共に、
スルトには夢がなかった。
将来なりたい職や仕事など、そういった将来への希望が殆どなかった。
剣術学部に所属しているのは単にそちらの才が並以上だったからで、特に軍に入ろうと希望している訳ではない。
学院に籍を入れてことすら、「卒業後は色々と便利だ」と彼の恩師である人物に言われたからだ。
その為、学院に通い始めると同級生との間に壁があるのがわかった。
例えば、スルトの友人のブレッドは貴族として軍で働くことを強く希望し、貴族の子女達などはどこに嫁いでも胸を張れるような女性になる為に多くの教養を身に着けようと努力していた。
彼らの活力溢れる姿はスルトの目には眩しかった。
何かを目指し、そこに力を注ぎ込む姿には憧れさえ抱いた。
逆に、「目標」を持っていない自分が恥ずかしかった。
だが、いつからかスルトにも「目標」と言うべきものが出来た。
──ある日、シンモラという名の女子生徒に出会い、彼女とのおかしな付き合いが深まった。
荷物持ちから始まり、料理の毒見。
休日には男子寮まで来られて、そのまま買い物に付き合わされた事もあった。
彼女はスルトが知っている人間の中でも特に活発であり、気持ちの真っ直ぐな人だった。
そして、誰よりも負けたくないと思った人だった。
彼女の頑張る姿を見るといつも焦った。置いて行かれたくないと本気で思った。
貴族と平民の差に打ちのめされながらも、必死に努力した。
彼女が魔術の知識を増やすたびに、自分は剣の稽古の時間を増やした。
彼女の目の下に隈が出来るたびに、自分は稽古で生傷を増やした。
彼女とは『対等』の関係でありたかった。
分野は違えど、競い合える関係を求めた。
彼女と共に歩める人間でありたかった。
いつの日からだったのか、それがスルトの「目標」になった。
──そして、「夢」になった。
だが、シンモラが病から快復した兄の見舞いに行った日から状況が変わってきた。
その日から彼女と連絡が取れなくなり、スルトはとても嫌な予感がした。
数日後、彼女の妹のニケから父親と大喧嘩をやらかした聞き、その理由を知った時、スルトは驚愕した。
さらに、謹慎中のシンモラが今後どんな事を考えているのかをニケの口から聞かされると、もう声が出なくなった。
『学院を辞め、そのまま王都からも出て行く』
シンモラはその無茶な計画を、スルトに協力して欲しいと言って来ていたのだ。
当然スルトは最初は断ろうとした。
シンモラを説得し、父親との和解の道を探すべきだとニケと話した。
しかし、ニケは親子そろって頑固な二人が簡単に和解するとは思えないと言った。
ここは両者が頭を冷やすためにこのほうが良いと言い、スルトにシンモラの脱出計画に乗ってくれるように頼んできた。
……確かに、王都から出る手助けする程度ならばスルトにも出来るだろう。
夜中にでも屋敷に忍び込み、馬車を用意してそのままどこかの街に行けばいい。夜中に動かす馬車も友人のブラッドに頼めばきっと楽に手に入る。
──話の結果だけを言ってしまえば、スルトはこの頼みを受けた。
学院ではシンモラと多くの時間を共に過ごし、彼女の性格を家族と同じぐらいに良く知っていたスルトは、この段階で説得や懐柔はもう不可能なのだと理解していた。
一度こうだと決めたらどんな困難でも突き進むのが、スルトの知っている『シンモラ』という女性だ。
すでに彼女が学院、そして王都を離れるのは避けられない。
──だが、だからこそスルトはこの頼みを受けた。
スルトの夢は彼女と肩を並べ、傍らに立ち続けること。
共に歩み続けること。
ならば──
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
何処か遠くに向かおうとしていた彼女の手を取り、息を切らせ走る。
苦しいが、ただそれだけでスルトは満足だった。
この後、どうなるかなど分からない。
それでも良かった。
隣を見れば、彼女が傍いる。
ただ、それだけで良かった。
『もし、隣に立っているはずの彼女が何処か遠くに行こうとしているのなら?』
決まっている。
選択肢など一つだけだ。
起こす行動など、たった一つしかなかった。
──そうして、スルトはシンモラと「共に」王都を出た。
……二人がこの後、どのようなやり取りをしたのかは詳しくはわからない。
ただ、この後シンモラの実家や学院では色々と騒ぎであった訳だが、二人が王都に連れ戻されることはなかった。
理由はシンモラの兄と妹が父親を説き伏せたというのもあるが、失踪してから二人が送ってきた手紙が一番効果的だっただろう。
手紙には二人の字で短くこう書かれていた。
『──共に、あり続ける』、と。
手紙にはさらに書類の写しが一枚同封されていた。
シンモラの父親はこの手紙を読み、一度だけ目を瞑ると、残った二人の子供達に手紙を投げ渡してこう言った。
「……あの馬鹿娘に手紙を出して、『花嫁衣裳ぐらい親に見せろ』と文句を書いておけ」
──この数ヵ月後、長男の体が完全に快復した事を機にシンモラの父親は当主の座を引退。
長男に家督を譲り、そのまま隠居する。
こんな出来事があった後も、二人が王都に帰ってくることは殆どなかった。
二人が王都に帰って来たのは、ほんの数度だけ。
シンモラの兄とその恋人に子が生まれた時と、ニケとブレッドの結婚式の時の二回だけだった。
一度だけ、ニケとブレッドの結婚式の時にシンモラの父親は娘に家に戻ってくることを薦めたらしいが、彼女は頑としてそれを断った。
理由はすでに彼女には別の「家」があるかららしい。
彼女の父親はそれを聞くと、夜にスルトといくつか話し合った後、もう何も言わなくなった。
これ以降、二人の様子は本当に手紙でしか知らない。
しかし、ニケは姉と手紙のやりとりを頻繁に行っており、彼女は「二人」の近況をよく知っていた。
手紙には色々な事が書かれていた。
──スルトのつてで、王都から離れたのどかな街に住むことになった事。
──その街で腕の良い鍛冶師に会い、二人とも仲良くなった事。
──スルトが街の警備隊に所属するようになった事。
──シンモラが街の子供に勉強を教える教師になった事。
──そして、二人の間に子が生まれた事。
子供は父親に似て丈夫な男の子で、母親によく似た目と髪の色をしているらしい。
手紙からは随分な親バカぶりが発揮されており、子供の仕草や行動の一つ一つが手紙に書かれていた。
この手紙が気になり、ニケは一度だけ夫を連れて二人に会いに行ったことがあった。
向かった先は何の変哲もないただの田舎町。
そして、その街で見たのは、家の中で赤ん坊を愛おしそうに抱きしめる母親と、彼女の胸にいる息子の頬を指先で撫でる父親の姿だった。
──幸せそうな家族。
それがニケとブレッドが見た二人の『最後』の姿だった。
数年後、「もう少し子供が大きくなったら、今度は会いに行く」という手紙を最後に、二人からの手紙は届かなくなった。
まもなく戦が始まり、二人が住んでいた街は巻き込まれ、焼かれた。
ニケ達は必死に二人とその子供の行方を探そうとした。
だが、戦の最中ということもあり、捜索は困難を極めた。
巻き込まれた街は危険域となっており、立ち入ることは軍関係者しか出来ず、焼かれた街から逃げ出した人間は近くの街にかなり散っており、三人の家族の安否を知っている人間に会うこと出来なかった。
……戦が終わった後、情勢が安定してきた後も手紙がニケの下に届くことは二度となかった。
二人の事を知っている家族や友人は深くこの出来事を悲しんだ。
家族は全員戦に巻き込まれ、死んだと思い込んでいた。
十年後、一人の青年が現われるまでは──
小説の感想を待っています。