三話・いないはずの男
夢を見た。
いつのだろうか、もう忘れ去ったと思っていた嫌な思い出を見る。
高校二年の夏。
私は友人とあるゲームをしていた。それは好きでもない人に告白をして付き合い、しばらく付き合ってから罰ゲームだとばらす、というゲームだった。今思えばなんて趣味の悪いことだ、と思うが当時やっていた身として言える資格はない。
笑っている。
クラスの影の薄い生徒に声を掛ける。校舎裏で告白する。生徒は満面の笑みを浮かべて告白を受ける。
その後ろの陰から友人達が様子を見て笑う。
数週間付き合う。お互いの家に招いたり、遊園地に行ったり。その間、私の心には少しずつ罪悪感が芽生えていたのかもしれない。
しばらくして、私はネタばらしをすべく、再び生徒を校舎裏に呼び出す。生徒はソワソワしながらやってくる。
私が口を開く。実は、と。
そして友人達が陰から出てきてネタばらしをする。
罰ゲームだよ、と。
生徒は唖然としていた。何が起こったのか分からない様子だった。それを友人達が笑う。私は、きっと笑っていたのだろう。心からとは限らないが。
その後は確か、生徒は走り去って、その日の夜・・・・・・・・・・・・
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「?!」
咲洲は飛び起きる。身体は汗でびっしょりだった。不意にいつもとは違う雰囲気に違和感を感じる。少し癖のある薬品の匂い。清潔感のあるベッド。白い無機質な壁と天井。腕には注射針。
「ここは・・・病院・・・?」
そう呟いて辺りを見回すと、突然肩に手を置かれてびっくりする。
「やっと目が覚めたか。世話のかかる同僚だよ全く」
「あれ?優香、どうしてここに?なんで私は病院に?」
傍には会社の同僚の渚岡優香がいた。窓からは明るい陽の光が差し込んでいる。どうやら朝まで寝ていたようだ。
「覚えてないの?あんた、昨日の夜突然意識を失って倒れたんだよ。葉山さんが病院に連れてって、私も連絡を受けたから、まぁ通勤前に可愛い寝顔でも見てやろうかと思って」
「そ、そりゃどうも・・・」
明るい笑顔で言ってくる渚岡には元気づけられる。そういえば昨晩、ストーカーの手紙を読んで意識を失ったのを思い出した。普通ならそこまで酷い内容では無いのだが、最後に書かれた名前で全てが崩れたような気がした。
逢坂雄一。居るはずのない人の名前が書かれていた。
「あ、匡平くんは?」
「警察に行った。これはもう動いてもらわないと困るって言って。私も読ませてもらったけど、こりゃ酷いね。警察に殴り込んででも保護を求めた方がいいよ」
「うん・・・心配かけてごめんね」
そう言うと、渚岡は慣れてるから平気、と笑って言った。何度も言うがこの渚岡の明るさには本当に救われる。
入社してしばらくは仕事にも慣れず、頼れる友人もいなかった。そんな時、隣だった渚岡がそんな私を見かねて声を掛けてきてくれた。もちろん、自意識過剰では無いが、それでも嬉しかった。それからは食事に行ったり、たまに旅行にも行ったりした。失敗したり落ち込んだ時も、持ち前の明るさでよく励ましてくれた。葉山共々本当に感謝している。
「あ、そろそろ行かなきゃ。それじゃ、彼氏さんにもよろしくね。あんたは今日はゆっくり休みな。仕事の方は気にしなくていいから」
「本当にありがとうね、この埋め合わせはいつか必ず!」
いいってそんなの、と言って渚岡は病室を出ていく。病室に静寂が訪れる。そういえば最近、こんなに気を休めた事が無いかもしれない。ストーカーに悩まされ、仕事にも追われの毎日だった。たまにはいいのかな、と思ってベッドの掛け布団を被る。
葉山は警察署にいた。仕事は午後から出る、と職場に伝えてある。午前中の仕事は同僚に任せることにし、連絡すると「今度いい女紹介しろよ!」と言ってきたので速攻で通話を切った。
「お待たせしました。・・・それでストーカーの件ですが・・・」
若そうな男の刑事が来た。
「お話を聞いたり、手紙を読ませていただいた限り、確かにこのストーカーはエスカレートしていると思います。こちらもしても事件が起こる前に対処したいと思っています」
「それじゃあ、彼女を保護してくれませんか?」
「そうしたいのは山々なんですけど・・・」
どうも刑事の歯切りが良くない。何か不都合でもあるのか。葉山はイライラして少し声を荒げる。
「このままじゃ本当に彼女が危ないんですよ!もしかしたら危害を加えてくるかも・・・」
「とは言いますけど、その実あなたも狙われてるんですよ?そうなるとどちらも保護しなきゃいけないんですが・・・・・・」
刑事が申し訳なさそうに話す。
「実は今、この警察署の管内で殺人事件が起きまして、その捜査本部がこの警察署に設置されたんです。そこにほとんどの捜査員が割かれてしまって・・・」
「じゃあ、保護は出来ない・・・・・・?」
「申し訳ありません・・・まだ何かされたという訳じゃないんですよね?」
「いや、何かされてなくてもこうして盗撮もされてるし、現に家にまで来てるんですよ!」
声を荒らげると、刑事は「落ち着いてください」と促す。
「とにかく怪しい人物等を見かけたらすぐに連絡をしてください。後は相手にしないこと。変に返事をしてしまうと、ストーカーは自分に気があると思ってしまいますから」
それはもうやった、それでも無駄だったからこうして頼んでいる、と言おうとしたところで奥から「三橋!行くぞ!」と声をかけられ、三橋と呼ばれた刑事は返事をする。
「すみません!僕も事件の捜査に行かなくては・・・・・・とにかくお願いします!」
「ちょっと!」
呼び掛けも虚しく、三橋という刑事は行ってしまった。葉山は少し強く椅子を叩いて警察を出る。
「警察は本当に動かないのか?殺人事件の方が優先なのかよ・・・」
葉山はブツブツ言いながら警察署を後にする。
三橋と呼ばれた刑事は先輩刑事と捜査本部に向かう。
「犯人の目星がついたんですか?」
「あぁ、被害者は皆、ある一人の人物からストーカー被害を受けていた」
「ストーカー・・・」
三橋は先程の男性を思い出す。彼も彼女がストーカー被害に悩まされていると言っていた。もし今回の事件の被害者たちもストーカー被害に悩まされていたのに警察は動かず、その果てに殺害されたのだとしたら。殺人事件にならないとストーカー被害を取り締まることも出来ないのか、と自分の無力さを恨む。
「それでその犯人っていうのは?」
捜査本部に着くとホワイトボードを見て先輩刑事が言う。
「ストーカーの手紙に書かれていた逢坂雄一という人物だ。自分から名乗ってるから恐らく間違いないだろう」
「逢坂雄一ですか・・・ん?逢坂雄一・・・」
「三橋?何か知ってるのか?」
三橋は逢坂雄一という名前を見てどこかで見たような感覚に襲われる。どこだ、手紙・・・ストーカー・・・・・・・・・
先程の男性を思い出す。彼女がストーカー被害に悩まされているというあの男性を。その男性からも確か手紙を読ませてもらった。ストーカーの手紙を。そこに確か名前が書かれており・・・・・・
「ああああああああぁぁぁ!」
「うるさい!どうした?!何叫んでるんだ!」
管理官に怒られるも、三橋は管理官の声など耳に入っていなかった。
ゆっくりとホワイトボードに近づく。そして名前を見る。
「知ってます・・・・・・」
「え?」
「この、逢坂雄一という名前・・・・・・さっき見ました」
「そりゃホワイトボードに書いてあるからな」
先輩刑事が言うと勢いよくそれを否定する。少したじろぐ先輩刑事を無視して言う。
「あの、さっき一人の男性がストーカー被害の件で警察署に来たんですけど・・・」
「それがどうした?」
「その、その男性の彼女が手紙を受け取ってて、その手紙の中にも名前が書かれてたんです・・・・・・その名前が・・・」
「まさか・・・」
多くの捜査員が三橋の言葉に耳を傾ける。
「・・・・・・逢坂雄一でした」
その言葉を聞いた管理官は怒号を発する。
「すぐにその男性から話を聞け!今すぐ!今すぐだ!」
三橋は走り出して先程の男性を追う。もしかしたら助けられるかもしれない。そう思って男性を追う。
有明と行寺は被害の会社の同僚や知人に聞き込みを行っていた。逢坂雄一なる人物を知らないか、と。
しかし収穫は一向にない。皆知らないの一点張りだった。
「中々知ってる人いませんね。こうなると現在の人ではなく、過去の人とか・・・」
「・・・・・・被害者たちの高校とか行ってみるか」
手元にある資料を行寺が調べ始める。
「えっと・・・・・・あ、大学は違いますけど、皆高校は同じですね。埼玉県北部の高校です」
「じゃあ他の班に連絡して、俺たちは高校の方に向かうか」
行寺は他の班に連絡してるのを見て考える。被害者たちはどうやら逢坂雄一という名前を見て何かに怯えていた様子だったらしい。誰にも話さなかったほど。つまり隠したい何かを逢坂雄一という人物は知っている。隠し事があるとすればそれは恐らく過去にある。
行寺が連絡を終えると有明は行くぞ、と一声かけて駅に向かう。
埼玉県深谷市にある私立高校。東京名西大学深谷高校。大学の付属校だろう。中高一貫校だ。
登り気味な田んぼ道を抜け、高台にある高校からは市内の様子が一望できた。今日は天気も良いので赤城山まではっきり見える。
有明と行寺は被害者たちが通っていた高校に来ていた。事務室で話を通すと、すぐに校長室に案内された。
「ご苦労様です。校長の茂木です」
「警視庁捜査一課の有明です」
「同じく、行寺です」
まだ五十歳くらいの割には寂しい頭をみて、やはり学生を相手にするのは気苦労が絶えないのだろう、と思いながら差し出された名刺を受け取る。
目の前にお茶が置かれ、校長が口を開く。
「それで、警察の方がうちの学校に何か?生徒が何かご迷惑を・・・?」
「いえ、生徒さんに何かあったというわけでは・・・・・・いや、生徒だった人に関わりがあるんです」
「生徒だった、つまり過去にこの学校に在籍していた生徒でしょうか?」
お茶をひと口啜ると、行寺が切り出す。
「牧野祐介、桐原健、青山奈緒、佐竹遥菜。この四名は九年ほど前にこの高校に在籍していましたよね」
「はい、刑事さんから連絡を受けて調べました。確かに在籍していました。彼らが何か?」
「テレビ等でも取り上げられていると思いますが、この四名が昨日、東京の勝島運河で遺体となって発見されました」
その話を聞いて、校長は固まる。確かに九年前の生徒などいちいち覚えてないだろう。しかし、過去に在籍していた生徒が立て続けに亡くなった、となれば衝撃だ。
「そのニュースは見てました・・・・・・確か殺人事件に巻き込まれたと・・・」
「えぇ、そこでいくつかお聞きしたいのですが、この四名から最近何か連絡とかありませんでしたか?」
「連絡ですか・・・担任の先生ならまだしも校長なんて交流はありませんからね・・・」
校長は部屋に当時の担任の先生を呼び出す。その担任の先生にも同じ事を聞いたが、連絡は一切きていないという。
「そうですか・・・」
行寺は少し唸ると、有明が聞く。
「なら、逢坂雄一という人物はご存知ありませんか?」
その名前を聞いた途端、校長と担任の先生が少し固まった。
「逢坂雄一・・・・・・ですか・・・・・・えぇ、確かに在籍していました。九年前、この学校に」
「それ、本当ですか!」
行寺が前のめりになる。有明が肩を引くとコホン、と咳払いをして戻る。
「その逢坂雄一の現在の居場所などは心当たりありませんか?もしくはご実家でも」
そこまで言うと、校長と担任の先生は困ったように顔を見合わせる。
「何か不都合でも?」
「いえ、不都合も何も・・・・・・」
担任の先生の口から出た言葉に耳を疑った。
「逢坂雄一はもう亡くなっています。九年前に」
「え?亡くなってる?」
有明と行寺は一筋の光を見失ったように思えた。ストーカーの手紙に書かれていた名前は間違いなく逢坂雄一。そして被害者の通っていた高校にも同姓同名がいた。しかし、その逢坂雄一はもう死んでいる。
「亡くなったとはその、病気とかですか?」
「いえ、確か強盗です。逢坂さんの家は資産家のお家でしたからそれで狙われたんだと思います」
有明は行寺に捜査本部に連絡させる。有明はそのまま話を聞く。
「逢坂雄一が誰かを恨んでたとか、そういう話はありませんでしたか?具体的には、先程話した四名とか」
「いえ、特には・・・・・・お金持ちだからかは分かりませんが、そういうのに惹かれる人はいたみたいですけど・・・」
高校生に金目当てで近づくのかよ、と思いながら話を聞く。行寺から連絡した事を聞く。
「わかりました・・・・・・今日はこれで失礼します」
「あの・・・逢坂雄一の事が何か関係あるのでしょうか?」
担任と校長が不安そうに聞いてくる。過去の事とはいえ、在籍していた生徒が殺されたとなれば学校としても色々とあるのだろう。
「それはまだ分かりません。また何かありましたらその時はよろしくお願いします」
校長室を後にし、高校の門をくぐる。有明は考えながら歩く。
「まさか逢坂雄一が既に死んでいたとは・・・・・・」
「とにかく逢坂雄一の事件を調べてみよう。そこから何か分かるかもしれない」
有明と行寺は急いで捜査本部に戻る。
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咲洲は病室でしばらく寝ていた。時間を忘れて寝ていたのは何時ぶりだろうか。午後になって目が覚める。
そういえば午前中、医師が来て今日には全然退院出来る、と言われホッとした。
少し歩こうと思い、手を隣の棚に置く。
カサ、と音がした。手で何かを掴む。
「うそ・・・・・・」
手を退けるとそこにはあの、白い封筒があった。来ていたのだ。あの亡霊が。
「・・・・・・」
封筒を開ける。中には一枚の手紙。
『昨日は大丈夫だった?急に倒れちゃって。でも大丈夫。僕がついてるよ。
邪魔者はあの男だけど、僕には関係ない。ずっと見ているよ、成美』
稚拙な字が逆に嫌な感覚を覚えさせる。
今日来たのは渚岡と連れてきてくれた葉山、医師と看護師、後は寝てる間・・・・・・
咲洲は携帯を手に取ると葉山に電話を掛ける。すぐに出てきた。
『どうした?』
「また来てる。あのストーカー」
『本当?』
「うん。手紙が置いてあった」
電話の向こうがやけに騒がしい。不審に思っていると葉山が聞いてくる。
『午後退院だったよね?なら今から来て欲しいところがあるんだけど』
「来て欲しいところ?匡平くん今どこに・・・」
そこまで聞いて葉山が遮るように言う。
『警察署にいる。今、ストーカーについて話してるんだ』
「警察署・・・・・・わかった。退院したらすぐに行く」
通話を切る。ストーカーの件を聞き入れてもらえたのだろうか。それなら嬉しいものだが、やけに葉山の声が重い。
とにかく支度を始める。
医師から退院の準備を進めてもらい、退院する。すぐに病室から出ると、女性の刑事が二人迎えに来ていた。その刑事と共に車に乗り込み警察署に向かう。
不穏な雲行きを見て、これからの自分のような気がしてならなかった。