せーか3
口が悪うございます、ご注意を。
皆が一度は思うことを、私は公に口に出す。
「勉強やりたくない!」
場は学校の授業中、当然のことながらそこにいる生徒教師は聞いている。
このときに返ってきた言葉はもはや定型句ともいえるよくあるフレーズだ。
「世界には勉強がしたくてもできない子供達もいるんですから、そのようなことは無暗に言わないでください。」
反骨精神たっぷりの中学生だった私は内心で思う。
(なんで今の自分より、環境が良くない人と比べるんだ?今よりも自分にとっての上を思って目指してはいけないことなのか?)
しかし内心に思っただけで、その場では小さく「はーい…」と返した。理由は明白だった。周りからの批判を恐れたのではない、単に臆病者であっただけだ。
その授業が終わり、休み時間。クラスの友達にそのことを話す。何人かは共感をしてくれる、そうでない人は理解している。
「そもそもそれは、例えなのであって、実際にどうこう、というわけではないと思うよ。」
そう言われてぐうの音も出なかった。ストレートの意味で考えるのは可笑しなことだったからだ。
それでもまだもやが晴れていない私の脳に、帰宅後一つの映像がテレビから飛び込んできた。
「この水を飲むしかない」という言葉とともに、濁った水が入ったバケツを持った子供が映し出される映像だった。
昔の私は全くなにも思わなかった。何も思ってこなかっただろう。だが、この状態の脳となれば一味違う。ただ一つ、脳内に刻まれるのは「は?」の一言。そのまま爆発し、自分の部屋で言っても変わらない、世の中への影響は0、そう分かってはいたが、ストレスを発散させるように言う。
「知らねーよ。この水を飲まないと、ってそれを口実に給食を残すなとか言い出す大人がいるんだろ!?そんなことをテレビで流すなよ!なんで私の現状に対して下な者を引き合いにだすんだ!楽な方に楽な方に行こうとするのは人間の性だろ?それなのにどうしてそれを否定するんだよ!」
言えば言うほど怒りは溜まっていく。
「世界には、世界にはとか言いやがって。ここは日本だ。私は学校に行けている。これが日常だ、世界から見たらこれは非日常で羨ましいことかもしれないが、所詮は日常、±0だ!なのに-から見て-から見てばかり。-から見ての0があるなら、0から見ての+もあって然るべきだろ!!」
こう思っていた日はあった。確実に、何度も。それでも時間が経って思い返せば、それが馬鹿なことであることくらい簡単に理解ができる。
その言葉が"例え"であることも、その言葉が"摂理"であることも。
今の世界は、皆が少なくとも平均の0の点に立つことを目標としている、それは悪いことな訳がない。
これをふまえると、過去の自分が思ったこと、自身の楽を目指すこととは、あの場に於いては"誰かの気力"を下げる行為であったことは間違いないだろう。つまり、その行動は0を-に下げるようなもので、確実な"悪い事"と思える。
そして今理解しても、一つ言いたいことがある。
「説教でそれを使うのは如何なものか。関係ないやろ、」
読んでいただきありがとうございます。
たぶん結局何を言いたいのかがわからない文章が出来上がってしまいました。(一貫していない)反省1ですね。
急に大人ぶったことを書く。(違和感、変。)反省2です。
昔の考えをそのまま書くのはだめだこりゃ…。反省3です
こう見ると反省点が多い、




