逃走
「…お前、『アレ』なんとかしろよ」
「…知るか。あっちが勝手に付きまとってくるんだ」
授業中の教室の一角、トールとディースは教室の廊下を見ながらヒソヒソと話をしていた。
彼らが話しているのは、廊下にいる生徒に関して事だった。
廊下には三学年以上の上級生がたむろしている。
「お前が考えなしに人が大勢いるところで実験なんかするから、こうなったんだろ」
「……それについては反省する。だけど、作る気が無い物を『作れ』って強制する奴らにどう対応しろって言うんだ?」
「『前向きに検討します』とか『考えておきます』とか色々あるだろ」
「そんなの最初のうちに言った。だけど、効果なんかなかった」
廊下にいる上級生たちは先日トールが作った魔剣について、調べさせてくれ、作ってくれと、色々と言って来ている連中だった。
しかし、トールはその魔剣について作る気はなく、連日断っているのだが、それでも懲りずにやってくるのだ。
「というか、何でお前その剣もう作るの止めたんだ?」
「…色々とあるんだよ。色々と」
「ふーん」
どこか納得がいかない様子のディースにトールは声を潜めて囁いた。
「……放課後に研究室にくれば詳しいこと教えるから、今は何も言わずに逃げるのに協力してくれ」
ここ数日はディースの助けを借りて上級生からの『お願い』から逃げてきたのだ。
「はいはい。了解了解」
ここでディースにへそを曲げられるとまずいので、後で説明をすると今は納得してもらった。
『キーンコーン! カーンコーン!』
そんな話をしていると、授業終了の鐘の音が校舎全体に鳴り響く。
『ざわざわっ ざわざわっ』
その音を聞いて、廊下にいた生徒達がざわつくのが教室の中からわかる。
逃げる場所は教室から出るために扉二つだけ。
トール達がいる教室は三階なので、飛び降りるのは危険なので無理だ。
逃げるためにはどちらかの扉から出るしかないのだが、扉二つはどちらも上級生が通せんぼをしている。
『ならば逃げるにはどうするか?』
その答えはこうだ。
「じゃあ頼んだ」
「あいよ」
まず、トールは教科書などを全て渡してディースに早めに教室を出て行って隣の教室に向かってもらう。
「先輩。そこ少しどいてもらっていいですか?」
「ん? あぁ、悪いな」
先輩達も関係ない生徒に危害を加えることはないので、ディースは楽に外に出ることができる。
『ガラガラッ!』
「さて、俺も動くとするか」
この隙にトールは窓を開け、窓ガラスを掃除するときに利用する壁から少し突き出した出っ張りを使用して隣の教室の窓に向かう。
「……木上りと違う神経がいるなコレ」
カニ歩きのような横歩行で少しづつ移動して隣の教室の窓までたどり着く。
すると、先ほど教室を抜けたディースが隣の教室の窓を開けて準備を整えているので、そこから教室に侵入する。
「よう、お疲れ」
「そっちこそ、お疲れさん」
「おう」
中にいたディースと毎度のやりとりをしながら教科書を受け取り、今度は『隣』の教室にいる上級生達の隙を狙って逃走する。
「じゃあ、いくか」
「あぁ」
扉を開いて、階段に向かって走る。
上級生達数人がこちらを向くが、気にせずに走る。
そのまま次の授業に出席し、また同じようにやり過ごす。
ディースがいない場合は別の生徒に頼んで隣の教室の窓を開けてもらい、同じ事をする。
こんなことを連日繰り返し、トールは上級生から逃げていたのだった。
※※※※※※※※※
そして、放課後。
「それで? お前はなんで魔剣作るのやめたんだ?」
「……一言で言えば、怖くなったからだ」
トールは約束どおりディースに説明をしていた。
「怖くなった?」
「正直、魔剣っていうのを甘く見ていた。あれは使い方しだいでかなり危険な物になる」
「……例えばどんなだ?」
ディースはトールの言っている事がいまいち理解できず、何か例を出してくれるように言った。
それを聞いたトールは少し考えた後に幾つかの『使い方』を教えた。
「まず、魔力で組んだ結界が壊せる。鍵つきの箱や扉も同様だな。後、あの剣はどうやら高濃度の魔力で他の魔力の構成を破壊するみたいだから、人の体に突き刺せばしばらくの間は魔術が使えなくなる」
「うわぁ」
ディースは少しずつ魔剣の危険性にについて理解してきた。
『悪用しやすい』のだ。
あの魔剣を持っていれば、魔力で鍵をしている箱や扉は簡単に開けられるようになり、要人などを保護している結界は暗殺者にとって脅威ではなくなる。
それがわかり、トールは作るのを止めたのだ。
「だから、作るの止めたのか」
「そういうこと」
ディースは先ほどのトールの言葉に納得した。
しかし――
「でも、それをあいつらに説明したのか?」
ディースはふと疑問に思ったことをトールに聞いてみた。
教室に前にたむろっていた上級生達。彼らが今の話を聞いていれば、強引に調べようとするとは思えないのだが。
その事について聞いてみると、トールは何気ない口調でかなりキツイ事を言った。
「あぁ、あいつら信用できないから話してない。奴ら何するかわかったもんじゃないからな」
「そ、そこまで言うか」
トールの台詞に、たじろぐディース。
だが、トールは別に普段と変わらぬ口調でさらにキツイ言葉を口にするのだった。
「あいつらは駄目だ。あいつら人が作った武器を利用することしか考えてない。だから、話すつもりもないし、関わり合いになるつもりも無い」
言葉の中にある強い『拒絶』に背筋が冷えた。
ディースはトールとの付き合いは浅いが少し理解している事がある。
それはトールが何かに利用されることや、使われることを極端に嫌っているということだ。
原因が何なのかわからないが、何か譲れない理由があるのだと、ディースは思っている。
そして、理解しているからこそディースは先ほどのトールの台詞に背筋が冷えたのだ。
――もしもトールの逆鱗に触れればどうなるのか?
トールの武器を勝手に持ち出した人間がいたらどうなってしまうのか?
……激怒するだけならば別にいい。
だが、ディースにはトールという人間がそれだけで納まるとは思えない。
何かもっと、とんでもないことが起きるような気がする。
それが、この時のディースの感想だった。