最初の出会い
トールの叔母ニケとその夫のブレッド氏、その息子のディーン。
さらにブレッド氏の友人である学院長。
そして、トール。
この五人を交えた夕食は静かに始まり、ゆっくりと終わりを迎えた。
食後のデザートを食べ終わると、ブレッド氏は息子をメイドに部屋まで送らせ、部屋の中を四人だけにした。
部屋の中が緊張で高まる中、最初に口を開いたのはトールだった。
「……まず、なんで俺があの両親の子供だと思ったんですか?」
額に手を当て、トールはブレッド氏に話しかけた。
かなり最初の段階からブレッド氏はトールが誰の子だか気づいていたようだった。
まずはその理由を聞こうと、トールはブレッド氏に尋ねた。
するとブレッド氏はトールの顔を見つめて答えた。
「……私は君の母と父には色々と面識があってね。その髪や瞳には見覚えがあったし、……なんと言っても『声』がそっくりだった」
「声?」
「そう、声だよ。君の声は父親のスルトに本当によく似ている」
「……俺の声が?」
思わぬ言葉に、自分の喉に手をやるトール。
「そっくりさ。君の声を聞いているとアイツと話してたあの頃を思い出すよ」
ブレッド氏が父と深い関係を匂わす発言に、トールはテーブルに体を乗り出して聞いた。
「……父とは友人だったんですか?」
「学院の学友だったよ。武術学部で一緒に模擬戦闘をやったりもした」
「が、学院?」
「アイツも私も、君の母とニケも、……そこに座っている今の学院長以外は全員が学院出身者さ」
「学院」という単語に目を丸くするトール。
思わず隣に座る学院長を見るが、「私は家庭教師で自宅学習組だった」とトールの両親たちとは無関係だと主張した。
「……まぁ、そいつはどうだっていい。とにかく、君の両親たちとはそこで出会った」
「……なるほど。あっ、もしかして母も同じ学部だったんですか?」
「いや、彼女は……」
「いえ、シンモラ姉さん。貴方の母は魔術学部でした」
ブレッド氏が話している途中で、横からニケの補助が入った。
「姉さんは魔術の素養があったので、そちらを専攻していました」
「あぁ、そういえば……」
母は魔術が使える人だった事を思い出したトール。
だが──
「え、じゃあ、母と父はどこで出会ったんですか? 受けている講義が一緒だったとか?」
すると二人の出会いがわからず、頭を捻るトール。
「「…………」」
そんなトールを見て、ニケとブレッド氏は顔を見合わせた。
「ゴホンっ。……念のために聞くけど、トール君は両親の馴れ初めを聞いた事はないわよね?」
「あまりそういうことに興味を持つ子供じゃなかったですから……」
突然、叔母のニケが咳払いをしてトールにそのような事を聞いてきた。……その顔は気のせいか少し嬉しそうだ。
ニケの態度を不思議に思ったが、トールはその質問に素直に頷いた。
当時のトールは両親の馴れ初めを聞くような子供ではなかった。
「であれば、今度はそこから話しましょう」
「…………」
トールの反応を見て、ニケは次に語る話を決めたようだった。
その話が何なのか、話の流れでトールはだいたいわかっていた。
だが、一応聞いた。
「……と、言うと?」
「それはもちろん貴方の両親が初めて出会った時の話です」
「…………」
両親の馴れ初めを聞くなど思ってもみなかった。
だが考えてみれば、両親の一番最初の出会いを聞くのはいいかもしれない。
そう思い、トールはこれから始まるニケの話に集中した。
「──では、今から二十年ほど前、学院で出会った二人の話をしましょう」
──20年ほど前の学院。
学院の渡り廊下の途中、
「あー! もう! めんどくさいっ!」
少女はカンオケのように巨大な楽器ケースに向かって悪態を吐いた。
その少女は王都の学院で学ぶ生徒だった。
少女は貴族であり、教養と箔をつけるためにこの学院にいた。
そして少女は放課後のクラブ活動中に先輩に雑務を押し付けられ、カンオケのように巨大な楽器ケースを楽器倉庫まで運んでいる途中だった。
ケースは確かに大きいが中身は何も入っていない。
女子の細腕でもなんとか持てる代物のはずだった。
「留め金が壊れてるケースを運ぶとか……最悪すぎる……」
だが長らく放置されていた所為か……ケースの留め金部分がどこかに飛んで蓋を閉めることが出来ない。
その為……
『バクッ!!』
「ギャーッ!! またミミック(人食い箱)に飲み込まれたぁー!!」
時折、ケースを運んでいる途中でケースの蓋が開き、少女の上半身がまるごとケースの中に飲み込まれてしまう。
「あー! もぅ!」
そのたびにこのミミックから脱出し、蓋を閉めなおす。そんな作業をクラブハウスから楽器を保管する楽器倉庫室までの間ずっと続けているのだ。
そんな姿を他の学生は笑いながら見送り、知り合いらしき女生徒が手を振って応援したりしている。
「……どうせなら手伝えってのよ。裏切り者共めぇ」
ケースを運ぶ少女はそんな生徒達に向かって怨嗟の声で呟く。元々、少女はそう気が長いほうではないらしい。
だが、最悪なことに……
『バク!!』
少女の怒りのゲージが上がっているときに限って、再びミミックが少女に牙を向いた。
「……」
「ヒクッ」と少女の頬がケースの中で痙攣した。
「……このケース、大きな金槌で粉々に出来ないかしら……いえ、いっそのこと火で……」
頭からケースを外し、恐ろしいことを口走る少女。
もし実行すればほぼ停学は間違いないのだが……少女の目はかなり本気だ。
誰かが止めなければまずいことになるだろう。
だが、生憎と体から怒気を撒き散らす少女に近寄ろうとする猛者は誰もいない。
「そうだ。いっそ二つに割れば……」
良い事を思いついた、と少女が呟いた時。
「……いやいや、学校の備品にそれはまずいでしょう」
ある青年がその少女の肩を掴んでその蛮行を止めた。
──180センチほどのかなり背の高い、体格のがっしりとした青年だ。
見たところ、歳は少女と変わらないはずなので少年と言うべきだろうが、どうにも少年と呼ぶには隙が少ない。
学院の中でも武術学部にいる軍人志望の学生にはこういうタイプが多いが、おそらくこの青年もそうだろう。立ち方や身のこなしが同年代の男子に比べるとしっかりし過ぎている。
そんな青年が、今は少女の事を不審者を見るような目で見ているので、背の高さも加わって少し怖い。
普通の少女ならば、こんな男が近くにやってくれば怯えそうなものだが……
「うるさい。今すぐ私の肩から手を離してどっかに消えなさい」
少女には全く怯える様子がなかった。
気丈、というよりもこれが生来の性格なのだろう。少女は青年を全く怖がっていなかった。
だから物怖じせず、少女は青年の目を見てそう言ったのだ。
「────」
そんな少女を青年は驚きで目を丸くし、思わず少女の肩から手を離した。
青年は、一度まじまじと少女を見た。
──長い髪と小奇麗な服。スラッと伸びた背筋ときめの細かい白い肌。
髪も服も、その見た目にも大分手入れが行き届いている。
ついでに、今はしかめっ面なのでわからないが、顔立ちも品がありそうだ。
「……まずった……」
少女の姿から少女が貴族かもしれないと思い、青年は声をかけたのを後悔した。
貴族は平民よりもプライドが高く、その分だけ面倒が多い。
その事を青年は学院に通っている間に学習し、なるべく厄介ごとは回避していたのだ。
しかしまさか楽器ケースに向かってぶっ壊す発言をした少女が貴族だとは思わなかった。
青年の中で貴族の娘はもう少しだけおしとやかなイメージがあったのだ。
「……これからは女子に幻想を抱かないように生きよう」
青年はこちらを睨みつける少女を見ながら小さな声で心にそう誓った。
「あー? 何でなんですって?」
青年の声は囁き声のはずだったのだが、あいにくと少女は地獄耳だったようだ。
青年の呟きを耳にすると、事の詳細を詳しく聞こうと青年に詰め寄った。
「何か今、私を見てすっごく侮辱的な発言をしなかった?」
ぎろり、と音がしそうなメンチをきって睨む少女。さらにこの少女、貴族とは思えないほど声にドスが効いている。
青年はそんな少女を心の中で「この女子、はんぱねぇ……」と密かに賞賛した。
だが、今はそんなことよりもこの場を切り抜けることが大事だと頭を切り替えた。
「いや、そんな事は……」
「いいえ! 貴方は先ほど私を見て絶対に何か言っていた! しかもかなり失礼な事を!」
「うっ……」
言い訳をしようとするが、失礼な事を口にしたのは本当の事なので全く反論出来ない青年。
しかも、そんな弱みを見せたからだろう。
少女の目が獲物を見つけたハンターの様に輝いた。
(──ちょうどいい労働力が手に入ったわ)
思わず心の中で拳を握り、青年に壊れた楽器ケースを運ばせようと考える少女。
少女は嬉しそうな笑顔を浮かべ、青年に向かって一つ提案を持ちかけようとする。
その内容は当然、『先ほどの発言を忘れる代わりに、この楽器ケースを運ぶのを手伝え』と云うものだ。
心に後ろめたい事のある青年は間違いなくこの提案を呑むだろうと少女は確信していた。
だから少女は自身に満ちた顔を上げ、青年に向かって声をかけようとした。
自分よりもかなり高い位置にある顔を見上げ、その瞳を睨みつける。
だが──
「あっ……」
「ん?」
少女はその時初めて青年の瞳の色に気がついた。
紅玉。
それもピションブラッド(鳩の血の色)と呼ばれる最高級の紅玉。
明るく色鮮やかな真紅。不純物が取り除かれた純粋な輝き。
青年の瞳は、そんな鮮やかな真紅だった。
「わー……」
本物の宝石のように透明感があり、少女は青年にかける言葉をしばし忘れてその紅玉の瞳に見入った。
「……変わった色してるだろ? これ、生まれつきなんだ」
そんな少女に向かって、青年は目元の辺りと指先でとんとん叩いた。
「あっ……!」
その時に少女は無遠慮に青年の瞳をずっと見ていた事に気づいて慌てた。
「ご、ごめんなさい! 私……」
「……まぁ、慣れてるからそんなに気にしないでくれ」
先ほどまでとは違い、今度は少女が恐縮する番になった。
「ええっと、わ、私、ちょっと用事があるから! 本当にごめんなさい!」
そう言って少女は地面に置いていた楽器ケースを腕に抱えてこの場を去ろうとする。
正確には、楽器ケースが大きすぎて抱えると言うよりは抱きつくと言ったほうが正しいかもしれないが……
(……誰かにさっきの見られているかも知れないし、急いでこの場から逃げよう……!)
少女は自分の身の丈ほどはありそうなケースを一生懸命抱えてふらふらと歩き始める。
──そんな時。
『がぱっ!』
焦っていてケースの蓋を支える腕のフックが甘かったのだろう。
巨大な楽器ケースの口が開いた。
(最悪……! 絶対さっきの人に笑われる!)
ミミックの開いた口を、少女は目を瞑って身構えた。
──そんな少女の後ろから「トンッ」と床を叩く足音が聞こえた。
同時に、少女の後ろに人の立つ影。
影はそのまま少女の後ろからミミックの口を押えて「パンッ」と蓋をした。
「なんだこれ、留め金が壊れてるのか?」
──影。正確には少女の後ろにいたはずの青年は、ケースの蓋を閉める留め金が破損しているのを確認すると、少女の手から自分の手の中にケースを移動させた。
「手を怪我すると危ないだろうし、運ぶの手伝うよ」
そのまま青年はケースを肩に担いで少女にそんな事をいった。
「え、え、え?」
「このケース、何処に運ぶ予定だった?」
「が、楽器倉庫室までだけど……」
「授業で使ったことないから道がわからないなぁ。悪いけど、ちょっと道案内頼める?」
「え、えぇ」
「じゃあ、道案内お願いします」
「……はい」
少女はケースを担いだ青年に頼まれた通りに楽器倉庫室まで歩き出した。
凶悪な楽器ケースを肩に担いだ青年はそのがっしりとした両腕で完全にミミックの口を封じ、先導する少女の後ろを従者のごとく歩く。
「…………」
「…………」
少女は時折後ろを歩く青年の視線や周りの視線を気にしながら歩き、青年はそんな視線を気にした様子なくただ少女の後についていく。
「…………」
少女は貴族であり、執事やメイドを後ろの従わせ歩くことなど慣れている。
しかし、同年代の男子生徒を後ろに連れ歩いたことなどない。
いや、上級生の中には下級生の男子生徒を連れ歩く倒錯した趣味の女生徒がいたりもするが、少女にそんな趣味は全くなかった。
(絶対に知り合いに見られませんように……! 誤解されて友情にひびが入りませんように……!)
その願いが通じたのか、男子生徒を連れ歩く少女に声をかける友人はいなかった。(ただ後日、数人の目撃者からのタレコミにより友人達の耳に入り、少女は羞恥で悶絶することになる)
「つ、着いた。此処よ」
「了解」
目的の音楽倉庫室の前まで着くと青年は肩からケースを床に下ろした。
「ちょっと待ってて。今、扉を開けるから」
少女は懐から古びた鍵を出して、扉の鍵をかちゃかちゃと動かす。
しかしあまりこの部屋を使わない所為か、少しもたついたが扉はなんとか開いた。
「じゃあ、どこでも空いてる場所に置いてくれる?」
「了解」
やっと本来の調子に戻った少女は青年に命令を出し、青年はそれに素直に従う。
青年は倉庫の中に空きスペースを見つけるとそこにケースをゆっくりと置き、少女に向き直った。
「置いた」
「ん、了解。じゃあ、出ましょう」
ちょっと青年の言葉が移った少女は青年と一緒に部屋を出た。
「今回は色々と助かったわ。ありがとう」
「……いや、さっき失礼なことを言った侘びもあるし気にしないでくれ」
バツが悪そうな顔の青年。どうにも先ほどの少女の剣幕が記憶に残っているらしい。
年頃の少女を怒らせるというのは、意外とこの歳の男子には効果があったようだ。
もしかすると、こうして運ぶのを手伝ったのはあの発言を許して貰えるよう頼む為だったのかもしれない。
「……あー、アレ」
その事を少女は男子の連れ歩きの緊張で忘れかけていた。
だから「別に気にしていないし、許す」、少女は青年に言おうと思った。
しかし、そんな時に青年の瞳が目に付いた。
「むー」
「…………」
……さっきは青年の言葉に中断されてしまったが、見れば見るほど綺麗な色の瞳だった。
(……正直、もう少しゆっくり見たい)
そう思うと、少女の口は意外な言葉を口にしていた。
「──じゃあ、私が今回と同じような目にあっていたら迷わず助けて。それで許してあげる」
「えっ!?」
「もしかすると許してくれるのではないか?」と密かに思っていた青年は驚いた。
「そ、それっていつまで? まさか卒業するまで?」
「そんな酷い事はしないわ。──私の心の傷が癒えるまでよ」
「……それっていつまで?」
「とーぶん先」
「…………」
少女に向かって何かを言いたそうにしていた青年だったが、少女の頑固たる態度を見て諦めた。
「……見かけたら、すぐに駆けつけます」
「よろしい」
そのまま肩を落としてどこかに消えようとする青年を、少女は呼び止めた。
「待ちなさい。貴方の名前は?」
「はい?」
何の事かと思って青年が首を傾げると、少女が青年の顔を指差して言った。
「名前を知らなければ私を呼び止められないし、──呼び出せないでしょう?」
「……そーですね」
「もうどうだっていいや」と殆ど自棄になって青年は自分の名前を名乗った。
「スルト=フレイム。武術学部所属で17歳」
青年の名を聞き、今度は少女が名乗る。
「スルトね。私はシンモラ=ヴァルカンよ。学部は魔術学部。17歳よ」
──これがトールの両親、スルトとシンモラの最初の出会いだった。
誤字と脱字、小説の感想を待っています。
ちなみに、最近投稿スピードが早いのは作者のストレスがヤバイからです。