11話
「リーグ様……」
「イレアナ……」
イレアナは自分に手をさしのばす、今日ここにはいないはずの彼に背筋を震わせる。どうして彼はここにいて、そして私に手をさしのばしているのだろうか?これは悪い夢だ、そう願いながら震える肩を自分で抱きしめた。
「お願いだ。俺と一緒に来てくれ」
「どこへ、行くというのですか……?」
「ここじゃない、どこかだ」
リーグの真面目な表情を見つめながら、イレアナは助けを求めるように周囲に目を向ける。
「何を、言っているのですか…? あなたは、今日結婚する身なのですよ………」
イレアナの震える声にリーグは頷く。それは百も承知だ。それでも自分はここにいるのだとそういう視線でリーグはこちらに詰め寄ってくる。
「イレアナ、お前が好きだ」
「……だから、何を」
「好きなんだ。ずっと昔から、お前だけを愛している。それなのに他の女と結婚できるわけがないだろう………」
「あっ―――」
リーグの熱烈な言葉におされてイレアナは壁に背をつける。するとリーグが目の前に立ちはだかって、逃げられないようにと壁に手をつく。
「ただ、頷いてくれたらいい。そしたら俺はお前を放さない。頼むからイレアナ。頷いてくれ―――」
リーグの懇願に、イレアナは目の間が真っ暗になった。
逃げ出そうともがくが、リーグの手がそれを阻んで許してくれない。
「なぜ頷いてくれない!?」
リーグの血反吐を吐くような言葉に、イレアナは声を震わせながら荒げた。
たぶん産まれて初めてだろう、ここまで大きな声をあげるなんて。
「馬鹿なこと言わないで! もういい加減にして下さい!! こんなこと、そんなこと許されるわけがないっ!!」
「誰が許さないっていうんだ!!」
イレアナの叫び声に、リーグも声を荒げる。
イレアナの悲鳴じみた声に気がついたのか母親が部屋にかけ込んでくる。イレアナに詰め寄るリーグの姿を目にした母親は目が落ちるのではないかといわんばかりに見開きながら信じられないと口を抑えた。
イレアナはそれをリーグの腕の中から見ながら涙を流した。
「皆よ。皆が、許さない――」
その後リーグは引き立てられるようにして、屋敷から街へと連れ出されていった。
イレアナは母親の腕の中で悪い悪夢をみた子供のように身体を震わせながら目を瞑る。混乱する娘を抱き寄せる母親も混乱している様子で、娘をただ抱きしめることしか出来ない。
そんな二人に、父親は今日一日部屋からでなくていいと言葉少なく言い残して去って行った。どこに向かったかなんて、考えたくもない。
「母さん、私、わたし―――」
こういった場合、悪い扱いにされるのはこちらなのではないか。ここから親子三人で追い出されてしまうことになったらどうしよう、そう震える声で紡ぐ娘を母は強く抱きしめることしかできなかった。
その日の夜遅く、リーグの父と母が帰ってきた。
息子の結婚式の日には似つかわしくない固い表情に、迎えにたっていた使用人たちは顔をこわばらせる。
足早に屋敷へと入っていった二人は、急いでイレアナたち親子三人を呼び寄せた。
イレアナは父と母に挟まれて、震えそうになる足に必死で力を込める。
紙よりも白い顔をしたイレアナを見て、リーグの母親が疲れたといわんばかりに目を掌で覆う。
「イレアナ……」
リーグの父親の低い声にイレアナは雷に打たれたようにして身をすくめる。イレアナのその様子に、リーグの父親は痛ましいものを見るように目をひそめた。
「今回のことは、君に申し訳ないことをした……」
てっきり息子を誘惑したことを詰られるのかと思っていたのに………耳に届いたのは謝罪の言葉だった。
隣に座るリーグの母親も重い口を開いた。
「あの子、小さいときからいつも逃げ出す時はイレアナを引き連れて行っていたから――――だから、その傷も―――」
その言葉に、イレアナは自分の傷が彼らには見えていないことをわかっていながらも思わず顔を伏せてしまう。
「今回のことでお前たちにどうこういって罪をなすりつけるつもりはない。悪いのは、いつまでも子供なあいつだ。あいつには一か月ほどこちらに戻らないで街で過ごすように言ってきたよ―――。そしてイレアナ。君に話がある」
真剣なその声にイレアナは幼子のようにこくんと頷くことしかできなかった。
「君に、結婚話があるんだ」
その言葉に驚いたのは当のイレアナではなく、その両親だった。
イレアナは自分のことだというのに、いまいちつかめずに首をかしげる。今日は朝からおかしなことばかり起こり続ける。
「ご主人様。それは、いったい―――」
てっきり糾弾されると思っていたのだろう神妙な顔つきで立っていた二人は豆鉄砲をくらったハトのような顔で主人に詰め寄る。
「前から思っていたのだよ。その傷は、リーグの責任だ。リーグのせいでついた傷で、お前たちの娘が、イレアナが結婚できないというのは、あまりにも悲しすぎる。それにイレアナは確かに傷があるが、器量もいいし働き者だ。それを相手の方に話したらいい返事をもらえたよ」
「じゃあ、この子の傷のこともちゃんとそちらには―――」
母の言葉に、リーグの父親は鷹揚に頷く。
「ちゃんと伝えてある。いい話だと思うのだが―――」
その言葉に両親が一斉に膝まづいて両手を組む。
「ありがとうございます。まさか、まさかっ、そんな話をいただけるとは」
「いいや。今回のことはこちらが悪かった。お前たちがそう気に病むことではない」
涙声の両親に優しく言ったリーグの父親が、呆然と立ちすくむ私に視線を向けてくる。
「イレアナ。君の結婚相手は街の人間だ。ここから離れることにはなるが、それでもいいだろう?」
リーグの父親のその言葉に、イレアナはようやく理解した。
確かに同情もあるだろうが、でも体よく自分はこの家から追い払われるのだということが。
「イレアナ。幸せなことだと思いなさい。お前をもらってやってもいいという人がいるんだ。こんな人、もう出てくるかわからないのだから―――」
母親に肩を抱かれながらイレアナは、うんうんとなんとか頷き返す。
「お前を手元から離すのは不安だけど―――でも、私たちは確実にお前より先に死んでしまうのだから、なら――っ」
母の涙をこらえる声に、イレアナは静かに目を伏せる。
確かに、これが私にとっても幸せなのだろう。
自分でもまさか結婚話がくるとは思ってもなかった。
この傷が相手にどのように伝わっているのかはしらないが、これを逃したらたぶん二度と私に結婚話がくることはない。
これを受け入れるのが、一番なのだ。
私にとっても、両親にとっても、そしてリーグ様にとっても―――。