『足』
……疲れた。
「──つまり、そちらの神官長様が俺に興味を持ったから、俺はこうして呼び戻された訳ですか」
どこか呆れたような口調で自分の研究室に帰ったはずのトールが学院長とマルク神官長にむかってそう言った。
実は、神官長が「トールに興味がある」ということでトールは再び呼び戻されたのだ。
最初、呼び戻されたのは書類に不備にでもあったのかと急いでやってきたトールだったが、それが「自分に興味があったから呼び戻した」という内容だったため少し呆れた。
トールの先ほどの言葉はそんな気持ちから出てきた言葉だった。
そして、その言葉聞いた学院長は申し訳なさそうな顔で「すまない」と謝り、神官長も似たような様子で「本当にすみません」と謝った。
「……まぁ、いいですけどね。もう今日の講義は終わってますし」
そんな二人の謝罪にトールは苦笑いをしながら、少し態度をやわらかくした。
元々先ほどの言葉は怒りからではなく呆れからきていた言葉だったのだ。別に怒ってなどはいない。
それよりも神官長などという高貴な身分の人間が自分を呼び出す理由が知りたいとトールは思った。
「でも、なんで神官長様が俺なんかを呼び出すんですか? 俺何かしましたっけ?」
「それなんだが……実は君がつくった例の魔剣について喋ってしまってね」
「あー、それでですか」
納得がいったトールだったが、そんなトールを見て学院長は少し不安そうに話しかけてきた。
「喋ってしまった事、怒ってるかい?」
「ん? いえ、別に怒ってませんよ。だって、アレをまともに作り上げることなんて出来ないし、誰かに喋った所で意味なんてないでしょう」
「そうだよねぇ」
「でも、あんまり人に話すのは止めてくださいよ。変なのが自分の所に来て『剣作ってくれ』とかいうのは困るんで」
「あぁ、わかった。気をつけるよ」
魔剣の情報に関して神官長に話してしまった事を話し、学院長は怒らせてしまうかと思ったがトールはそれほど気にした様子もない。
まぁ、よく考えてみればそうだ。アレはトール自身が開発したものではなく、昔の御伽噺から拾い上げまとめたものだった。つまり、トール自身のオリジナルではない。
だから、人に知られることなどあまり気にしていないのだろう。
内心大丈夫だと思っていた学院長だったが、先ほどまで話していたトールの武勇伝を思い出して実は少し肝が冷えていた。
(ふぅ、よかったよかった)
「つまり、何か俺について話を聞きたいとか、何か作って欲しい物があるとかそういうことですか?」
「ん? あ、あぁ、そうだね。つまり、そうことだよ。だよね、マルク神官長」
質問していたトールと少し挙動不審な様子の学院長は、二人同時にマルク神官長のほうを見た。
「はい。そのとおりです。学院長からお話を聞いている内にどうしても会って話をしてみたくなってしまい、こうして貴方を呼んでもらったのです。ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ない」
「あ、いや、暇だったんでいいですよ。別に」
来客用の机に向かい合ったまま頭を下げる神官長に少しとまどった様子のトール。
「それよりも、俺に会って何を話したかったんですか?」
とまどったトールはマルク神官長に頭を上げてもらう為、話をすることにした。こうすれば話をするために顔をあげるだろうと考えたのだった。
「はい。実は貴方が何故その若さであのように素晴らしい剣を作る事が出来たのか、その理由を知りたかったのです」
一応トールの考え通り、マルク神官長は伏せていた顔を上げたが、どういう訳か真剣な顔で自分の事について知りたいと言って来た。
「……まぁ話すのは別に構いませんが、特に面白くもなんともないと思いますよ」
「そこをなんとかお願いします。聖職者としてこんな言葉を使うことはとても恥ずかしいのですが、──好奇心が抑えられないのです」
トールは自分の事など知って何が楽しいのかと思ったが、特に断る理由もないので適当に自分の事を話した。
「故郷にいた頃、俺は両親の友人だったドワーフの養父と一緒に暮らしていました。鍛冶の技術はすべてその養父から教わり、習得したものです。今は色々あって学生をしてますが、本職は鍛冶師です」
トールがかなり大雑把に自分の事を話すとマルク神官長は何かに納得したような顔をしていた。
「なるほど。貴方の鍛冶の腕が高い理由がわかりました。ドワーフの方に鍛冶を習っていたからだったのですね」
「そういうことです」
「いや、お話いただきありがとうございます。──ですが、あと一つだけ聞きたいことがあるのですが聞いてもいいですか?」
「? どうぞ」
早く自分の研究室にでも戻って今後のことを考えたいと思っていたトールは相手の要望をすべて聞いてさっさと帰らせてもらおうと、神官長のその質問にあっさりと頷いた。
──だが、神官長が次に口にした言葉により、会話を続けていたトールと神官長の二人の空気が激変した。
マルク神官長はトールにこう質問をした。
「貴方の夢は何ですか?」
「………」
この質問を聞いた瞬間、トールは一瞬で表情を消した。
そして、無表情となったトールがマルク神官長の質問にこう答えた。
「人を守る剣を作る。それが俺の夢です」
「……その話、詳しく聞かせてくださいますか?」
徐々に空気が固まりゆく中、マルク神官長の言葉にトールが首をゆっくりと縦に振りながら返事をした。
「はい」
「何かを守りたいと願う人達に『それ』を守れるだけの力を与え、害から人を守る剣を作る。それが俺の夢です」
トールはそう言って自分の目標を語った。
しかし、若者が自分の人生の目標を語っているにもかかわらず、それを語るトールの顔には何の表情も浮かんでいなかった。
だが、なんの感情もこもっていない表情の中で瞳だけは強い感情がこもっていた。
それはまるで火の中にある鉄のような瞳だった。
燃え盛る炎の中にいながらその形を保つために耐え続ける、頑固で固い鉄の瞳。
「…………」
マルク神官長はその瞳を見て思わず言葉をためらった。
それはマルク神官長がこれから言おうとしている言葉はこの鉄のように強い意志のこもった瞳をくず鉄にように脆くしてしまう可能性があったからだ。
だが、マルク神官長は手遅れになる前に言わなければならないとも思った。
だから言った。
トールの目標を砕くと思われるその言葉を。
「貴方にその夢は叶えられない。諦め、別の夢を探すべきです」
マルク神官長の柔和な表情からは想像できないほど、その言葉は冷たかった。
そして、その冷たい言葉はまだ続いた。
「貴方の目標は矛盾しているんですよ。人を守るといっても剣で人は守れない。剣は人を傷つけるだけです。貴方の剣が人を守ったとしても、それは誰か人を傷つけたから守れたのです。人を守ると言いながら、それを叶える為には人を傷つける。これはどう考えても矛盾している。──それとも、貴方が守りたいと思っているのは貴方の知人や友人だけで他の人間はどうだっていいのですか?」
すべて冷たく、とても鋭い言葉だった。どれも相手の心に突き刺さる言葉だ。
だが、マルク神官長は今この言葉を言わなければ、トールが取り返しのつかない傷を負うことになるという確信があった。
学院長の話を聞いていた時から違和感を感じていた。
──それは、鍛冶師自身にとって全く利のない行動の数々だ。
ミスリルや魔剣の製作の結果には鍛冶師自身が得をすることが殆どなかった。
ミスリルの件で多少はその名が有名になっただろうが、それは金銭に直接かかわることではない。
あまりに欲なく、人間味が薄い行動だ。
その理由をマルク神官長は気になってトールに色々聞いていたのだが、最後に人生の目標について聞 いた時、やっと理解した。
男の子が騎士に憧れるように、女の子がお姫様になりたいと夢見るように。
──トールは剣に憧れているのだ。
剣には強い力があり、自分の目標を叶える力があると信じているのだ。
だから、自分の憧れを汚さないために欲に走らない。
だがトールのそんな考えとは違い、実際に剣にそこまでの力などない。
特に剣などの武器から遠い場所にいるマルク神官長は強くそう思う。
剣などはただの刃物であり人を殺める道具であると。
そして、この認識は他の人間や世間一般の常識とあまりズレてはいない。
少なくとも、トールが語った矛盾する目標を叶えるほどの力はないと誰もが思っているはずだ。
マルク神官長は先ほどの言葉でトールの目標の矛盾に気づかせ、もう一度自分の将来の事やこれからすべき事について考え直して欲しいと、あのような言葉を口にしたのだ。
マルク神官長がこのような面倒なことをしているのは理由がある。
それは、トールの技術が素晴らしかったからだ。
ミスリルも魔剣も、それを作り上げた技術はとても素晴らしかった。
だからこそ、マルク神官長は思ったのだ。
矛盾し、いずれ崩壊する夢を追い続けるような事はして欲しくないと。
一度自分の目標について冷静に考えなおし、憧れを捨てるのではなく見つめなおす時間を与えたかった。
もしかしたら酷く傷つけてしまうかもしれない。しかし、マルク神官長はあの様に素晴らしい技術を持つトールに破滅的な道を歩んで欲しくはなかったのだ。
そのために、あえてきつい事を言ったのだ。
おそらくこの後は自分の目標を否定された事に怒り、トールは何か反論をしてくるだろう。
だが、トールの今後のためにはそのすべてを潰すことが必要だ。
(さぁ、いつでも来なさい)
沈黙する部屋の中でマルク神官長はトールの口から最初に出てくる反論の言葉を待ったが、いくら時間待とうがそれはやってこなかった。
(……これはどうしたのでしょうか?)
初めはトールが自分の矛盾に気づき、その衝撃で沈黙しているかとも思ったがそれは違った。
トールこの後すぐに言葉を発した。
だが、沈黙を破りトールが発した言葉は反論ではなかった。
「神官長様。貴方はこの世界が好きですか?」
まるでこれからの天気について話しているかの様な様子に、マルク神官長は一瞬気が緩んだ。
それほどにトールの顔は無邪気だったのだ。
しかしこの問いに対する答えが今後の会話の展開に重要となる可能性があった為、マルク神官長は気を引き締め慎重に答えた。
「辛いことも多いですが、それと同じように喜びだって多いこの世界が私は好きです」
教会の人間として模範的な回答だったかもしれないが、これがマルク神官長の本心だった。
「……そうですか」
それを聞いていたトールは一度だけ頷いた。
そして、今度は自分の考えをマルク神官長に答えた。
「でも、俺はこの世界が嫌いです。」
「──辛いこと。苦しいこと。悲しいこと。この世にある理不尽な出来事。そのすべてを受け入れて我慢するこの世界が嫌いです」
トールの言葉は最初、世の中に対する不満から始まった。
だが、それだけではなかった。
それは──
「俺は辛い目に合うのも、苦しめられるのも、悲しいのも全部嫌だ。
理不尽な『力』には抵抗したい。
足を踏ん張り、それに立ち向かいたい」
──それはトールのすべてだった。
「ここで夢を妥協するってことは俺の嫌いなこの世界に膝をついたってことなんですよ。そんな屈辱、俺は抱え込みたくない。そんなものに、俺は負けたくはない」
トールの剣に対する憧れと執念。この世界についての不満。それに屈しないとする頑固な誇り。
それら全てが入り混じった言葉だった。
「………」
マルク神官長はそれに言葉が出なかった。
それは理不尽に泣き叫び、拳を握り立ち上がった人間の出す怒りだった。
そして、苦しみに耐えて生きる人間の言葉だった。
(……なんて事でしょう)
それに気づいた時──マルク神官長はもう二度とトールに将来を考え直せと言うことが出来なくなった。
最初はトールの技術があれば他にもっと建設的な生き方があると思っていた。
だが、トールにそんな物は存在していなかった。
トールの語った夢こそが、トールの生きる目的であり『力』なのだ。
この辛い世界で生きていくために必要な、踏ん張るための『足』
人間の『足』を変えるなんて事は誰にも出来ない。それと同じだ。
トールの『足』は──
『──人を守る剣をつくる』
……たったそれしかないのだ。