20話
ようやく解放されたイレアナは、近くにあったリーグの胸に思い切り手をつくと弾かれるようにしてその場を後にする。
頼りない足で家につくとイレアナの傷ついた腕をみた母親は慌てた様子で傷口の手当をはじめた。
「もうすぐお嫁にいくのだから身体に傷をつけたらダメじゃないの」
そう言って水を含んだ清潔な布で固まり始めた血をぬぐう母を見つめながらイレアナは頭の中でこれ以上傷ついたらどうなるのだろうと考える。狭い視界の端で自分の腕を見下ろしながら思う。
あのバラの中に飛び込んで更に醜くなったらいったいどうなるのだろうと。
あの時、彼の腕に飛び込んで行ってしまっていたら一体自分はどうなってしまっていたのだろうかと。
娘がそんなことを考えているなんて想像もしていない母は、傷口をいやすようにそっと温めながら包帯を巻いていく。
「小さい時から、本当に変わらないのね…」
優しく叱る声に母の顔を見ると伏せがちな眼もとには皴がたまっていた。今のイレアナではなく過去のイレアナを思い出しながら母は笑みを浮かべる。思い出すようにして近い将来ここから離れていく自分を優しく撫でる母の暖かさにイレアナはこぼれ落ちそうになる涙を必死でこらえることしかできなかった。
泣きそうなイレアナに気が付いているのかいないのか、顔をあげずに母は幼き日のイレアナを語る。
「お前が産む子供も似たようなものなのだろうね。男のだったらいいのだけど、女の子だったら――」
はあっとため息をもらしながら母が笑う。
「まぁ、その時に母の偉大さがわかるさ」
終わったよと言って母の手がイレアナから離れる。
イレアナが固く結ばれた包帯を見つめていると、治療道具をしまいはじめた母が思い出したように口を開いた。
「そうそう。ポールさんがさっきここに来ていたんだけど、お前のところにも顔をだしたかい?」
イレアナは意外なその言葉に顔をあげる。
「……えっ? ううん。会ってないけど」
「イレアナは仕事中ですって伝えたら、お茶を飲んでふらっと行っちゃったから、てっきりお前に会いにいったものだと思っていたんだけどね」
イレアナは机の下で包帯の上から傷口をぎゅっと握りしめる。
母親はふっと微笑んでこちらに柔らかな視線を向けてくる。
「ご自分の仕事で忙しいっていうのによく顔を出してくれるいい人じゃないかい。今日も二人でいた時にお前がここを離れることに対して色々と喋って下さったよ。……リーグ様とのことでどうなることかと思ったけど、本当によかったよ――」
安堵したため息をついた母に頷くことしかできずに、あの時傷口に感じた熱を隠すようにして力を込めるのだった。