エルダーの花と薬師
今日は珍しく、午前中に三組のお客さんがあった。
あとは夕方にもう一人。
「いやはや、泉降ろしの日は本当に行き場がなくてねぇ……」
そうぼやくのは齢八十を超えた現役の薬師、ガロさんだ。
「あ、今日は泉降ろしだったのかぁ。だから男性客ばかりだったのね」
──この界隈では年に一回《泉降ろし》という日がある。
家庭や飲食店の厨房の水場を浄める、女性だけで行う儀式だそうだ。
なので男性陣は家を追い出されて彷徨うことになる。
儀式の時間は決まっていないから、どこかしらの店は開いている。
なので彼らはそこに行くか、王宮前の広場で暇をつぶすのだ。
「掃除するだけなんだがなぁ」
ガロさんは二杯目のタンポポコーヒーをひとくち飲んで、盛大なため息をついた。
「んー、でも衛生的には必要だから仕方ないんじゃない? 水魔核を設置出来ない家庭も多いわけだから」
魔物から採れる属性魔核である水魔核からは、綺麗な飲料水が湧いてくる。
消耗品だし、安価というわけでもないので設置していない家庭も多い。
そういう家は、定期的に魔術師から水瓶を満たして貰って生活をしている。
要は溜め水を使っているので不衛生になりがち。
なので、年に一回は全て空にして天日干しで消毒しているというわけだ。
「衛生魔法もかけてるんでしょう? 天日干しの意味はあるのかしら」
「溜め水のせいで病気になったりもあるからな。昔はホントに多かったぞ。その頃の風習が泉降ろしだから、名残りみたいなもんだ」
「意味はないと?」
私は砂糖菓子の入った小皿をカウンターに置き、ガロさんに返事をした。
「いや、魔法すら頼めない家庭もあるから、必要な儀式といえば必要だな」
「そうねえ、どの魔法も頼めばお金かかっちゃうしね」
「ああ。水魔法を頼めない家は砂漠に出てオアシスから汲んでくるしかないからな」
王宮には井戸があるそうだけれど、庶民が利用できるわけでもない。
自力で調達しようと思ったら、オアシスに行くしかないのだ。
街から一番近いオアシスは、休憩出来るような場所はなくて本当に井戸がポツンとあるだけ。
砂を防ぐために頑丈な石塀で囲んであり、重い鉄製の蓋が被せられている。
遠目で見た限りでは、そこそこ利用者がいるはずだ。
「せめて水瓶に鮮度保持の魔法陣でも刻印されてれば……」
私の呟きに、ガロさんは吹き出した。
「それじゃ水を買ったほうが安上がりだろう」
「長い目で見れば刻印水瓶の方が良いと思うけれど、初期投資が問題ってことかしら」
「そう言うこったな」
火魔法所持者がお湯を沸かすかわりに水魔法所持者から水を分けてもらったり、そういう助け合いもよく見かける光景だ。
過酷な気候でも人間は助け合って逞しく生きている。
「そうだ、エルダーの花を持ってたりせんか?」
「あるわよ。ハーブティーに使うし」
「いくらか譲ってくれないか? 注文はしてあるんだが、届かなくて困ってるんだ」
「乾燥させたのは無いけど、生花とシロップならある」
エルダーという木の小花は風邪の初期症状……鼻詰まり・目の痒みを和らげる効果が期待できる。
効能は高い発汗・利尿作用、抗炎症作用というデトックス。
「エルダーは香りがいいし、肌にも良いからってマダムたちに人気のハーブなの」
「シロップにすればチビどもも飲むからな。んじゃ、花の方を。そろそろ砂漠熱が流行りだすから……」
ガロさんは五十年以上この街で薬師をしている。
自分で乾燥させて調合したいのだろう。
(素材を譲って欲しいと言われたのは初めてだから、本当に困ってるのでしょうね)
私とガロさんではレシピが違うだろうから、薬師が他人のシロップを使わないのは正解。
幸いエルダー花は大量に持っているので、大袋に生花を詰めて手渡す。
「助かるよ。砂漠熱だけじゃなく、ここらの者は鼻や喉をやられる人が多いから」
「砂塵は本当に厄介よね。ああ、お代はそちらの仕入れ値でいいわよ」
ガロさんは破顔して、丁寧にお金を数えてカウンターに置いた。
日に焼けた肌、節くれだった指──ずっとこの街の健康を守り続けて来た人だ。
お弟子さんは数人居るけれど、まだまだお元気だから引退は先の話かな。
「さっそく戻って干すことにするよ」
「ふふ、またいらしてね」
ドアの閉まるパタンという小さな音。
時間が時間だし、今日はもう誰も来ないかも。
私は外の札を閉店に取り替えながら街を眺めた。
夕焼けで赤く染まった街はとても美しいけれど、砂漠で生きていくのは楽じゃない。
薬師が街にいるというのは本当に幸運なことだ。
魔法でも症状は緩和出来るけれど、魔法は値が張るものだから。
私は父親の後を付いて歩いていた頃の幼いガロさんを思い出し、遠くなるその背中に手を振った。




