最終話・ピュグマリオンの純愛
愛されなかった。
いつからだろうか。
資産家だった父は自分に随分な期待を寄せたが、その期待に沿わない子だと分かると一気に冷めていった。母はとても美しい女性だったが、自分の子どもがその美しさを引き継がなかった。それだけで例え自分が腹を痛めて産んだ子どもでも愛は冷めていった。自分が寝た後にいつも言っていた。「失敗した」と。
周りは裕福だ、恵まれていると言うだろう。しかし、ただ金があるだけが幸福なのだろうか。欲しいと言えば何でも買い与えられる。その代わりそれだけ。愛なんてない。
愛ではなく、金で心を満たそうとすれば人として何かを欠落するのは当然だった。自分の場合は、「親に対する尊敬」と「命の重さ」だった。いつしか自分は親を親とは思わず、愛をくれないただの肉塊だと思うようになった。
だから、殺すことに躊躇はなかった。悲しみもなかった。涙も出なかった。笑いも出なかった。ただ、肉塊を刺しただけ。そうとしか感じなかった。
咲洲成美の弟を呼び出し、家で殺した。フラれた、と話したらすぐに来て同情して慰めてくれた。でも殺した。同情なんていらない。
金を盗んで、親と家に火をつけて焼いた。自分が死んだと思っている周りの人はかわいそうに、とばかり呟く。
同情なんていらない。
次の日に学校の様子を見に行くと、全校集会で自分の事を話しているようだった。黙祷していた。
そんなのいらない。
警察が存在しない強盗殺人犯を必死に探していた。それを横目に海外へ行く為に羽田空港へ向かう。駅のバスに乗る前、一人の愛するべき人を見つける。でも声はかけなかった。
いつか会いに来る。彼女の落ち込んだ顔を見る。彼女は自分に愛を教えてくれた。嘘でも良かった。ただ、自分に、自分だけにあの笑顔を向けてくれた。
僕が欲しかったのは。
愛なんだ。
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「動くな!!」
何かが勢いよく開けられる音と共に、男の叫び声が聞こえる。葉山と咲洲、そして渚岡こと逢坂雄一は何が起きたか分からないような表情で彼を見つめる。その男は拳銃をこちらに向けている。奥にもう一人若い男がいた。
警視庁捜査一課の有明と行寺だった。
「渚岡優香・・・・・・いや、逢坂雄一」
有明が静かに歩み寄りながら言う。行寺に指示を出すと、行寺は駆け足で葉山の元へ行き、葉山を保護する。咲洲はそれを見て心の中で安堵する。葉山は咲洲を心配そうに見つめる。有明は葉山の保護を確認するとゆっくりと歩み寄る。
「どうして・・・・・・警察が?・・・・・・あの蛍村っていう男を逮捕したんじゃ・・・」
「悪いな。他のやつはそうかもしれないが、俺はしつこい男でね。気になったらとことん突き詰める。俺に目をつけられたのがお前の運の尽きだ」
有明はそう言いながら慎重に歩く。まだ終わりではない。咲洲が人質として捕らえられている。逢坂も何をするか分からない。
「にしても、まさか廃校でもない現役で運営されている高校の使われなくなった地下倉庫で犯行を重ねるとはな。普通ならこんな所でしないぞ」
ゆっくり。ゆっくりと。静かに歩み寄る。逢坂はまだ無表情だった。しかし、みるみる顔が怒りに歪んでいく。拳銃を握る手が震える。恐怖ではなく、怒りでだろう。
「・・・・・・・・・するな・・・」
逢坂が何かを呟く。有明は神経を尖らせて、一気に詰め寄ろうとした。
「邪魔をするなぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫び声を上げ、拳銃を有明の方に向ける。拳銃の引き金が引かれ、発砲音が大きく響く。有明はすぐに物陰に隠れる。銃弾が鉄パイプに火花を散らしながら着弾する。
そして、逢坂は咲洲を連れて走り出した。
「逢坂!!!!」
有明はすぐに走り出す。すぐに行寺の方へ指示を出す。
「救急車と警察に連絡しろ!俺はこのまま逢坂雄一を追う!」
「ちょ!一人じゃ危ないって・・・!」
行寺の制止を聞かずに有明言ってしまった。いつも一人で突っ走ってしまう。それも純粋に犯罪を無くしたい、被害者を一人でも多く救いたいという心の表れなのだ。行寺はそれをいつも間近で見てきた。
「あの刑事さんは・・・・・・大丈夫なんですか?成美は・・・・・・助けられますか?!」
苦しいはずなのに、その痛い身体を必死に持ち上げて行寺を掴む。行寺はその手を握って強く言う。
「大丈夫です。必ず、助け出します」
逢坂は咲洲を連れて校舎を走る。有明はそれを追う。
「逢坂!!」
有明の叫びが廊下に響く。夜なので廊下の明かりはついておらず真っ暗だ。奥で火花と発砲音が聞こえる。すぐに廊下の柱に隠れる。柱を抉り、教室の扉の硝子を割る。
追う。追う。追う。
ただ、ひたすらに追う。
その度に銃弾が放たれる。
廊下の床、水場の蛇口、柱。様々な所に穴が開けられる。
ちょうどくの字になっている校舎の廊下で見失う。息を切らしながら、しかし神経を極限まで研ぎ澄まして音を拾う。
二人分の足音。階段を上る音。
位置を把握した有明はすぐに階段を上る。階段の踊り場を上から覗く形で銃口が見える。有明は発砲音と共に階段の陰に隠れる。銃弾が火花を散らしながら手すりを壊す。
また追う。
ひたすらに追う。
止まることは無い。絶対に止まらない。
ここで止まれば逢坂は咲洲を連れて逃げてしまう。これ以上逢坂に罪を重ねさせる訳にはいかない。
息が切れようと、足が震えようと、力が入らなくなろうと止まらない。
そして、辿り着いたのは。
校舎の屋上だった。
有明が屋上に辿り着くと、柵に咲洲成美が手を括り付けられていた。
「咲洲さん!」
有明はすぐに解こうと咲洲に近づこうとする。しかし、咲洲は叫ぶ。
「有明さん!後ろ!」
有明の反応が一瞬遅れる。
後ろから拳銃のグリップで有明の後頭部を殴りつけられた有明は激痛と揺らぐ視界に耐えかねて倒れる。逢坂は後ろから腕を回し有明の首を締める。
「僕の・・・!僕と彼女の愛を!!邪魔するな!!」
有明は朦朧とする意識を唇を噛んで覚醒させる。逢坂の腕を掴んで思い切り噛む。痛みで力が緩んだ隙を狙い、腕をすり抜け、逢坂を掴むと顔に頭突きをする。鼻血を出しながら仰け反る逢坂を有明は掴んでさらに頭突きする。もう一度頭突きをするが避けられ代わりに横から思い切り殴られる。仰向けに倒れその上に馬乗りになる形で逢坂が跨り、拳銃を有明に向ける。有明は銃口が向けられる前に両手で拳銃を抑える。そこで硬直した。
少しでも力を緩めれば片や撃たれる。片や捕まる。二人は最悪の事態を避けようと力を入れる。二人で睨み合う。
「逢坂雄一・・・・・・お前は愛に飢えていた。それを埋めたのが咲洲成美だった」
逢坂は息を荒くしながら拳銃に力を入れ続ける。有明はそのまま続ける。
「そんな咲洲成美をお前は愛した。心から。そして憎んだ。それを邪魔する者を」
「うるさい・・・・・・」
有明は真っ直ぐ逢坂を見据える。逢坂も目を逸らさない。怒りに顔を歪め、静かに、そして強く言う。
「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!うるせぇんだよ!知ったようなこと言ってんじゃねぇよ!テメェなんかに!僕の愛を語られてたまるか!」
さらに力を込める。徐々に有明の腕が押されていく。身体は既に女の筈なのに、その力は男のそれ以上だった。銃口がゆっくりと有明の方へ向けられていく。
「愛は・・・誰だって欲しいよ。俺だって、誰かに愛されたいさ・・・・・・でもだからって自分の愛を人に押し付けたりなんかしない!!」
決して恐れずに言い放つ。
「相手を大切にしないで!自分の愛を押し付けて!それで相手を!人を傷つけるのは!愛なんて言わない!」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇ!!」
有明の手首から嫌な音がする。痛みで顔を歪ませる。痛みに耐えながら拳銃を押し返そうとするが、それも虚しく銃口が有明の顔の前に来る。そして、引き金に力が入れられる。
「やめて!」
奥から咲洲が叫ぶ。その顔は、涙で濡れていた。逢坂の指が止まる。しかし力は緩められない。
「私が全部悪いの・・・あの時、あなたを、逢坂くんを騙そうとしなければ。人付き合いなんか気にしないで断っていれば・・・・・・私にこんなことを言う資格はないけど・・・・・・もう誰かを傷つけるのはやめて!」
その言葉は、届かなかった。逢坂は銃口を有明に向け、引き金に力を入れる。
「そうさ。君に言う資格なんてないだろ・・・・・・・・・でも、僕はそんな君も受け入れる・・・・・・こいつを殺して、葉山も殺して、もう誰にも邪魔されない・・・・・・どこか遠い場所で・・・・・・一緒に暮らそうよ」
怒りと笑みが混ざった気味の悪い表情で咲洲見る。そして有明に向き直る。引き金に力を入れる。
「さぁ、僕達のために・・・・・・死んでくれ」
有明は、覚悟を決める。少しでも時間稼ぎになっただろうか。行寺は警察に連絡した。もう応援の警察も近くに来ているはず。自分が死んでも、せめて、咲洲や葉山だけは。
そう思い、目を閉じる。
その時。
何かの音が聞こえる。
赤い光が回転している。
その音は、サイレンの音だった。
間に合った。
「・・・・・・・・・あ」
逢坂雄一は、一瞬だけ。サイレンの方へ目を向けた。気を取られた。隙を作った。
有明はその隙を見逃さなかった。
有明は拳銃を握る手を掴み、床に叩きつける。痛みで拳銃を離した逢坂は有明に掴みかかる。しかし有明は逢坂の腕を引き離すと後ろに組ませ、そのまま柵に押し付ける。そして。
「逢坂雄一!ストーカー規制法違反、葉山匡平への傷害、そして牧野祐介、桐原健、青山奈緒、佐竹遥菜の殺人の罪で、逮捕する!」
逢坂雄一の手首に手錠をかける。逢坂雄一は、ただ、柵の外を見ていた。多くの警察官を、パトカーを。
サイレンの赤色灯が、逢坂雄一の顔を照らしていた。
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警察署の取調室に、三人の人間がいた。有明悟、行寺将大、そして渚岡優香ならぬ逢坂雄一。
逢坂雄一は俯いたまま、有明の顔を見ようとはしない。
有明は、静かに語りかける。
「なぜ、四人を殺した?」
簡潔に、しかし核心をついた質問をする。暫く答えは帰ってこなかった。すると静かに、呟く。
「僕を、騙したから」
「・・・・・・一番最初に接触したのは青山奈緒だな?何故彼女だけ二ヶ月だったんだ?」
「・・・・・・あいつ、IT関連の仕事に就いてて、エンジニアとして働いてた。手紙を送ってからダークウェブを調べて僕のアカウントを見つけて脅してきた。・・・・・・・・・もう一度恥を晒したいかって。だから殺した」
その言葉には強い憎悪が込められていた。
「他の被害者の居場所は?」
「青山から全部聞いた。・・・・・・それで帰すって騙して縛り付けてナイフを向けたらギャンギャン泣いてやんの!!僕を馬鹿にするとこうなるんだよざまぁみろ!!あははははははははははははははははは!!」
机をバンバン叩いて笑う。警察官に「大人しくしろ!」と押さえ付けられ大人しくなる。その後も爪を噛みながらほくそ笑んでいた。
「助けてーってうるさいから舌切ってやった。そしたら舌から溢れ出た血でゴボゴボ言ってたし・・・・・・そのまま刺して殺した」
ニヤニヤしながら話す。有明は嫌悪感を覚えながらも顔には出さず続ける。
「他の四人もか」
「そうだよ」
「どうして勝島運河に遺棄した?」
その質問には暫く無表情で有明を見てから、また気味の悪い笑みを浮かべる。
「意味なんてないよ。どこかいい場所ないかな、と思って探してたらそこだったってだけ」
逢坂雄一を見て何だか変な気分になる。目の前にいるのは確かに女だ。しかもそれなりに美人の。しかし実際は性転換手術を受け整形までした元男の逢坂雄一だ。いくら咲洲を愛してたからって、自分の性別を変えてまで近づいてきた。もう愛なんて呼べる代物じゃない。逢坂雄一は愛に狂った「狂愛」だ。
「お前は恐らくかなり重い罪になる。今回の殺人に加え、九年前の両親と咲洲成美の弟の殺人も加わる。・・・・・・恐らく死刑はまのがれない」
それを聞いても逢坂雄一はまだ笑みを消さない。それを見ていた行寺が逢坂に掴みかかる。
「お前何笑ってるんだよ!!お前は!人を七人も殺してるんだそ?!それもお前のくだらない自己満足の愛なんかで!」
有明は行寺を押さえ付ける。普段冷静沈着な行寺がこんなに取り乱すのを初めて見た。それだけ被害者に対する思い、そして被害にあった人の傷の深さを重く受け止めているのだろう。逢坂はそれでも笑っている。
「なっこちゃんは・・・?僕のなっこちゃんは!!どこですかぁ?!」
立ち上がる逢坂を警察官、そして有明が押え付ける。まだ一方的な愛を向け、そしてその愛が自分にも向けられているという妄想に囚われている逢坂雄一に、有明は静かに語る。
「逢坂。お前は愛されなかった。それ故にたった一度の愛に狂い、そしてその愛を理由に殺人を犯した」
有明は逢坂を真っ直ぐ見つめる。
「その愛は一方的だった、それは諦めて他の、それこそ本当に自分に愛を向けてくれる人が見つかるかもしれなかった。でももうチャンスはない。お前は殺人犯として世に知られ、そして殺人犯として死んでいく」
有明は、ゆっくりと逢坂に顔を寄せ。
静かに言う。
「そんなお前は、誰からも愛されることはない。これからも、ずっとな」
その瞬間。
逢坂雄一の顔から、笑みが消えた。
有明と行寺は、二度と振り返らず取調室を後にした。
一週間後。
咲洲成美と葉山匡平は、近くの公園に来ていた。
逢坂雄一による殺人事件に巻き込まれ、葉山は全治三週間の大怪我を負った。咲洲も全治一週間の怪我を負い、二人とも元気に退院した。
あれからの事はよく覚えていない。ただ一つ、よく耳に残っているのはニュースの内容だ。逢坂雄一による殺人事件は逢坂雄一の逮捕で終わり、過去に犯した家族と咲洲成美の弟の殺人も罪に問われ、恐らく死刑は確実だろうというニュースが流れていた。
それを見て複雑な気持ちになった。確かに殺人は犯罪だ。犯した者が悪い。しかし、彼を、逢坂雄一をそうさせてしまったのは紛れもなく咲洲自身なのだ。一概に自分は悪くないなんて言えない。本当なら自分だって殺されてもおかしくはなかったのだ。他の四人みたいに。ただ、彼に愛されていたから助かっただけだった。
咲洲は公園のベンチから家族連れを見る。父親と母親が楽しそうに子どもと手を繋いでいる。隣に座っている葉山もそれを見ている。
「ねぇ、匡平くん」
「ん?どうした?」
咲洲は家族を見ながら聞く。
「ある映画の中で、こんな言葉があるの。『人は愛する相手を傷つけ、傷つける相手を愛する』って」
葉山は静かに聞く。
「もしかしたら、私と逢坂くんはそんな関係だったのかもしれない。もちろん、私は傷つける人は愛さないけど。でも、本当の愛って実際はそんなものなのかなって」
葉山はじっと咲洲を見つめる。少し嫌な質問だっただろうか。あの事件から二人とも話さないようにしていたのに、掘り返してしまってはダメだ。すると、葉山はふっ、と笑って言う。
「確かに、それが現実の愛かもしれない。ドラマとか映画みたいな『綺麗な愛』なんてないのかもしれない」
過ぎ去っていく家族を見ながら、優しく答える。
「でも、俺はそうは思わない。俺は『互いを大切にする人を愛する』のが愛だと思う」
そう言って葉山は咲洲の方に身体を向け、何かを差し出す。咲洲は目を落とす。そこには、白い箱に入れられた、銀色に輝く指輪があった。
咲洲は、涙を浮かべて葉山を見る。葉山は、真っ直ぐ、決して目を逸らさずに咲洲を見つめる。
「だからさ、俺と、そんな『綺麗な愛』をしてくれないか?」
咲洲は、ただ、泣いていた。しかしその涙は嬉しさからだった。
葉山は、咲洲をただ真っ直ぐ、真っ直ぐ見つめる。
「今度こそ、何があっても。守ってみせる」
咲洲は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、満面の笑みを浮かべる。
「約束だよ?ずっと・・・・・・・・・私を愛してね」
二人はこれから先、どんな事でも乗り越えていける。そんな希望をその指輪に託した。