19話
イレアナは自分の内で産まれた想いを無視して、今日もまたいつもと変わらず花の手入れをしていた。
アウラの願いにより、庭の深い場所に赤いバラを植えることになったのだ。
イレアナはバラの棘に悪戦苦闘しながらも、他の人間の手も使ってなんとかバラの樹を植え終えた。花が咲くのは来年になるだろう、イレアナはこの花を咲く日を見ること無く、ここを去る。それでもせめて、ここを離れるまでの間は、この花を守らなければ。
バラには虫がたくさんつくと聞いたので、アウラは丹念にバラに霧吹きで虫除けの汁を吹きかける。奥の葉にも液を吹きかけようとして、中に手を突っ込むとするどい痛みが襲ってきた。
刺さったというよりは、引っ掻かれたような感覚にイレアナは慌てて手を引き抜こうとするが更に痛みが走る。
やっとの思いで腕を引き抜くと、イレアナの腕には猫に引っ掻かれたような赤い糸がいくつもあった。
「怪我でもしたのか?」
腕を抑えて黙っていたら、突然誰かが後ろから話しかけてくる。
どうして、誰もかれもがイレアナの背後に立ち、こちらを驚かせるような真似をするのだろうか。それは自分自身が、庭の手入れに集中しているせいだということにも気がつかずに、イレアナは聞きなれたその声に肩を揺らす。振り向かないイレアナに焦れたのか、後ろから伸びてきた手がイレアナの腕を掴む。
「いたっ……」
「すまないっ」
悲鳴をあげたイレアナに、リーグが謝ってくる。
「イレアナが早く振り向けばこんなことしなかった」
言いわけじみたことをいいながら、イレアナの腕に視線を向ける。
その真剣なまなざしに、イレアナはとられたままの腕以外の自分の全てをぎゅっと縮こませた。おびえた動物のように身を固めるイレアナに、リーグは苦笑しながら丹念に傷口に目を向け続ける。
「……棘は刺さってないみたいだね」
「……そうですね」
「こっちは心配しているっていうのに…ずいぶんな言い方だね」
そう言って傷ついた様子で微笑んだリーグに、イレアナは項垂れながら頭を横に振る。何も知らずに、笑い会えていた時はもう終わってしまったのだ。
あきらかに拒絶した態度で視線を合わせようとしないイレアナは、目の前でリーグがいら立っていることに気がづくことが出来なかった。
リーグはしばらく手を取ったまま黙りこんでから、イレアナの傷ついた手を突然強引に持ち上げた。イレアナは突然腕を引かれたので、驚いて慌てて自分の手を引き寄せようとする。普段だったらこんな女ごときの力で揺れることはないであろうリーグは、イレアナの抵抗に崩れるようにしてその場に膝をつく。
下から見上げられた紫の瞳は切実なものだった。
窺うように見てくる瞳は、イレアナの瞳の中に何かを探そうとしているみたいだった。
イレアナはおびえるようにして掴まれていない方の手で露わになっている唯一の目を覆う。そうして身をすくめていると、傷跡に生温かい湿った感触が触れるのを感じる。
イレアナははじめそれが何かわからなかった。
熱い湯に浸した布とは違う、もっとねっとりとした滑りけのある柔らかいもの。
優しく触れてくるそれは、その感触とは逆にイレアナに痛みをもたらした。
イレアナは痛みに耐えきれなくなって瞳を開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「いや! どうしてそんなっ?」
イレアナは自分の顔がほてるのがわかった。人から見たら自分の顔は真っ赤に染まっているだろう。
イレアナはリーグの手の中から自分の腕を引きぬこうとするが、彼がそれを許さなかった。
傷口をえぐるようにして動く舌に、イレアナは混乱して頭をふる。
理解できない。
なぜ自分にそうまでしてかまうのだろう。
どうしてそんなことをするの?
私は使用人で、彼は主。
汚いでしょうに。
イレアナはそれ以上言葉に出来ずに、ただ涙を流し続ける。
熱い唇が手の内側におとされる。火かき棒でも当てつけられたように熱く触れる唇にその場に思わず膝をついてしまう。
互いにもたれるように膝をつきあいながら二人は絶対に目を合わせようとしなかった。