3.天空の遺跡(下)
2019.5.6 誤字修正。
フィリとピーコックとの間で繰り広げられた朝の「追いかけっこ」が終わり、食事も済ませて。メディーンとフィリが「定期点検」のために施設の中に入っていくのを見送ったオルシーは、陽当たりのいい場所を選んで身体を丸め終えたピーコックの、どこか呆れたような声を聞く。
「全く、あ奴も融通が利かんのぉ」
「そうね。でもそれは、メディーンにとっても『どうしようもない』ことなんだと思うわ、きっと」
そのピーコックの言葉に、オルシーはクスリと笑いながら、先程までのやりとりを思い出す。
食事が終わったあと、当たり前のようにオルシーと一緒に「施設」の中に入ろうとしたフィリ。念のためメディーンに、「オルシーと一緒に入ってもいい?」と聞いて、問題ないとの答えに喜んだのもつかの間のことで。オルシーを背中に乗せようと、当たり前のように彼女の元へと歩き出したピーコックを、メディーンは制止する。
「『動物は立入禁止』って、それじゃあまるで儂が、そこらへんの野生動物みたいじゃないか」
「それはしょうがないわね。私が過ごしている病院も、基本的に動物は入ってはいけないことになっているし。野生動物なんか入り込んだら、きっと大騒ぎよ? だから、そこまでおかしい考え方でもないと思うわ。――まあ、融通が利かないとも思うけど」
「……そういえば儂は、あの病院でも『建物の中』には入ったことが無かったのぉ」
笑いをこらえながらも、ピーコックをなだめるように話すオルシー。その様子にいつまでも不満を口にすることも出来なかったのだろう、どこか無理やりに自分を納得させるピーコック。
そんなピーコックの様子を見て、オルシーは思う。確かに病院も、「野生動物」なんか入り込んだら大変な騒ぎになるだろうし、「動物は立入禁止」には、そういう意味も無いわけでは無いと思う。でも普通、わざわざ「動物は立入禁止」なんていうような施設って、どちらかと言うと「ペット禁止」って意味よね、と。
まあ、わざわざ言わなくても良いことよねと、そう心の中で結論付けたオルシーは、考えていたことを出さないように注意しながらも、ピーコックと話しを続ける。
「まあ儂も、必要が無いのなら、わざわざ建物の中に入ろうとも思わんからのぉ。構わんといえば構わんのじゃが」
「そういえば、昨日も外で寝てたわよね。室内は苦手かしら」
「そりゃあ、室内じゃと翼は広げられんし飛び立つこともできん。窮屈でしょうがないわい」
「……そういえばあなた、翼を広げるとびっくりするほど大きくなるわよね」
「そりゃあ、飛ぶための翼だからのぉ」
会話を続けながら、ピーコックの言葉の節々に引っかかりを覚えるオルシー。孔雀が飛ぶのもそうだけど、孔雀の羽根って飛ぶためのものかしらと、そんなささやかな疑問に蓋をしつつ、オルシーは、フィリが施設から出てくるのを、のんびりと待っていた。
◇
それから程なくして。施設から出てきたフィリが辺りを見渡して。小屋の横のテーブルで話し込んでいるピーコックとオルシーの姿を見つけて。勢いよく駆け寄りながら、声をかける。
「お待たせ!」
「あら、意外と早かったわね。もう少しかかるかと思ってたわ」
元気いっぱいなフィリの声に軽く笑いながら、オルシーはフィリに返事をして。そうしてフィリが同じテーブルに着くのを待ってから。この後どうするか、オルシーとフィリは相談を始めた。
◇
「……つまり、普段だと、この後に食事の材料を採取して、メディーンが料理をして。食事の後にメディーンに色んなことを教わって、日が沈んだら小屋に戻って寝ると。――結構、悠々自適ね」
「あはは……」
このあとどうしようか話をしてたら、今までわたしがどう過ごしていたかという話になって。思い出しながら簡単に説明したら、オルシーにそんなことを言われて。うん、あの時は気付かなかったけど、確かにのんびりした毎日だったねと、笑いながら実感する。……外の世界の人たち、みんな忙しそうだったから。
「……でも、そうね。今までフィリがどんな風に過ごしていたか、興味があるわ。だからまずは、その『果物の採取』、一緒に行ってみたいんだけど、いいかしら?」
そんなことを考えてる内に、オルシーがそう返事をして。えっと、オルシー、一緒に来ても見てるだけだよね? 木にも登れないし。「退屈じゃない?」そう聞いてみたんだけど……
「多分、大丈夫だと思うわ」
オルシーが言うには、外の世界だと、えっと、「果樹園」でお金を払って、果物を採るのを見学したり、自分で採ったりする商売があるんだって。で、わたしの果物採取は、間違いなくそれよりは面白いだろうって。そんな話を聞いて、少しキョトンとする。
えっと、だって、果物を自分で取って、お金も払うの? なんで? そう思ったんだけど。フィリには当たり前でもね、他の人には珍しいことだって結構あるはずよって、そう言われて。
「第一、ここに来るまでだって、普通はなかなか味わえないようなことばかりだったわ。――ええ、あと数日はどうやっても退屈しないと、自信を持って言えるわ」
そんなオルシーの言葉に、少しだけ、本当かなぁなんて思いながら。果物の生る森に行くために、オルシーと一緒にピーコックの背中に乗った。
◇
「この辺りだと、あとはぶどうかな? ――はい、むいたよ」
「ありがとう」
近くの森をめぐって、まずはりんごと柿を集めてきて。外の世界の切り方を思い出しながら、同じように切ってオルシーに渡す。
「――時期的にちょっと早い気もするけど、それも高山だからかしら。結構涼しいし」
「時期? うん、大体この位の涼しさの場所に生ったりんごとかは美味しいよね」
一瞬、よくわからないことを言われた気がしたけど、「涼しい」って言ってたし多分気温のことかなと思って返事をして。あれ?、今度はオルシーが首を傾げてる?
まあいいや、まだまだ他にもたくさんおいしい果物とかあるし、時間がある内に取ってこないと! 次のところに行こうと声をかける。
「あと、少し離れたところでパイナップルが採れるよ」
……えっと、オルシー、すごくびっくりしてるんだけど、なんでかな?
◇
果物の採取も終わって、採ってきた果物を一緒に食べて。今は午後のお勉強の時間、なんだけど……
「つまり、この辺りは山脈地帯だから、その標高で気温が大きく変化する。だから、高い場所には涼しい地域の作物、低い場所には暑い地域の作物と、様々な気候の植物が育つと、そういう訳ね」
いつもはメディーンが「問題」を準備するんだけど。今日はオルシーが気になったことをメディーンに質問してて。……えっと、オルシーが言うには、果物は普通、取れる時期が大体決まっているみたいで。間違っても、りんごとパイナップルが一緒の場所で取れたりしたいんだって。
で、わからないことならメディーンに聞けばいいって言ったら、じゃあ聞いてみようと言うことになって……
「また、その高度によって、実の成る時期も様々で、旬の時期にも幅がある。ただ、このあたり一帯は、一年を通して気温の変化は少なく、収穫の時期は比較的長い傾向がある。……なるほどね、正に『天然の果樹園』ね」
……だけど、その説明がすごく難しくて。結局、最初にメディーンが伝えてきた言葉をわたしがオルシーに伝えて。今度はオルシーがわたしにもわかるように説明し直してくれる、みたいな感じになって。うん、それでも難しいことには変わりないんだけど。オルシーの説明の方が、まだわかりやすいかな。
そうやって説明してもらって。うん、外の世界だと、決まった時期にしか果物が採れないっていうことはわかったけど。それだとすごい不便そうだよねって言ったら、だから乾燥させたりジャムにしたりするのよって言われて。そうなんだ、おいしくするためじゃなかったんだ、へぇ~ってなって。
「あとはピーコックの飛ぶ速さね。一体、いつのまにそんな、すごい速度を出してたのかしら?」
「いつの間になんて言われてものお。何の工夫も無しに速度を出したら、ヌシらはあっさり落ちるじゃろう? なんで、落ちんように、色々と風を弄っとっただけなんじゃが」
「あとこっそりと、施設の中に『野菜畑』があるとか。――やっぱりここは、色々と面白い場所よね」
あとはピーコックの飛び方のことで感心したり、施設でお野菜を育てていることに驚いたり。うん、わたしもその「野菜工場」は見たことが無いんだけど。オルシーが見てみたいって言ったら、メディーンはあっさりと良いって伝えてきて。移動するための車椅子も作ってくれるって。
うん、いつものお勉強とは違うけど、すごくお勉強をした、そんな感じの時間を過ごした。
◇
そのあと、ごはんを食べて。久しぶりに外とは違う「ここ」の味付けのごはん。すごく懐かしい味がして、とてもおいしくて。
「――美味しそうね」
オルシーの言葉に大きく頷いたあと、おかゆさんを食べるオルシーを見て、少し後悔する。……けど、そんなわたしを見て、オルシーは笑いながら話しかけてくる。
「これね、りんごをかなり沢山入れてるみたいだけど。――さっきのりんごかしら? 結構美味しいわよ」
えっ? りんご? おかゆに入れちゃうの? そう思ったんだけど、一口もらったら、りんごなんだけどりんごじゃない味がして、おいしくて。――でもやっぱり、同じものを食べれるといいなぁなんて、少し思ったりもして。
――そうして、遺跡に来て二日目、初めて本格的に過ごした一日も、楽しく過ぎ去っていき。やがて日も落ちて……
◇
「……オルシー、まだ起きてる?」
「――ええ」
布団に入って、灯りを消して、しばらくして。上を向いたまま、小さな声で、そっとオルシーに声をかける。
「――今日、オルシーは楽しかった?」
「? ええ、今までにないものも見れたし、結構楽しかったわよ」
「そう」
オルシーも同じように声ををひそめて。きっとわたしと同じように上を向いて話しをしていると、そう感じながら、話を続ける。
「えっとね、わたしも楽しかったんだけど。……だけど、何かな? 思ってたのと、……外の世界に出る前と比べて、何かが違う、かなって」
それは、今日一日、ずっと感じていたことで。果物を採っているときやお勉強の時間も、オルシーもいて楽しかったんだけど。――でも何か、以前とは違うのかなと、そんな気もして。
前はなんで退屈じゃなかったんだろう? ……違う、なんで前は、何も疑問に感じなかったんだろう、そんな風に思えて。
なんでかな、返事がほしいわけじゃないけどと感じながら、それでも、つぶやくように話しかけて。
「――そうね、同じものが違って見える、そんなこともあると思うわ」
……なのに、思いもよらず、答えが返ってきて。オルシーの小さな、静かな言葉を、耳をすますように聞き始める。
「……病院の一階に、小さな礼拝室があってね。そこで定期的にダーラと祈りを捧げてるのだけど。そこの中の祭壇を初めて見たときは、本当に立派で綺麗だなぁって。こんなところで祈りを捧げてもいいのかな、なんて考えたこともあったわ」
――その「礼拝室の祭壇」は、オルシーにとっては、様々な感情に彩られた場所で……
◇
「わあ~!」
この病院に来て、礼拝室の祭壇を初めて見た時のことは忘れられない。陽の光が差し込んだ小さな空間。ささやかに台座に、色鮮やかに染め上げられたテーブルクロスが敷かれ。台座に埋め込まれた、色のついた飾り硝子が陽の光に瞬く。他と比較すればむしろこじんまりとした祭壇も、初めて見る子供には全く別の印象を与え。
やがて、ここまで付き添ったダーラに促されて、幼いころのオルシーは、少し緊張しながら祭壇の前に立って。まるで祈る内容をあらかじめ決めていたかのように、静かに、真剣に、祈りをささげる。――おとうさんとおかあさんが、しあわせにすごせますように、と。
その祈りは、幼いながらも、もう二度と自分の両親に会えないだろうと覚悟を決めた幼い子供の、心からの祈りで。
――やがて月日も経ち。幼かったオルシーも成長して。やがてケイシーという名の、自分の妹と出会う。
自分が去った後に妹が生まれていたことも知らなかったオルシーは、その妹までもが「病気」を持って生まれたことに驚き。同時に、ケイシーの「病気」は、周りにいるほとんどの子供と同じように、自分よりも軽いことを知り、安堵して。――ほんの少しだけ、オルシーの心に黒い染みを残す。
幼い頃から本に親しんで、様々な知識を得て。今のオルシーは、昔は「祝福されない子」と蔑まれた子供たちも、少しずつ見る目も変わってきていることを知っている。ケイシーを通して、両親が無事なことも、彼らが自分のことを嫌っていないことも知っている。
それでも、両親が病院を訪ねてくることは出来ず、自身が両親の元を訪ねることもないままに、時は過ぎ。ケイシーが何を祈っているのかを知りながら、同時に教会の歴史を知ったオルシーは、病院のささやかな祭壇から、祈りをささげる姿から、さまざまなものを見る。
ケイシーが祈りをささげる祭壇からは慈愛を。子供たちが祈りをささげる祭壇からは親近感を。そして、そんな彼らに感謝と、ほんの少しだけ懺悔をしつつ……
――オルシーは、ここに祭壇を設置した新教の人たちの思惑を見てしまう。
それは不思議なことに、祈っている間は気にならないことで。だからだろうか、オルシーにとってその祭壇は、時に親しみを覚え、時に怒りを呼び覚ますもので。
――だけどこの日、祭壇のことを思い出したオルシーにこみあげてきた感情は、親しみでも怒りでもなく……
◇
「――オルシー、どうかしたの?」
「……ううん、大丈夫よ、何でもないわ」
病院の礼拝室のことを話し出したオルシーの声が、どこかいつもと違うような感じがして。――なんでかな、一瞬だけ、泣いているような、そんな気がして。思わずオルシーの方を向きながら、声をかける。
そのオルシーは、いつの間にか向こうの方を見て。何でもないと言って。いつもと同じような声で、礼拝室の話を続ける。
「……お祈りするために礼拝室に行くのは好きだったわ。でも、数年後にケイシーが来て、ダーラの教会に一緒に行ったらね、病院の礼拝室なんて比較にならないような立派な祭壇があって。その日から、あんなにも立派に見えてた病院の礼拝室の祭壇が、急にささやかというか、大したものじゃないように見えたわね」
「そんなに違うんだ」
その話を聞きながら、なんでかな、さっきのことは聞いちゃいけない、そんな気がして。出来るだけいつもと同じように返事をする。でもそっか、教会に行ったら、病院の祭壇が立派じゃなくなった、か。わかるような気がするな~、ダーラさんの教会、綺麗だったから。……でも、病院の礼拝室、そんなにも「ささやか」なのかなぁ、そう思っていたら、さらにオルシーが話を続けて……
「そうね、……この小屋と、えっと、そこの『施設』?、その位の違いはあるわね」
「ははは、それはおっきな違いだね」
オルシーの例えに少し笑う。そっか、この小屋と施設か~。それじゃあしょうがないよね、なんて笑って。
――そうして、二人がしゃべり疲れるまでのあいだ、静かに和やかに、二人の夜の会話は続いて。やがて静かになるころには、夜もふけて、不在の間に延びてしまった芝を刈るメディーンを除いては、辺りも寝静まっていた。