ドレスはあなたの趣味ですか?(10月19日)
5
『イフリート』
「これだ…………」
前回の召喚時の結末も知れないまま、一日を過ごすことはとても苦痛でしかなかった。
私の一撃が発動された後に手が離れたのであれば、確実に敵を消し飛ばしている筈。もしそうでなければ、シアノを含めたみんなが消し炭にされてしまっているかもしれない。
脳内を占拠した心配から、この夜の間寝ることは叶わず、しかし代わりに得られたものもある。現実世界に帰還する直前に、青と橙の混雑した炎に照らされた瞬間、ちらりと覗いた角が生え鱗に覆われた鼻長な顔を頼りに、ブルーライトに照らされながら探し回った結果、敵が『イフリート』と呼ばれる悪魔のようなモンスターであったということを。
「イフリート…………獰猛な性格で、短気。変身能力に、炎を操るといった人外な力を持つ…………」
緊張から乾ききった唇を、出した舌先で舐める。
変身していたかどうかは暗闇の為もあってはっきりとは分からなかったが、炎を操るということは間違いないだろう。
「顔しか見えなかったけど、こんな姿形をしてるんだ、イフリートって…………」
悪魔の画像と視認した顔が重なる。厳つく巨大で螺旋を描く角らしき突起物と、顔全体を覆う橙の鱗。逆にそれ以外は見えていないから、体はどのような姿形をしているのかと思い資料を確認すれば、二足で立ちあがり、炎を纏うまさに悪魔と言った出で立ちだった。炎を纏っていなかったのは変身をしていなかったからなのだろうか。
そんな思考を回らせれば、より不安感は募り始める。
──魔剣からは確かに魔法が発されていたはず。
そう思った回数は既に記憶容量を超えている。一種の暗示のようにそう思い続けなければ、精神衛生上宜しくない点が多々あるのだ。
ベッドで横になりイヤホンをして、普段に比べて大きめの音量で音楽を流し、スネアドラムの気持ちの良いそれに集中して気を紛らわせている。一曲リピートを機能させ、同じアウトロに七度辿り着いた時、スマートフォンのアラームが鳴る。
バイブレーションと簡素なベルの音が奏でる童謡を聞いて、顔色を一つとして変えず身体を起こす。
「…………そろそろだ」
シアノにどうだったのか聞かなければ。
そう思って一旦留まる。
「…………そもそも壊滅してたら、召喚なんてされない…………」
嫌な可能性を含む結末は少しでも先延ばししたいのが正直な気持ちだ。
審判の時刻は間も無く訪れた。
「3、2、1……」
日付が変わった瞬間、身体は黒い世界に包まれる。一つ目の峠を乗り越えられたことにほっと胸をなでおろし、一先ず安堵する。
召喚されたのはあるドレスメーカー。色とりどり、模様もゼロから百まで揃う様々な生地が反物のように丸められて並べられている。
「レイナ様」
背後から耳を打つような振動を与える、低く渋い声の主はバトラーだ。
「よ、かったぁ…………!」
昨日は倒れてしまったバトラー。私自身の油断もあったために、地の底の状況にまで落としてしまったことが一つの引っ掛かりとなっていた。
決して無事ではない様子ではあるとしても、バトラーが生きていたということは、きっとみんなも生きている事だろう。
そう察して声の方向を振り返る。
そこにはバトラーが、顔にはガーゼや包帯を巻いて車椅子姿で一人、ぽつんといる。その奥に、店舗の隅で私を召喚する人々が円陣を組んで、私をこの世界に居続けさせてくれている。
「……っ……シアノは?」
あからさまに顔色を曇らせた。嫌な想像ができてしまう。
「……まさか」
「いえ、おります。生きておりますので、あらぬ誤解はなさらないでくださいね」
真っ直ぐな眼差しで視線を重ねる二人。交錯する視線から見ても、それに含まれる柔らかさから嘘をついているようには見えない。
「本日は、取り敢えずあちらのフィッティングルームで身体の計測をして頂きたく。シアノ様の話はその間に」
「!?」
「一分しかありませんので、驚いてる暇はありません」
バトラーは店員に視線で促すと、店員は背中に触れて私を試着室へ案内する。
「……!? え、なっ、どういう…………?」
「いずれ分かりますから」
──いずれって。まさかシアノがおねむであることを利用したバトラーの趣味かっ!
案内されたのは六帖ほどの広さがある試着室。もはや試着室の広さは超えていると思いながらも、中に数人と一つの大きなテーブルが置かれていると自然と圧迫感を覚える。
シャッとカーテンが閉ざされ、部屋の中には数人の裾の長いヴィクトリアンメイド服を来た人が三人おり、それぞれが首から長さや色の異なるメジャーを下げている。
「レイナ様、お召し物をお預かり致します」
「…………ぬ、脱ぐんですか」
「はい。正確な値を採らなければ、着心地のよいお召し物とはなりません」
時間が無いのでごねる暇許可すら得られず、言われるままに、召喚の際に自動的に着せられた、一日目と同じ白いロングワンピースを脱ぐ。
「失礼します」
そう言って、されるがまま身体の至るところを計測されていく。
「バトラーさん。シアノは?」
「シアノ様は、城にてお休みになられています。昨日の疲れが未だ取れないご様子ですので、今日は大事をとって外出は控えております」
「…………じゃあバトラーさんは、もう大丈夫…………」
車椅子姿であったことを思い出し、一つの地雷だったかと言葉を切る。だが、ほぼ言葉を発し終えた状態では、逆にバトラーに気を使わせてしまったようで、
「自由に身体が動かせるようになるのはもう少し後になるだろうと、医師の方から言われております故、今日はこのような低いところからお目にかかっております」
と丁寧に返されてしまい、しくじってしまったと、不意に片目を閉じて高い天井を見上げるしかできなかった。
しかし同時に、昨日の今日で意識を取り戻し、起き上がれるほどに体力が回復していることには驚かされる。思わず、横に伸ばしていた右手がピクリと動いてしまい、二度手間をかけさせてしまうくらいに。
「そうですか…………みんな無事でよかったです」
「レイナ様が来てくださらなければ、みなあの洞窟で息絶えていたことでしょう。本当に感謝申しあげます」
気持ち悪いくらい丁寧な口調な上、カーテンの外からでも分かる、服の擦れる音。車椅子に座ったままこちらにお辞儀をしている様子が目に浮かぶ。
「そう言えば、私が最後に放った魔法が当たった相手はどうなってたかって分かりますか?」
それはイフリートのこと。
「…………私も意識が混濁していた中で運び出されたクチですので、この目で見た訳ではありませんが、聞いた話によれば、一体、巨大なモンスターが傷だらけになった上、顔から首を通過し背中に向かって大穴を穿たれていたと言うことは報告を受けています」
「それだ!」
良かった。確かにあの攻撃は発動されていたのだ。
「そのモンスターの名前ってわかりますか? どうも、向こうの世界で気になって調べていたら、似たようなものを見つけたもので…………」
「いえ、あれは新種との事でしたので、これから呼称が定められることになるでしょう」
「そうなんですか」
「因みに、レイナ様の世界では、それをなんと呼称しておられるので?」
「えぇっと…………イフリー……ト?」
「イフリート…………」
少し間が空いて。
「それなら、こちらでの呼び名もそうしてしまいましょう。恐らく今晩にも軍部によって呼称が発表されるでしょうから、それまでに捩じ込んでおきます」
「あ、はい。分かりました…………」
分かりました、としか言いようがなかった。
「あの…………今日はこれだけなんですか?」
「…………そうですね。魔剣は今日完成する見込みとは聞いておりますが、まだ私の元にもシアノ様の元にも届いていないようですので、これ以外にすることもありません」
平和だ。これから敵がこの国に攻めてくると聞けば、何かもっと私にしかできない準備をするものではないのだろうか。
「すでに四十五秒が経過していますからね」
「なにかしていても早く感じますけど、何もして無くても早く感じますからね…………」
「レイナ様、採寸は以上ですので、お召し物を着られて構いません」
「あ、ありがとうございます」
唐突な無機質な声はやめて欲しい。
しかし、四十五秒の宣告を受けてから、背中で留め具を閉めるタイプのワンピースを完全に着飾るのは困難そのもの。
そこで、唐突に思い出した質問をする。
「あ、そうですよ。結局この採寸は、何の為に──」
パッと視界がブラックアウトする。目が暗闇になれずに、正確な状況把握が困難ななか、記憶と手探りでベッドへと座る。
「……あと十五秒っていう時に聞いておけばよかった」
まさか異国の少女の体格を知りたい等という、箍の外れた考えではないとは思うが、はじめに理由を聞いておけば良かったと若干の後悔をする。
「まあ、白いドレスはだぼったかったからなぁ。私が向こうの世界で日常的に着るようになる服装とかなのかな……?」
ドレスメーカーに並んでいた布の数々を思い出す。遠目に見る限りでは、日本でも見られる着物に用いるような鮮やかな織物から、サテン生地のようなツルツルとした光沢を輝かすものも置かれていた。それ以上に気になるものは、比較的パステルカラー寄りの淡さを持つ色合いで、部分的にレース状の領域を持つ物が広げられていたこと。
色としても、シアノの日本人様ではない、ハッキリとした肌や骨格を際立たせて良くする効果を持ちそうだ。
「…………ドレスかぁ」
目が暗順応がなされたから、一度姿鏡の前に立って、自身の全体像を確認する。
「ん…………」
足先から眺めてみても、似合う姿が想像できない。現実世界と違って、異世界では眼鏡が取っ払われるという利点があるから、少しはマシになるかとも思いながらも、全体的に痩せ型という深い業を背負っているのだ、希望がなかった。
「はぁ。寝よう」
ため息をついて、そんなもの知るかと眼鏡をベッドの宮棚に放り投げるように置いて、さっさと眠りにつくことにした。
レイナが召喚のタイムリミットを迎えた後。
フィッティングルームから忽然と消えた光景に、店員は皆驚きを見せながらも、レイナが異世界人であることは知っていたようで間もなく仕事へと戻る。
「バトラー」
ナリーは消費した魔力の多さに疲れ、手を結び開いてを繰り返しながらも声をかける。
「私まで未だにシアノと面会が謝絶されてるってどういうこと? 姉よ? 家族なのよ? 腹違いとはいえ、姉妹には間違いないのに何故?」
マシンガンの如く速度で疑問形の言葉を羅列する。
「まさかだけど、アレじゃないわよね」
「アレ、と申しますと」
「予知」
バトラーは俯き加減で笑ってみせる。
「やっぱりそうなのね!」
「えぇ。タダでさえ採掘によって、神経質に魔力の使用に気を付けていたにも関わらず、多数のモンスターに襲われ、それをカバーするためにより多くの魔力を使用しました」
「はぁ…………前にも一回倒れてから気をつけなさいとあれだけ言っていたのにシアノったら…………」
「…………何でも、緊急に凝縮術を使ってまで空気中の魔素を取り込んだらしいのです」
「そうでもしなければ倒れはしないでしょ。レイナのリミッターをより深くまで外すために、魔力が不足してたのね」
「そのおかげで、明らかに厄介なモンスターを討伐してくださいましたから」
「ただ、それなら問題はそこじゃないでしょ?」
「そうですね。シアノ様がどのような予知を見られた…………か」
「今すぐに行くわよ、シアノの元へ」
「目を覚まされているかどうか」
「大丈夫よ。あの子が予知を見たあとは…………」
過去にシアノが予知を見たことは十回をゆうに超える。
そしてその予知は、予知であるが故に外れることが無い。
また、必ず決まって。
「バトラー!」
シアノの声。ナリーに車椅子を押されて城に戻ってきた二人は、シアノの部屋へと向かっている途中、廊下に響くその声を聞いた。
「ほらね」
シアノは、不自由な足ながらに地面を這うように、一時的に拙くなった魔力で周囲の様子を窺いながらバトラーを探す。
「シアノ! 聞こえる、シアノ?」
急いで駆け寄るナリー。
「ナリー? 良かった…………! 予知が、大変な未来を…………」
「何時、何がある予知を見たの?」
ナリーは膝をついて視線を下げると、両手をシアノの頬に当て落ち着かせてから言葉を引き出す。
「明日」
「明日?」
「ドラゴンが来る」