名もなき人
「…………」
いや、砂地獄は数百年に一度しか孵化しない。
そのうえ、砂漠は広大でどこに出没するかはランダム。
それに遭遇するとなるとものすごくレアなのでは……?
(魔肝とか毒腺は魔薬湯に使えるのよね……)
確か捨てる部位がないってくらい素材としては素敵な魔物である。
「騒ぎになる前に狩るか」
思い立ったが吉日、私はさっさとマントを羽織り砂地獄のもとへと向かった。
(気配は西のオアシスから一番近いわね、そこからは徒歩で……)
最寄り地点まで転移して、歩くこと二時間あまり。
本当は転移で行ってしまいたいところだが、座標が定まってないと事故が起きやすいので確実オアシスに転移しての徒歩である。
砂漠は目印が少ないから、どうしてもそうなってしまう。
「こんなにオアシスから近いとは」
当の砂地獄はこちらを引き込もうとはせず、必死に砂の中へと潜り込んでいっている。
(そんなに嫌がらなくたって良いじゃない……)
「さて」
火はダメだ。
甲殻はタンパク質、熱で変質してしまう。
「氷も微妙よね、濡らすのはダメだし」
少しの間考えて、結局窒息させることにした。
砂地獄の体を魔力で作った薄膜で覆う。
空気を抜いて真空にすれば終わりだ。
(あんまり空気抜きすぎると圧力で壊れちゃうから、緩めで)
数時間かかったが、私は完璧な砂地獄を手に入れられたので満足した。
時空庫に放り込み、そのまま店に戻る。
解体はそのうちやればいいし、今はしなくてもいいかな。
私はお店の掃除をし、お店の札を定休日に変えた。
ゼロとイチのつく日はお休みすると決めている。
◆
休日明け、店の空気を入れ替えのんびり本を読んで過ごす。
お客さんは来ても来なくても気にならない。
午後になり、扉がそっと開いた。
「…………」
「いらっしゃい」
来店したのはフードを目深に被った人物だった。
「ここは……カフェ、なの?」
「そうよ」
「隠蔽魔法がかかってたから、呪物とか非合法なお店かと思ったわ」
「合法のカフェよ、安心して」
その女性はフードのまま席に着き、メニュー表に目を落とした。
初めて来たお客さんだけれど、この人は多分魔術師。
さほど強くはない隠蔽魔法とはいえ、カフェの存在を知らない人がこの店を見つけるのは難しい。
(紹介されたか、魔術師ってところね)
店があるという事前情報があれば、見つけられる程度の魔法なので常連さんやその知り合いは迷うことなくやって来る。
カフェなのを知らなかったということは、紹介ではなさそう。
どちらでも構わないけれど。
「ラベンダーティー……これ、他には何が入ってる?」
「レモンバームとカモミール。お好みでミントも足せるわよ」
「いいわね、ミントもお願い」
私は頷いて、準備に取り掛かった。
花とハーブを水で洗って、茎から取り外す。
レモンバームはポットにはいる大きさに切り揃えて、熱湯を注ぐ。
ポットに蓋をして、カバーをかけて五分蒸らせば完成──香りや成分を引き出すには、熱湯で淹れるのが絶対条件だ。
カバーを外し、ポットとカップをお客さんの目の前に置く。
アイスだとそうもいかないのだけれど、ホットは三杯分位あるのでホットを頼む人が多い。
「いい香り……」
その女性は小さく息をついて、ラベンダーティーをゆっくり飲んでいる。
私が使わなかった部分を処分したり、水はねを拭いていると彼女は本を取り出して読み始めた。
(静かに過ごしたいタイプなのね)
この店にそういうタイプのお客さんは珍しい。
でも、静かに読書を楽しむのも良い時間の使い方だと思う。
私は音を立てないよう、常連さんが夕方に取りに来る予定のオーダー品を作り始めた。
出産したばかりの奥様用にと御主人が注文したのはミントたっぷりの果実水。
五本を保存瓶でのオーダーだ。
レモンとオレンジを薄くスライスして、瓶にミントを見栄え良く差し込む。
(約束の時間まではまだ五時間くらいあるから、魔法で時間加速はしなくてよさそう)
綺麗に洗ったシンクに大きいボウルを置き、氷をたっぷり入れて完成品を差しておく。
蓋をすると時間が止まってしまうので、清潔な布をかけて。
しばらくしてフードのお客さんは銀貨をカウンターに置き、立ち上がった。
「美味しかったわ。また来ます」
「ありがとう、お待ちしています」
女性は頷き、来たときと同じくそっと扉を開けてすり抜けるように出て行った。
(顔も名前もわからなかったけれど、また来てくれたら嬉しいわね)
こういう静かな日も悪くない。




