8 不穏な過去と決壊
美咲は携帯を机においた。その横でノートPCを開いていた。その顔は安堵した表情を見せたかと思うと、ノートPCを見る目には暗鬱とした光が浮かんでいた。
ノートPCの画面には、スポーツ新聞の切り抜きやWebニュースの文字が踊っていた。その内容は残酷極まりなく…見るのに耐えられないような内容だった。
「100年に一度の逸材を襲った悲劇。準決勝敗退だけではなかった。
100年に一度の逸材と言われ、将来の野球界を背負って立つと言われていた人材は、あっけなく幕切れを迎えた。準決勝9回、相手の折れたバットが顔面に直撃し、野球人生は絶望」
「過去のスーパースター、その失墜。超高校生ピッチャーと呼ばれ、もてはやされた南川作。試合中の事故から失明し、今は一人盲学校に通っている毎日。かつての栄光はどこに!」
「過去のスーパースターに襲いかかる、さらなる悲劇。先日発生した高速道路での多重追突事故で死亡した夫婦は、なんと3年前に甲子園で活躍した超高校生ピッチャーの南川作さんのご両親だった。野球を奪われ、人生の希望も奪われ、両親も奪われた過去のスーパースターに生きる希望はあるのか?」
美咲は画面を見ながら葛藤していた。これを伝えるべきなのか、いや余計なことをするべきではないのではないかと。
美咲には、絵里が本気で作のことが好きになっていることは十分に分かっていた。ただそれは同時に絵里の覚悟と作の覚悟が必要なことであることも。
障害者と健常者の生活は想像以上に厳しい。健常者同士ですらうまくいかないのに、片方にコミュニケーションの問題がある場合はなおさらであることは誰にでも分かることだろう。
美咲は意を決したようにノートパソコンの画面を閉じた。
最後の画面には「過去のスーパースター、自殺未遂」という文字が一瞬だけ見えていた
◇◇◇◇◇
「美咲さん、いらっしゃい、さあどうぞ」
美咲は、作の施術を予約していた。
美咲は自分のポケモジトークの試作品を取り出し、ある操作をした。そこから美咲の言葉が流れ出た。
『作、これは試作品の文字読み上げ機能を使っているの』
まだ声の粗さは残っており、機械的な音声ではあるが、今はこれしかない。
作はギョッとした表情をしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「ああ、なるほど。それは便利ですね。驚きました」
『仕事中にごめんね。でもどうしても話したいことがあって』
「なんですか?」
『あのね、これはあなたに失礼なことを言うかもしれないけど』
「なんか怖いですね」
『作、辛くない?寂しくない?』
「え?どういうことですか?」
『ごめんね。あなたの過去のことを知ってしまったの。週刊誌のゴシップ記事でだけど。あなたが高校野球でピッチャーやってたこととか。ご両親の事故のこととか』
「…」
『あのランチの時、途中で帰ったのは、高校野球のことが流れたから?野球の事を聞くのが辛かったから?』
「…」
『頼れる人はいる?本音で話せる人はいる?』
「…余計な心配をさせてしまいましたね。でも大丈夫です」
『でも』
「自分は確かにすべてを失いました。でもある人の言葉を聞いて、マッサージ師の資格を取って、今は自分一人でやって行けてますから」
『ごめんなさい…余計なことかもって思うんだけど、なんとなく貴方の気持ちがわかるの』
「僕の気持?」
『私も聴覚障害者だから。健常者に負けないようになりたいと思っていたから』
「…」
『でも、私もたまに寂しさを覚えることがある。誰かに共感してほしいって思うことはない?』
「…ないですね」
『…本当に?』
「…はい、それに同情もされたくないです。僕は人から憐れんでもらうような惨めな人間ではないから」
「…作、それって』
「…美咲さんにも分かるんじゃないですか?人からの同情なんてなんの役にも立たない。むしろ自分が惨めになるだけです。ああこの人は自分より劣っていると思うから同情するんだなって。美咲さん、記事を探したってことは僕の自殺のことも知ってるんじゃないすか?僕は一度死のうと思いました。視力を失い、両親も失い」
その声は心の奥底から絞り出すような響きが会った。
「…目が見えないと、死ぬことも簡単じゃないんですよ。首を吊ろうにも紐をかけることができない。電車に飛び込もうと思っても一人じゃ駅まで行けない。だから必死で盲学校に通ったんです。死ぬために」
「やっと一人で駅まで行けるようになった時、ホームの端に立っていたんです。電車との距離感がわからないから、なんとなくで線路に落ちました」
「誰かの声がして、すごい力で引っ張られました。すぐ足元を電車が通り過ぎるのを感じました」
「野球部でキッチャーをやっていた飯田ってヤツがいるんですけど、そいつにホーム下へ引きずり込まれていたんです」
美咲は何も言うことができなかった。
「そいつに言われました。俺達の人生はまだ始まってもいない。マウンドに立つ前に逃げ出すのかって」
「お前には武器があるだろうって。チームをひっぱって甲子園に3回も導いた強い心が。その心を出せって。誰かに伝えろって」
「だから、指圧師の資格を取って自立したんです。人に憐れんでもらわなくても生きていけるように」
作は堰を切ったように話し続けた。まるで今まで溜まっていたものを全て吐き出すように。
「同情もされたくないです。僕は人から憐れんでもらうような惨めな人間ではないから」
作の肩が小刻みに揺れていた。
美咲はその肩にそっと手をおいた。揺れを抑えるように。
美咲には、作の気持ちが想像できていた。栄光の真っ只中で全てを失い、人が離れて頼れる肉親も失うことが、どれほどつらいことだったか。
そしてそこから、どれほど自分を鼓舞してここまで来たのだろうか。誰にも頼らずに。誰の同情も得ずに。
美咲はそっと作の頭に手を回し、抱きしめた。それは美咲の同情道だったのかもしれない。だがそれが作の心の揺れを次第に収めて行っていた。
美咲は長い間、作の頭を抱きしめ、作はされるがままに美咲に包まれていた。
そして、僅かなノイズと共に開いた細いドアの隙間から差し込む光に気づくことはなかった。
<つづく>




