま先でつつくような恰好になってしまう。
「うわっ、や、やめっ。蹴るな! 転がる。落ちる。やめてくれ! あっ、あわわわっ!」
「あっ!」
打撃の度に、少しずつ位置をずらしながら、崖から転がり落ちそうになったとき、何故か、彼女は、ハッとして、生首を抱えあげた。
「・・っひ~っ。あっぶねぇ。・・・転がり落ちたら、アゴだけじゃ止まらんからなぁ」
「ひっ!」
「ってぇ! ま、まぁ、落とすだろうけどさ。投げられなかっただけマシか。・・・・おー、痛てぇ」
「・・・・」
・・・警戒してんなぁ。さて、どうしたモンだか・・・。
彼は、少し考えてみた。が、やはりここは正直に、ありのままに、助けてくれと訴える以外に思いつかなかった。
当然だ、と彼は思い直す。俺、バカだもの。
「・・・なぁ。驚くのも無理ないとは思うけど、ホントに困ってんだ。お礼も出来るだけのことはするから、助けてくれないか?」
彼女の険しかった表情がホンの少しだけ緩んだようだ。何やら、いろいろ思い悩んだ後、やっと、小さな声で、彼女は問う。
「・・・もう、怖いことしない?」
「しない」
「ホントに?」
「ああ!」
「何かのワナじゃ、ないよね?」
「裏、表なし! お願いします!」
バカの一念が、彼女を動かす。
「・・・分かった。どうすればいいの?」
・・・よし!!
ある意味、一番高いハードルを越えた、といって良かった。彼は、イメージでガッツポーズをとった。
「まず、体を探してほしい。多分、その辺の茂みに隠れてるはずだから」
確証はない。完全に途切れてしまう前の微かな感覚で、そばにあった茂みの中に、しゃがみ込んだだけだ。
「・・・隠れてるって、・・何よ、それ。いちいち、ワケ分かんないんですけどっ!」
「い、いやぁ。その、・・・変に見つかるより良いかな、と。・・・すまない」
「首だけに謝られても・・・。まったく、変なことに・・・!!・・・あうっ、っ~~~~!!」
彼女は、茂みを掻き分け、ビクッと肩を揺らし、一瞬、固まった後、すぐに彼のほうに戻ってきた。
「お、あった? って、ナンダナンダ。激しく揺するなあああああ!」
「!!! 茂みの陰! 首なしの体! でも、何で、肩、すくめて体育座り?! 驚かしたり、怖がらせた挙句に、今度は一発ギャグ?! 何てモン見せんのよ! バカぁ!」
・・・うあぁ、散々、引っ掻き回した後だ。インパクトあるわなぁ。まったく、意図してないのだが、でも、・・・何も、このタイミングで・・・。
彼は、自身の天然さ、また、そのタイムリーさに、本当に申し訳なく思ったのだった。
「わぁかった、悪かった。謝るから、揺するのやめて、お願い・・・」
「あ、あなた、一体・・・グスッ・・・な、何がしたいわけ?!・・・わたしのこと・・・グスン・・・バカにしてる?!・・・もう、やだぁ!・・・グスッ・・」
・・・あわわ。ヤ、ヤバい、ヤバいぞ。何とか、この娘のモチベーションをあげないと‥・。
泡を食う、とは、こういうことか。彼は、頭の片隅で、つまらないことを思う。もちろん、その場を取り繕う、洒落たセリフなど、思いつくワケがない。
バカだから。
「な、泣くな。・・ホントにすまない。でも、もう少しだけでいいから、手を貸してくれ・・・ください。お願いします・・・」
彼は、その生首は、先ほどの地面にグリグリで、泥々になっていた。生首男の眼が、本当に申し訳なさげに、ションボリと訴える。
それを見た彼女は、どうしようもなく、困った顔で、やっと言う。
「・・・もぅ!・・・しっかり、・・・しぃっかり! お礼してもらうんだからね!・・・あぁっ!・・もう!」
「う、うん。分かった。出来るだけのことはする。約束する」
「・・・次は?」
あ、あれ? 意外と、すんなり・・・?
彼女の寛大さに感謝すべきところだろう。しかし、彼には、今、そんな余裕はない。
「あ・・・えっと、頭を体のあるべき所に、正確に、載せてほしい。それで、しばらく、転がり落ちないように支えててくれると、うれしい」
「えーっ! 頭、持ち上げるの?」
「うん。申し訳ないけど・・・」
「ひーん。・・・何か・・・どんどん、おかしなことになってくよぉ」
「すまない・・・」
彼女は、恐る恐る生首の頬に触れた。持ち上げようとして、結構な重さに気づくと、耳から後頭部までを、しっかりと持った。落とさないように、足元や手元に注意しながら、体育座りの体に近付く。
「う~。日が暮れるまでに帰りたかったのにぃ。・・・何してんだろ、わたし」
「あっ、そーっと、な。ずれないように気をつけて・・・」
傷口と傷口が、ぴったりと合うように、覗き込みながら、頭を体に載せる。
「・・これでいいの?」
「も、ちょっと後ろに。・・・あ、その辺で右に、ちょっと捻って・・・あ、そこだ。そのまま‥・」
傷口のズレが合うごとに、そこに泡立つような感覚がある。彼は、意識を集中するために眼を閉じていた。
「こんなとこ?」
「うん。いい感じだ。ありがとう」
そういった途端、それまで、冷たかった彼の左の頬が、暖かくなっていく。
「・・・・」
「・・・・」
しばしの沈黙。そのうち、彼の鼻腔が微かに伸縮し始め、膝を抱えてこわばっていた腕から、余計な力が抜けていった。
「・・・・・・・で? いつまで、こうしていればいいわけ?」
「う~ん。もうちょっと、我慢してて欲しい。つながったら、プチッ、て、感じるから」
「・・・・・・」
彼は、ゆっくりと眼を開けた。そして、食い入るように、自分を見つめる彼女を見て、驚き、眼を逸らす。
「そ、そんなに、睨むなよぉ」
彼の言葉に、何を思ったのか、彼女は、少し顔を赤くして言う。
「に、睨みもするよ。こんなとこ他人に見られたら、絶対、誤解される」
・・・あ、なるほど。そーゆーコトね。
って、どーゆーコトだ? バカに解るワケがない。同じようなコトを言ってごまかす。適当に描写を交えて。トークだ、トーク。などと、考える彼。
「・・そっか。悪い。・・・何か思いつめたような表情で、女の子が男の頬に手を添えてる・・・確かに誤解されそうだ」
「・・・首、ひきちぎるよ!」
「うわぁ! やめてやめて!」
ほぅら、言わんこっちゃない。彼は、自分で自分にツッコミを入れる。苦手なんだよな、こういうの。
「変な描写するな! バカ! ・・・それより! どうなの? つながった?」
「あ?・・・。う、うん、もう少しでつながる。・・・と・・・思う・・・・」
彼は、ようやく、彼女のディティールを含めた全体を見た。小柄だが、背筋が、すっと伸びていて、端正な姿と顔立ちをしていた。
服装や持ち物も、派手さは無いが、機能的で、質が良さそうだ。彼女の靴は、使い込まれてはいるが、手入れが行き届いている。
そして、何より印象的なのは、その鳶色の眼だ。特に、左眼には、色が少しくすんでいるものの、何か神秘的な輝きがあった。
・・・うわ、あ・・・こりゃ、また・・・
なんと、美しい。
「・・・何よ」
・・・あ、イカン、イカン。思わず見とれてしまった。
またもや、泡を食ってしまった彼は、眼を伏せて、思ったことを、そのまま口にしてしまう。
「あ・・・や・・・その。・・・あんた、美人だな、と、思って」
「はぁ!?」
さっき失敗したばかりだというのに、思ったことは、まだ、声になって、こぼれるのだ。
「・・うん。好みのタイプ。・・・それこそ、誤解されてみたいって気分。って、痛い痛い! こめかみ痛い!」
「・・・面と向かって、今度はナンパ? いい度胸してるじゃない!」
「ち、違う違う! 素直な感想を口にしただけだって! 気に障ったなら、謝るから、こめかみ絞めるの、やめてくれぇ」
こめかみを絞めるのは止めたものの、怒っているからか、彼女は、また、赤い顔で、彼の無礼を嗜める。
「ったく、会ったばかりの女性に、容姿が、どうこうって、失礼でしょっ!」
・・・だから、苦手、というか、よく解らないんだよ、こーゆーの!
彼は、無性に恥ずかしくなった。
「・・・・叱られた。・・・多分、年下の女の子に。・・・別に悪気はなかったし、けなしてもないのに・・・」
「そーゆーコトを言ってんじゃ、な・・・!」
開き直りに反論しようとした彼女の言葉を遮って、彼は大きく眼を見開いて言う。
「あっ! き、きた! プチプチ、きた!」
「えっ? な、何? つながった?」
「うん、うん。もう、手、離しても、だい・・じょう・・・ヴ・・っ・・ぷ・・・!」
しかし、彼の喜びの表情はすぐに曇り、頬をプクプクとさせて苦しそうに肩を上下させる。
「えーっ。今度は何よ? 気持ち悪・・・」
「っえええええ・・・・!」
吐いた。結構な量の土が、泥になって、彼の口から溢れ出た。