7.どこまでも狭く、どこまでも小さな一つの世界
「――こんなところに『台所』があったのね」
「メディーン、こんなところでごはんを作ってたんだ」
昼食を食べてしばらくして。施設の中をもう少し見ようと言う話になって、再び建物の中に入ったフィリとオルシー。
残りの部屋のうち、まずは出入りしやすい所にあった「生命維持設備室」に入った二人は、入ってすぐの小部屋を覗き込んで、そこにあった意外な設備に、揃って声を上げる。
そんな二人の反応に、説明を求められていると判断したのだろうか。メディーンは、聞かれたわけでもないのに勝手に説明を始めて……
「……えっと、これも『生命維持に必要な施設』だって」
「……そうね、間違ってはいないと思うわ」
その言葉を聞いたオルシーは、軽く頭を抑えながらも、メディーンの言葉に同意する。――そんなオルシーの様子に、メディーンが言葉を続け。その言葉をフィリが通訳する。
「えっと。『施設を空に運ぶときは、管理者が生命維持施設室に一ヵ月過ごすことになるから、ここに作るのが最適だった』って」
「……なんでそっちの理由を先に言わないのかしら」
妙に途切れ途切れに説明を入れてくるメディーンに、オルシーは少し呆れたような声をあげて。興味深々な様子で台所の中に入っていくフィリを見送って。
――そうして、午前に引き続き、午後の「施設案内」が始まった。だが……
◇
「……おんなじような機械ばっかりだね」
「……そうね」
退屈そうなフィリの言葉に、本当は色々と違うのだろうと思いながらも、その言葉に同意するオルシー。
台所を見学した後、フィリたちはそのまま生命維持設備室を見て回り。エレベータで二階に上がり、記録設備室、通信設備室をざっと見て。さらに地下に降りて、予備設備室を見学して。
その全ての部屋が、よくわからない機械が置かれているだけの部屋だったと、フィリとオルシーの二人はどこか退屈そうに言葉を交わす。
何せその機械たちは、本当にこれは機械なのかと言いたくなるような、静かな金属の箱の集まりだったのだ。
さまざまな大きさ、さまざまな形のそれは、間違いなく違う機械でありながら、動いていることすら実感できないもので。そんな光景を延々と見せられることになった二人は、どこか退屈そうな表情を浮かべながら、それぞれの部屋を見終わって……
「で、ここが最後、緊急避難室ね」
……最後に、地下のエレベーターホールから、最後に残った「緊急避難室」の扉を開けて。その中の風景を見たオルシーは、少し意外そうなものを見たというような感じで、声を上げる。
――えっと、ここ、本当に緊急避難室よね、と。
◇
そこに広がっていたのは、どこか雑然とした広い空間だった。天井までの高さは十メートル程だろうか。程よい明るさに照らされたその部屋の片隅には何本かの苗木が植えられ。そのすぐ隣で、何十もの背の低い箱に入った芝生が育てられていて。
さらにその隣は物置だろうか。いくつか並んだ棚の中には調理器具や何か工具のようなもの、さらに様々な金属板や棒が整然と置かれ。
メディーンからそれらの説明を聞いたオルシーは、やがて、一つの結論を導き出す。
「……つまり、ここは『メディーンの部屋』なのね」
メディーンは、フィリとオルシーに対して、静かに言葉を伝える。この「緊急避難室」は、最初はいつ機械が故障しても良いように避難場所として設計された場所だったと。
この遺跡がまだ空の上に上げる前は、故障があった時に一時的に避難するための空間として、生き延びるために必要な物資がほんの数日分置かれているだけの、ほとんど何も置かれていなかった部屋だった。――だが、それも空の上に到着して数日までのことで。
「そっか。『ここで』あの芝生や木を育ててたんだね」
空の上についてから、当時の管理人が、この狭い遺跡に「憩い」を求め、さまざまな物を設計し始める。元々、軌道エレベータの地上駅の正面にあった噴水や芝生をできるだけ生かしつつ、残骸のように残っていた近代的な道の残骸を取り払って完全な「庭」に改造し。よりよい景観を求めて、小ぶりな木も植えて。予備設備を使って風を作り出して……
そんなことを、フィリとオルシーの興味が趣くままにメディーンは説明していく。
――可能な限り、「管理者」のことは答えないように、二人の意識をそらしながら。
その管理者が「もう緊急避難室は要らない」と言ったこと、それでもメディーンはその機能を残しながら、管理者の要望にも応え続けたこと、そう言ったことには触れないように、興味を抱かれないようにしながら、メディーンは二人に説明を続ける。
そんなメディーンの様子に気付かずに。それでも、オルシーは確かにこの部屋から何かを感じ取っていたし、そんなオルシーが無意識のうちに言葉に込めた何かを、フィリも確かに感じていた。
――確かにここは、荷物だけでない、メディーンの大切な何かがある「メディーンの部屋だよね」と。
◇
やがて、日が暮れる頃には最後の「緊急避難室」も見終わって。いつの間に作ってあったのだろう、メディーンの作った夕食を食べながら話しあう。
「明日はどうする?」
「そうね。……明日はまた、『果物狩り』に行くのかしら?」
「えっと、……うん!」
そんなことを話し合いながら、夕食を終えて。いつものように、陽が落ちる前に片付けをして、小屋の中に入って、就寝までのしばらくの間、布団にくるまって、他愛のない話をして。……やがて、どちらともなくスヤスヤと寝息を立てる。
こうしてオルシーは、フィリに話を聞いてから一度見てみたいと思っていた「遺跡」を、一通り見終える。――ここにきてからたった三日、初日、飛行機から出たのが夕方だったことを考えると実質二日で。
それほどまでに、ここは小さな、一つの世界だった。
◇
――夜の帳が降りて、オルシーはふと目を覚ます。
再び目を閉じて眠りにつこうとして。何故だろうか、一人で外に出たくなって。オルシーはただ一人、フィリを起こさないように注意しながら、一人車椅子に乗る。
◇
静かに扉をあけて、小屋を出て。ハンドルを回して少し進み、振り返るように小屋を見る。視線の先には、白くてこじんまりとした、二人の寝台だけで部屋の半分をつかってしまうような、さっきまで中にいた小さな小屋。
窓には大きな硝子、反対側にはいつも食事をとる机が置かれ。台所すらない、雨風をしのいで食事をするためだけの、どこか不便そうな小屋。そんな小屋を見ながら、オルシーは、何でこんな小屋に住んでいるのか今ならわかると、施設の方へと視線を移す。
――どれだけ快適でも、窓の無い部屋にずっと住み続けてるのは嫌だったのよね、と。
過去に、前の管理者がここに小屋を建てるように指示したことも知らないまま、それでも、外の風景を見るためにここに小屋を建てたんだと、そうオルシーは確信して。今度はそのまま、施設の方へと移動をし。正面玄関の前で、車椅子を噴水の方へと向きを変えて、ぐるりと見渡す。
噴水の光が揺れて、小屋を、芝生を、ちらちらと照らし。庭の片隅に植えられた木の奥に瞬く星を眺めて。そちらの方に行こうと、オルシーは車椅子のハンドルを押し始める。
――クエェーーッ
小屋の奥で丸まっていたピーコックが小声で一鳴きして、静かに飛び立つのをオルシーは見送る。――あの変なところで気の回る鳥は、私が動き回っているのを見て席を外したのだろうと、そんな風に感じたオルシーは、ほんの少しだけクスリとする。
(あの鳥、ホント、どこであんな「人間くささ」を学んだのかしら)
そんなことを思いながら、片翼で空を舞う孔雀を目で追って。今では危なげなく飛ぶようになった巨大な孔雀が、星空に青く輝いて。――あんなふざけた性格でも、その姿は美しくて。遥か遠く、見えなくなるまで目で追って。
再び車椅子のハンドルを押して。庭の端にある木のふもとまで行って。その奥をじっと見る。
――この小さな遺跡の、山の中腹に乗った大地の端の、その先の星空を。
◇
遥か昔、別の場所にあった施設。
大災害に備え、空の上へと持ち上げられた遺跡の端。
今は山の中腹に乗った大地の端。
昔、ここは空の上にあった小さな世界の果てで。
今は小さな遺跡の端。
この遺跡を中心とした世界の果ては、今しがたピーコックが飛んでいったその先で。
そこは、人の足ではどこまでも遠く。
かつて空の上にあった世界は、今は広大な地上にあって。
――それでも、そこは、大自然という名の閉じた世界だった。
◇
(――どうして)
目の前の星空を見て。
頭上の星空を見て。
背後の噴水を、小屋を、施設を見て。
オルシーは一人、心の中で嘆息する。
(どうしてこんな狭い世界で生きることができたのかしら)
車椅子の自分が、あっさりと端にまでこれる程度の広さ。
一目で世界全てが見渡せる程度の広さ。
そして、何よりも。たった数人で「いっぱい」になってしまうこの世界で、どうすれば生きていけるのかと、オルシーは嘆息する。
オルシーが病院に入ったあとに初めて見た外の世界は、オルシーが思っていた通りのどこまでも広がる世界で。オルシーが驚くほどに小さな世界で。
――オルシーは、自分が今まで住んできた病院の広さを瞼の裏に写しながら。頬を伝う涙とともに、自分が住んでいた世界の広さと温かさを思い起こしていた。