第3話:好感度の揺らぎ
王城北塔――観測室。
壁一面に浮かぶ光の円盤。
幾何学模様の魔法陣が、ゆっくりと回転している。
中央に立つのは、観測官ティアナ。
白い指先で空間をなぞると、数式が展開される。
王太子の象徴値。
聖女の共鳴係数。
民心安定指数。
すべて、理想曲線。
滑らかで、美しい。
だが。
「……また?」
一つの線だけが、わずかに揺れる。
対象:レディアナ=フォン=アルセリア。
好感度誘導値――
本来なら、婚約候補指名後は緩やかに上昇する。
敬慕。
期待。
心理的依存。
だが表示されているのは、横ばい。
いや、微細に逆方向へ傾いている。
「誤差範囲……いえ」
ティアナは計測式を再起動する。
再演算。
再同期。
数値は変わらない。
婚約候補宣告の瞬間。
通常なら発生するはずの感情高揚波。
レディアナの波形だけ、記録が薄い。
まるで――
吸収されなかった光。
「好感度誘導、反応なし」
ティアナの喉がわずかに鳴る。
好感度誘導は強制ではない。
あくまで“自然な感情の補助”。
それが作用しない例は、理論上存在しない。
王太子が庭園を歩く。
聖女と視線が交わる。
波形が安定し、数値が上がる。
完璧。
だがそのすぐ隣。
レディアナが接近した瞬間。
共鳴波が微小に乱れる。
宝珠の光が、わずかに鈍る。
安定指数、0.3低下。
「……影響を及ぼしている?」
ティアナは息を整える。
誤差。
偶発的な波の干渉。
そう判断するには、回数が多い。
記録を遡る。
式典の日。
茶会。
廊下での接触。
すべて同じ現象。
対象接近時、共鳴値にノイズ。
しかも。
王太子の感情値が、不規則に変動している。
上昇ではない。
減少でもない。
乱高下。
「……これは」
好感度の揺らぎ。
だが、上がらない。
下がらない。
代わりに、揺れる。
それは理論にない動きだった。
通常、婚約候補への好感度は二択だ。
上昇し、共鳴に組み込まれる。
もしくは、排除され安定から外れる。
だがレディアナは、そのどちらにも属さない。
彼女の数値は、常に“中央”にいる。
動かない。
しかし、王太子の値を揺らす。
ティアナは呟く。
「……誤差ではない」
誤差とは、一時的なズレ。
これは、恒常的な拒否。
誘導波形が届いているにもかかわらず、反応が発生しない。
まるで、受信装置が存在しないかのように。
同時刻。
中庭。
王太子は書類に目を落としながら、無意識に視線を上げる。
遠く、レディアナが本を読んでいる。
胸がわずかに揺れる。
共鳴ではない。
疑問。
なぜだ、と。
なぜ彼女は、こちらを意識しない。
なぜ評価も憧れも示さない。
胸の奥で、不規則な波が立つ。
観測室。
数値が跳ねる。
「また変動……」
ティアナの額に汗がにじむ。
聖女と並ぶときは、安定。
レディアナを見るときだけ、波形が崩れる。
だが。
レディアナ側の好感度値は、動かない。
0のまま。
負でもない。
正でもない。
静止。
それは冷淡さではない。
拒絶でもない。
ただ――干渉しない。
ティアナは記録板に書き込む。
・対象アルセリア
・好感度誘導、反応薄弱
・王太子感情値、不規則揺動
・原因不明
最後に、小さく付記する。
“誤差ではない可能性”
その瞬間。
観測陣の中心に、微細なひびが入る。
数式の一部が、音もなく歪む。
理論は完璧だった。
共鳴は制御可能だった。
恋は、設計できるはずだった。
だが今。
たった一人の存在が、その前提を揺らしている。
中庭では、レディアナが本を閉じる。
風がページをめくる。
彼女は空を見上げる。
宝珠の光は、届いている。
だが、何も残らない。
その静かな無反応が。
王城のどこよりも、強く波を立てていた。




