3 交渉とチート
*この話は「やわらかな風が吹く丘の上で待つ君に、この言葉を音にして届けられたら」とほぼ同じ内容です。
(もっと精度を上げられない?)
美咲が手話で開発部に問いかける。もちろん私の通訳付きで。
「これ以上は難しいですね。マイクの性能の限界です」
私と美咲は、開発部にきて「ポケモジ」の音声認識力の精度向上を開発部と議論していた。
(一般的に、同時に話すのは5、6人が多い。だから同じように6人までは識別できるようにしたい)
「ニーズは分かりますが、6人が一緒に喋ると雑音になってしまって、聞き取りが困難ですよ。せめてマイクの位置が変化すればいけますが」
(マイクを複数つけて、その変位差で特定はできる?)
「変位差?」
(マイクAとマイクBでは、同じ場所から発生された音だったら、到達時間がほんの僅かに異なるはずでしょ?)
「それはまあ、ほんのコンマ数秒ですが」
(そこから話者の方向を特定することはできる?)
「できなくは…ないですね」
(本当に同時に話すことは、マレでしょ?だったら後から特定できたものを遡って特定できるんじゃない?)
「…できそう…できますね」
(蓄積したデータを使って話者を特定して、遡って特定すれば)
「…リアルタイムは無理でも、数分の遅れで特定できる!早速調査します」
開発部メンバーの目が輝いてくる。
美咲は本当にすごい。相手を盛り上げてモチベーションを引き出し、それだけではなく自分の意見も通してしまう。しかもそれが相手に嫌な思いをさせずに。
美咲と一緒に「ポケモジ」プロトタイプ1を試してみて、色々課題が上がってきていた。
1対1の会話では、言葉の誤認識率は1%以下に抑えることができていた。これは競合製品の中でも一番の品質だった。
複数人が同時に会話している状態、いわゆる「雑談」とか「談笑」とかの状態では、5人程度が会話に参加しているケースが多い。しかもその状態においても会話を主導しているのは2名程度であること。
これにより会話の流れをスムーズにキャッチして文字にすることができていた。
問題は、会話が途切れず数珠繋ぎになった時、例えば
A「今日の天気は」
B「晴れだって予報で言っていた」
C「でも当たるかな?ずいぶん雲が出ているけど」
A「一応傘を持っていくか」
のように、複数の話者が一つの文章を連続して話す場合は、1人の人間が話しているように文字になってしまう。
美咲曰く(それではイマイチ)らしい。
会話はコミュニケーションツールの一つで、会話の中に含まれる「心」を感じることが重要だと。
話手、聞き手によって、「誰が言った」かが重要であること。カクテルパーティー効果と言って、喧騒の中でも特定の人物の言葉が残るケースがある。
だからこそ、「誰が」「どの文脈で」発した言葉かを識別することで、無用なトラブルを避けることができる。だからこそ「ポケモジ」では、話者の特定が最重要であり、その機能こそが聴覚障害者の救いになる。
今でも覚えている。美咲の言った言葉。
(絵里の言う好きと、他人が言う好きは、重さが全く違うよ。LOVEとLIKEぐらい)
◇◇◇◇◇
「話者特定機能」を搭載した「ポケモジ」プロトタイプ2の役員プレゼンでは案の定全てが歓迎というムードでは無かった。特に予想通りの意見を、営業部の滑川本部長が出してきた。
「そんなにコストを掛ける必要があるのか?」
滑川のねちっこい声が会議室に響いた。滑川は複数ある営業部を統括していて、人事や経理にも自分の後輩を置き、本来であれば許されない経費や人事への干渉も行なっていると言う噂がある。あくまで噂だが。
「だいたい、人は相手を見て会話をするものだろう?その時点で話者を特定できているじゃないか」
美咲が手話で反論する。
(それは健常者の意見です。音が聞こえて表情が見えれば特定できます。ただ話者が横を向いたり、何かの影になってしまったりすることはよくあることです、またマスクが常態化しており、健常者でも表情を読み取るのは難しい時はないですか?)
美咲は、「ポケモジ」プロトタイプ2を使って相手の会話を読みとり、私が手話で通訳する。できるだけ正確に。ちょっとだけ言葉を付け加えることも忘れずに。
「コロナ以降、マスクを着用している人が増えました。それにいつもその人を見ているわけにも行きません。人をみるきっかけとなるのはその人が発した言葉です。そのため、誰が発した言葉かは重要なのです」
滑川は目を細めながら、自論を続けた。
「ボディランゲージというものがあるだろう?」
大袈裟に手を振っていた。
「そういうのは女性の方が得意じゃないのか?」
滑川がニヤニヤしながら美咲の体を見ていた。
(このエロジジイ!)
美咲の手話が突き刺さる。
「滑川さん、それはセクハラになりますよ?」
私は美咲の言葉をチューニングする。いつものことだ。
「ああ、いや、失礼。2人の話を聞いていると、つい自分の子供と話しているような気分になってね。これもコミュニケーションの一環だよ」
(コイツ、最低だね)
美咲が手話で話してくる。
(さっきから美咲の事、見下したように見てさ)
美咲はちらりと滑川の方を見ると、フーっと息を吐いた。
(わかった、ちょっと行ってくる)
(え?行くって?どこへ)
そう美咲が言うと、ポケモジを持って滑川の席の隣に立った。滑川にポケモジを見せながら、何かを話しているように見える
いやに距離が近い。耳元で囁くようにして、滑川の肩に美咲の胸が当たっている?滑川がニヤけた顔になっていくのがわかった。
「…なるほど、東條くんの主張はわかった。機能面は確かに充実しているようだな」
美咲が戻って発表者席に戻ってきた。
「だが、営業部としては販売コストは無視できないな」
滑川の舐めきったような声が、再び会議室に響く。
「それに関しては、現在交渉中の案件があります」
プロジェクトマネージャーの新谷さんが口を開いた。
「現在、東條さんのツテで、厚生労働省の補助金担当者とアラインしています」
会議室がざわめいた。
「補助金の対象となれば、5割もしくは8割程度の補助が出ることになり、消費者の実質負担額は半額か2割程度まで下がります。購入のハードルは大幅に下がるでしょう。東條さん、状況を報告して」
私が美咲の手話を通訳する。
(現在厚生労働省の担当者にもプロトタイプ2を試用してもらっています。そこから数名の聴覚障害者にも実際に使ってもらい、問題なければ補助金の対象になる見込みです)
美咲は続ける。
(それだけではありません。聴覚障害者だけではなく、高齢者や音の聞き取りが難しくなっている人にも対象になる可能性があり、その点も厚生労働省と議論しています。これが認められれば介護施設などにも需要が出てきます)
他の役員が口を開く
「つまり需要は十分にあるということだね?コストを掛けたとしても」
美咲は続けた
(その通りです。むしろコストをかけて精度の高いものでなければ需要は生まれません)
「そのプロトタイプ2は、すでに製品レベルの精度を持っているのか?」
となりに座っていた開発部の部長が口を開く。
「いえ、まだです。それにはまだ開発が必要です」
「あと3ヶ月は必要ですね。現在の東條さんのニーズを搭載するには」
新谷さんが追従する
「厚生労働省との交渉もそれぐらい掛かる見込みです。時間は十分にあります」
新谷さんと開発部長の言葉で、役員会議に満足げな空気が流れた。美咲が事前に開発部長に根回しをしていた効果だった。
こうして「ポケモジ」の追加開発の承認が降りたのだった。
<つづく>




