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日本史・異聞編纂録 国鉄総裁はなぜ死んだのか 〜ルポ下山事件〜  作者: 九条ケイ・ブラックウェル


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この記録を読むにあたって

この原稿は、遺品の中から発見された。


発見したのは、ライターの息子である。

父親が死んだのは、昭和四十六年の秋のことだった。

交通事故だった。

夜の、人通りの少ない道だった。


息子は、封筒の表に何も書かれていない原稿の束を、長いあいだ開かなかったという。

その理由を、彼はこう記している。


「父は取材の途中から、誰かに見られている、と言うようになりました。

私は子供でしたから、その意味がよくわかりませんでした。

掲載中止が決まった夜、父は私をそばに呼んで、こう言いました。

『この原稿は、お前が大人になってから読め』と。


父はその三ヶ月後に死にました。


私はこの原稿を、三十年間、開けませんでした。

開ける気になれなかった、という方が近いかもしれません。

読めば、父が何を見たのか、少しはわかってしまう気がしたからです。


今年、ようやく読みました。

そして——世に出すことにしました。


父が取材をした時代から、すでに五十年以上が経っています。

関係者の多くは、もう生きていません。

今さら公開して、何が変わるわけでもないのかもしれません。


それでも、公開することにしました。


理由は一つです。


父の最後の言葉が、今も耳に残っているからです。

『知っておいた方がいい』と。


誰が、とは言いませんでした。

何を、とも言いませんでした。

ただ——『知っておいた方がいい』と」


以下に収録するのは、昭和四十年代に行われた取材原稿、全十二篇である。


取材の経緯、証言者との接触方法、一部の人物の素性については——原稿に記されていない部分がある。

意図的に伏せたのか、書く前に時間が尽きたのか、それはわからない。


ただ一つだけ、確かなことがある。


この原稿は、途中で終わっていない。

最後まで、書かれている。


そのことだけが、かえって私には怖かった。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


この記録を読むにあたって


■昭和二十四年夏とは、どういう時代だったか


昭和二十四年(一九四九年)。


日本はまだ、占領下にあった。


法律はあった。

だが、その上に命令があった。

GHQ——連合国軍最高司令官総司令部。

マッカーサーの名は、まだ現実の重みをもって人々の頭上にあった。


戦争は終わっていた。

だが、終わったという実感を持てない者は、いくらでもいた。


街には闇市があった。

焼け跡の匂いを覚えている者が、まだ生きていた。

復員してきた兵は、帰る場所を失っていた。

金の価値は揺れ、人の暮らしは紙のように薄かった。


その一方で、別の緊張が始まっていた。


アメリカとソ連。

世界は二つに割れ始め、日本はその境目に置かれた。

占領政策は、当初の「非軍事化・民主化」から、「反共の砦としての再建」へと、静かに転じつつあった。


労働運動が膨らんでいた。

組合は勢いを持ち、共産党の影響力も無視できないものになっていた。

それを危険と見る者がいた。

利用しようとする者もいた。

黙って見ている者もいた。


そういう時代だった。


誰もが、何かを恐れていた。

その恐れの形だけが、人によって違っていた。


■国鉄とはなにか


日本国有鉄道——通称、国鉄。


戦後の混乱を経て、昭和二十四年六月に発足したばかりの公共企業体だった。

全国の鉄道網を担う巨大組織であり、その職員数は約五十万人に及んだ。


だが発足直後から、国鉄は苦境に立たされていた。


GHQの指令のもと、日本政府は財政再建のための緊縮政策——いわゆるドッジ・ライン——を進めていた。

その一環として、国鉄は大規模な人員整理を迫られた。


整理される人数、約十万人。


五十万人のうち、五人に一人が職を失う計算だった。


それは数字である。

だが当時、その数字の一つひとつには、生活があり、家族があり、明日の飯があった。


その責任者として、初代総裁の座についたのが——下山定則だった。


■下山定則とはなにか


下山定則。

明治三十四年生まれ。享年四十九歳。


旧制一高、東京帝国大学法学部を卒業後、鉄道省に入省。

官僚として順調に出世し、昭和二十四年六月、初代国鉄総裁に就任した。


妻と子供が三人いた。


下山の死後、妻は法廷でこう述べている。


夫は健康だった。

家庭に問題はなかった。

仕事の上でも、破綻はなかった。

家柄も、経歴も、申し分なかった。

あの人は——そういう人ではなかった、と。


それは証拠ではない。

論理でもない。

ただ、長く共に生きた者だけが持ちうる確信だった。


その確信は、最後まで揺るがなかったと伝えられている。


■事件はどのように起きたか


昭和二十四年七月五日、火曜日。


下山総裁は朝、自宅を出た。

行き先は国鉄本社——のはずだった。


しかし、本社に姿を見せることはなかった。


失踪だった。


捜索が始まった。


翌六日の未明、常磐線の北千住─綾瀬間の線路上で、轢死体が発見された。

下山定則だった。


■なぜこの事件は謎なのか


死因をめぐって、捜査当局は割れた。


一方は、自殺と見た。

十万人の解雇という重荷に耐えかね、自ら線路に入ったのだと。


一方は、他殺と見た。

何者かが下山を殺し、その遺体を線路上に置いたのだと。


双方に、それぞれの根拠があった。

双方に、それぞれの矛盾があった。


捜査は続いた。

関係者は洗われた。

名指しされた者もいた。

だが、起訴には至らなかった。


昭和三十九年、公訴時効が成立した。


事件は——閉じられた。


少なくとも、手続きの上では。


■ではなぜ、今もこの事件が語られるのか


答えは単純である。


閉じられたからといって、解けたわけではないからだ。


自殺でも他殺でも、どこかで誰かが本当のことを言っていない。

あるいは、誰も嘘をついていないのに、誰も全部は言っていない。


この二つは、似ているようで違う。


嘘をつくには理由がいる。

本当のことを言わないのは——言わない理由があれば、それで足りる。


怖いから。

知らないから。

聞かれなかったから。

言っても意味がないと思ったから。

言えば、別の何かになってしまうから。


この原稿に登場する十二人の証言者は——全員が、何かを言っていない。


それが嘘なのか。

沈黙なのか。

無知なのか。

あるいは、そのどれでもないのか。


読む者が判断するしかない。


■この原稿について


取材を行ったライターの名は、原稿のどこにも記されていない。


意図的に伏せたのか、書かなかったのか、それはわからない。

息子もまた、公開にあたって父の名を出さないことを選んだ。


理由は、短く記されている。


「この原稿は、父の記録ではなく、事件の記録だと思っています。

父の名前が前に出ることで、読まれ方が変わってしまうのは——父も望まない気がします」


原稿の中で、ライターは一貫して「私」と記されている。


それだけが、この人物についての手がかりである。


■時代背景について——読者へ


この原稿が書かれたのは、昭和四十年代初頭である。

事件から二十年ほどが経っていた。


証言者の多くは、取材当時すでに五十代から七十代だった。

今、この世に残っている者は、もういない。


つまりこの原稿は、いまや反証されにくい。

それは、この原稿の信頼性を強めるのか。

それとも、かえって危うくするのか。


判断は、読む者に委ねるほかない。


ただ一つだけ、あらかじめ心に置いておいてほしいことがある。


下山定則の妻は、夫の死について、最後まで他殺を確信していたと伝えられている。

その確信は、論理から来たものではなかった。

証拠から導かれたものでもなかった。


ただ——あの人は、そういう人間ではなかった、という確信だった。


四十年近くを共に生きた者だけが持ちうる、説明不能の重さが、この事件には最初からある。


それを、忘れずに読んでほしい。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


証言者一覧


第一篇 国鉄職員・庶務係

失踪当日の朝、総裁室で最後に言葉を交わした人物。

「普通すぎた。それが、おかしかった」と語る。

退室際に渡された一つの鍵について、長い間、誰にも話さなかった。


第二篇 朝日新聞記者

事件の第一報を書いた記者。

取材の途中で担当を外された。

なぜ今さら話すのかと問われ、「もう、怖くなくなったからです」と答える。


第三篇 闇市の古物商

事件当夜、現場付近で人影を見た民間人。

公式の記録に、この人物の名はない。

「言いに行った」とだけ語り、その先を少し濁す。


第四篇 国鉄労働組合幹部

当時、最も疑われた側の人間。

アリバイを淡々と語るが、ある名前を出しかけてやめる。

「それは関係ない」とだけ言う。


第五篇 司法解剖医

公式検視に関わった医師。

「私は、報告書に書かれている通りのことを、書きました」と語る。

数字だけを述べ、解釈は一切しない。


第六篇 GHQ民政局・元中佐

唯一の外国人証言者。

ほとんど全ての問いに「知らない」「記憶にない」と答える。

ただ一問だけ——長い沈黙の末に、短い英語で返す。


第七篇 国鉄本社・人事担当課長

解雇名簿へのサインを求め続けた男。

失踪前夜、下山が見せたある変化について語る。

それは行動だったのか、決意だったのか、判然としない。


第八篇 元刑事

捜査本部にいた男。

「俺たちは途中で、止められた」と語る。

誰に、とはすぐには言わない。


第九篇 北千住駅・改札係

事件当夜、別の場所で「男」を見た人物。

第三篇の証言と照らし合わせると、何かがずれている。

ライターはここで、原稿の余白に初めて照合のメモを書き始める。


第十篇 下山の妻

最も近くにいた人間。

最も静かに語る。

「主人は、そういう人間ではありませんでした」

その一言のために、長い証言がある。


第十一篇 内閣調査室・元職員(名を伏せた証言者)

感情の欠けたような話し方をする男。

「整理されました」「保管と隠蔽は、手続きが異なります」

事務的な語彙だけで話す。

ライターは余白にこう記す。

「この男と話している間、私はずっと寒かった」と。


第十二篇 存在しない男

名前も所属も明かさない。

記録には存在しない。

だが複数の証言が、その輪郭だけを指している。

男は丁寧に話す。

そして、最も肝心な部分だけを語らない。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


以上、十二篇。


この原稿の末尾には、ライター自身による短い注記が付されている。

取材を終えた後の経緯と——一枚の写真についての記述が。


それは、すべてを読み終えた後に、読むべきものだ。

ゆえに、ここには記さない。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


最後に、一つだけ。


下山定則が轢死体で発見されてから、七十年以上が経った。

この事件について書かれた本は多い。

説は分かれ、今も決着していない。


この原稿もまた、一つの見方に過ぎない。


ただ——この原稿が他と異なる点が、一つある。


ここに登場する十二人は、全員が「語った人間」ではない。

「語らなかった人間」である。


語らなかった人間が、何を語らなかったのか。


ここにあるのは、答えではない。

輪郭だけである。


だが輪郭というものは、ときに中身より先に人を怯えさせる。


その輪郭の内側に何があるのか。

それを決めるのは、読む者しかいない。


そして——読んだ以上、決めずに済ませることも、たぶんもうできない。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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