旅立ちの時を振り返って
王国から共和国に向かう大型高速列車の「三等上寝台室」の寝台の上で。上体を起こして外の景色をぼんやりと眺めていたフィリは、なんとなく初めてこの列車に乗った時のことを思い出して、軽く苦笑する。……あの頃は「特等客室」とかを、何の疑問もなく普通に乗ってたよね。この「三等客室上寝台券」でも結構な値段なのに、と。
フィリがリズと共に王国に行ってから三年の月日が経って。ディーア家の支援を受けて通うことになった「学園」で、フィリは様々なことを教わって。無事に卒業をして。
――その学び舎でフィリは、今まで出会ってきた人たちがどれだけ自分に良くしてくれていたのかを、知ることになる。
例えば、フィリがディーア家から受けていた学費支援もそう。奨学金の体裁をとっているし、返済義務もある。一定の成績を保たないと打ち切られるという厳しい条件も課せられてもいた。
そこだけ見れば確かに厳しい条件なのだが、そもそも貴族に人脈を持っていなければ、この奨学金制度自体を利用することもできなかったし、何より、フィリの通っていた「学園」は、それだけの価値のある場所だった。
(たとえ途中で奨学金を打ち切られて学園に通えなくなっても、「学園に籍を置いていた」だけで、それなりの職に就けるみたいだし。うん、やっぱりいろんな人にお世話になってるなぁ)
ディーア家のような「新しい身分の貴族」が勃興する中で、その新しい貴族を支えるための人材を育成するために立てられた、一般的に「学園」と呼ばれる、専門教育を施すための教育機関。
フィリが入ったのは、例え卒業できなくても、そこで一年間学ぶだけで周りから一目置かれる、そんな権威のある学び舎で。そのことを知らなかったフィリは、極めてレベルの高いその学び舎で、取り残されないように必死になって学び。――どちらかというと、そこで幸運にも得意分野が花開いて、なんとか卒業までこぎつけて。
――もちろん、卒業したのはフィリの努力があったからだが。だからといって、周りの人間の好意があったことは、否定しようのない事実だった。
そういった、それまでの恵まれた環境をすこしずつ自覚して。三年という時間をかけてゆっくりと「普通」ということを学んでいったフィリ。とはいえ……
(それでも、この風景を楽しまないのは「もったいない」よね)
……向こうに着くまでの一週間、せっかくの景色を無駄にするのももったいないよねと考えて、少し高めの「三等客室上寝台券」を買うフィリも、実は周りの人たちから、少し浮世離れしているように見られているのだが。
それでも、誰にも邪魔をされない空間でぼんやりと外の景色を眺めるという「上寝台券」の特権を十分に満喫していたフィリは、外の風景を眺めながら、これまでのことに想いを馳せ始める。
それは三年前、フィリが初めてディーア家を訪れた時のことで……
◇
リズさんと列車に乗って、終点の王都駅で降りて。そこから馬車に乗って、リズさんのお父さんやお母さんに会うために、王都内壁のすぐ近くにあるディーア家のお屋敷に行く。
わたしたちが来るのを待っていたのかな、屋敷の中庭で馬車から下りたわたしたちを見て、庭先の、えっと、「テラス」の席に座っていた人たち、ずっと年上の男の人と女の人と、その脇に立ってた少し若い男の人の三人が、こちらの方に向き直って、わたしたちを出迎えてくれる。
多分、年上の男の人が父親のマティウスさんで、女の人が母親のメイアさん、そして少し若い男の人が使用人のヴァレリーかなと、列車や馬車の中でリズさんに教わったことを思い出して。一番近くに立っていた女の人に、「初めまして」と挨拶をする。
「そうね、こちらこそ初めまして」
わたしの挨拶に、女の人はそう応えてくれて。だけど、その声は少し震えていて。その目から涙がこぼれるのを見て。どうすればいいのか、少しわからなくなって……
「まあ、つもる話もあるだろうが、それは後でもいいだろう。部屋を準備してあるから、まずは荷物を置いてきなさい。――ヴァレ……」
「いいえ、フィリなら、私が部屋まで案内しますわ、お父さま」
女の人の隣に立っていた男の人が、そう言いながら、少し後ろに立っていた男の人に声をかけて。すぐ隣に立っていたリズさんがそう返事をしてくれて。……どうすればいいかわからないでいたわたしは、すこしだけホッとして。
軽く頭を下げてから、リズさんの後ろについて、お屋敷の中に入ろうとしたところで、女の人にそっと抱きしめられて。
――小さな、「ありがとう」という声がそっと聞こえてきて。なんでかな、涙があふれてきて。
そのまま、少しの間、そのままで。そっと離れて、軽く背中をトンっとされて。あわててもう一回、かるく頭を下げて。リズさんの後ろについて部屋に行って。少ししたら呼びに来るといって、リズさんも部屋から出て。
どうしてだろう。少し経ってから、どうしようもないくらいにどうかしてたことに、やっと気が付いて。
――目元を拭いて、深呼吸をして。落ち着かせて。ほんの少しだけためらったあと、椅子に座って。リズさんが呼びに来るのを、静かに待ち続けた。
◇
あのあと、リズさんが迎えに来てくれて。一緒に食堂に案内される。その食堂で、リズさんが順番に、みんなを紹介してくれて。――「ありがとう」と言って抱きしめてきた女の人、リズさんの母親のメイアさんが挨拶するとき、少しだけ緊張したんだけど、何事もなく終わって。全員分の紹介が終わったときにはすこしだけホッとして。
そうして、みんなと同じように、わたしも席に座って。ヴァレリーさんが全員にお茶とお菓子を出して。少しのあいだお話をする。……と言っても、ほとんどリズさんが話しをしてくれたけど。
メイアさんは、話し方は穏やかで、一つ一つの動きがすごく綺麗な人で。ああ、この人はリズのお母さんなんだなってすごく納得をして。……ダーラさんと同じ年ってきいて、メイアさんに失礼だと自分でも思うんだけど、少しおどろいて。
マティウスさんは、静かで、でもどこか厳しそうな人で。……でも、何でかな? そこまで苦手な感じはしなくて。
あと、さっき庭にいなくて、初めて会う「子」なんだけど。フェリクスくん、九才。ディーア家の未来を背負う「跡取り」なんだって。……えっと、ケイシーちゃんやスティーク君と同じくらいの年だよね。すごくしっかりしてるように見えるんだけど。
でも、それよりもびっくりしたのは、リズさんの年齢かな。わたしより五才年上なだけで、まだ十九才なんだって!
――わたし、リズさんはもっと、ずっと年上だと思ってたけど。十九才って、ええ~!
あとは使用人のヴァレリーさん。食堂に集まったときにお茶や料理を並べたり、他にもいろんなことをしてくれる人なんだって。あと、他にも料理を作る人とか警護の人とかがいるんだけど、その人たちに指示を出すのもこの人の仕事みたい。
そんなふうに、王国に行った初日に、ディーア家の人たちと話をして。「学園」に通い始めるまではこのお屋敷でお世話になって。学園に通い始めてからは学生寮に引っ越したんだけど、休みの日とかにリズ姉さんを訪ねたり、フェリクス君と遊んだりもして。
――あまりお世話になりすぎないように注意しながらだけど、今でもディーア家の人たちとは仲良く付き合っている。
◇
三年前、初めて「ディーア家」に訪問したときのことを思い出して、あのときはいきなり泣き出したメイアさんにびっくりしたなぁと少し笑う。今なら、メイアさんがかなり抑えてくれていたこともわかるんだけど、あの頃はまだ、そんなこともわからなかったから。びっくりして、おろおろして。
……あの人たちはいい人だと思うけど。やっぱり「家族」って言われると難しいなぁ、なんて思う。だからといって、他人だとも思えないんだけど。何て言えばいいのかな、この距離感。
そういえばメイアさん、リズ姉さんに「あなただけ『姉さん』なんて呼ばれてずるい」なんて言ってたっけ。リズ姉さんは、あの「姉さん」はそういう意味のじゃないなんてしれっと言い返してたけど。
――だからって「母さんだって、そういう意味じゃなくてもいいから呼んでほしい」なんて言われても、ねぇ。
きっとみんな、わたしがどう思っているのか、わかってくれていて。そんな風に笑い飛ばしてくれてるんだと思う。
……本人の目の前で言ってたから冗談なんだと思うけど。それもどうなんだろう、なんて思わないでもないけど。
そんなことを思いながら、窓の外を見続けて。――そろそろ列車が、中央山脈の王国側から、山間を縫って、山の向こうへと入っていく頃合で。遠く王国を見下ろす風景から、反対側の人里離れた大自然へと風景が移り変わっていくのを見て、意識が「共和国」の方へと移ったのかな、これから会いに行く「懐かしい人たち」のことを思い出す。
(オルシー、元気にしてるかな)
そうそう、初めて会ったときはびっくりするくらいに衰弱してたオルシーも、今ではすごく元気になって。……去年、「里帰り」したときに会ったときには、ほとんど普通の人と変わらないくらいにまで回復していて。
今までずっと会うことをためらっていた両親にも会えたみたいだし、何をするにも身体が軽いって、すごく楽しそうに話してたっけ。……あの治療がずっと続けられるわけじゃないから、そのうちまた元に戻るとは言ってたけど。それでも、一時的にでも回復して、本当に良かったと思う。
だけど何でかな、回復する前から、オルシーからすごく「生きてる」感じがしていたような気がしてて。一緒に遺跡に行ったあと、その「生きてる」って感じは少し変わったような気がするんだけど。それはきっと、一時的だけど健康になった今も同じで。
――あれから何度かオルシーと話して。「オルシーがずっと抱えているもの」のこともわかってきて。それはきっと、わたしにはずっと先にならないと理解できないものだということも何となく理解をして。
(オルシーにとっての「家族」って、どんなんだろう)
オルシーにとっては、ずっと会っていなかった両親もきっと「家族」で。でも、やっぱり普通の「家族」とは違ってて。広い世界の中には、わたしやオルシーみたいな「家族」を持った人もきっといて。それでも、わたしの家族はわたしの家族以外にはいなくて。世の中にはどれだけの家族がいるのかななんて、そんなことをふと考えて。
そういえば、オルシーからは「巨大な孔雀や機械人形に加えて貴族まで『家族』の範疇に入ってくる人間なんて、そうそういないと思うわ」なんてからかわれたっけなんて、そんなことを思い出しながら、列車に揺られて、ぼんやりと外の風景を見続ける。
――そんなフィリを乗せて、王国と共和国をつなぐ列車は、決められた時刻を決められた速度で走り続けていた。