実験
お待たせしてしまって申し訳ないです。
トールがサリアにユリアへの伝言を頼んだ三日後。
研究室にフラスコに入った竜の血が届けられ、そしてその一週間ほど後にキキョウの故郷から数枚の翼竜の鱗が届けられた。
トールはこれらを使って早速、魔剣作りを開始する。
授業などは学院で知り合った友人に代返を頼み、自分は授業をボイコットして学校の工房で魔剣の製作に勤しんだ。
砕いた竜の鱗を混ぜたインゴットで小型のナイフを作り、その後はナイフを血の入った大きめのガラス瓶の中に浸す。
あとは時間を置き、ダガーに竜の力が宿るまで根気強く待ち続ける。
魔剣をナイフの大きさにしたのはこの時に早く血が馴染むようにしたため。大きすぎると材料である血を大量に使う、そしてそれだけ時間もかかる。
なので、トールは試作品ということでナイフ型の魔剣を作ったのだ。
――そして、魔剣を血に漬け込み、完全に剣に血が馴染んだ頃。
トールはビンから真っ赤に染まったナイフを取り出した。
『ぬちゃり』
人間の血よりも粘着度の高い竜の血から自分が作ったナイフを取り出す。
普通、刃物を血の入った瓶などに入れれば刀身が錆びて使い物にならなくなるところだが、何故か取り出したナイフには錆びなどは一切が見つからない。
そしてどうしてか血の色がナイフにまで移っている。
これが竜の血の特性なのか、血のぬめりも手伝ってナイフが出来上がった頃よりも刀身が美しく見える。
「……なんか不気味だな」
血の赤みが金属の鈍い輝きと合わさって、ゾッとするような妖しい美しさがある。
トールはナイフについた血を油と布で落としながら、それをじっと見つめていた。
「…………。」
トールは何かを考え込みながら手に持ったナイフの血を拭い続ける。
「……とりあえず、一度実験してみるか」
そして、ナイフについた血を完全に拭った後、ナイフを適当な布で包んで自分の研究室から外に出た。
トールが向かう先は魔術学部が使う魔術鍛錬場。
毎日、火や氷や雷が舞う学院の中でも特に危険な場所であった。
学院の敷地内には五メートル以上の高さの壁に囲われたコートがある。
一見すると貴族の中で流行っているというテニスという遊びに使うコートに近いが、もちろんここでするのはそんなものではない。
その証拠に、現在その壁にはテニスの球ではなく、火の玉や氷の礫が壁に何度も衝突している。
他にも案山子の形をした「的」があり、それに向かって術を放つ生徒達もいる。
先ほどから壁に火の玉などを当てているのは彼らだ。打ち漏らしが案山子の後ろにあるその壁にあたっているのだ。
彼らは新入生なのか打ち漏らしが大変多く、その殆どが案山子に当たらず壁に当たっていた。
それでも壁が壊れないのは、壁全体に魔術の威力を極端に減少させる術がかけられているお陰だろう。
ここは魔術の精度を上げるために生徒が練習する、魔術部専用コートだ。
そこにトールは向かい、コートの中で指導に当たっていた教員に実験のために人材を少し貸して欲しいと頼み込んだ。
最初は渋られるかと思ったが、意外にも教員は「危険があるかもしれないから、私も付き合おう」と快諾してくれた。
そして、コートの一角を貸してもらい、トールは数人の生徒と教員一人に向かって実験の説明を始めた。
「実験はこのナイフの耐久力検査です。このナイフに向かって何発か魔術を当ててもらって、どの程度まで耐えられるのかを調べます」
だがこの時、この説明を聞いていた生徒達にガッカリしたような空気が漂っていた。
もっと面白い実験をやるとでも思ったのだろう、あまりぱっとしない実験内容に一同が拍子抜けをしている。
「お前らもっと緊張感を持て。そんな様子で実験に参加するのは危険だぞ!」
だが、監督責任がある教員はどんな危険があるかもわからないと、生徒達を叱りつけて注意を促す。
しかし、トールはそんな生徒達を見ていても表情を変えなかった。
「…………。」
自分の研究室の実験を馬鹿にされたような態度をとられたのだから、少しぐらいは腹を立てるなりしてもいいと思うのだが、トールはただ手に持ったナイフを握り締めているだけだった。
その後すぐに、案山子の腹の部分にナイフを丈夫な紐で括り付けて実験は始まった。
10メートルほど離れた場所にある案山子に向かって術者は術を放ち、どれほど術をぶつければナイフが破損するのかを調べる。
「はっ!」
最初はトールと同学年らしき男子生徒が、突き出した両手から林檎ほどの大きさの火の玉を一つ出して案山子に向けて放った。
『シュッ――』
だが、火の玉は案山子に当たる前に何故か消えてしまった。――まるで蝋燭の炎を息で消したように一瞬で消えたのだ。
それを見ていた他の生徒達は実験の緊張で距離感が掴めなかったのだと思い、術を放った生徒の背中を叩いて「しっかりしろよ」と囃し立てた。
だが、術を放った本人は「そんなはずは……」と首をかしげ、自分の手や案山子の腹に括り付けたナイフを交互に見ていた。
「次は私がやるわ」
そんな男子生徒のおしのけて、次は上級生らしき女子生徒が現れた。
女子生徒は片手を突き出し、掌から氷の礫を何粒も発生させる。
「…………。」
そして女子生徒は気合の声も何も出さず、ただ掌を少し前に突き出した。
すると、礫は案山子にものすごい早さで向かって行き――そして、再び消えた。
女子生徒が狙った場所は案山子の腹の部分のはずなのだが、狙いが外れたのか案山子は完全な無傷。実験開始前と殆ど何も変わらずにそこに立っている。
これには教員や他の生徒達もおかしいと思い始める。
術を放った二人が着弾まで術を固定しきれずに術を消失させてしまったとも考えられるが、二人とも術経験が豊富な上級生だ。こんな初歩のミスをするとも考えられない。
「そんな……ありえない」
女子生徒もそのことに違和感を持ったのか、愕然とした様子で離れたところにある案山子を見つめていた。
いや、正確には案山子に括り付けられた真っ赤なナイフをだ。
「なんなの……あれは」
このコートにある術の威力を減少させる壁だってこんなことは起こらない。
あの壁は教員数人がかりで壁の内部まで威力減少の術式を組み込んでいるのだ。厚い壁に何重にも組み込んだ術式によって当たる術の威力を限りなくゼロに近づけているから、あの壁は壊れない。
だが、あのナイフには術を組み込んでいる様子も見当たらないし、何よりコートの壁と違いこちらは「消滅」に近い。
術が当たりそこから威力を削がれていく様子とは違い、当たる瞬間に消滅しているように見える。
あのナイフは一体何なのか、コートにいた数名の生徒と教員は不気味な生物を見るようにナイフを見た。
そして、そんな視線の中、トールは実験を続けるように号令を出した。
「次は至近距離での実験に入ります。術者の方は放つ術の種類に気をつけてください」
その言葉に、緊張感を持たず実験に参加して生徒達は気合を入れなおした。
好奇心と探究心が主な原動力である自分達魔術師がここで尻込みするわけにはいかないと、正体不明のナイフに向かって術を放つために近づいていった。
「それではお前たち、始めろ」
「はい」
少し離れた場所にいる教員が号令をかけ、それによって案山子の前にいた生徒が術を使う準備をする。
今回は至近距離からの術発動の為、周りへの被害を考えた術を発動する。
『キィィィンッ』
発動させた術は魔力を変化させた氷の槍。矛先から柄の部分にいたるまで氷で出来た2メートルほどの氷槍だ。
そして、生徒はその氷槍を掴んで案山子に括り付けられたナイフに狙いをつける。自分の魔力で生成した物体なので、霜焼けや凍傷等の心配はない。
――この槍ならば術が不自然な消失を繰り返していた原因がわかるだろう。
今までの遠距離から的に当てていたのとは違い、これは至近距離で的に当てる。
なので、術がどうやって消えていくのか間近で見ることが出来るし、どのように術が消えているのか感触として分かるはずだ。
「ふんっ!」
生徒はそう考え、氷槍を案山子の腹に括り付けられたナイフに向かって一気に刺した。
「「…………。」」
教員や生徒達が見守る中、氷槍がナイフに当たる。
だが、やはりというべきか……。
氷槍はナイフに当たると、たちどころに消えた。
ナイフに当たった氷の槍先だけはない。槍自体が溶けるように生徒の手から跡形もなく消えたのだ。
「「いっ!?」」
この現象を見た教員と生徒達は驚愕した。
今まで何が起きていたのか、この現象を見て理解したからだ。
術者が自分の魔力を練り上げて作った魔力の槍が消えたということは、槍を形成していた魔力を「斬られた」のだ。
いや、正確には「分解」だ。
あのナイフは、氷の槍を形成していた魔力の塊を、ネジをとるように一つ一つ外していったのだ。
「魔力」というネジを外された槍はその所為で、形を保てなくなった。
だから、皆が驚いているのだ。
こんな物、王城か教会のごく一部の関係者しか持っていない超一級の品だ。
それが目の前にあるのだ。誰だって驚くだろう。
だが、これを持ってきた学生はこれの実験だと言って持ってきている。
つまり、これはどこかから持ってきたのではなく、「作った」と言うことになる。
「「あっ!」」
その事実に気がついた人間は、今度は慌てて持ってきた生徒、つまりトールを見た。
「……もう十分です。ご協力感謝します」
するとトールは実験の手が止まって周りの空気が変わっていることに気がつき、実験を早々に切り上げた。
「「…………。」」
「…………。」
唖然とする生徒達の視線の中、案山子に向かって歩いて行き、括りつけられたナイフを外し、持ってきた時と同じように布で包み込む。
その作業をじっと見つめる生徒と教員。どちらも何も言わず、ただ時間だけが過ぎていく。
「今日はどうもありがとうございました。おかげで良い参考になりました。……それでは失礼します」
そしてトールがナイフを大事に懐にしまい、周りにいる生徒と教員に向かって礼を言って帰ろうとする。
だが、それを止めようとする生徒が現れた。
「……ちょっと待って」
それは先ほど実験を手伝ってくれた女子生徒だった。
始めの方の実験で遠距離から氷の礫を発生させた上級生だ。
彼女は何か言いたいことがあるのか、トールの顔とナイフをしまった懐の辺りを交互に見ている。
その視線に気がつき、懐に手を当てながらトールは女子生徒言った。
「コレについて話すことはないですよ」
「……それは何故と、質問してもいい?」
聞きたかった事をないと言われ、せめてその理由を聞こうとする女子生徒。
それに対して、トールははっきりと答えた。
「もう、コレを作る気がないからです」
「え……?」
驚く女子生徒にトールはさらに続ける。
「量産もしないし、改良もしない。こうやって剣の形にするのはコレで止めにします」
「な、何故? どうして作るのを止めるの?」
女子生徒は訳が分からないと、トールに答えを求めた。
こんな素晴らしい物を作れるのに何故作るのを止めてしまうのか、その理由を尋ねた。
すると、トールは冷めた声で答えた。
「性に合わないからです」
「え?」
「作っていると気分が悪くなるし、大した技術を使わないので遣り甲斐がない」
「な、なにを言って……」
「なので、もう作る気が起きない」
唖然とする女子生徒に最後にそう言うと、再びトールは帰ろうとする。
「それでは失礼します」
「ま、待っ……」
「……失礼します」
まだ何かを言おうとする女子生徒に有無を言わさず別れの言葉を告げ、今度こそトールはコートから消えた。
そしてこの帰り道、誰もいない路地でトールは独り言を呟いた。
「……こんなのが俺の目標だなんて納得できるか」
そう呟きながら歩くトールの後ろ姿には隠しようのない苛立ちがあった。
誤字脱字の報告と感想まっています。