心臓が防具になるんですか?(10月22日)
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「心臓なんて防具にどう使うんだろう…………?」
机に向かって、肘をついた左手で頭を支えて考える。
細胞を培養して服のようにすれば守られるとか、心臓を解剖して一枚に開いたそれを防具に貼り付けると、その心臓の持ち主の魔力を得られるなどなど。
考えはじめればキリがない。
「むー!」
と苛立ちながら髪をくしゃくしゃと荒らすと、一旦の落ち着きを取り戻し我に帰ってから、頭を整える。
「…………向こうに行ったらまずシアノに聞こう。簡単にでいいなら話もしてくれるだろうし」
大人しく状況に任せ、それでもやはり心の隅でモゾモゾと一つの謎が蠢きながらも、相生玲奈はリトアの国へ召喚される。
相も変わらず唐突に訪れるプツッと外界からの五感の一切が消失される、神経が鋏で断ち切られるような感覚は、瞬時に召喚された世界で縫い繋ぎ直される。
「…………ッ…………?」
感覚が第一に伝えた現象は、頬の表面を冷気が攫った瞬間。
ソムニウム鉱石の採掘時には暑さが襲ったこともあり、
──まさか、暑い感覚の次はその逆の…………?
などと思わずにはいられなかったが、どうやらそうではないことは、目の前に広がる雄大な景色を見ればすぐに脳が処理を施してくれた。
圧迫感のある壁。十や二十メートルではない、桁違いの値に達しているのではないかという赤土色の石壁が、広い谷底を挟み込んで風を一方向に導いている。
「レイナもこれを巻いた方がいいですよ」
シアノは一本のマフラーを渡す。ブラウンとベージュが一定間隔で交互に並び、それぞれにハーリキンチェックとシャワードットの柄が編み込みで作られ立体的。手で感触を確認しても、毛糸独特のチクチクと刺す感覚はなく、フワフワとした綿で編み込まれているようで、とても肌触りが良い。
「ありがとうシアノ…………一目見ただけだと砂漠みたいな暑い気候のところだと思ったのに、風は冷たくて」
シアノは既に首に同様模様を持つ色違いのマフラーを巻いて、鯉のぼりがその姿をしっかりと見せることができるほどの横風で靡かせている。
「この谷は五十キロメートルほど続いているのですが、行き着く先が湖なのです。そのためにそちらから吹き込む風が温度の低いままここ一帯を吹き抜けるので、風は強いものの避暑地の候補として上がっているくらいなのですよ」
──バトラーはいつも通りのテールコート。元々暑そうだから問題ないですね。
「モンスターが出るので、避暑地には使われないのが玉に瑕ではありますが」
「……もはや、瑕に玉の間違いでは」
閑話休題。
今日はいつもの街中や城への召喚ではない。前日の会話からするに、今日は私の防具を製作するために必要なアイテムを確保しに、この辺鄙な地域に訪れたのは間違いないだろう。
「ところで…………高級アイテムの心臓って、防具のどこに使うんですか?」
恐る恐る尋ねる。
「知りたいですか?」
数段引き下げた口調と、暗黒面に落ちたように影に飲まれた表情。
──どういう事だ、その意味深長な発言は。
「し、知らないと抵抗があるというか…………」
「…………それでは、説明しながら実際に付けて慣れていただきますので、手を横へ開いていてください」
人の話聞いてないですね。
しかし、時間は限られている為に仕様がないと、大人しく指示に従う。
「至って普通…………?」
「見た目だけです」
──見た目だけ?
はっきりとしない言葉の連続に、心を揺さぶらせるぼうっとしたものが表面化する。
「具体的な防具の話をしましょうか」
かちゃかちゃと金属音をさせながら、レイナの胴回りに防具を装着していく。一目見るだけでもわかる、その固定器具の多さが不安に駆らせる。
「レイナは、防具を作るのに必要なものを挙げるならばどのようなものだと思いますか?」
「うーん…………鉄とかの鉱石は必要だよね? あとは固定する為の革素材とか、模様を作るならその着色料関連の素材も必要だろうし……」
「それらが、今回作る防具の素材の一つ目ですね」
「大きな括りで、源資と読んでいます。その後すべてのベースとなるので、源の資材という意味ですね」
「ちなみに今回は、剣を作ったときのソムニウム鉱石の余りを合成するらしいので、源資としては非常に高品質で良いものらしいですよ」
スペロの剣の力を考えれば、期待が膨らむ。
「残り二つ、必要なものといえば何かあるでしょう?」
金属素材以外には特に思いつかないものの、やはり今回聞かなければならない、不気味なあの存在。
「昨日言っていた、高級なモンスターの心臓…………?」
「その通りです。モンスターの心臓も防具を強化するためには必須です。とは言っても、今回目指すものが相当ハイレベルなものだから、という事ではありますが」
「…………最後ってなんだろう? ソムニウム鉱石とは違う鉱石が必要とか……? いや、でもそれだと源資の部類に含まれるよね…………」
最後のキーになるひとつは頭をひねり出しても思いつかない。
擬態するためのファーであったり、身を守るための煙幕を射出してくれる装置だったり、非現実的なものまでもが想像されるほど頭の中が混雑してきた頃、バトラーが答えに通じるヒントを出してくれた。
「心臓が何を送り込む役割かを考えればよろしいのでは?」
「なるほど…………それなら、血液とか?」
「いえ、送るのはもっとこう…………目に見えないものというか。この世界特有なものだからこそと言うか…………」
現実世界には無くてこの世界にあって、送るという概念が存在するもの。
「…………魔力だ」
他にも部分的に条件を満たすとすれば、剣であったり思念波であったりも魔法によって送ることは可能かもしれない。しかし、モンスターと戦う上で必要とされる要素があるなら、魔法による防具の強化が頭に浮かぶ。
「そうですね。正確には『器』という言い方をしています。モンスターの心臓を防具に用いることで、その器に貯められた魔力を用いて防御力を高めるのです。心臓の元々の意味の通り、循環器のような役目を果たしているのですよ」
「今回は、器は既に確保してあるので、確保に出向く必要はありません」
魔力を貯めておく器。
「…………それは、剣の仕組みと近い?」
「一理あるかも知れません。魔剣が魔法を使えるのは、器の役割を果たす剣に、魔法を人の手によって注ぎ込んで初めて使えるのです。なので人の役割が心臓へ変わったと考えても遜色ないと思います」
そもそも魔剣の仕組みを初めて知った。
人の手で魔力を貯めているとするなら、ソムニウム鉱石の一件で用いたハイルの剣は、いったいどれほどの魔力を使用してしまったのだろうか。
その心の声はしっかりと胸の内に秘めておくことにして。
「うっ……」
しかし、声は漏らさずとも自然と空気が漏れるほどの音が漏れたのは、胸部から腹部までが防具によって圧迫されたから。
「終わりました、レイナ様」
「…………結構、キツい…………」
「あくまで仮のものなので、サイズまではご勘弁を頂ければ…………」
「分かりました」
新たに作るものは採寸通りのサイズとなるのだろう。防具なのにも関わらず、身体とそれの間に空間でもあった時には、本来守れていた衝撃も貫通して身体にダメージを蓄積してしまう。それならば窮屈であった方が比較して良いという事なのだろう。
「それでは、その防具に慣れていただきます」
「な、なにを…………」
「レイナ、バトラーと実戦形式で戦ってほしいのです」
既にバトラーは、自らも防具を手際よく装着し準備万端。
「その防具は特殊なのです。人の身体に少なからず影響を与えかねない…………それならば、まだキャンプ地にいる間に慣れることで、心臓を獲得する戦いを有利に進めたいのです」
「さぁ、レイナ様。一つお手合わせを」
折れた大剣。ピシッと構えたまま、寸分たりとも身体を揺らさず、私に集中して声を出す。
「レイナ、この剣を使ってください。今回は相手がバトラーなので魔剣ではありませんが、本気で戦っていただいて構いません。加えて、私もレイナに使う魔法をセーブします。なので、是非一切の受けるダメージを、防具に任せて攻撃を受けてみてください」
無言で頷いてから、一メートルほどの剣身の直剣を握りしめる。
これは慣れるためなのだ。
そう多少の痛みも覚悟の上、剣先をバトラーの方へ向ける。
ここに来て、召喚直後以来の風を感じた。
「…………ッ」
視界内の高草が揺れて起こる振動運動。それら一つ一つのリズムの違いも、この目で確かに捉えることができている。
バトラーの無表情が崩れ、一瞬でも焦りを感じて口元が引き攣る姿を見てみたい。シアノの為に、何かのためにその顔ができても、自らのために感情を露わにしている姿を。
集中。集中を──。
その自らに暗示を込めるような言葉を脳内で反復させると、徐々にフッと知覚領域が降下していく。一点に絞られるような、それでいて間合いすべての物が意識を与えずとも認識できるような。
一歩分下げた右足の踵を三センチ空へ浮かす。次の瞬間、トンと硬い岩の地盤に叩きつけた踵の反作用までをも利用して、踏み出す一歩の加速を付ける。
目前のバトラーへ、一閃。
──自意識過剰だとしても。
「…………少しは剣の扱いには慣れたから!」
脳内で作り上げた、宙に浮く光の線。スローである必要などなく、完璧になぞりあげた。力すべてが剣先へと凝縮されるよう。
しかし。
「ガイィィンッ」
押し寄せる鈍い音。
「ッ!?」
あまりの堅さに思考は停止させられる。
地面に固定された巨大な鉄塊に攻撃をしているような。
同時に肉体的かつ精神的な衝撃によって、顔を歪ませる間も無く、背中を撃たれたかのような厚さと痛みを感じる。
そして一撃浴びる。
「ッ…………!」
声にもならない音。
バトラーによる、私の腹部を凪払う水平な攻撃。それは剣身を失っていたとしても、敵一体を二つに斬り裂くに足る衝撃。
しかし驚かされたのは、身体が押されるほどの圧力に対して剣による痛みが伴わないこと。防具とはいえ、すべての衝撃が防げる訳ではない。その筈にもかかわらず、与えられた感覚は手で押された程度のもの。
「凄い…………」
とその防具の性能の良さに思わず硬い表情を緩める。だが、そう甘くはなかった。
「……ぅあッ…………ふぁ」
ぐらりと歪む視界、下腹部から湧き上がるような吐き気。剣を地面につき、一歩で、ふらつく身体の支えを作り直し、必死になって耐える。
しかし、ぐらつく視界を占有する黒き存在。
反射的に土を斬りあげ、その黒き存在に一撃を試みる。
「……ううぁ!」
しかし、いや、やはり黒き存在は予想通りの堅牢さを誇っている。
そしてその黒き存在は無数の言葉を羅列し始める。
「…………心臓という臓器が必要であるのには大きな理由があります。それは、防具自体が心臓をつけることで恐怖という感情を覚えるのです」
「カンッ」
音を立ててチェストプレートに与えられる軽量な一撃。
意識の混濁するような悪心が、口から吐けど嘔けど一向に好転する気配などない。
「これは市販の安い人工の、心臓を模したものでは得られないものなのです」
「キィィン」
二撃目も軽く、それ単体では背後へと一歩を踏み出すことすらも許されないほどに。
「心臓に与えられた恐怖が瞬間的に高まると、防具にある器から大量の魔力が送り込まれることで、刹那とも言える極わずかな時間ではありますが、ただの鉱石、魔力を有する防具と比べて遥かに高い硬度で防御できるのです」
「カインッ」
依然として音と剣戟は続く。
「それは、今着けているものよりも、身体に与える影響は大きなものとなるでしょう」
「キンッ」
周囲の状況を、把握しなければならないんだ。何故かそう脳裏を過ぎり、必死になって情報を収集する。風に靡いていたはずの高草は、その色をぼやかしてそこに在るのみ。
「だから今のうちに慣れていてほしいのです。身体がしっかりと回復しているうちに」
「カキンッ」
その中ではっきりと見えるシアノの姿は、風にマフラーを揺らして俯き、こちらを視認することを拒否するよう。そして、五撃目を与えた直後にバトラーが敢えて引いた一歩。
ここまで剣閃を浴びせられれば、既に足元の感覚は薄く、立つという動作は億劫である。それでも反撃を求めて、手元で剣を反転させ逆手に持ち直す。
「あなたの命が消えないために」
きっと悲しい顔をしてくれていることだろう。
正確な突きを放ってくるはずだ。それに合わせて広範囲に切創を残すことのできるよう水平に薙ぐ。
「っ!?」
予想に反して放ったのは、大きく被った後の振り下ろし。胴を完全に捉えたそれは、私を地に叩きつけるには十分。
「……っあぁあぁ」
痛みからではない。どこからとも無く、身の毛をよだたせる気持ち悪い感覚に対する嗚咽。
「耐えてください。『心臓付き』の防具は、一筋縄では行かないのです」
「…………これが、下位の…………しかも人工造成された心臓で作られた防具…………?」
これからつくる防具がこれ以上ともなれば、人間として耐えられる領域のままでいてくれるのか甚だ疑問である。
「ふぅ……ふぅ……ふぅ…………」
細くに切るような呼吸で、徐々に心拍数を落としていく。とともに空気中に溶けだすように消えていく不気味な感覚。
横たわったまま会話を交わす。
「これは…………防具に耐えられる自信が無くなりそうだよシアノ…………」
「答えを言うなら、むしろモンスターの心臓を使った方が、その感覚は少ないんです」
「ああぁ…………」
言われてみればその通りかもしれない。確かに値段と価値の対比から考えれば、その結論にたどり着くことはできた。正しく目から鱗。
「申し訳ありません、レイナ様。あくまで慣れていただくという大義名分がありました故、攻撃を複数させて頂きましたが、実際にこれ程のものを受けても、これから得るものは初めのものにも満たない程度の感覚しか与えられないのです。無用な心配はなさりませんようお願い致します」
横で膝を付いて頭を下げるバトラー。
「ははは…………少しは安心しました」
優しく微笑みかけるシアノ。
「バトラー、あのモンスターは明日この付近に現れるとの情報であっていますよね?」
「間違いなく」
細かに幾度か頷いて、モンスターの情報について確かめると、私へと視線を向けて続ける。
「明日は、おそらくイフリートよりも難しい戦いが強いられるやもしれません。脅すようではありますが、頭の片隅に入れておいて欲しいのです」
心配そうな顔でこちらを真っ直ぐに見据えているシアノ。
「分かったシアノ。確かに覚えておくね」
心臓を求むのだ、イフリートやゴブリンのように貫いたり、魔法で消し飛ばしてしまってはならないはず。それならば、専用の戦い方を身につけねばならないだろう。
逆にその点を考えれば、新たな戦闘方法が学べると思うと、吐き気の代わりに嬉しいという感情が湧き上がり、今日は現実世界へと戻った。