青空の向こう側には
最後のスペースシャトルは、いつものように空に白い線を一本引いた。
「これでこの地球上にまともな人間は僕一人ってわけだ」
ゆっくりと擦れて消えるその線を眺めながら、僕は焼いたばかりの肉にかぶりつく。僕以外に誰もいないのだから、たとえ肉の油で口の周りがクチャクチャになっても気にしない。骨の周りにあんまり肉が付いてないみたいで食べづらいけど、一人で青空の下行うバーベキューも悪くは無い。
「一人ってことはもう治外法権だなこりゃ」
例えばここにある車をめちゃくちゃにしたって、もう僕を捕まえる警察なんていないわけだ。例えばここでおちんちんを全部出したって同じこと。そもそも今僕は少し出している。いや全部出している。一人バーベキューの準備に手間取り、がっつりと着ていた服を汚してしまったため全部脱いだのだ。
「まあ、服屋さんも今もぬけの空だもんな」
僕は適当な服屋さんに入ると、これまた適当に服を物色し、結局真っ赤なワンピースを選んだ。女物だろうと関係ないさ、どうせ僕しかいないんだから。大きなポケットが付いてるってのも何かと便利だよね。とりあえず紳士服売り場にあったネクタイを入れておいた。靴は一番走りやすそうなやつを。フカフカのソールになっていて、これならいつ鬼ごっこをしても負けないね。これもやっぱり赤。
店の外へ出ると、なんとなく空を見上げる。もうすっかり白い線は消えていて、どこにあったのかすらよく分からない。この青空の向こう側には、地球を脱出した人達がたくさんいるんだ。
始まりは一つのニュース速報だった。地球に巨大な隕石が迫っている。そんな映画でももうやらないようなベタなピンチ。だけどあっという間にこのニュースは全世界を駆け巡り、頭の良い人達は大急ぎで様々な計算を始めた。
まずこの隕石が地球に衝突するまであと3年であること。そしてそれを回避する方法はもはや何もないということ。まさに人類滅亡の危機ってやつ。リアルアルマゲドンを期待する声も、残念ながらその隕石は僕らの想像よりも巨大すぎた。
だけど人間ってのはこんな大ピンチにも上手いこと対応するようで、全世界で大量のスペースシャトルが大急ぎで製造され始めた。つまりは地球を捨てて、他の星への人類総勢大移住計画。いやあこんなシチュエーション、SF少年なら泣いて喜ぶだろうさ。
時間はあっという間に過ぎ、タイムリミットまで残り一年、これまた頭の良い人の計算の結果導き出された移住可能な星、通称「ラシコ」に向かって、人類を詰め込んだスペースシャトルが次から次へと出発し始めた。
戸籍のデータを基にして、誰一人置いてけぼりにしないよう、細心の注意を払いながらの移住作業。もちろん僕もそこに乗らなくちゃいけなかった。スペースシャトル品川区民用、第98号。だけど僕は出発直前に、行方をくらましたのさ。ほんとは大急ぎで僕を捜しまわらなくちゃいけないんだろうけど、あいにくこのスペースシャトルは最後の最後のスペースシャトルだったらしく、僕を捜しまわれる人員なんてこの地球上にはもう存在しない。
そしてスペースシャトルは青空の向こう側へ飛んでいったんだ。
なんで地球から出ていかなかったのか、なんていうか、僕は学校の規則とか法律とか、決められた枠組みの中で生きることがあまり得意では無くて、人からはよく頭がおかしいとか、変わりもんだとか言われたけど、それでも自分のしたいことはしたいし、自由に生きてみたかったんだ。
地球が終わるまであと半年ぐらい。せめて僕はその間だけでも好きなように生きたいんだ。
「さてと、次に行くかな」
僕はバーベキューをしていた河原に戻り、ホームセンターで手に入れた十徳ナイフをポケットに入れる。結構大きめのやつを選んだんだけど、色んな機能が付いてて何かと便利なんだよねこれが。まさにサバイバルなこの状況。自分の身は自分で守らなくちゃ、狩るか狩られるか。
呑気に鼻歌でも歌いながら、僕は人の気配の無い商店街をふらふらと歩く。
少し歩くと、商店街の終わりの方に眼鏡をかけた太ったおじさんが一人立っていて、僕をじっと見ていた。
「お、」
そりゃ移住計画に乗り気じゃなくて、地球に残ることを選んだ人なんて探せばたくさんいるはずさ。けど思ったより早くもう一人見つかったな。
そのおじさんは僕を見て少しすると、身をひるがえして一目散に僕から逃げ出した。まあ冷静に考えて、僕は今真っ赤なワンピースを着て、真っ赤な靴を履いて、口の周りも真っ赤なわけだ。誰だって逃げ出しちゃうよね。狩るか狩られるか。
僕はポケットから十徳ナイフを取り出すと、おじさんに向かって駆け出した。
おじさんとの距離はあっという間に縮まる、さすがいい靴だ。おじさんがあまり暴れまわらないようにまずは右肩を一突き。あまりの痛みにおじさんは転んで地面の上をのたうち回っている。叫び声が少しうるさいので近づいて腹、右腕、左ももと順番に刺していく。刺された瞬間は大きく叫ぶけど、次第におじさんの声は弱弱しく、ゼイゼイとした喘ぎに変わっていく。返り血も結構あるけど、赤いワンピースだから変に気になることは無いだろう。ある程度弱ったらあとは絞め上げるだけだ。ポケットからネクタイを取り出して、後ろから首に一巻、グイッと絞めてしまう。一分もすれば全身の力が抜けて、ひとまず終了。
八百屋さんの前に置いてあったキャスターをお借りして、おじさんを載せて元の河原へ。
「おじさんはきっと、さっきの人よりいっぱいお肉付いてそうだね」