1.久しぶりの「わたしの部屋」を目の前にして
フィリたちが、飛行機で旧都マイニングから出発してから一週間が過ぎ。窓の外の、どこまでも広がる自然の風景を見ていたフィリは、少し離れたところに見えた懐かしい光景に、思わず声をあげる。
「見えた! 遺跡!」
「……見渡す限り、山と森しか見えないけど」
そんなフィリの声に、自分もその遺跡を見ようと、窓の外を眺めるオルシー。だが、彼女がどれだけ目をこらしても、それらしきものを見つけることができず。フィリの「そこ! そこ!」と指し示す声に目を凝らしては、首を傾げる。
「カッカッカ」
そんな二人の様子にピーコックは、狭い飛行機の中で笑い出して。それを聞いたフィリは、少しだけ頬を膨らませて、ピーコックをジトっとした目で見る。
やがて、遺跡を見つけるのを諦めたのだろう、オルシーは窓の外を見るのを止め、フィリに話しかける。
「まあ、もう少しすれば着くのでしょう? なら、その時にゆっくりと眺めることにするわ」
慌てなくてもそのうち見ることはできるのだから無理に探すこともないとあっさりと諦めて、持ってきた本を読み始めるオルシー。その様子を見て、フィリは、少し残念そうな表情を見せながらも、自分も本に手を伸ばし。ピーコックも口を閉ざし、少し退屈そうに身体を丸める。
やがて、静かになった飛行機の中で。フィリはどこかぼんやりとしながら、本のページをめくる。
ほんの一週間前までは、二、三日飛行機に乗っていれば簡単に遺跡に行けると思っていたフィリ。それが、様々なことがあって、行程は一週間にまで伸びて。それに伴って、さまざまなことが起きて。
そんなことをなんとなく考えながら、フィリは、クッション代わりに床に敷いた敷布団を軽く触れて、この布団を買った時のことを思い出し、少しだけ笑う。
予定通りに行かなくなった最初の出来事は、やっぱり、このお布団を手に入れたあたりからで。あのときは大変だったけど、今にして思えば面白かったかなぁなんてことを思いながら、フィリはその時のことを振り返る。
――それは、フィリが外の世界に出てきて何度目かの、「今までとは違う世界」で……
◇
大きな街から少し離れたところにある、大きな牧場にある少し大きなお店。予想以上に何もなかった飛行機の中を見て、敷物と寝泊まりするためのお布団と、あと食べ物を買いにこの村まで来たんだけど。
えっと、オルシーが言うには、この村なら、旅の商人さんも結構立ち寄るから色んなものが手に入るし、そこまで大きくもないから、わたしが一人で買い物をするのにはちょうどいいんじゃないかって。
――確かにオルシーの言った通り、村の人は声をかけやすかったし、店の場所もわかりやすかったんだけど……
「当牧場で丹精込めて育てられた鵞鳥の羽毛だけを選りすぐって作られた、ここでしか買えない貴重な一品。それがなんと、今なら半額以下! さらに専用のカバーに、枕に、ええい、敷布団に毛布までつけちゃおう! さあ、お客様! これで買わないなんて言わないよね! って言うか、買って、買ってよ、買って下さいお願いします……」
「あはは……」
……多分、この目の前のお兄さんみたいな人は想像していなかったよねと、そんなことをふと思う。
わたしが「お布団ありますか?」って聞いただけなんだけと。多分ジュディックさんと同じくらいの年かな、この、ちょっと早口でしゃべるお兄さんが、奥から出してきたお布団を、すごく熱心に勧めてきて。……それが途中で勢いが無くなって、最後にはよくわからないけどお願いされて。
なんて答えたらいいのかな? 言葉が思いつかずになんとなく笑ってると、店の中にいたもう一人の、ずっと年上のお姉さんが、お兄さんをポカリと叩く。
「いやいや、そんなバカげた売り文句、聞かなくたっていいんだよ。そりゃあ、確かにアレはいい布団かもしれないけどね、でもこっちの布団だって悪い品じゃない。で、値段はさらに半額以下だ。……まあ、こっちにオマケは付かないけどね」
……えっと、お兄さん、すごく痛そうに頭を押さえてるんだけど、大丈夫かな? そう思ったんだけど。お姉さんに「いつものことだから気にしなくていいよ」と言われて。……えっと、ホントに大丈夫?
「ウチの布団は基本的に羊毛なんだけどね。最近ちょっと、食肉用の鵞鳥を扱い始めたら、こいつが『家鴨よりもいい羽毛が取れる』なんて言い出してね。試しに作ったのがそいつなんだ。――だからそいつは、まだウチの商品じゃないんだ。気にしなくて良いよ」
ずっと頭を抑えたままのお兄さんは放ったらかしにして、お姉さんがそう説明してくれる。今の時点では、値段なんてあってないようなものなんだって。本当に商売にするのなら、凄く高くなるのもホントみたいだけど。
そこまで聞いて、うん、普通なら安い方を買うんだろうな、なんて思いながら。けど、その「羽毛」のお布団も、少しだけ気になって……
「……えっと、悪い品じゃないんですよね」
そう、お姉さんに確認をする。
「まあねえ。羽毛布団なんてウチじゃ扱っていないから、正確なところは正直、わからないけどね。ただ、確かにウチの掛布団より軽くて暖かかったのは確かだね」
これだけの金額を取っていい物がどうかはわからないけどねと、そういい加えたお姉さんの言葉に、一つ決心をする。――オルシー、確か病院で、身体に負担がかからないようにいいお布団を使ってるって言ってたから、いいお布団を買っていった方が良いよね、と。
◇
そのあと、そのお兄さんに背負子もおまけしてもらって。他にも色々なことをそのお兄さんに聞きながら、必要なものを買いそろえていく。……えっと、今より涼しい場所に行くのなら毛布も買った方が良いとか。二、三日の旅路ならこのあたりのお肉やお野菜が良いとか。わたしがお布団を買ったのが、そんなにも嬉しかったのかな、ほんとに丁寧にいろんなことを教えてくれて。
お金は全部使っちゃったけど、悪い買い物じゃないって、お姉さんにも言ってもらって。ちゃんと買い物ができたと、少しホッとしながら、飛行機にまで戻って。
――なのにピーコック、「ぼったくられたんじゃないか」とか言い始めて。
その言い方に、少しムッとしたんだけど。オルシーが言い返してくれて。というか、オルシー、もしかして、ホントに怒ってる?
ピーコックもそのことに気付いたのかな、少し言葉が弱気になって。けど、オルシーはずっと強気で。えっと、うん、ちょっと怖い。……けど、怒られてるのはピーコックだし、別に良いよね。
――大体、あの人たちはきっと、「ぼったくる」ような悪い人たちじゃないんだから!
◇
そのあとも、ピーコックはオルシーに言い負かされて。オルシーがピーコックの言い争いみたいなのは続いて……
「……私たち、中央大山脈に向かって進んでいるように見えるんだけど?」
「まあ、儂らが住んどった『遺跡』は、その向こうにあるからのぉ。けどまあ、飛び越えてしまえば、どんだけ高い山でも関係ないじゃろ」
「関係あるわよ?! 高度一万メートルの山々が連なる山脈よ!?」
地図を広げて、飛行機の進路について、本当に今のままでいいのかと言い始めたり。
「もう一回、食べ物の買い出しが必要かしら」
「そんなことせんでも、儂がこう、獲物を狩ってこれば……」
「そうね、国境を越えて中央山脈地帯にまで行けば、それでもいいと思う。――けど、それまでは大人しく、お金で買うべきだと思うわ」
食べ物についても、狩りをするぐらいなら買った方が良いと言ったりして。
そんなオルシーの言葉にピーコックは、明日の朝にでもメディーンを交えて相談した方が良いかもしれんのぉなんて言い始めて。――えっと、ピーコックが珍しく小さくなっちゃったけど。もしかして、オルシーに色々言われたからかなぁ。
◇
結局、次の日の朝にメディーンを交えて相談をして。オルシーの意見を入れて、計画を変更することに決まる。
えっと、「コウザンビョウ」っていうみたいだけど。メディーンが言うには、わたしが住んでいた遺跡って、すごく高いところにあるみたいで。いきなりその高さにまで登るよりも、すこしずつ登って行った方が良いんだって。
いちおう、いきなり遺跡に行っても大丈夫とも言ってたけど……
「一日中、飛行機から出られないのは辛いわね」
……その場合は、飛行機の中の「キアツ」を調整して、「コウザンビョウ」にならないようにしないといけないんだって。
で、それを聞いたオルシーが反対して。……うん、わたしも、一日中外に出られないのは嫌かなぁ。
「とっとと遺跡に行った方が、最終的には楽かもしれんがのぉ」
「そうね。大変だったらその時はお願いするかもしれないわ。だけど、それまでは無理しない方が良いと思う。……何より、たぶんこの飛行機、一万メートルなんて高さで飛んだこと、無いんじゃないかしら。――急ぐにしても、中央大山脈は避けた方が良いと思うわ」
それでも、ピーコックは少しだけ、早く行った方が楽かもしれないと言って。オルシーも、完全に否定はしなかったんだけど、意見はそのままで。結局はピーコックが折れる形になって。どうやって遺跡に行くか、オルシーの持っていた地図を見ながら計画を立て直すことになった。
◇
そうして、再び出発して。飛行機の中で、気になったことをオルシーに聞いてみる。
「オルシー、この飛行機がそんな高いところを飛んだことが無いって、良く知ってたね」
今回の計画のこともあって、この飛行機のことは、ボーウィさんと色々と話しをしてたんだけど。だけと、この飛行機がその「中央大山脈」を超えるような高さを飛んだことが無いなんて、聞けなかったから。
ずっと病院の中にいたはずのオルシーが何でそんなことを知ってたのか、少しだけ気になって、聞いてみたんだけど……
「……旅行記、冒険記、案内本、そういった本は、今までに沢山読んできたから」
……えっと、病院の中に、いろんなところに行ったりした人の書いた本が置いてあって、そういった本を今まで沢山読んできたんだって。
あと、病院の中でできるお仕事、子供たちの面倒を見たりとか、そう言ったことをすると、少しだけだけどお給料がもらえるみたいで。その給料で本を買ったりもするみたいなんだけど、そういう本を買うことが多かったんだって。
――なんでかな、そう話しているときのオルシーの表情が、いつもとどこか違うような、そんな気がした。
◇
「結局、一週間もかかったわね」
遺跡を見つけるのをあきらめて本を読んでいたオルシーが、ぽつりとそんなことを言うのが聞こえて。
あはは、うん、怒ってないのはわかるけど、やっぱりちょっと、うん、お金も使っちゃったし……
「……ごめんなさい」
……色々とダメだったよね、うん。正直にごめんなさいをする。
「あら、考えが甘かったのはフィリじゃなくて、そこの鳥じゃないかしら」
「……そうじゃな。さすがに今回は、返す言葉が無いのぉ」
相変わらずのオルシーの言葉に、ピーコックも珍しく素直に受け入れて。いつもこうなら良いのになんてこっそりと思いながら、二人の会話に耳を傾けて……
「私はむしろ面白かったわ。この一週間、今まで知らなかったことや実感できなかったことが、本当に沢山あった。それを知ることができただけでも、来て良かったと思うわ」
「……まあ、ヌシはたいして動いとらんからのぉ」
「あら、でも私はお金を出したわ。前にも言ったわよね、『この世の中は、お金を払う人が一番偉い』って」
……未だに続くオルシーの「憎まれ口」に思わず笑いそうになる。
ピーコック、最初の三日間は確かに何もできなかったんだけど。人のいない場所に来てからは、食べ物を狩ってきたり、薪を集めたり水を汲んだりと大活躍してて。オルシーも結構、ピーコックに感心してたんだよね。……ピーコックがいないときに。
だから、今のオルシーの言葉も、本心じゃないって知ってるけど。黙ってるようにってオルシーに言われたし。うん、それにやっぱり、そんなことを言ったら調子にのりそうだから、言わない方がいいよねと、そんなことを思いながら、話を聞き続ける。
「それに、この布団はちょっと凄いわね。掛け布団もそうだけど、敷く方もね。ちょっと怖いくらいに快適だったわ。――何か、執念すら感じるわね」
多分、本気じゃないからかな、オルシーもあっさりと話を切り替えて。最後にそんなことを言って、オルシーは再び本へと視線を戻す。
「あはは。オルシーのその言葉を聞いたら、あのお兄さんもきっと喜ぶよ」
その言葉に、あのお布団を買った店のお兄さんとお姉さんのことを思い出して。元気かなぁなんて思いながら、毛布をひざの上にかける。
◇
やがて、彼女たちを乗せた飛行機は、かつてフィリが過ごしていた遺跡へと近づいていき。窓の外の一点だった遺跡は、誰が見てもわかるような大きさになる。
かつて空に浮いていた大地が山の中腹に刺さっているというその光景を、食い入るように見るオルシー。そんな飛行機の中の様子など知らないままに、飛行機を抱き抱えるように飛んでいたメディーンは、その飛行機の機体を水平に保ったまま、器用に減速しながら推進装置の噴射口を下に向け。建物の正面にある広場の端へと、ゆっくりと着陸する。
――こうして、少しの間無人だった遺跡は、久方ぶりに、そこに住まう住人を、その客人とともに迎えることとなった。
◇
「え~! 夕ごはんができるまで、ここから出ていけないって、なんで~!」
「……やっぱり、『高山病』の対策かしら?」
……ようやく遺跡へとたどり着いた二人だが、彼女たちが「遺跡の土を踏む」には、あとほんの少しだけ、時間が必要になりそうだった。