道場破り、死せる達人に敗北す
「たのもう!!たのもーう!!」
剣の達人と噂に名高い水出壮敏の道場を前に、時村は仁王立ちで声を張り上げた。こうしてしつこく怒鳴っていると、袖をからげて木刀を担いだ門人が迷惑そうに現れて、「何奴か」「武者修行でござる」「いざ勝負」という流れになるのであるが、今回はどうも様子が違った。時村を出迎えたのは、総髪で眼鏡をかけた、武芸の“ぶ”の字も知らなそうな弱々しい若者であった。道場の門が巨大なので、そのぶんよけい小柄に見える。
「どちら様ですか?」
「稙田時村。水出壮敏どのにお手合わせ願いたい」
「入門希望の方ですか」
「そうではなく、道場破りでござる」
道場破りに来て「道場破りです」と説明するのが気恥ずかしく、終わりのほうはぼそぼそ喋る感じになってしまった。一方、相手の男は困り果てたというふうに、広い額に手を当てて俯き、ハッと我に返って時村を見た。
「道場破り!いやはや、道場破りとは……。稙田どの、申し訳ない。当道場にはあなたのお相手をできる者がおりません」
「なんと。水出どのは?」
「立ち話も何ですから、詳しいことは道場で」
門をくぐり、男に案内されるまま敷石を踏んで進むと、あちらこちらに庭木の枝を手入れする者があり、落ち葉を掃く者があり、妙に庭師が多い。しかし稽古場は閑散としていて、時村は座敷に通された。畳の上には座布団がふたつ、すでに置かれていた。
「水出克安と申します」
克安は壮敏の息子であった。
「克安どの、稽古が休みであれば日を改めて参るが?」
「いえ、道場は開いており、門下生もいるのですが、誰もお相手できないのです」
「と、申されると……」
「当道場の主、水出壮敏は、病にて他界しました。父の体が弱り、稽古場での指導ができなくなっても、門人同士で教え合って、しばらく稽古は続いていたのですが、父が亡くなりますと、“壮敏の弟子”という肩書き欲しさに在籍していた者達が次々と去ってゆきました。恥ずかしながら、道場を畳むか否かの瀬戸際まで追い詰められてはじめて、大半の門下生が父の名前目当てだったということが明らかになったのです。著名な流派に所属してさえいれば、素人でも箔がつきますからね」
克安は苦笑した。
「しかし、父の指導を真面目に受けておられた門人もありました。腕の立つ方々は各地でご自分の道場を構えて、壮敏の名前を使う代わりに今でも当道場の修繕費などを送って下さいます。また、父の知人や近所の方々が形だけ入門して下さり、そうした厚意によって支えられておりますのが、現在の水出道場なのです」
そういえば、やけに庭師の多い屋敷だと思った。道場を荒廃させるまいと庭仕事や掃除の手伝いをしに来ている町人であったのに違いない。
「……つまり、稽古はしておらぬが、謝礼は入ってくる、と?」
「はい。私も幼い頃に手解きを受けましたものの、稽古中に大声を出すのも聞くのも、どうにも苦手で、静かに学問をするほうが性に合っておりまして……。そういうわけで、門人は多いのですが、剣を扱える者となりますと、この場にはひとりもおりません」
おい、と克安が障子の外に声をかけると、克安の妻が手の内に何かを隠し持って入室し、夫ともども深々と時村に頭を下げた。差し出した包みは小さく折り畳まれているが、そこそこ分厚い。
「稙田どの、どうかお引き取り下さい」
時村は刀を掴んで立ち上がった。
「このっ……この罰当たりめ!!剣術無くして何の道場か!おぬしら、死人を担いで金の受け渡しをしておるだけではないかっ!!」
「稙田さま」克安の妻が遠慮がちに言った。「お寺のご本尊はそれ自体が衆生を救って下さるわけではありませんが、尊いのです。義父は剣の達人としてだけでなく、ひとりの人間として、剣術とは縁遠い皆様からも慕われておりました。水出道場は皆様にとって、大切な思い出の場所。思い出を守るためなら、お金で看板を買い戻す道場と謗られてもかまいません」
看板などいらぬわ!と吐き捨てようとしたが、息を吐いた拍子に腹の虫が鳴き、気まずくなった時村は包みを拾って道場から逃げた。
その日の昼飯は数年ぶりに握り飯よりもまともなものが食えた。
実際のところ、道場破りのあと険悪な空気のまま立ち去れば門人に報復されるおそれがあるため、勝っても負けても握り飯などをごちそうになりつつ武芸の話に花を咲かせるのが常で、握り飯こそ時村の目的……とまでは言わずとも、行く先々の握り飯のおかげで時村はどうにか食いつないでいた。水出道場で看板代の包みを差し出されたとき、心中でこそ“武士の恥晒しめ!!”と憤ったが、そう口に出さず、とっさに「この罰当たりめ!!」と言葉を選んだのは、時村自身も武士の恥晒しだからであった。武芸ひとすじを気取ってみても、しょせん食い詰め浪人。理想だけでは腹は膨れぬのである。
おわり