幕間.本人たちのいない場所で……
「聖鳥さま、今ごろどうしてるかな~」
「お姉ちゃんたちなら、『フィリお姉ちゃんのお部屋』でのんびりしているころじゃないかな」
旧都マイニングに建つ病院の庭で。日当たりのいい場所で一人座っていたケイシーは、自分よりも年下の子に話しかけられて。その言葉に、聖鳥さま、人気だよねと少しだけ笑いながら、のんびりとした声で返事をする。
聖鳥さまが、オルシーとフィリを乗せたまま、どこからともなく飛んできた飛行機に乗って飛び去ってから一週間以上が経過して。
飛び去った直後は、突然の出来事に色々と騒がしかった病院の子供たちも、その翌日には話が行き渡ったのだろう、普段の様子を取り戻し始めて。数日もした頃にはすっかり普段通りとなって。
……それが、久しぶりに「聖鳥さま」のことが話題に上げるのを聞いて、ケイシーは思う。そういえば、お姉ちゃんがフィリお姉ちゃんの部屋を「見学」しに行って、もう一週間以上経つんだよね、と。
なんとなくそんなことを考えていたケイシーの言葉に、その子も「一緒に行った人」のことを思い出したのだろう、ケイシーに話しかけて……
「そっか、『オルシーサン』もその『フィリお姉ちゃんの部屋』に『ケンガク』にいってるんだっけ」
その「オルシーサン」という、いつのまにか小さい子どもたちの間で自分の姉に付けられたあだ名に、ケイシーは思わず吹き出しそうになる。
(お姉ちゃん、ああ見えて人気があるからなぁ)
ケイシーの姉のオルシーは、自分から積極的に交友関係を広げていくタイプでは無いものの、知的好奇心が旺盛で、わからないことがあると、一人で図書室に閉じこもって、大抵のことは調べてしまう。その結果、オルシーは、下手な大人よりもはるかに多くの知識を書物から吸収している。
十代半ばにさしかかった、そろそろ働き口を探そうとしている子供たちにとっては、たとえ知識だけでも、「病院の外」のことを知っている子は貴重だ。そんな子供たちにとって、オルシーの豊富な知識量は頼りになるのだろう、彼女に相談を持ちかける子はかなり多い。
オルシー自身、人付き合いそのものが嫌いなわけではないし、生まれついての性格だろうか、かなり真面目に相談に乗る。そのどこか冷たく感じる態度も、子供たちにはむしろ頼もしく見えるのだろう、いつしか彼女は、こんな風に呼ばれるようになる。
――「何でも知ってるオルシーさん」、と。
その呼び方がいつの間にか小さな子供にも広がったのだろう、自分の姉が小さな子供たちの間で「オルシーサン」と呼ばれ始めていることを知っていたケイシーは、悪気は無いんだろうけどなぁなんて思いながらも、自分に話しかけてきた子供に、軽くたしなめるように話しかける。
「はは、その呼び方、お姉ちゃんに聞かれたら、変な顔されるよ」
「え~、でもみんな言ってるよ、オルシーサン、凄いって」
少し笑いながら、そのあだ名は言わない方が良いよとやんわりとたしなめるケイシーに、少し不満げな口調で言い返す子供。その子供の様子にケイシーは、自分の好きなお姉ちゃんをほめられて嬉しそうにしながらも、そんな風に呼ばれてもお姉ちゃんは喜ばないことを説明するにはどうすればいいかななんて、少し真剣に考え始める。
◇
この病院で治療を受けている子供たちは、成長期が終わるまでには、大半の子が完治する。だが、問題はその後だ。
親元に帰ることのできる子はほんの一握りだ。未だに残る「祝福のない子供」という偏見のために、故郷に帰ることのできない子供がいる。元々が貧しい家のために、帰っても食べていくことができない子供もいる。事情は様々だが、この病院に入院した子供たちの大半は、自力で生きていくために、住居と職を探さなくてはいけないのが現実だ。
病院の関係者やダーラを始めとした教会の伝手、何よりも過去にこの病院から巣立った「大人」を頼って、この先、生きていくための場所を見つけ出す。
この病院でいる子供たちは、今はもう、先の無い「祝福のない子供」ではない。「先天的魔法異常」という、適切な治療を施せば治る病気にかかっていただけのことだ。この先、新教が広がれば、子供たちにより多くの選択肢が与えられることになるだろう。なにより、ここを巣立って大人になった人たちが、「祝福のない子供」はただの偏見だったと、その身をもって証明していくことだろう。
――それでも、今はまだ、道の途中で。その偏見と困難は、今もなお、根強く残っている。
◇
(お姉ちゃん、元気にしてるかなぁ)
ケイシーと話をするのにも飽きたのか、それとも身体を動かしたくなったのか。さっきまで話していた子供が、少し離れたところで遊んでいた同じ年ぐらいの子供たちの方へと駆けていき。
その子供を手を振って見送ったケイシーは、遠く「フィリの部屋」に行ったオルシーのことを思い出す。
(いい場所だといいんだけど。最近のお姉ちゃん、お肉も食べられなくなってたし。……ううん、まだまだ大丈夫! すぐに回復するんだから!)
それまでずっと病院の中で過ごしていたオルシーが、初めて自分から行った外の場所。そこが、お姉ちゃんにとっていい場所だといいなと、そう願うように考えたケイシーは、続けて思い浮かべそうになった不吉な予感を頭から慌てて消し去って。
このままここに一人でいると余計なことを考えそうだから、立ち上がって何かしよう、そう思いたったところで……
「こんにちは。どう? お姉さんがいなくても大丈夫?」
――ケイシーの頭上から、ダーラの声がかけられる。
◇
いつものように病院に訪れたダーラは、礼拝室の掃除をした後、子供たちの病室を回り、自分で動けない子供を車椅子に乗せて、礼拝室で一緒にお祈りをして。――その帰り、病棟を出たところで、庭の片隅でケイシーが座っているのに気付いて、軽く声をかける。
「わたしは大丈夫! ……お姉ちゃん、元気かなぁ」
「あら、それは多分大丈夫よ。フィリと一緒にいた機械人形のメディーンさんは優秀なお医者さまだそうだから」
自分自身よりも、むしろ姉のオルシーの方を心配しているケイシーを見て、ダーラはクスリと笑いながら、オルシーたちと一緒に行った機械人形のメディーンは優秀な医者だと説明をし。その説明を聞いたケイシーは半信半疑で、それでもダーラの言うことだからと一応頷いて、話を続ける。
「みんなはお姉ちゃんよりも聖鳥さまの方が気になってるみたいだけど」
「それはしょうがないわよね。オルシーちゃん、飛べないから」
ケイシーの言葉に、ダーラはのほほんと、冗談めいた返事をして。その当たり前のようでいて実はとんでもない言葉に、ケイシーは思わず吹き出しながら、ピーコックが病院に来ていた頃を思い出したのだろう、懐かしそうな声を上げる。
「聖鳥さま、またここに来るのかなぁ」
その言葉が、ダーラのいたずら心のようなものを刺激したのだろうか、少しだけからかうような口調になって。ダーラは、ケイシーが想像すらしていなかったことを口にする。
「そぉねえ。聖鳥さまが教会にいてくれるとありがたいし。できればずっといてくれてほしいくらいなんだけど、ねぇ」
「えっ!? そんなことできるの!?」
ダーラの言葉に、ケイシーはびっくりした声を上げて。そんなケイシーに、ダーラはのほほんとした口調で返事をする。
「さあ、どうでしょうねぇ。――けど、聖鳥さまにも、悪い話じゃないと思うの。だから一回話をしてみて、あとは聖鳥さまの返事次第かしらねぇ」
◇
やがて、ケイシーとの話を終えて。病院での用事を済ませたダーラは、教会に戻って、あとは夕暮れ時までのんびり過ごそう、そう思って、奥の部屋でお茶やお菓子を用意していたところで……
「ごめんください」
上品そうな佇まいの女性が一人、ダーラの教会を訪れる。
(まるで、どこか異国の、……話に聞く「王国のご令嬢」みたいな服装ねぇ)
教会の入口の方から聞こえた声にダーラは、「はーい」と返事をしてから礼拝堂に出て。その入口に佇んでいた女性を見て、そんなことを思いながら、彼女の元へと足を運ぶ。
そんなダーラに、その上品ないでたちをした若い女性は、話を切り出す。
「病院で『聖鳥さま』のことをたずねたら、この教会のシスターが詳しいと伺いまして。少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
その女性の言葉を聞いてダーラは、この女性は多分、聖鳥さまに会うために、異国からここを訪ねてきたのよね、だけどなんで、わざわざそんな遠くから訪ねてきたのかしらと首を傾げ。――ふと思う。その女性が醸し出す雰囲気も、しゃべり方も、全く違うんだけど。それでもなぜか、この女性と話していると、最近知り合った一人の女の子のことを思い出すわね、と。
そんなことを考えていたダーラに、その女性は、王国貴族風の礼を優雅に執りながら、自己紹介をする。
「改めまして、自己紹介を。わたくしは王国で投資業を営んでおりますディーア家の長女で、リズと申します。今日は、生き別れとなった妹の手がかりを求めて、ここまで参りました」
その自己紹介で語られた家名は、王国で最近目立ち始めてきたという、商売で成功を収めた資産家、「新たな名家」と呼ばれる、貴族とは別の形の上位階級の一つで……
――その口から語られたのは、一度見たら忘れられないほどの見目麗しい外見をした聖鳥さまが繋ぎとめた、普通なら二度と戻らないはずの、生き別れとなった一つの家族の縁だった。
◇
旧都マイニングから遠く離れた「遺跡」で。小屋の外で昼食として出された麦粥を、最初は恐る恐る、一口二口食べた後は気に入ったのだろうか、普段どおりの速さで口に入れるオルシー。
そんなオルシーの様子を見守ったあと、フィリも懐かしそうに麦粥に口をつけて。あれ、少しさっぱりしてる?、お肉はいってるよねと、そんなことを思いながらも、久しぶりの味にフィリの顔は自然とほころび。
そんな昼食をとっていたフィリたちにピーコックが、どこか居心地が悪そうな声で話しかける。
「……何故かのぉ。何となくじゃが、どこか遠くで、誰かが儂のことを噂しとるような、そんな気がするのぉ」
あまりに唐突な、根拠のないことを言い始めたピーコック。その言葉を冗談と受け取ったのだろう。フィリとオルシーは、ピーコックの言葉を種に、世間話を始める。
「病院の子供たちかな。ほら、ピーコック、大人気だったから」
「案外、ダーラあたりかも知れないわね。あの人、ピーコックのことを『利用できる』とか考えてそうだし」
「え~! ダーラさん、そんな悪い人じゃないよ」
ただの冗談からの日常会話だと思っていたところで、オルシーから思いもかけない言葉を聞いたフィリは、思わず大きな声を上げ。それを聞いたオルシーは、少しまずいことを言ったかしらと思いつつも、どうすれば自分の言いたいことが伝わるか、言葉を選ぼうとして。――どうしても言葉にすることができずに困り果てる。
――それはいわば「信じる人」と「信じ、教えを広める人」の違いで。救いを求めて祈る人と、誰かを救うために祈る人。どちらもきっと、その祈りは真摯な祈りで。真摯に祈るからこそ、互いに認めながら、溝ができるのだろう。
そのことをオルシー自身、肌で感じながら。明確に意識していないために、上手く言葉にできずにいて。――そんなオルシーを、ピーコックは笑い飛ばす。
「カッカッカ。別にあのヒトが何を考えてようが関係なかろうて。儂に用があるなら話をすればええし、その話に納得できるのなら乗ればええ。それだけのことじゃろうて」
「――そうね。あの人は別に隠しごとはしないと思うわ」
「さて、それはどうかのぉ」
ピーコックはピーコックで、ダーラのことを、どこか油断のならないヒトだと認識しているせいだろうか。どこか突き放したようなことを言って。そのピーコックの言葉を否定するでもなく、それでもしっかりと、オルシーは自分の意見を言い始める。
「別に隠すことでもないと思うわ。だって、ダーラの教会に『聖鳥さま』が住むようになったら、彼女の教会……、というか新教の方かしら、ものすごい『箔』が付くことになる。だから、ダーラとあなたが並んで歩いて話をするだけで、ダーラには得なのよ。けど、道理に通らないことはしないし、見返りも準備してくれると思うわ。――あの人は、その位のことは考える人よ」
そういうところが嫌いなんだけどと、そう思いながらも口にしたオルシーの言葉に、ピーコックは一瞬だけキョトンとして。すぐに「かっかっか」と笑い始める。
それはまるで、ダーラというヒトが持つしたたかさと、オルシーのどこか皮肉めいた言葉の下に潜んだいかにも「人間らしい」感情を、一緒に笑い飛ばすかのようで。
――同時に、「これだらかヒトという奴は」とでも言いたげな、ほんの少しだけ柔らかい響きのまじった、そんな笑い声だった。