覚悟
「もしも君達があの子の『親』になりたいと思っているのなら、今すぐその考えは改めた方がいい」
ニケとブレッドは学院長の言葉に顔を強ばらせた。
学院長の指摘通り、二人には養子縁組の話をするつもりがあったからだ。
「……何故君にそんな事を指図されなけらばならない。そもそも君には関係のない話だろう」
しかしそれをお前に咎められる謂れはない、とブレッドは強く言い返した。
「……」
だが学院長は顔を曇らせ、ブレッドの頭を冷やす言葉を投げかけた。
「……罪滅ぼしで引き取ろうとしてはいけない」
「っ……」
ポツリと呟かれた言葉は熱くなりかけたブレッドの頭を冷やすには十分であった。
拳を握り、押し黙るブレッド。
それを見て学院長は二人に一度冷静さを取り戻して欲しいと願う。
「君達があの子に対して負い目を感じているのは理解している。だがそんなことはあの子も望んでは――」
学院長は黙り込むブレッドをゆっくりと諭そうとするが――
「……何がいけないのですか」
そこに突然割って入って来る人物が現れた。
――ニケである。
「ニケ君……」
突然の乱入者に目を見張る学院長を前にし、ニケは語った。
「……私達はあの子に取り返しようのない事をしてしまいました。それを償いたいと思うのは悪ですか? 僅かでも血繋がりのあるあの子を引き取りたいと願う事は責められる事なのですか?」
亡き姉の面影を残す甥の姿を見た時から溢れる想い。
「……守りたいんです」
止められない自身の感情――その全てを言葉に乗せた。
「軽蔑されてもいい。罵声を浴びせられてもいい。たとえ私たちを愛してくれなくても構わない」
――愛されなくとも、それでもトールを引き取りたいと願うニケ。傷つく事も全て承知の上だと断言する彼女。
「――それでも私は守りたい。あの子は姉が残した最後の宝です」
ニケは子供を残して死んでいった姉を想う。
――もっと愛したかっただろう。抱きしめたかっただろう。たくさんのお菓子を食べさせてあげたかっただろう。
だが姉はもう二度と愛した子供と同じ寝台で眠ることも出来ず、愛らしい寝顔を見ることも出来ない。
冷たい土の下で眠る姉は陽の光の前に立つ息子とはもう二度と触れ合う事は出来ない。
母としてどれほどの後悔を胸に死んでいったのか……同じ母親という立場であるニケは想像するだけで恐ろしかった。
だから死んだ姉の想いを継ぐべきは自分である思った。
残された子供を守るのは血を分けた姉妹である自分以外にはいないだと。
ニケは二人の男を前に一歩も引かずにそう断言した。
――二人が退室した後の部屋の中で学院長は深く己を恥じていた。
学院長はあれからニケに言葉を返す事が出来なかった。
心配だからという理由で部外者である自分が口を挟むべきでは無かったのだ。
余計な手を出すべきでは無かった。
――自分の行いが間違いだと認識していても止められない想いがある。
――止まらない想いがある。
――届けたいと思う想いがある。
部外者である自分がそれを邪魔するには傷つく覚悟を必要だった。
だが自分にはそれが無かった。
遠くから助言し、危ないから止めたほうがいいと訳知り顔で諭そうしていた。
傷つく覚悟を持っていない自分がこれから土壇場に向かおうとする者に向かって助言するなど何という侮辱だったのだろう。
反論など出来なくて当然だ。自分のした事は愚かすぎる。
「…………」
学院長は深く後悔しながら、己の行いを盛大に恥じながら――それでもただ一つの事を願った。
――幸福を。ほんの僅かでもいい。あの優しすぎる者達にせめてもの慈悲を。
どんな決着を迎える事になろうともせめて後悔のない結末を、と。
学院長は深い後悔の中で自身の信じる神に強く願った。
……これが部外者であり、無力な自分に出来るただ一つの事なのだと学院長はようやく理解した。