呆然
「それにブレッドの奴、随分と人を待たせるねぇ」
学院長はブレッド氏が出て行った扉を見ながらそう呟いた。
ブレッド氏が妻子を迎えに行ってから5、6分が経っている。客人を持たせるにしては少しばかり時間がかかり過ぎだろう。
「何か問題でも起きたのかな?」
「……そう、かもしれませんね」
トールと学院長の二人は、ブレッド氏が出て行った扉を心配そうな顔で見る。
「……ちょっと心配だね。どれ、少し見てこよう」
堪えきらなくなった学院長が座っていたソファーから腰を上げる。部屋を出て、ブレッド氏の様子を見に行こうとしているのだろう。
「あ、なら自分も」
当然、トールもそれについて行こうとする。
だが──。
「いや、君はそのままでいい。ここで君まで部屋を出て行ってはブレッドに恥を掻かせてしまう」
「……そう、ですね。……わかりました」
確かに、屋敷の人間でもない人間が不安げに廊下をうろうろするのはあまり良くない。
そう思い、トールは上げかけた腰をソファーに戻した。
「では、自分はここで待っています」
「何かわかったらすぐに戻るよ」
そう言って、学院長が扉に向かおうとした所で、扉から「キィ」という音が聞こえた。
──どうやら、トール達が妙な気を回す必要はなかったようだ。
扉は徐々に開き、そこからブレッド氏がすぐに現われた。
「いや、すまない! 妻に君達の事を説明するのに時間がかかってしまった!」
ブレッド氏は少し慌てた様子で部屋に入って来て、まずトール達に詫びを入れた。
トールと学院長はそれに「特に気にしてはいない」と目線と手でアピールをした。
「そ、そうか、良かった」
ブレッド氏は二人の反応に極端なほどに安堵する。おそらく、二人が気を悪くして帰ってしまうのを心底心配していたのだろう。
「そ、それで二人に早速妻を紹介したいのだが……。い、いいだろうか?」
「「?」」
トールと学院長は二人で顔を見合わせた。
ブレッド氏は妻を自分達に紹介する為に部屋を出て行ったのだから、その妻を紹介するのはおかしくない。
だが、自分達に許可を求めるのは何故なのか?
待たせてしまった負い目があるからなのか?
それに、肝心のその妻はどこにいるのか?
いくつかの疑問を持ったトール達だったが、トールよりも遥かに年長の学院長が友人のブレッド氏に躊躇いがちに疑問を投げかけた。
「いや、私達はそれを待っていたから別にいいんだが……。だが、肝心の奥方は何所にいるんだい?」
「実は今、扉の前にいるんだ! すぐに呼ぼう!」
学院長の言葉を了承と思ったブレッド氏は興奮した声で扉の方を向いた。
「おいおい、どうせなら部屋に一緒に入ってくればいいだろうに」
「何を焦っているんだ」、とブレッド氏をからかい混じりの声で野次る学院長。
それを気にせず、「は、入って来てくれ!」と奥方を呼ぶブレッド氏。
『キィィ!』
──ブレッド氏の声に反応し、閉じかけていた扉が開く。
「…………」
そして、扉の向こうから一人の女性の姿が現われる。
歳は30後半ほどの細身の女性。
貴族の奥方に相応しく身のこなしに品があり、服装も華やか。
彼女を見た部屋にいた男の反応はこうだった。
同じ貴族である学院長はその女性を見ても「友人の妻」以上の反応はなく、女性の夫であるブレッド氏は女性ではなく、何故かトールの方を見ていた。
最後にトール。
彼の反応は前の二人とは違っていた。
「────」
呆然。
トールは扉から現われたブレッド氏の奥方の顔を見て、呆然としていた。
彼は何度も何度も瞬きをしては、目で彼女の顔の輪郭を確かめているようだった。
そしてそれが終わると、今度は彼女の瞳と髪の色を追いかけ始めた。
──貴族にしては若干色が「鈍い金髪」と、「赤錆色の瞳」を。
「……ありえないだろ」
そして、トールは呆然としながら、固まった喉で最後にこう呟いた。
「……死んだはずだろ、『母さん』」
「…………」
トールの呟きを聞き、その女性はとても寂しそうに微笑んだ。