名知らぬ魔獣は想像外ですか?(10月18日)
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「あと何秒で、日付は変わるの!?」
「あと三分です!」
この状況は不味い。あまりにも敵の数が多すぎる。
「三分…………それまでバトラーと騎士隊が戦線を維持してくれるかどうか」
細く幾筋にもわかれた洞窟内で、背後からも正面からも側面からも数の暴力に苛まれ、正に四面楚歌。ゴブリン相手に一人対複数を強いられ、洞窟という狭い一帯に、籠城の形をとらされてしまった。
「どこかの道から外へ繋がる退路を得なければ…………」
ソムニウム鉱石と呼ばれる物質を得て、できるだけ早く退却をしようと、洞窟を街へと戻っていた頃。シアノの探知によって発覚した何か一つの膨大な魔力を持つモンスターとは別の、ゴブリンの集団に退路を絶たれてしまった。
帰還の途へ着いたのが、午前十時過ぎ。現在時刻は午後十一時五十七分。既に半日以上戦いを繰り広げ続け、騎士隊も兵力の消耗が激しく、一人で一本の洞窟を守り続けているバトラーにも、足腰に限界が来ているのは明らか。ここまで長期的な戦いの場面など、過去に一度もなかったのだ、気力だけで立っていると確信できる。
そんな総力戦を行う相手は、どこから出現しているのかもわからないゴブリン。洞窟であるから、ゴブリンの死体が肉壁となって道を塞いでくれれば良いのだが、生憎この洞窟ではそれを許してくれない。倒しても倒しても、死体が横たわっては底なし沼様の地面に飲み込まれるように消えていく。
「ッアアァアァァァ…………!」
またどこかの道から一つ悲鳴が聞こえる。その悲鳴が聞こえるたびに、人が後方へ息をしない身体となって運ばれてくるのだ。
「ここまでの被害が……」
拳を唇に当てて口を塞ぎ、感情を外に露わにすることを憚られる環境で、必死に時間の経過を待つ。
「あと二分です…………!」
一方的に危機的な状況下では時が経つことが異様に遅い。
「シアノ! 間に合ったわよ」「召喚準備完了してます!」
「!」
ナリーと、騎士隊一人からの同時に響く報告。これでレイナを召喚するために必要な要素は残り一つ。
あと二分経過すること。
「せめて一日に二回召喚させてくれれば、私たちの立ち回りも、攻略も圧倒的に楽になるのに…………!」
召喚という魔法には大きく三つの要素が必要となる。
一つ目は、王家の魔法を使役できる人物六人が、一ヶ所で召喚魔法を発動すること。
二つ目は、王家の人間それぞれの魔力が器の最大値まで回復していること。
三つ目は、召喚できるのは一日に一回のみであること。
それらの要因がすべて重ならなければならない上、この魔力が尽きる時間がたったの一分なのだ。
そもそも、召喚時間は一分間では無かった、むしろそれよりも短かった。訓練し、試練を踏み越えていくことで成長していく魔力の器が、巨大になればなるほど召喚可能時間も増えていく。王家の人間六人が厳しい時間を越えて現在の魔力を得たのだ。
「あと一分!」
時を計測し続けている一人が、洞窟すべてに響き渡るような声を発する。
あと一分持たせれば、帰還する希望があるのだ
「「「うぉぉおおお!」」」
そんな雄叫びがあらゆる方向から聞こえ音が混濁する。
「お願いします……どうかみんなに息をさせてあげて……!」
シアノは手を組んで、ただ願うしかできなかった。
***
私は、剣について淡い期待と、誇大な妄想を持って異世界へと召喚された。であるから、召喚後の光景には驚かされる。召喚されたのは、予想に反して洞窟の中だった。
「説明してる暇はありません! 敵を殲滅してください!」
ガタッと肘掛に掴まって立ち上がろうとしながら叫ぶシアノ王女。
手に持たされていた魔剣は昨日壁を穿ったものと同じ、ハイルの剣と呼ばれていた青く、透き通った剣身の中で、魔力が流動して見えるもの。
そして、目の前には熱を発する厚さと堅さを兼ね備えた壁でも、無機質な金属製の的でもない、二足歩行をするモンスター。
風光明媚な街と、無味乾燥な様相を呈する洞窟のみがこの世界の全てであるレイナにとって、そのモンスターは異質でしかない。足を半歩、地面に擦りつつ後退させるには十分な理由であった。
「…………あれは」
「ゴブリンです。生命力が強く環境にも即座に対応してしまいます。どこにでも居る、数こそすべてな存在です」
「こんなところも物量作戦…………」
「ですから、今すぐに突破口を開いていただきたいのです」
「了解したよ、王女様」
ハイルの剣は、先日の短剣と異なりヒビはまだ入っていない。シアノ王女が言っていた通り、上位の魔剣ともなれば、扱いやすさも魔力量も段違いであることは実感として、身体が自動的に理解する。
最前線で押し寄せるゴブリンの群れを、広い剣身と球形の直径三十センチメートルはあろうかという柄頭を持つ巨大な剣で薙ぎ払うバトラーの元へ近づく。
「…………ッ…………ハァァアッ!」
走ることで得られた速度をも剣へと伝えて、面的に制圧する。
ハイルの剣は冷気を垂れ流し、ドライアイスを放ったように地面一帯を白く染めると、敵へと向かって無数の巨大な棘を連鎖的に生じさせ、ゴブリンの体を突き抜く。
「「「ウガァァァアァァッ!?」」」
ゴブリンは突然現れた白煙にも、淡い青さを持つ巨大な棘にも驚きの声を発する。
深紅の血液をしぶかせ、泡沫の如くその場に積み重なって大量に息絶えた。
「助けに来ました……! 下がって!」
バトラーはフッと視界から消えるように崩れ、片膝をついてその場にうずくまる。
「……っ…………レイナ様」
「バトラーさん!?」
その場で苦難に満ちた顔でかがみ込むバトラーを見て、思わず声を上げる。
「このまま行くと、外へ繋がる道があります。できるだけこの道の敵を倒してくださいませんか…………」
片目を瞑り、圧縮された空気で辛うじて声を出す。それに対して、口角を上げ言葉を返す。
「その為にここに来たんじゃないですか」
「…………ふっ」
バトラーは綻んだ笑顔を見せ、ふらりと蹌踉ける。その一瞬に手を差し出そうとすると、腕を壁に突き姿勢を保つ。それは既に体力の限界を超え、気力のみで意識を失わずに済ませているような。
「…………行ってきますね」
この世界に来たとき、初めて見た王女様の焦りの表情から、只事ではないことはすぐに察することが可能でも、この強靱そうなバトラーまでもがここまで疲弊をしなければ保てない戦線だと知り、自然と顔は真剣さを増す。
にへにへと笑っていられる今までとは違い、今回は明らかに、この世界の人間の生命が、今この瞬間に脅かされる状態に陥っているのだ。
走れば冷気が脚を伝う。
その冷気の中で、煙を流動させながら速度を上げて近づいていく。
「…………ッ!」
レイピアのような細い剣身。恐らく戦闘用ではなく壁に穴を穿つためにこの剣を持ってきたであろうことを加味すれば、魔力を何度も何度も使って制圧することは愚策。上位剣とはいえ、壊れないという保証がない。壊れてしまったら自らの命も危うい。
ゴブリンは走ってこちらへ近づき、手に持つ棍棒で打攻撃を与えようと振りかぶる。
「……っァァァア」
振り下ろされる棍棒。しかし、世界がスローになると同時に、レイナはその攻撃の範囲外から、横腹へと攻撃を与える。
仕組みは知れずとも、これを利用すれば視界内の敵の全てのモーションに対応できるのだ。ゴブリン程度であれば、数が押し寄せて来ても、細い一本道のために背後に回られることもない。ドラゴンのブレスのような、それこそ洞窟を埋め尽くす面的攻撃出なければ勝利はそう遠くない。
「…………よし、このレイナ様の活躍ならすぐに敵も排除ができる」
シアノは車椅子の上から魔法によって辺りを把握し、状況を最新のものにアップデートする。
「召喚隊の護衛に務めて! それ以外はレイナ様の後方支援を!」
レイナが進めば進むだけ、得られていた生体反応が消えていく。高速に、そして確実に退路は形成されているのだ。
「バトラー、歩けますか」
「…………もう少し、お待ち頂けますか」
脂汗を浮かべてうずくまるバトラーは、息が落ち着かず、焦点も定まっていない様子。
「分かりました」
常に先へ進んでしまうレイナを魔法で見守っていると、一つのおかしな挙動。
「…………あれ?」
シアノの魔法に不具合が出たのか、それとも魔力的な問題がなにか生じたのか。
「レイナ様よりこちら側に一つ生体反応が──」
「ッ……!」
バトラーが駆け出す。所々膝を折り、既に限界を超えている中で、レイナが見える位置まで進んでいく。
そのバトラーの行動によってシアノも気付かされる。
倒したと思い込んでいるゴブリンの一体が、まだ命の火が尽きずにいるだけだと。
「! レイナっ!!」
シアノがその事態に気づいて声を荒らげる。
しかし、たった一体の仕留め損ねたゴブリンには気付かず、未だ前へ前へ進み、ゴブリンを薙ぎ倒し続けているレイナ。正確無慈悲な一体一撃の閃きは、頭や心臓といった確実に息の根を止められる箇所を刺していく。
だからこそまだ気づいていない。微妙な歪で貫けなかったことに。
「…………!」
ゴブリンにも多彩な知能があり、この状況で最善として判断された無言。振りかぶった棍棒は一瞬の静止の後、体ごと前に倒れるように振り下ろされる。
「ギュインッ」
金属と金属が交錯する不快な音。
「!」
棍棒と、間一髪のタイミングで振り上げられたバトラーの大剣がレイナの後頭部付近で衝突し、鼓膜を打ち付ける甲高い音を生じさせる。
予想だにしない音に、いきなり肩を強い力で引き留められたような感覚を持ち、ハッとした表情を見せる。
「ァァアァッ……」
すると、バトラーは大剣を振り上げた状態から、レイナとゴブリンの間に割って入り、ゴブリンに対して袈裟懸けに一太刀浴びせる。
「一歩下がって」
顔に似合わぬ渋い声で行動を御すると、レイナは言われた通り一歩後方へと退く。
「ズウウウゥゥゥッ…………」
引いた右足が地面についた瞬間と、バトラーの魔法を含まない、純粋な力による一撃が音を響かせた瞬間には、刹那秒のタイムラグも生じない。
「「「アグウゥゥゥウッ」」」「「「イガァァァッツ」」」
大音量でうねりを生み出す阿鼻叫喚。
繰り広げられた剣戟に驚き、呆然とし、カラカラと坂道を下って自らの力で背後に接近していたシアノ王女に声を掛ける。
「これ、私必要だったんですかね…………?」
「バトラーですもの」
どこか誇らしげだが、同時に顔に影を落としているうえ、何一つ理由にもなっていない。
しかし、バトラーはその一撃で力尽きたようでうつ伏せになって倒れてしまう。
「バトラー!」
誇らしさは高速で去っていく。カラリと車椅子のタイヤが僅かに音を立てる。
その瞬間すらもスローに見える中、自らの肩を高身長なバトラーの腹部へと潜り込ませて、ゆっくりと寝転がせる。
「気を失ってますね。私が戻ったあと相当無茶をしてたんですね…………」
「え、ええ…………。かなり無茶を──」
シアノ王女が言葉を切ると、ピクっと顔を引きつらせ、洞窟の奥を見据えるように見えない目で向く。
「…………レイナ様」
「?」
「莫大な魔力を感じます」
私もシアノ同様、洞窟の奥を見据える。
「魔力…………?」
風。
服の上からでもわかる熱風。
僅かに洞窟の奥が明るくなる。
「ほの──」「間に合って!」
シアノは手のひらを上にして、腕を前に差し出すと、握り潰したようなモーションをする。
一方私は、猛烈な炎に気付くと同時、スローな空間は過去最低速を記録し、垂れ下げられていた右手に力を込めた。
振り被りざまに一閃。左下方へ振り下ろしざまにもう一閃。左方から右下方へ最後の一閃。
咄嗟に息を吐く暇も吸う暇もなく、ハイルの剣を振るい魔法を発する。
「…………ッゴオオォォォオオォォ」
ハイルの剣の残した淡い水色を発する線から面的に広がった光は、無数の矢の如く氷の飛礫を発する。
直後、ついに視界に収めた爆炎と、氷の飛礫が接触、爆発した。
それに伴う風は、シアノ王女が座る車椅子を、上り坂にも関わらず押し戻すほど。
それらの暴風と、閃光が止むまでには滞在時間の六十分の一秒を要した。
「この先に居るんですよね、なにかが」
それを倒しておかねば、バトラーですらこの様子の現在では、未来に至っては一縷の光すらもない。
「そうです、レイナ様。ゴブリンとは異なる強大な敵がいます」
風圧に負けた首をよいしょと戻しながらいう。
その光景を見ながら、少々の間を生じさせる。
「…………さっきは折角、呼び方変わったのに」
元の様をつけた呼び方を少々不服に思い、耳に届かない声でつぶやく。しかし。
「ふふっ」
少し吹き出すような笑い。少し考えて気付く。
──そう言えば、魔法で周囲の状況を把握しているんだった。
どれだけ小声で話そうが、脳内にとどめておかなければ意味など満たさないのだ。
それでも、さすが一国の王女。何もかもが桁が違う。
「倒してきてください、レイナ」
その言葉を放てるのだから。
「それが私の役目だから、シアノ」
その期待に応えるべく駆け出す。
炎に焼けた壁は、奥から滲むよりも高い熱を持たされ、素手で触れれば間違いなく火傷では済まされない。
先程の無茶でヒビが入ったハイルの剣。
「良くて二撃…………でも時間がない」
早く炎の元が見えてくれ。その思いで足を巻く速度をあげる。
長いと感じる、八%ほどのゆったりとした下り坂を進んでいく。そして、洞窟の直径が徐々に広がり始めたと体感した頃、洞窟から一本脇に伸びた急な下り坂。
豪炎に焼けた壁は表面を崩している。
「…………こっち」
そう判断してそこに進入した直後。
「…………ォォォオ」
視界の中央、直線の洞窟の中央、耳に伝えられた何かの音の発生源。
それは明らかに炎。
この遠距離ながらに気づいたのは、それはまだ、完全にこちらへ発射されていない状態で準備されている攻撃であるから。
「……っそォォォオ!」
足先に力を込め、急激な下り坂を生かして空を舞う。
中段で身体を捻り引いたレイピア。目の前で空間の一部を照らす炎は、青いレイピアに暖色を添え、様相を変化させている。見違えるほどに吐気を覚える、エグ味深い色。
腕を振った遠心力で空中で急激に回転速を上げて、攻撃を試みる。
「ッァァァァアアア!」
想像した一線の光。炎の源まで届く一筋のライン。
あとはこの線を僅かな揺れでも振動してしまう、繊細なレイピアでなぞるだけ。
「ビキィィィィ」
剣先から発せられる魔法。
同時に正体不明の敵から放たれる炎。
ちらりと炎という光源によって拝めた鱗の顔は、どこかで見覚えのあるものだった。
──届いて。
どちらの魔法が先に攻撃を与えることができるか。
しかし、その結末を見る前にフッと視界は光を落とした。