18話
「イレアナさん」
ずいぶんとぼうっとしていたらしい、イレアナは自分が呼ばれていることにも気がつかないほど考え込んでしまっていたらしい。いつもは使わない脳みそが、ショートしそうなほどに熱くなっているのを感じながら、油の刺さっていない機械のような動きをしながらイレアナがようやく声の方向に振りかえると、そこには弱り切った様子のポールの姿があった。
「イレアナさん、どうしました。どこか調子でも?」
こちらを心配するように覗きこんでくるポールを安心させるように微笑みかけながら、イレアナは首を横に振る。
「そうですか。ならよかった」
ポールはそう言って軽く微笑むと、イレアナの隣にいそいそと腰を下ろす。草の上に直接座りこんでしまったポールに、イレアナは慌てて口を開く。
「そのまま座ってしまうと草の汁がついてしまいます」
「あはは、別にかまわないですよ。元からぼろぼろですから」
そういってポールは自分のポケットに手を突っ込むと、穴から手を出しておどけた様子で言ってきた。イレアナはポールがポケットから出したままの指先を羽のように動かす様をみて、思わず小さくだが声を出して笑ってしまうと、初めて声を出して笑ったイレアナに目の前にいたポールは驚いた様子でこちらを覗きこんでくる。イレアナはぱっと口元に手をあてると、そのまま俯いてしまう。再び黙り込んでしまったイレアナに、ポールは軽く頬笑みながら口を開いた。
「ここはいいところですね。自然がたくさんあって、私もこういう所に住みたいものです―――まあ、職場が大学なので無理なんですけどね。子供はこういう所で育てたい。イレアナさんもそう思われるでしょう?」
最後の方の言葉にはイレアナは気遣う色が見えたので、イレアナは静かに一つ頷いた。
「私は、街の方にいったことがないので、比べようがないのですけど―――それでも、私はここを気にいっています。……だから、あなたにそう言っていただけて、とてもうれしいです。ここは私が産まれ育った場所ですから」
イレアナの拙い言葉に、ポールはうんうんと頷きながら、さりげなくイレアナの髪に触れてくる。触れてきた手に、身体を大きく揺らしたイレアナだったが、柔らかなその手からは嫌なものは感じられなかったので、そのままその手を振り払うことなく受け入れた。
受け入れられたことが解ったのかポールはそっとイレアナの髪の毛をかき混ぜながら、イレアナの肩を掴みそっとポールの方に寄せ引いた。
「あなたをここから離してしまう私を怨んでいますか?」
静かなポールの問いにイレアナは少し考えてから首を横振る。
不安は大きいが、でもこうして優しいポールのぬくもりを感じると、そんな不安にも耐えられるような気がした。ここ以外のことなど何も知らないが、でもこの落ちつく、まるで父親のような人がいるなら――。
静かに瞳を伏せがちに考えていたイレアナは、最後に出てきた父親という言葉に、突然覚めたように瞳を開く。
そう、父親のような安心感なのだ。
イレアナは自分の中であいそうになった歯車が、ガチガチと音を立てて外れていくような気がした。イレアナは違う、という自分の胸を抑えながら自分に言い聞かす。
胸を焦がすような恋の先に結婚があるなんて、そんな本の中のことなんて信じているほど自分は子供ではない。結婚は親が決める、そういうものであり恋愛の先にあるようなそれは物語の中にしかない。
現に、リーグ様だって――――。
イレアナはその先の言葉を見失った――。
そう、リーグ様だって―――。
イレアナは後に続きそうになった言葉を頭の中でぐしゃぐしゃにした。もう二度と考えないようにと、祈りながら。
自分の内のことで必死になったイレアナには、隣にいるポールの顔を見る余裕なんてあるはずもなかった。