4.忘れ去られた贈り物(上)
メディーンの準備した電動補助機構付空気浮揚式車椅子に乗ったオルシーは、最初はゆっくりと、自分の力で車輪を回して。その感触に少し驚いた顔をしてから、今度は普通に車輪を回し始めて。――少ししてから、どこかホッとしたように、わたしに話しかけてくる。
「――意外と普通の乗り心地ね」
そのまま、噴水の方まで自力で移動しようとしたオルシーに気付いて、慌ててオルシーの元へと駆け寄って、後ろから車椅子を支えて。――その「滑る」ような軽い感触に、すこしびっくりする。
「押すの、すごく軽いよ」
「そうね。私も、車輪の軽さに少し驚いたわ」
思わずオルシーに話しかけると、オルシーも同じようにびっくりしたのかな、そんな返事が返ってきて。再び自分で車輪を回そうとしているのを見て、車椅子を支えていた手をそっと放して。ゆっくりとオルシーの後ろを歩く。
そのまま、小さな段差を何事もなかったかのように超えたオルシーは、芝生の上を、噴水の方に向かって移動して。周りをぐるっと一周して。小屋の方に向かって移動を始めて。――やがて、小屋まで戻ってきたオルシーは、感想を口にする。
「『浮く』なんて言うから驚いたけど、浮くのは段差のときだけみたいね。――すごく軽いわ」
オルシーのどこか楽し気な声に、つられて少しだけ笑って。うん、よかったな、なんて思う。――だってオルシー、病院の廊下とかを移動するだけでも、結構大変って言ってたから。やっぱり、行きたい場所には自分で行けた方が良いよねと、そんなことを考えて。……そんなにも楽なのかなと、ちょっと興味がわいて。
「わたしも少し押してみていい?」
オルシーにそう声をかけて。オルシーは「ええ、いいわよ」と返事をしながら頷いて。もう一回、今度はわたしが車椅子を押しながら、オルシーと一緒に、噴水まで移動を始めて……
「普通に押すだけで段差を超えられるのは楽だよね」
「そうね、前輪を持ち上げなくて良いのは楽だわ」
そんな、普通の車椅子よりも便利になったところを言い合いながら、もう一度、噴水の周りを回ってきて。……メディーンが言葉を伝えてきていることに気が付いて、少し余計かな、なんて思いながら、オルシーにその言葉を伝える。
「……えっと、『そっちのスイッチを押すと、車輪を浮かせて完全に宙に浮……』」
「そんなことはしなくていいわ」
……その言葉も途中で遮られて。うん、やっぱり余計だったと、そんなことを思いながら、少しだけ休憩しようと、オルシーの乗った車椅子を押しながら、小屋の横のテーブルの方へと歩いて行った。
◇
小屋の横で一休みして。いつものように施設の中に、今度こそオルシーと一緒に入ろうと席を立って。一人残されることになるピーコックに声をかける。
「じゃあ、行ってくるね」
「おう! 儂ぁ、獲物を狩りに行っとるでのぉ」
オルシーも一緒に入るから、今日はいつもの「点検」だけじゃなくて、「野菜工場」とか、今まで行ったことの無い場所にも行くことになる。だから少し時間がかかると思うって、そうピーコックに話したんだけど。……どうもピーコック、少しじゃなくて、すごく時間がかかると思っているみたいで。
オルシーも、何も言わなかったところを見ると、同じように考えているよね、これ。……見て回るだけで、そんなに時間、かかるかなぁと、そんなことを思いながら、施設の方へと歩き始める。
◇
そんな、朝のちょっとしたやり取りを終えて、施設の中に入って。まずはいつも通り、施設の奥の「いつもの部屋」で、メディーンの「点検」が終わるのを待つ。
「えっと、ここは?」
「『中央操作室』だって」
オルシーの質問に、メディーンが言葉を伝えてきて。その言葉をオルシーに伝える。
「……何が書かれてるのかしら」
「さあ。わたしも読め……、えっとね、『この施設の稼働状況を表示中』だって」
オルシーの疑問に、わたしもわからないと言いかけたところで、メディーンが言葉を伝えてきているのに気がついて。その言葉をオルシーに伝える。
えっと、メディーンが言うには、この「中央操作室」は、この施設の中にある色々な「設備」につながっていて。ここから命令を送って「異常がないか調べる」ことができるみたい。で、メディーンは毎朝、設備が壊れてないかを調べてたんだって。そんなメディーンの説明を、そのままオルシーに伝えて。
オルシーも、話すことがなかったのか、壁に浮かんだ文字が流れていくのを静かに眺めてたんだけど……
「……そういえば、聞いてなかったんだけど」
そう、オルシーに声をかけられて。
「そもそもこの施設、……というか、遺跡なんだけど。誰が、何のために、この遺跡を作ったのかしら?」
オルシーの質問に首をかしげながら、メディーンの方を見て。メディーンもこっちの様子に気付いたんだよね、少しだけ時間を置いてから、言葉を伝えてくる。
「……えっと、『大災害で記録が失われないよう、より多くの記録を残すためにこの遺跡は作られた』って、メディーンは言ってるよ。『聖典と呼ばれているのはただの端末で、記録はこの施設に保存されている』って」
そのメディーンの言葉に少しだけ疑問を感じながら、それでも言葉をオルシーに伝えて。
「そう。やっぱり……って、ここは『記録を残すための遺跡』なのね。それは意外かしら」
メディーンの言葉を少し想像していたようなオルシーの言葉に、やっぱりオルシー頭がいいな~、なんて思いながら、メディーンの通訳を続けて。
「でも、良く残ってたわね」
「……えっと、『大災害の直前に、高度三千六百キロの高さまで浮かせた』んだって」
「浮かせたって……。でもそうね、大災害のときに本当に『空の上』にあったのなら、残ってるのも納得よね」
そんなオルシーとメディーンの話もすぐに終わって。えっと、オルシーが気にしていないのなら良いのかなと、少しだけ疑問に思ったことを頭の中から消す。――オルシーは確かに「誰が」この遺跡を作ったかを聞いたのに、メディーンが答えなかっのは珍しいなぁと、そんなことを思ったんだけど。
◇
「ところで、フィリ」
「?」
メディーンの点検も終わって、中央操作室から出ようとしたところで。オルシーに声をかけられる。
「フィリはここにいて、施設の中がどうなっているかとか、今まで気にならなかったのかしら」
「え?、だってここは『メディーンの場所』なんだから、勝手に入ろうとは思わないよ」
……えっと、うん、オルシーの言いたいことも少しわかるんだけど。わたしも「今は」この施設に何があるのか、聞いてみたいと思うから。でも、メディーンのことを無視して入りたいとは思わないし、それに……
「……でも、そうだね。『お願い』すれば入れてくれたと思うけど。だけど、そこまでして入りたいとも思わなかったかなぁ」
「――そうね、ずっとそこにあるのなら、きっかけがないと入ろうとしないかしら」
「そう、そんな感じ」
うん、きっと「外の世界」に出なかったら、施設の中がどうなっているか、知りたいと思わなかったと思う。そう思いながらオルシーに返事をして。なんとなくオルシーにも伝わったのかな、オルシーもうなずきながら同意してくれて。
そんなことを話しながら中央操作室を出て。少し戻ったところにある扉をくぐる。
「えっと、ここは『エレベーターホール』っていう場所みたい。『野菜工場』はこの奥にあるんだって」
そんなメディーンの説明をオルシーに伝えながら、「エレベーターホール」の中を見渡す。そこは、少し狭めの、部屋みたいなところで……
◇
そこは、フィリたちが寝泊まりしている小屋の中と同じくらいの、ほんの小さな空間。その正面の壁には銀色の、横開きの扉らしきものが鎮座し。部屋の奥には、施設の奥にまで続いているのであろう廊下が続く。
今までとは違う、ほんのりと柔らかな白色に塗られた部屋の壁。その壁ぎわには、座りごこちの良さそうな長椅子が置かれ、この施設の見取り図らしきものがかけられて。
――そこは、今までの「施設」とは違った、人が生活することを考慮して作られたような、そんな空間だった。
◇
「……病院の待合室みたいな場所ね」
扉をくぐってエレベーターホールに入ってきたオルシーが、周りを見渡したあと、そんな感想を口にして。その言葉に少しだけ納得する。えっと、病院の待合室は広いし、椅子もたくさん並べられてて、こことは全然違うんだけど。だけど、部屋の奥の方に廊下が伸びてたり、どこか雰囲気が似ていて。……きっと、「ここから色んなところにいけそうな感じ」が似ているのかな、なんて気がついて。
少し興味がわいて。もう少し見てみたいな、なんて思ったところで、メディーンが奥の方に歩き出して。帰りに少し見させてもらおう、そう思いながら、メディーンとオルシーのあとを追いつくために、小走りで駆けだした。
◇
「えっと、ここが『野菜工場』だって」
「――何か、とてもユニークな場所ね」
メディーンに案内されて、エレベーターホールの奥の廊下から「野菜工場」の部屋に入る。……えっと、お野菜を育てているのだから、もう少し土とかがある、「畑」みたいな場所を想像してたんだけど。実際には、部屋中に置かれた棚に、いろんな野菜が並んで育てられてて。どちらかというと、えっと、病院の「図書室」でお野菜を育てているような、そんな感じがする。
多分、オルシーも初めて見るのかな、すごく楽しそうに、棚に並べられた野菜を見てる。
「作ってるのは穀物に葉野菜、豆類、根菜に芋類と。結構色んなものを作ってるわね。そう、牛乳の代わりにするために大豆は多めに作ってるのね。……大豆が牛乳の代わり?」
「……ピーコックやわたしが採ってきた野菜を栽培してるって、……わたし?」
感心したように呟いたオルシーにメディーンの言葉を伝えて。その説明の途中でわたしも首をかしげる。えっと、わたし、お野菜を取ってきたことなんか、あったっけ? そう思ったんだけど……
「きっとまた『フィリが子供のころ』じゃないかしら?」
すこし「からかい」の混じったオルシーの言葉を聞いて。慌てて、「エレベーターホールに戻ろう」と主張する。――わたしも覚えていないような小さな頃の話になる前にここを出よう、そう思いながら。
◇
「で、これ多分、この『施設』の見取り図よね」
そんなこんなで、さっきのエレベーターホールに戻ってきて。オルシーと二人で、メディーンに色々と話を聞きながら、壁ぎわの「見取り図」の前まで行って。そこに書かれていた文字を見て、オルシーが軽く首をかしげる。
「……これ『聖典文字』ね」
「聖典文字?」
「聖典に使われてた文字よ。……まあ、ここに『聖典の知識』が収められているのなら、それも当然なのかしら」
見取り図に使われていた、えっと、わたしがメディーンから習った字とは少しだけ違う、でもなんとなくだけど何が書いてあるかわかる、そんな字を、オルシーはすらすらと読み始める。
「えっと、地下に予備設備室、緊急避難室、一階には中央制御室、野菜工場、生命維持設備室、二階は記録設備室、通信設備室、三階には居住区……」
下から順に地下、一階、二階と読み上げていって。読み進めていくうちに、オルシーの表情から、楽しげな表情が消えていって……
「……ちょっと待って。おかしいわ」
……最後まで読む前に、真剣な表情をして、読むのを止める。
「だってこの遺跡、元々は地上で作られて、大災害の直前に空まで運んだのよね。……なのに、どうして『居住区』があるの?」
多分、メディーンに質問しているのかな。オルシーの声は少しだけ怖くて。その質問を聞いて、わたしもオルシーの気にしていることに気が付いて。一瞬、なんでそんな声を出すんだろう、なんて思って。――ああ、でも、なんとなくわかるような気もする。オルシーの住んでいた病院、たくさんの子供がいて、賑やかだったから。わたしも、外の世界でずっと過ごしていたら、きっと同じように思ったのかな、そんなことを思いながら、オルシーの言葉を聞く。
「この遺跡を維持するためにメディーンが残る。それもどうかと思うけど、メディーンは機械だし、長く生きていける。――だけど、人間はそうはいかない。
確かにここにいれば、大災害から身を守れるかもしれない。だけど、ここに住めるのって、せいぜい数人よね。
――大災害が起きたときに、ここにどの位の人がいて、その人はどうなったのかしら」
オルシーの言葉を聞いて思う。オルシー、頭が良いのに、なんでそんなことを聞くのかな、と。だって、さっきからずっと見てきたのに。そんな大勢の人間が過ごせるような施設なら、きっと気が付いていたと思う。だから……
――そんなフィリの推測を裏付けるように、メディーンはフィリに答えを伝える。大災害の時にこの遺跡と共に空に「避難」したのは、自分を創った管理者、一人だけだと。