5.引き継がれ、受け継がれた先に
遺跡から帰ってきたあと、なりゆきでフィリたちと同行することになったオルシーは、教会でリズというディーア家のご令嬢と思わぬ時間を過ごしたあと、フィリたちと一緒に教会を出て。特別貨物馬車で送ってもらい、ようやく病院へと帰ってくる。
あらかじめ連絡が行っていたのであろう、病院の正門前であらかじめ出迎えてもらった看護師たちにオルシーは「高級羽毛布団」を自分の病室まで運んでもらうように頼んで。オルシー自身もフィリの手を借りながら馬車を降りて、フィリに別れの挨拶を交わす。
「それじゃあ、また今度ね」
「うん! また今度!」
言葉を交わしながら、オルシーは思う。遺跡から戻ってきて早々、リズと再会をしたフィリ。多分彼女はそのリズと共に、一週間後に今度は王国へと旅立つことになるのだろう。
……それがどんな旅になるのかは、今はまだ誰にもわからない。フィリとの再会を心待ちにしているらしいリズの両親と会ったあと、すぐに帰ってくるかもしれないし、もう少し長く滞在することになるかも知れない。
(でも、それはまだ一週間も先の話だし。それまでは、今まで通り接してればいいわよね)
正直、帰ってきたと思ったら今度は王国に行くことになるであろうフィリに対して、オルシーは何も感じていないわけでもない。一緒に遺跡に行って、せっかく親しくなれたのにと、少し寂しいと思う気持ちもある。……それでも、その日が来るまではできるだけ普段通りで居ようと、そうオルシーは考えて。
きっとフィリも同じようなことを考えてるわよねと、オルシーはそんなことを思いながら、フィリが御者台に乗り込むのを見守って。やがて、フィリたちを乗せた「特別貨物馬車」がゆっくりと動き出して、病院から去っていくのを、オルシーは軽く手を振りながら見送って。
(……さてと。そろそろわたしも戻らないとね)
その特別貨物馬車が大通りへ出る道を曲がって、姿が見えなくなったところで、オルシーは手を振るのをやめて、病院の方を見る。
本来であれば、自分を出迎えるために来てくれていたであろう看護師さんたちが、思いがけない高級羽毛布団に労力を割かれてしまって。病院の正門の前で一人残される形となったオルシーは、どうしようとほんの少しだけ考えて。たまには、「自分の力で」病室に戻ろうと、車椅子の車輪に力をかけて……
(今までだと、ここから病室まで一人で戻ろうなんて考えなかったわね)
……ふと、そんなことを考えて。その考えが自然に出てきた自分に、軽く苦笑する。
別に今まで使っていた車椅子の使い心地が特別悪かったとは思わない。それでも、今の車椅子じゃなかったらきっと自力で部屋に戻ろうなんて思わなかったと、そんなことをオルシーは考えて。
……あまり慣れすぎるとこの車椅子が壊れたりしたときが怖いわねと、いつの間にかこの車椅子に慣れ切った自分に気付いて、苦笑をする。
ホントにね、これで「空を飛ぶ」とかいう意味不明な機能がなければ言うことなかったんだけどと、そんなことを考えながら病院の門をくぐったところで、その病院の建物の方からこちらに駆け寄ってくる懐かしい姿を見つけて……
「お帰り! お姉ちゃん!」
久しぶりに会う妹の元気な姿に、オルシーは思わず笑みをこぼしながら、ケイシーに「ただいま」と声をかける。
◇
「……ふぁ! なにこの車いす! すっごく軽い!」
オルシーが少しでも楽ができるようにと、後ろから車いすを押そうとしたケイシーは、自分だけの力で車椅子が動いてしまったことにおどろいて。思わず声を上げて。
その声に少しだけ笑いながら、オルシーはケイシーに、車椅子について簡単な説明をする。
「この車椅子、フィリの住んでた遺跡で、メディーン……一緒に行った機械人形さんにもらったんだけど。そうね、私も初めて動かした時には驚いたわ」
「ふぅ~ん、……フィリお姉ちゃんの住んでた遺跡って、車いすとかまであるんだ」
「……多分、メディーンが一から作ったんじゃないかしら?」
もらい物だというオルシーの説明に、ケイシーは少しだけ意外そうな声を上げて。……そうね、この目でずっとメディーンやあの遺跡を見てきたから疑問に感じなかったけと、確かにフィリの住んでいた場所に車椅子は不釣り合いねと、そんなことを思いながらも、オルシーはケイシーに説明を続けて。
その、どこか非常識な説明がいまいち信じきれなかったのだろう、軽く戸惑ったように「う~ん」という声を上げてから。……ケイシーは気を取り直したように、今まで気になっていたのだろう、もう一つのことをオルシーに聞いてくる。
「じゃあ! さっき看護師さんたちが部屋まで運んでた『お布団』は?」
「そっちは私のお金で買った布団よ」
「……すごく高そうなお布団だったけど?」
「そうね。私の『なけなしの貯金』をかなり使ったわ」
ケイシーの質問に、オルシーは素直に答えて。少し疑わし気な声でさらに聞いてくるケイシーにオルシーは、やっぱり素直に応えて。
――そんなオルシーの返事を聞いて、ケイシーが少し心配そうな、優しい声でオルシーに話しかけてくる。
「……お姉ちゃん、騙されてない?」
その声を聞いて、確かに少し聞いただけだと騙されたようにも聞こえるわねと、オルシーはそんな風に考えて。説明をすると長くなりそうだけど、説明しないわけにもいかないわねと、ケイシーに向かって、静かに話し始める。――なけなしの貯金をはたいてまで「高級羽毛布団」を買った、その経緯を。
◇
オルシーが一通り説明を終えたあと。車椅子を押しながら姉の話を聞いていたケイシーは、普段はとても賢いと尊敬している姉に対して、少し困ったような表情を浮かべながら、さっきよりもさらに優しげに、声をかける。
「――うん、お姉ちゃんが納得してるのなら、それでいいとおもう」
年の離れた妹の言いたいことを正確に把握したのだろう、オルシーはどう説明すれば納得してもらえるのか、少し考え始めて。
……それにしてもアレね、同じようなことを「あの鳥」に言われたときは何とも思わなかったけど、ケイシーに言われると少しこたえるわねと、そんなことを考え始めたところで、そのケイシーが声を上げる。
「……そうだ! 『落ち着いたら来るように』って、『センセイ』が」
忘れかけていたことを思い出したからだろう、ケイシーの少し慌てた声にオルシーは、逃避しかけていた意識を現実に戻して、ケイシーに返事をする。
「そうね。ちょっと長いこと外にいたからね。検査も必要ね」
「……えっと、それだけじゃないみたいなんだけど」
センセイ、つまりこの病院の「お医者さま」に用があると言われて、きっといつもの「定期健診」だろう、そうオルシーは推測をして。――今回は一ヵ月間も「外出」してたから、きっとみっちりやるだろう。少し覚悟しておこうかしらと、そんなことを思ったところで、そのケイシーが、少し意外なことを言い始めて……
「えっとね、『センセイ』が、お姉ちゃんに会わせたい、えっと、『ケンキュウジョのケンキュウシャさん』がいるんだって、そう伝えてくれって」
そのケイシーの言葉を聞いてオルシーは、研究所の研究者が何の用かしらと軽く首を傾げて。もしかして、私が外出している間に新薬でもできたのかしらと、そんなことを考える。――たまにあるのだ。研究所で新しく開発された「魔法障害」の治療薬の効果を確かめるために、その新薬を継続的に服用するよう私に依頼をしてくることが。
……それだけだとまあ、私を「新薬の実験台」にしているってことになるけれど。だけど私も、本来なら手に入らないような高価な薬で治療ができて、しかも「試験投与協力費」の名目でお金までもらえるのだから、これと言って文句はないし。――何より、車椅子が必要とはいえ今も自力で動けるだけの体力があるのも、その「試験協力」のおかげなのだから。
でも普通、帰ってきたばかりのこのタイミングでそんな話をするかしらと、オルシーは考えて、軽く首を首を捻って。
――まあ、会って話を聞けばわかることよねと、そんなことを思いながら、ケイシーと一緒に、久しぶりの「自分の病室」へと入っていった。
◇
そうしてオルシーは、懐かしい自分の病室で少しだけ休んで。検査を受けるために、再び部屋を後にして。
診断室で医者と話をしたあと、精密検査を受けて。その結果が出るまでの間に、研究者を紹介されて、話を聞いて。その話の内容を頭の中で整理したオルシーは、その研究者に向かって、話の内容を確認するように、ゆっくりと口を開く。
「――つまり、わたしの中に流れる『二種類の血』の片方から『魔鉄』を抜き取って、もう片方の血に結びついた『普通の鉄』と入れ替えることで、ほんの少しだけど、私にも魔法が使えるようになる。――少し冒涜的な気がするわね」
「そうかしら? 私たちとしてはむしろ、あなたのような信心深い子が魔法を使えるようになるのは『神さまも望んでいること』だと、そう思うけど?」
オルシーは思う。私の病気、「阻害型代謝魔法障害」というのは、他の子たちと比べてある意味わかりやすい病気で、だからこそ手の打ちようもない「はず」だったのに、と。
他の子たちは、普通の人間と同じ血が流れていて、何かの理由で魔法が上手く使えないだけだけど。私はそうじゃない。私の身体には、他の人たちとは違う「希血」が、二種類の血が流れている。
――その二種類の血が、互いに魔法の発動を邪魔しあうから魔法が使えないし、他人の血を輸血することもできない。だから、私は生まれつき魔法が使えないように生まれてきたと、そう思っていた。
食事療法で特殊な「鉄分」を多く取っても、「二種類の血」に鉄分が行きわたるだけで、二種類の血が邪魔しあうことには変わりがない。身体の中に流れる血を入れ替えることができない以上どうすることもできない、そのはずなのだ。……なのに、それをどうにかすると、この人は言っている。片方の血から「魔鉄」を抜いて、片方の血だけ魔法を使えなくすると。
――私の身体の外に「装置」を付けて、身体の中に流れる血を全てその「装置」に通して。そこで、片方の血から「魔鉄」を抜いて魔法を使えなくすることで、一時的にでも二種類の血が邪魔しあわないようにすることで、魔法を使えるようにすると。
「身体の中から一度血液を抜いて、血液に結びついた鉄分を入れ替える。――片方の血には『魔鉄』を、もう片方の血には『普通の鉄』だけを結びつけることで、片方の血から魔法を発動しないようにする。……本当にそんなことができるのかしら?」
「装置そのものは既にあるの。……ただ、私たちの作った装置じゃないから検証も必要だし、扱いも慎重にしないといけないけど。――ただ、その装置を作った人は『研究者としては』信用できる人だし、自分自身で何度も使ってたみたいだからね。多分、大丈夫よ」
えっと、昔この病院で研究をしていた人で、「シェンツィ・アートパッツォ」さんという「血に狂った科学者」なんて酷い呼ばれ方をした人がいたんだけど。その人と一緒に研究をしていた人で、彼女が亡くなったあとも個人で彼女の研究を、「聖人の血」の研究を引き継いだ人がいて。その人の残した設備と研究成果を、研究所が最近入手したみたい。――どうもその人、効率よく聖人の血を作るために、血液から魔鉄を抜き取ったり、逆に普通の鉄を抜き取って魔鉄と結合させたりはできないかと、そんな研究もしてたみたいで。
その技術が、もしかすると「阻害型代謝魔法障害」の治療に応用できるかもしれないと、研究所で研究が始まって。仮説を立てて、色々と検討をして、応用できそうだということになって。で、私に声をかけたと、そんな話みたい。
「あくまで一時的な治療だし、それで使えるようになる魔法も微々たるものだと思う。それでもきっと、病状はかなり良くなると、私たちは見ている。――当面の間は『命に直面しなくても良い』位には」
研究者の話を聞きながら、オルシーは思う。きっとその「研究者」、私も「本の上では」知っている人だと、そんなことを直感する。だけどその人は、途中から「研究者」とは違う生き方をした人で。名前を言うことも憚られるような人だから、名前を伏せて話しているんだと、そんなことを感じて。
――ああ、この研究者さんはきっと、その人のことを「悪い人」と見てないんだと、そんな風に感じて。……きっとこの人はその人のことを、有名な「凶悪犯」ではなく、過去に共に働いたことのある「同僚」として見ているんだと。
◇
「……そんな訳で。もう少ししたら私は、『新しい治療法』の実験台になることに決まったわ」
科学者との会話も終わり、検査の結果も出て。再び戻ってきた自分の病室でオルシーは、待っていてくれたケイシーに軽く説明をする。
「……えっと、大丈夫なの?」
「ええ。話を聞く限りだと、多分大丈夫よ」
その説明に出てきた「実験」という言葉に、心配そうな声を上げるケイシー。そんな彼女にオルシーは、気負いもなく「心配はいらない」と声をかける。――半ば本気で、何も心配はいらないと思いながら。
もちろん、「実験」という言葉も嘘ではないだろう。だけど、そういうことにしておけばヒトとカネが動かしやすいのだろうと、話を聞いていたオルシーはそんな思惑も感じ取って……
(――ダメね。あの人たちは「教会」や「新教」の人たちとは違うのに。どうしても同じような目で見てしまうわね)
……そんな、むしろ宗教関係者に対する偏見めいたことを考えながら、オルシーは研究者の語っていた「元同僚」の話を思い出す。
◇
「……少し思うの。この仮説は、『聖人の血』研究の副産物という『建前』なんだけど、本当にそうなのかなって」
研究者がオルシーに「実験」の内容を話し終えて。少しだけ空いた時間で、なぜ急に「新しい治療法」なんてものが出てきたのかを、研究者はオルシーにこぼし始める。――それは、久しぶりに「彼ら」の成果に触れることで呼び覚まされた過去を懐かしむような声で……
「彼の残した資料には、なんでそんな研究をしたのか、理由も書いてあってね。『聖人の血』を作るためには自分自身の血が必要で。実験で聖人の血を使うたびに、次の実験のために自分の血液を抜いて聖人の血を作らなくちゃいけない。なら、できるだけ『再利用』を考える必要があったって。――その方が実験回数も増やせるし、血液を抜いてばかりでいられるかって。……でもこれ、言い訳に聞こえるのよ」
この人の語る「彼」という言葉には、きっと「彼」と一緒に汗を流した人だけが持っている「何か」があって。その何かは私にはわからない、だけどその「何か」は、きっととても綺麗な何かで。
「私たちは軍の研究者で。所長も彼らも成果を求められていた。……所長たちを、とても自由に研究していたと言う人は多い。研究を形にするのは他の人に任せて、自分は『魔法と血液』という、自分のやりたい研究を自由にやってた人だったって。
でも、そのために、あの人たちはいろんなことに縛られて。命を失って、過去に、感情に囚われて。周りの人たちが言うほど、あの人たちに自由に生きていたように思えない。――だけど、それでもきっと、あの人たちは自由だったと、私たちはそう思う」
結局、どれだけ話を聞いても、その人たちは本当に自由だったのか、幸せだったのか、はっきりとわからないような生き方をした人たちだったけど。それでもきっと「彼ら」は自由で満足のいく生き方をした人で。
――なんでだろう、私はその自由なのに不自由で、幸せを目の前で逃し続けてたのに、それでも満足いくまで生き抜いたと感じる「彼ら」に、どこか親近感と、ほのかな憧れを抱いていた。
◇
「――うん、あの人たちなら大丈夫よ」
研究者との話を思い出して。改めて、確信したかのように、オルシーはそうケイシーに断言する。
「いいひと?」
「ええ。『身寄りのない知人の遺品』を残すために、色々なところに働きかけたりしてたなんて言ってたし。――もしかするとあの人たち、とんでもないお人好しかもしれないわね」
そのはっきりとした口調に安心しながらも、さらに念押しするように聞いてくるケイシーに答えながら、オルシーは考える。――騒動が終わって回収した「武器」を分解して研究材料にするよりも、国で作られた兵器の資料として残そうと各所に働きかけることを優先した結果、こちらにくるのが遅くなったなんて言う人たちが、お人好しでなくて何なんだろうかと。
――そしてきっと、そんな人たちと一緒に仕事をしていたという「上司」や「彼ら」も、その悪名とは違った「お人好し」の一面があったのだろうと、そんな風に感じて。
そうね、もしかしらた思ったよりも時間ができたのかも知れないし。私が残したいものを書き終えたら、その人たちのことも少し聞いてみてもいいかしらと、そんなことをオルシーは考えながら、少し身体を休ませようと、ベッドの上で身体を寝かせる。
この頃のオルシーは、その「彼ら」が、フィリが外の世界に出る切っ掛けとなった事件に深くかかわっていていることは知らないままで。それでも、彼女自身の物語を語る上で無視できないのではないかと、そんな予感を覚え。――やがて、その予感が本当だったことを、彼女は知ることになる。
――例え「彼ら」と面識が無かったとしても、彼らがフィリ・ディーアやオルシー・ミューレルといった人たちの人生に与えた影響は、無視できるようなものではなかったのだから。