親
──トールが王都で亡き母親によく似た面立ちの女性と会っていた頃。
故郷にいるトールの養父ヴォガスは街の酒場で男達と酒を飲んでいた。
「っぷぁ!!」
トールが王都に行ってしまってからのヴォガスは、夕方近くになるとよく酒場に現われるようになった。
と、言ってもそれで仕事が滞るといった事はない。むしろ仕事は以前よりも早いと評判だ。
彼は決して酒に溺れているのではない。
「おお! いい飲みっぷりだなヴォガスさん!」
「さすがヴォガスの旦那だ! 俺らとは飲み方が違う!」
ヴォガスが酒場によく通うようになったのは変な話だが、もっと「人間」くさい理由だ。
──独り立ちした子を持った親の心境。
つまり、可愛がっていた一人息子がいなくなって寂しいのだ。
だから頻繁に街に下りてきているし、仕事も早く済ます。酒を飲みに来ているのも人恋しさが理由だ。
他にも商売にならないような代金で子供の玩具や若い娘等の為に細工品を作ったりもしている。
手先も器用で腕もいいドワーフの仕事だ。街の人間は大満足している。
……しかし、本人は不満というか何と言うべきか……心の奥にしこりがあるらしい。
子供達が家に帰り始める夕方近くになると今度は街の大人達のいる酒場に足を運ぶ。
そして、ガンガン飲みまくる。
他の大人達が引くくらいに飲む。
たまに『ぐでんぐでん』になるほどに飲む時もあるほどだ。
今日も飲むペースが早く、それを見ていた酒場の客達が少し心配になってヴォガスに話しかけていた。
「……ヴォガスさん、ちょっとペースが早過ぎないか?」
「もうちょっと落とした方が……」
「トール君が家を出ていって寂しいのはわかるけど……」
「……体に悪いぜ、もっとゆっくり飲もうよ」
「……むぅ」
それにヴォガスはがぶ飲みしていた麦酒の入った杯を一度カウンターのテーブルに置いた。
「……そうだな。その通りだ」
ヴォガスの言葉を聞いて、酒を飲んでいた他の客達が「ほっ」と息を吐く。
そして──
「ヴォガスさんこっちのテーブルに来なよ。一緒に話そう」
と、酒場の丸テーブルにいた客達の一人が自分達のグループに入ってきなよと誘った。
一緒に話して飲むペースを落とそうという考えなのだろう。
「……では、お言葉に甘えさせておうかの」
ヴォガスは自分の身を心配しての行動に、離れて暮らしている息子の姿がダブり、話しかけてくれた客の言葉に甘えて酒場のカウンター席から丸テーブルへと移動。
「こっち! こっちに座りなよ!」
「ささっ! ヴォガスさん!」
「う、うむ」
ヴォガスが自分達のテーブルに来て盛り上がる客達。
そして、再開されるゆっくりとした酒宴。
みんな日頃は何かと世話になっているヴォガスの為に楽しく過ごしてもらおうと気遣い、ヴォガスもそんなみんなの為に飲むペースを落とした。
──しかし、そんな時。
客の一人、数ヶ月前に娘が嫁にいって自分も寂しいとヴォガスに共感していた客の男がこんな事を言った。
「……そう言えば、前々から気になっていたんだが、トール君の親戚関係ってどうなっているんだ?」
心の中で思っていた事が酒が入り、油断して口から飛び出したのだろう。
ある意味この場で一番言ってはならないであろう言葉をその男は言ってしまった。
その事に気がついたテーブルにいた客達は「ハッ」として、トールの育て親のドワーフを見た。
──トールの育て親であるヴォガスはドワーフだ。純粋な人間種族であるトールとは当然だが血縁関係はない。
しかし人間の両親がいるのだから、当然トールにはその親戚もいるわけだ。
「「「…………」」」
だがそれは、この普通とは少し変わった父親の前で話すのは禁句だった。
「す、すまない、ヴォガスさん、……の、飲み過ぎて変なこと言っちまった……」
酒のせいで口が滑った男はおろおろとヴォガスに謝り、ヴォガスの杯に酒を注ごうとする。
しかし──
「……それが…………のだ」
「へっ?」
ヴォガスの杯に酒を注ごうとした男がヴァガスの呟きに思わず、手を止めた。
そんな男の手を見ながら、ヴォガスは言った。
「……誰も知らんのだ。あの子の親戚筋を……」
そもそもトールの父親と母親は自分達のことをあまり人に教える事がなかった。
それは比較的交流の深かったヴォガスにも同様だ。
なにより十年前の戦争の所為もある。
街の住所録などもあったのだが、戦争の最中でかなりの部分が焼失してしまった。
その為、トールの両親の親戚に関する確かな情報がない。
ヴォガスも色々と手を尽くしたこともあったのだが、結局の所は不明だ。
しかし、専門の業者や人間を使えば探すことも出来ただろう。
──だが、ヴォガスにはそれをする事が出来なかった。
その頃には戦争が一段落しており、トールに自分の技術を教えている頃だったのだ。
必死に自分から生きるための技術を学ぼうとする幼子を──
自分の名を呼び、一途に自分を慕う愛しい子どもを──
この心優しきドワーフが手放せるはずがなかった。
「……ある意味、盗んだようなものだ。……当時はかなり強引にあの子を自分の養子にしてしまった……。あの子の親戚達が知れば恨まれても仕方ない所業だろう……」
当時を思い出し、ヴォガスは懺悔する様に酒場のテーブルの前で顔を俯かせた。
それを聞いていた酒場の客達は集まってヴォガスを慰める。
「まさかっ! それでヴォガスの旦那が盗人なんて誰も思わんよ!」
「そうだよっ! あの子を男手一つで立派に育てたじゃないかっ! むしろ感謝されていいくらいだっ!!」
「全くだ! それに当時はあんな事があったんだ。子の身元先がわからないなんてよくある話だったよっ!」
「……だが、情報がなかったわけじゃなかった」
「「「え?」」」
そうして、ヴォガスはぽつぽつとトールの両親の事を少しずつ話し始めた。
「……あの子の父親とはよく酒を飲んで少しだけ昔の事を聞いた事があるんだ。……その話を聞く限り、どうもあの子の母親は『貴族』のようだった」
「き、貴族?」
「ま、まじか……。あ、あの子、貴族の子だったのか……」
「そういえば昔魔術で川原で水遊びしているのを見たことがあったなぁ。……力加減を間違えて溺れかけていたが……」
『貴族』という言葉に反応する客達。
その反応を見ながら、ヴォガスは続けた。
「……もっとも、あの子の両親は駆け落ち同然でこの街に来たようだ。……あやつにしては大分言葉がきつかった」
「「「「か、駆け落ちいぃっ!?」」」
客達はヴォガスのその言葉に今度は台詞をハモらせる。
『ざわざわ! ざわざわ!』
しばらく酒場はその言葉によってざわめき立つ。
「いや、でも待てよ? そうならヴォガスの旦那を責める人間がいる可能性は低くならねぇか?」
「まぁ、駆け落ちは離縁状を叩きつけたようなものだからなぁ。ある意味、身寄りのない孤児を育てたようなものか?」
「そこら辺の事はもっと頭のいい人に聞かないとわかりませんが……」
「でも、貴族って跡継ぎ問題とかがややこしいって聞くぞ? 大丈夫なのか?」
「……うーむ」
──気がつけば、ヴォガスのいるテーブルの周りには人だかりが出来ており、酒場のマスターまでカウンターから出て参加しているほどだ。
それにヴォガスは話を切り上げる事が出来ず、それからも自分が知っていることを殆ど話してしまった。
「どれほどの身分だったのかはわからん。……だが、おそらく間違いない。魔術の素養も少なからずあった。それに、あの子の母親に仕草には育ちの良さが見え隠れしていた」
徐々に明らかになる貴族の血筋らしき情報。
『ざわざわ! ざわざわ!』
しばらくその事に関して酒場がまたざわめきはじめる。
だが──
『ガタンッ!!』
と、椅子のひっくり返る音が酒場に響いた。
「関係ないっ!! 血筋がどうであろうと、今のあの子はヴォガスさんの息子だ! あの子だって絶対にそう言うに決まっている!」
と、話を聞いていた客の一人が大声で叫んだ。その顔は酒に酔っただけでなく興奮で真っ赤だった。
──客はトールの事を昔から良く知っている男だった。
男は前の戦争以前からこの街に住んでいた。
つまり、トールの両親も子供の頃のトールがどんな目に遭ったのかを知っているこの街の古株ということだ。
「ヴォガスさん! 貴方のした事は絶対に間違ってないんだ! それはこの街の人達が保障する! それを盗んだなんて……! 貴方は自分のした事にもっと自信を持ってくれっ……!」
男はヴォガスに向かって泣き出しそうな顔で詰め寄った。
……街が戦に巻き込まれた時、逃げる時間を作ってくれた恩人の子。
身寄りがなく誰かが引き取らなければ生きていけない幼子。……だが、誰もその子を引き取ろうとはしなかった。いや、する事が出来なかった。
当時はみんな自分の事や自分の家族の事だけで精一杯だったのだ。当時の大人達は恩人の子を誰か助けて欲しいと心から願った。
『あの子を誰か……!』
大人達が良心と身の安全を天秤にかけていた時──目の前のドワーフがその子供の手をとってくれた瞬間、一体どれだけ感謝しただろう。
健やかに育ち、日々立派になっていくあの子を見て、何度目元に雫が溜まったことだろうか……。
この男もそんな人の一人だ。
だから、男は目の前のドワーフに向かって叫のだ。
当時、心の弱かった大人達を助けてくれた恩人に、
この街のもう一人の恩人に、
声を大にして叫ぶ。
「貴方は盗人なんかじゃ絶対にないっ! 貴方はあの子の『父親』だ!!」
……ヴォガスは目の前まで詰め寄った男の言葉に顔を伏せ、
「……そう、だったな。ワシは、あの子のもう一人の父親だったな」
と、呟いた。
その顔は少し悲しそう見える。
だが、その呟きは悲しみよりも嬉しさの方が間違いなく勝って聞こえた。
「……ワシとした事が酒の所為で気弱になってしまっていたようだ」
ヴォガスはそう言って手の中にあった杯に入った残りの酒をしばらく見つめた後、「ぐっ!」とそれを一気に飲み干した。
──そして、周りで自分を見つめる客達に向かって宣言した。
「……今まで、あの子が怖くてはっきりと言いだせなかったが……今度しっかりとあの子の両親のことについて話してみようと思う」
男の言葉に後押しされたのだろう。
その前向きな考えにヴォガスに詰め寄っていた男も、周りでその様子を見ていた酒場の客とマスターも、ヴォガスの言葉を聞いて少し安心した。
まだどうなるかわからない話だが、並みの親子よりも固い絆で結ばれている二人だ。
きっといい方向に話が進むと、酒場にいた大人達は誰もが思った。
「大丈夫だヴォガスさん! あの子がその話を聞いて二人の関係が悪くなるなんてないさ!」」
「そうだよヴォガスさん。むしろ、きっと今よりももっと仲が良くなるさ」
「そうそう、あの子はそんな不義理な子じゃないよ」
そうして彼らはヴォガスの言葉を後押して彼を元気付ける。
「……ほら、ヴォガスさん。みんなわかってるよ……。貴方が立派な『親』なんだって」
先ほどヴォガスに詰め寄っていた男も目を潤ませながらヴォガスを励ます。
「……あぁ、頑張ってみるさ」
そんなみんなの言葉を聞きながら、今ヴォガスは無性にトールに手紙を書きたくなった。
言いたい、いや書きたい言葉があるのだ。
何度か書いては気恥ずかしさと後ろめたさがあって今まで書けなかった言葉だ。
今ならすんなりと書ける気がする。
遠く離れた場所にいる子を想い、万の思いを込めて数文字。
──『父』より、と。
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