剣と魔法は使えますか?(10月16日)
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今日は帰宅してからというもの、何一つとして手がつけられなかった。それはもちろん、これから二時間後に起こる『異世界へ召喚される』という、狼少女と蔑められるだろう事象のため。
その二時間で何をしていたかと言えば、昨日網膜に焼き付けておいた、現実離れしていた光景を脳内で幾度も再生していたくらい。
「ふふふ……!」
枕に顔を埋めてベッドの上をゴロゴロと転がる。異世界で自分がどんな活躍をすることができるのか、脳内では複雑に思考が張り巡らされ、膨らみすぎた妄想の中で自らが英雄となっていた姿に思わず、言葉にならない音を漏らすほどに笑ってしまうのだ。
「はー…………今日は何をするんだろう……?」
私が異世界へ召喚される理由は敵を討伐すること。それならば、生身の身体では太刀打ちできないのは当然で、『限界を超えさせてあげます』というシアノ王女の言うことが事実でなければ、人はおろか犬にすら勝利できる気がしない。
「現実にステータス振っておける家庭に生まれたかった」
そんな愚痴をこぼしつつも、考える先は『限界』という言葉へ移っていく。
「そもそも私の限界って…………?」
文部科学省が私に強いてくる体力テストでは、ただ一人の友人と、ドングリの背比べ程度にしかならない争いを最下位付近で繰り広げている。千五百メートル走に至っては、去年よりタイムが落ちたことに自分でも驚愕して開いた口が塞がらなかった。
つまり、そんな私の限界値は、他の人々に比べ低いはず。その点を考慮した場合、限界値を超えたところがようやく他人と並べるだけなのではないか、という懸念が生じてくるのだ。
「いや、大丈夫大丈夫大丈夫…………」
枕ごと首を揺らして、自己暗示をかける。
異世界には、私を召喚させることができる魔法を使える人達がいるんだ。私のような取り柄のない人間に対して、何か取り柄を与えてくれるとまで言ってくれた王女様のためにも、正体不明の敵を倒さなくてはいけない。
持病で、非常に厄介な心配性が発動したものの、刻一刻と迫る時間を見れば流れは相当に早く、遂に日付の変わる一分前。
「よし」
覚悟を決めた。固く結んだ口と影を落とした瞼は重く、表情からも見て取れるほどに。
なににせよ、決まった時刻に召喚され、最終的には敵と戦うことになるのならばできることはやらねば王女様に失礼だ。一分間は極度なまでに集中して行こう。
時計に常に目を向けたまま、昨日を反省して、召喚先において両足で立って地面に着地できるよう万全の体勢をとってその時を待つ。
時計と連動して、頭の中で勝手に時報が流れる。三秒前から「ピッ」という音が表示とともに再生され、日付が変化した瞬間昨日と同様真っ暗な世界へ転移したかと思うと、猛光が目を焼く。
「……ぅ…………うぅ」
二の轍を踏むまいと部屋に明かりを灯したまま過ごしていたにも関わらず、一瞬の暗闇を通過したおかげで水の泡。突如シナプスを焼き焦がす感覚に襲われるこの通過儀礼は、これからもこの先も慣れることは無いことを理解させられた。
***
「レイナ様」
眉間を二度ほどの痙攣が襲うなか、反射的に瞑らされた目を強制的に開き、渋い声の主を視界に入れる。
レイナが立つ場所は、昨日召喚された街並みの中心に建てられた城ではない。それらが遠くに視認できる位置。若葉と湿った土の匂いが染み込んだ風が私の黒のミディアムヘアを揺らし、釣られて視線を左に移動させていくと、プレハブ小屋のような簡易的な建物が二つ、背後には的が複数個地面に突き刺さっているのみの、高台の草原という光景であった。
バトラーが差し出したものに対し顔を顰めて、一瞬の迷いを感じさせられながらも手にする。
「こ、これは?」
白手袋のバトラーから手渡されたものは一本のナイフ。しかしそれは、赤黒く艶を持つ剣身に加えて、鞘にも柄にも緻密な彫刻が施され、敵を倒すための戦闘用ナイフというよりも、美術品としてのアートナイフと言うべき様相。
渡されたナイフに目を落としていると、耳に残るカラカラとした音が近づいてくる。
「それは、私たちが魔剣と呼んでいるものです。今日はそれの扱いをレイナ様にマスターして頂きたいのです」
バトラーの奥から声を発したのはシアノ。車椅子に座ったまま自ら杖を地面に当てて進む。
現実世界の車椅子に比べ、随分と機能性の悪いものだとは思いながらも、ドレスに目をやると前日とは異なる淑やかなイメージを持たせるもの。ホワイトを基調としたノースリーブに、アクセントとして裾に水色が強めに入れられている。相も変わらずバトラーは黒のテールコートに身を包み、この炎天下の猛烈な暑さにも関わらず、汗一つ浮かべずその印象を与えない。
きっと私は、バトラーに対して、一人涼しそうだと羨望の眼差しを向けていたことだろう。
「早速行きますよ」
バトラーも自前の魔剣だろうか、渡されたものよりも剣身の長い剣を抜剣する。非光沢の金の剣身に、鍔の無い代わりに少々の立体装飾が彩る、こちらもアートナイフ様の剣。
「魔剣にそれほど繊細な技は必要ありません。魔剣の力を頼り、魔剣が暴れたいように暴れさせる…………ッ!」
バトラーは言葉を言い切ってから剣を振るう。
小さく振りかぶられた剣は、さして速度があるわけではない。右上から左下へ、左半ばから右下へ連続した二度の閃きは空気を斬るよう。
「頭の中に、剣がどのように動けば最も広範囲をカバーできるかを想像しながら、それをなぞっていくように」
そして、閃きは空中に残像のごとく白い光の線を残し、その光はみるみるうちに光度を増す。
「こうして広範囲に魔法による閃きを与えてやります。そうすると…………」
光は音を立て始める。
「シュイィィイン」
「うわっ…………!?」
咄嗟に腕を盾に、目元に影を作る。
そんな人工的で、耳にしたことのない奇怪な音は、増幅し続ける光とともに増していく。光は残された線から、まるで急速にウイルスが培養されていくかのような広がりを見せ、視界の大方を覆った。しかし不思議なもので、防ぎきれずに目に飛び込んだその光は太陽光と異なり目を焼かず、攻撃魔法として熟成している証拠なのか、その奥にある物体までしっかりと目視が可能である。
「ヴヴンッ」
何かが瞬間移動する時に用いられる振動音のような音をさせ、その光は金属製で円形の的も、草木や地面もすべてを包むように広がる。
「広範囲であれば、面制圧が容易にできます。その代わり威力は弱い」
バトラーの言う通り、光が包んだ複数の的には傷がつく程度、地面に至っても草を刈り整える程度の威力しかない。
「次に」
バトラーは続いて、足を開いてどっしりと構えた低い姿勢をとる。
「はぁぁぁ…………ッ!」
その体勢から身体のひねりを最大限に活かした水平突きを発動させる。これも同様に光の線を残すが、先刻と違うのは、残された光が連鎖的に反応し、水平突きの終端の一点に集中したこと。直後、
「ゴオォッ」
という音とともに、腹の奥に響く衝撃を与えて、的の一つに向かって直線的に向かっていく。
「突きによって、一点に魔法を集中させれば…………」
光は的の中心を突き抜け、核分裂を繰り返すように空中で分解して消失した。
「一先ずはこれだけできれば十分ですので。早速実践しましょう」
「これだけって」
言われるがまま、バトラーの行動を思い出してナイフを振るう。
「魔剣の力を頼る…………魔剣の力を頼る…………」
赤黒い剣身は、その色に伴った光を放つ。頭の中では魔剣が的を吹き飛ばす様なイメージを持ち、可能な限り高速に、可能な限りイメージをなぞりきる。
「ふっ! …………はぁ!」
見様見真似であるが、右上から左下へ、左半ばから右下へ連続した二度の閃きを放つ。
「…………っ!」「ピキ」
想像よりもはるかに容易に魔法が発現したことに驚かされる。と同時に、手に持つナイフから亀裂音のような、耳鳴りにも間違う瞬間的な高音が響く。
しかし、意識が惹かれたのは、僅かな音よりも目の前に広がる禍々しい光景。バトラーの白い光とは異なり、私の剣閃が残した光も赤い。私の身長の何倍もの大きさに、面的に広がった赤い光は、音と風と光を増幅させつづける。
「ズンッ…………ッ」
その衝撃で、赤い光が包み込んだ地面のすべてが返され、青々としていた景色を土色の荒廃した風景へ一変させてしまう。
「これなら──」
水平突きにおいても、バトラーよりも強烈な魔法を放てるのではないか。もしかすれば、二撃によって包み込んだ範囲の更に奥、小高い山の麓にある最も遠距離の的も射抜けるのではないか、そんな希望という名の欲が現れてしまった。
「…………ぁぁぁあッ!」
極限に正確で高速な突き。
周りの風景が遅く感じる。未だ、たった一分数十秒のみの関係であるバトラーが、いつもの仏頂面でなにか言葉を発している様子に加え、揺れる高草の一本一本まで、すべてがスローでこの目で確かに捕えられているような。
脳内イメージがどこまで正しいのか分からないが、寸分の歪みもなく脳内に引かれた線分を空中にまで拡張してイメージし、スローな中で、線を剣で完全になぞっていく。
「ギリッ」
噛み合わせに影響を及ぼすと思うほど強めの歯軋り。
そして腕が伸びきった瞬間、静止した身体は微塵も動くことができず、ナイフは残した光の線に飲み込まれる。短い剣身であるから、線の終端で球状に集結された光は剣の先へ集まるように見えるのだ。
「ッゴォオォォ」
そのまま綺麗な球は、轟音の音源となって超遠距離にある、視認限界の極限にあるその的一つに向かって突き進む。
体感的に二、三秒。たったそれだけで一キロメートル程の距離を進んだのだ。速度に直せば、三秒で考えても時速千二百キロメートル。
──あれ、もしかしてマッハ超えてる……?
脳内で安易に計算した程度の憶測だが、計算上衝撃波が生じる。結果。
「…ぅあ………っあああ!」「シアノ様」
豪風に車椅子ごと後ろへ倒れそうなシアノを支えるべく、即座に転回して走り出すバトラー。
フェンシングのファンデヴーを決めた後のように安定した格好で静止している私が、衝撃波に耐えていることがおかしいだけなのか。
頭に浮かぶ思考の中でも、一つ奇異な点があるとすれば、足元が突きを決めた後よりも沈んでいること。
「きゃぁあっ!」
そんなすべての違和感を吹き飛ばしたのはシアノの叫びだった。
時の流れは正常に戻る。その直後感じた暴風雨に苛まれているような風は頬を叩き痛ませる。そして遂には自らもその風に吹き飛ばされ、バトラー目掛けて空を舞う。
「あぅ」
空中で掴まれたレイナと、頭を地面に打ち付ける寸前で支えられているシアノ。
「…………すご」
素っ頓狂な顔とともに、思わず本心が口から漏れる。
二人合わせて成人男性以上の重量がある中、無茶な体勢にもよらずたった一人で、この風の中支えられるほどの力をもっているのだ、この男でも倒せない敵とはいったい何なのだろう。
「レイナ様、ご無事でしょうか」
どれほどの危機的状況に陥れられれば変化するのだろう。誰しもがその謎を浮かべること間違いなしの淡々とした口調。
風が止むまでに大して時間は経過しなかった。瞬間的な暴風が、強大な圧力を持って現れたと言ったところ。
刹那的ではあるが、あまりのエネルギーに小屋の屋根は一部が剥がれ飛び、一度目の広範囲攻撃の範囲外に立つ的も、粗方破壊されていた。
「あ、はい。大丈夫です。むしろバトラーさんの方が…………」
「いえ、私はいかなる不測の事態においても対応できるように鍛えてます故」
──なんと格好いい。
現実世界でこの言葉を放って似合う人に出会ったことがない。
そんな、敬慕の域を超えそうな人間に向けていた私の眼差しを奪ったのは、シアノだった。
「レイナ様! ナイフ…………ナイフは!」
「ナイフ…………」
膝を折って屈んだバトラーの肩に捕まりながら、前のめりにナイフについて尋ねてくる。
言われるままに、右手で握っていたナイフの存在を思い出すと、何処か不可解な点でもあるのかと思い、両手で優しく包むように持ち直してからまじまじと見る。
「ピキピキッ」
「…………!?」
すると突如、亀裂がに刃全体へと、みるみるうちに広がっていくかと思えば、その場で粉微塵に砕け、風に舞う微小粒子となって地面へと山積する。
一瞬嫌な音がしたと思いはしたのだが、そこから調子に乗り追撃を与えてしまったのはナイフにとって過剰な負荷だったのか。
「…………っあぁ……」
「……これでは魔法どころの話ではないですね」
「あちゃー」と目元を手で隠しているシアノの対して、やはり冷静さを保ち続けているバトラー。
一分しか時間が無い中で、結論を求め脳内で必死に考えている様子のシアノは、考えたままの格好で言葉を発する。
「そうですねバトラー…………一度魔法を使役するのに一つ魔剣を壊していたら、別の意味で国が滅びてしまいます…………」
「す、すみません…………」
顔に影を落とし、肩身の狭い思いではあるのだが、この魔剣はそれほどに高かったものとは露知らず。
「うーん…………」
シアノとバトラーは互いに目をあわせて、小声で話している。
「ここはアレを取りに行かなければならない時かと」
「アレって…………あんなところに行くというの!?」
「ハイルの魔剣を一本ダメにしても、あの鉱石が手に入るのであればかなり安いものではないかと」
「ハイルの魔剣ってそんな簡単に…………」
しばらく俯いたまま長考気味だったシアノだが、視界の端でバトラーの顔を見て覚悟を決めたようで。
「…………よいしょ」
バトラーに肩を支えられて、車椅子に座り直す。すると、焦りや戸惑い含めた表情を、即座にいつものような明るい顔色へ変化させる。太股の上に組んだ手を置き、言葉を続ける。
「それでは明日は、レイナ様のための武器を作るための鉱石を取りに行きましょう。滅多に人が立ち入れないところですが、レイナ様の力があれば比較的容易に入手できると思いますから!」
私の力がないと入手することが比較的困難なものを取りに行くのか。
「それではまた明日お会いしましょう」
「うん、また明日」
距離感が掴み切れていない二者間での、他人行儀な挨拶を交わす。
その言葉で一分のタイムリミットを迎えると、視界に溢れる光はプツンと消え去り、蛍光灯が灯された自室へと帰還する。
どこか雲行きが怪しい雰囲気が立ち込め、明日に多少の不安が残りながらも、その日は初めて身体を動かした召喚だったからか、眠りにつくのは昨日よりも早かった。
***
「やっぱりハイルの剣は代償が大きくないですかね、バトラー?」
荒れてしまった土地の中で、シアノとシアノの車椅子を押すバトラーの二人は城への帰路についていた。
「ナリー様を筆頭に、王家の人間なら言うでしょうね。『あれを作るのにどれ誰苦労したと思っているんだ!』と」
「そうですよねぇ…………説得するには骨が折れるやもしれないのですよ」
「それでも、ハイルの剣を惜しんで敵を討伐できないのではお困りになるでしょう?」
バトラーは車椅子を押す手を止め、一旦立ち止まる。
どうしたのかとシアノはバトラーみると、彼は背後で荒地と化した、青々と広がっていたはずの草原を望んでいる。その姿を見て、シアノも草原を望めば、その凄惨な状況に驚かされる他ない。
「所詮等級でいえば、最下位の魔剣です。それでもこの威力を発揮できるのが、レイナ様なのです」
表情は何ら変わらずとも分かる、その目は希望に満ち満ちている。
「彼女なら来たるべき決戦の日に相応しい…………そうは思いませんか?」
「…………そう…………かもしれませんね」