7.旅立ちの日。――そして、次の世界へ
「――いままで、お世話になりました!」
出発の日の朝。訓練場宿舎の「わたしの部屋」から出ようとして。……どうしてだろう、黙って出ていくのが、少し寂しくて。誰もいない部屋の入口で。誰もいない部屋に向かって。元気に挨拶をする。
短い間だったけど。ここでオルシーに出会って。もう飛べないと思っていたピーコックが再び飛べるようになって。ダーラさんにいろんなことを教わって。メディーンが、みんながお仕事をして。いろんなことが少しずつ変わって。それでもこの部屋は、ずっと変わらなくて。
――この部屋を出たわたしは、きっと変わらないといけなくて。きっとリズさんと一緒に行けば、変わることができる、そう心の中でつぶやいてから、これまでお世話になった「わたしの部屋」を、後にする。
そして、訓練場宿舎の前で、迎えに来てくれたリズさんに挨拶をして……
「――メディーンとピーコックも、今までありがとう」
……メディーンとピーコックに、別れの挨拶をして。ピーコックの、ほんの少しだけからかいの混じった別れの言葉と、かっかっかという笑い声を受け取って。
――リズさんと一緒に馬車に乗って、王国行きの列車の待つ駅へと向かう。
◇
広域高速鉄道網・新都駅。近年になって急速に発展しつつある「国家間直通鉄道網」の中でも、最も古い歴史を持つ駅の一つで。そして同時に、共和国の東側に位置する都市国家や王国、南側の国家連合体、さらにその向こうにある中央山脈南部地域とを結ぶ、中央山脈北西部最大の駅でもある。
――そんな、新都ホープソブリンの名を冠した駅の乗降場の一つに、大型の車両を十二両も連ねた、ひときわ大きな列車が止まっている。
王国と共和国とを結ぶ「高速幹線」を走る大型高速列車。八両の大型旅客車両と一両の特別車両、三両の貨物車両によって構成された、国内を走る列車とは比較にならないほどに巨大で豪華な列車だった。
幾日もの旅路を想定して設計されたその列車には、一人部屋から四人部屋までの個室や寝台だけがずらっと並べられて一つの大部屋を共有するような作りとなった寝台相部屋のような、様々な等級が準備された旅客車両が連結されていて。食堂や風呂まで備え付けられた特別車両まで準備された、まさに「走る豪華客船」というべき代物で。
――そんな、出発前の列車の「特等客室」で。リズとフィリは、見送りに来てくれた人たちと、最後の会話を楽しんでいた。
◇
「ふああぁ! すごい! お姉ちゃんも来れば良かったのに……」
「いや、そりゃあオルシー姉さんだって来たかったと思うけど。でも確かにすげぇ……」
わたしたちがこれから一週間過ごすことになる「特等客室」まで、リズさんに案内してもらって。リズさんのすぐ後ろで先に入ったわたしよりもはしゃいだ声を上げるケイシーとスティーク君の様子に、少しだけ笑いをこらえる。
始めは普通に、駅のホームで別れを済ませるつもりだったんだけど。見送りに来てくれたケイシーちゃんと、ケイシーちゃんと仲良しの男の子、スティーク君が、「一度でいいから特等客室を見てみたい」って言い出して。
リズさんが「まだ時間もあるし、大丈夫ね」といって、「特等客室」まで案内してくれて。――ここに来るために乗った馬車の中でリズさん、「特等客室を見たら驚くわよ」って楽しそうに言ってたから、きっと楽しんでるだろうなと様子を見て。うん、やっぱりリズさん、二人の様子を少し楽しそうに見てる。
昨日から、病院で本格的な「治療実験」が始まって、それでオルシーは身動きが取れなくなって。だから今日、ここにオルシーはいない。……ほんの少しだけ残念だけど。でも、今はオルシーの体調がすごく良いみたいで。体力がある内に治療を始めた方がオルシーにとってもいいって、ダーラさんも言ってて。――うん、わたしもオルシーには元気になってほしいから。がまん、がまんと心の中で呟く。
そういえば、スティーク君とケイシーちゃんが教会に来たのがきっかけで、オルシーと会うことになったんだっけ? 確か教会にはいつも二人一緒に行ってるって話だし、やっぱり仲が良いよねと、そんなことを考えてたところで、その二人のあとからさらに部屋の中に入ってきた二人の声が耳に入る。
「……まさか、ウチのアニキも来ないとは思わなかったけどね」
「そりゃあ、ウチの上官殿は任務優先っすから。いつまでも部隊を休ませておくわけにはいかないって、いかにも上官殿らしい言い方っすわ」
「ははは……」
部屋の中をものめずらし気に眺めながら、世間話をするように「ジュディックさんの不在」を口にするプリムお姉さまとスクアッドさん。その二人の言葉に、やっぱりなんて返事をすればいいかわからずに、笑ってごまかす。
うん、別にジュディックさんが「嫌い」な訳じゃないし、ジュディックさんがいないのは、オルシーがいないのと同じくらい残念だけど。すごくお世話になった人だから。……少しだけ、ほんの少しだけ正直に言うと、実はちょっと「苦手」だけど。それはきっとジュディックさんのせいじゃないと思うから。
「(そりゃあ、ウチの上官殿は嬢に『苦手意識を持たれてる』なんて思ってるみたいっすからね。きっとアレですわ。この前の『休日』が、見送りの代わりっすわ)」
「(ああ、あのフィリが隊員たちと『球蹴り』をしたっていう、『唐突な休日』のことかい。……そんなことをする位なら、直接見送りに来ればいいだろうにさ)」
「(いや、あれはあれでアリだとは思うんすけどね。なんで両方しないのかって、それだけが謎ですわ)」
プリムお姉さまとスクアッドさんは部屋の中を見ながら、何か小声で話し続けてて。うん、きっとジュディックさんのことを話してるんだと、そんな気がして。なんとなく聞かないようにして。――えっと、話を聞いていたのかな、スティーク君たちが、そんな二人の話に参加してくる。
「大げさだなぁ~。別にフィリ姉ちゃんと、二度と会えなくなるってわけじゃないんだから、そこまで無理して見送りに来なくたっていいじゃんか」
「え~! でも、ずっと向こうに行っちゃうんだから、やっぱりお見送りしたいよ~」
「大丈夫よ。フィリちゃんは別に、『ずっと』向こうにいる訳じゃないから」
「そうよねぇ。せっかく知り合ったんだし、私もたまには顔を見たいわねぇ。『聖鳥さま』も預かることだし」
「ははは……。一年に一度だけになると思いますが、できるだけこちらに戻ってくるようにします」
気が付いたら、ケイシーちゃんとスティーク君がにぎやかに話しかけて。リズさんとダーラさんがその話に乗ってきて。その話に乗る形で、あらかじめリズさんと話していたことをダーラさんたちにも伝える。
リズさんが言うには、年に一度、長い休みがあるから、その時にこちらに顔を見せるくらいはできるって。ただ、こっちに帰ってくるためにはお金がかかるから、「いい成績を取る」か「自分で働いてお金を貯める」かしないといけないって。――リズさんは、初めからそのつもりで生活すればそこまで難しくないって言うけど、ホントかな? 少しだけ不安だけど。
――だってリズさんは、きっといろんなことができる人だから。わたしも同じようにできるのかなんて言われたら、やっぱり不安だよ。
だけど、うん、やっぱりこっちにも帰ってきたいし、がんばろう。そう決心したところで。そろそろホームに戻ろうという話になって。一旦ホームに戻って。改めて、みんなと別れの言葉を交わして……
「それじゃ、行ってきます! ……オルシーによろしくね?」
「うん、お姉ちゃんにはちゃんと伝えておくよ!」
「姉ちゃんも元気でな!」
最後に、ケイシーちゃんとスティーク君の元気な声に送られて、再び列車の中、特等客室の中に入って、座席に座る。
「大丈夫よ。悪いようにならないし、しないから。――だからまずは、この長旅を楽しみましょう」
みんなと別れて、わたしの様子を見て、リズさんがそう話しかけてきてくれて。うん、きっと緊張してたのかなと、そんなことを思いながら、リズさんの言葉にうなずいて。
これからはもう、メディーンもピーコックも近くにいない。それでも、二人とも、ちゃんとこの世界のどこかに居て、きっと想ってくれているから。だから、メディーンに心配かけないように、ピーコックに笑われないように、しっかりしなきゃと、そう今まで何度も心の中で言い聞かせてきた言葉を、もう一度だけ、心の中で呟いて。
……きっとピーコックはうまくやっても笑うと思うけどなんて、そんなしょうがないことも考えて。
そんなことを考えているうちに、リズさんがお茶を入れてくれて。そんなリズさんにお礼を言って、少し話をして。すこしずつだけど、時間が経って。――やがて、笛の音と共に、ガクンと列車が大きく揺れて、動き出して。少しずつ、窓の外の景色が移動していくのを、静かに眺める。
そうしてフィリは、「共和国」という一つの世界を、育ての親であるメディーンやピーコックと共に過ごしたあと、彼らと別れ、今度は生みの親を訪ねて「王国」という次の世界に旅立って行く。
◇
外の世界で、最初は何をすればいいかわからなかったフィリ。そんな彼女も、少しずつ、自分の目で周りを見て、何かを学んで。誰かの力を借りながら、それでも確かにフィリは、自分で考え、自分の力で歩き始めていた。
――これはそんな、人の社会の外で育ち、人の社会に故郷を持たないままに生きることになった一人の少女が、世界に触れて、旅立つまでの物語。
今話が「終章」の最終話となります。
また、次話が「終幕」、本作品の最終話となる予定です。