「何か」を求めて
「お布団買ってきたよ~! あと食べ物も!」
首都から少し離れた郊外の、街道の外れで。飛行機の中で静かに座っていたオルシーは、外から聞こえてくるフィリの声に軽く安心しながらも、相変わらず元気ね、疲れないのかしらとからかい混じりの内心を隠すようにそっと表情を作り、フィリが現れるのを待つ。
やがて、大きく開いた飛行機の格納庫の扉の向こうに、二人分の布団を背負ったフィリが現れ。その背負った荷物の大きさに、思わず表情を崩し、声をかける。
「……そんなにも持てるものなのね」
「え? そんなに重くないよ?」
まるで本で見た昔の旅人商人のような、自分自身よりも大きな荷物を背負ったフィリの姿に驚くオルシー。そんなオルシーの言葉にフィリは、そんなにも重くないんだけどなぁと小声でつぶやきながら、格納庫の中に入り、荷物が括りつけられた背負子を下ろす。
(フィリって、意外と体力があるのよね)
荷ほどきをするフィリをぼんやりと見ながら、オルシーは考える。――そういえば、私が車椅子に乗ったりする時も、安心して身体を預けることができるわね、と。
(確か、力の入れ方に「コツ」がある、そんなことを聞いた気もするけど)
自分の身体を無理なく支えることができて、今も大きな荷物を軽々と運んでくる。とてもそんな力があるように見えないんだけど、どこにそんな力があるのかしらと、オルシーは、荷物を整理するフィリを見て、軽く首を傾げ。
確か以前、木登りが得意とか言ってたような気もするし、何かの本にも、身体の使い方が上手い人は力の入れ方に無駄がないみたいなことが書かれていた記憶がある。フィリはそれかしらと、オルシーが、そんなことを考えていたところで……
「そんなことより、ぼったくられんかったか、そっちの方が心配じゃて。ほれ、確か『一般的な一月分の給料』と同じだけの金を持ってったんじゃろう? どんだけ残ったんじゃ?」
まるでフィリが荷物を下ろすのを待ち構えていたかのようなタイミングで、ピーコックがフィリに話しかけるのを見て。オルシーは、その様子をどこか微笑ましく感じながら、ピーコックの方へと視線を向ける。
「……えっと、みんな払ってきたけど」
「……それはつまり、ぼったくられたということかのぉ」
ピーコックのからかうような質問に、少しばつが悪そうに、それでも正直に答えるフィリ。その様子を見て、オルシーは思わず笑う。
――何せ、フィリが戻って来るまでの間、この巨鳥は、明らかに普段とは違う落ち着かない様子で、飛行機の中と外を行ったり来たりしていたのだから。
◇
病院の上空で飛行機に乗った直後。食料どころか座席すら無い、本当にがらんどうな飛行機の中を見て、どこか困ったような表情を浮かべたフィリと、その隣で珍しく黙り込んだ巨鳥。
その様子を見て、オルシーは思う。……ああ、この巨鳥はきっと、飛行機の座席が取り外されているなんて、想像もしていなかったのね、と。
(よく考えれば、民間の旅客機じゃないんだから、座席が無いのも当たり前なのよね。私も気付かなかったけど)
なんだかんだ言って、ずっと病院の中で過ごしてきたオルシー。誰よりも多くの本を読んできたと自認しているが、同時に、自分の知識が偏っていることも自覚している。
そんなオルシーから見ると、確かにピーコックという巨鳥は、やたらと人間味があって、同時に、意外と人間にも詳しい。だから、たまに忘れそうになるのだが、このピーコックは、「今の」人間社会のことはほとんど何も知らないはずなのだ。
そんなピーコックの立てたであろう、メディーンという機械人形に飛行機を盗ませて「遺跡」に帰るという大胆な計画は、その大胆さに見合った抜けもあって。
それでも、このまま呆然としている訳にもいかないことに気付いたのだろう。オルシーを格納庫の奥に座らせ、扉を閉めてと、少し慌てながらも動き始めたフィリが落ち着くのを待った後、オルシーはフィリに声をかける。――「何か敷く物もほしいし、他にも必要なものもあるかも知れない。一度地上に降りて、街で色々と買った方がいいんじゃないかしら」、と。
そうして、念のために持ってきた地図を開いて、買い物をするのにちょうどいい街が無いかを調べて。街道からほど近い場所に、丁度よさそうな村を見つけて。「お金は?」と聞いてきたフィリに、同じくこっそりと持ってきたお金を見せて。一度この村に立ち寄って買い物をしようと決めて。
そうして一度地上に降りて。フィリに必要なものを買い出しに行ってもらうことになったのだ。
◇
(あれは絶対、フィリのことを心配してたのよね)
まさかあの巨鳥が、「私が預けたお金」のことを、そこまで心配するはずもないしねと、オルシーは、つい先ほどまでのピーコックの様子を、笑いをこらえながら思い出して。フィリに助け船を出すべく、ピーコックに話しかける。
「多分、ぼったくられてはいないわね。その布団、きっと物凄く良い布団よ。――多分だけど、その商人さん『フィリの持っていったお金と同額になるように』良い品物を選んだんじゃないかしら」
離れたところからでもわかるような、いかにもふかふかで、柔らかそうな掛け布団と敷布団。あれ、羽毛よね。それも、私が普段使ってるのよりも高級なの。――布団にそこまでお金をかけるのもどうかと思うけど、安いのと高いのでは相当違うらしいし、まあ良いんじゃないかしら。どうせお金なんて、使う機会もないんだし。
「……それはそれで、ぼったくりに近い気もするんじゃがのぉ」
「そう? 商人ってのはそんなもののような気がするけど。大体……」
第一、フィリに上手な買い物なんて期待できないしね。店員にお金を見せて「良いものを下さい」って言えば、店員さんが良いものを選んでくれるって、そう言っておいたんだから。そりゃあ、張り切って高いものを売るのか商人じゃないかしら。第一、そんなことよりも……
「……何もしていない鳥が一番偉そうにしてるっていうのはどうなのかしら?」
一番役に立っていないのに、偉そうにからかうのはどうなのかしらと、からかうような口調で、軽くたしなめる。
「……それはヌシも同じじゃと思うんじゃがのぉ」
「あら、私はお金を出したけど」
「何もしとらんのは一緒な気もするがのぉ……」
言い返しながらも、多分、自覚があるのだろう、どこか弱気なピーコックの言葉を聞いて思う。
そうね、こうやって思い返してみると、自信のあった計画に欠点があって、呆然としている間に大切だったフィリが一人で買い物に出て。帰ってきた途端にからかい出したのはアレかしら。心配してたのをごまかしてるのかしら。……この鳥、子離れできない親みたいね。そう考えると、何か愛嬌すら感じられるわねと。
そう思いながらも、「何もしていないのは一緒」と、少しカチンとくることをサラリと言ったこの鳥に、これ以上好き勝手なことを言わせないよう、心の中で臨戦態勢を整える。
「違うわね。この世の中は、お金を払う人が一番偉いのよ」
あのね、あのお金は、私のなけなしの財産なのよ。それを使って必要な買い物をしてもらったのにね、そのことを、なんにもしなかった鳥なんかに文句なんか言わせないわ。
……ええ、絶対に言い負かせてみせるわよ、ええ。一歩たりとも引かないわ。――引いてなるものか!
◇
(どんな場所なのかしらね)
再び飛び立った飛行機の中で。オルシーは、敷物替わりに床に敷かれた寝具の上に座りながら、窓の外をそっと眺める。
「すやぁ~、すぴぃ~」
少し離れた場所では、なんだかんだで疲れたのだろう、ピーコックに身体を投げ出すような形で眠るフィリと、どうにも身動きが取れず、困ったように首を動かすような仕草を見せるピーコック。
(……もしかしてこの鳥、表情豊かなのかしら)
鳥の仕草なんて知らないから、何を考えているかわからないところがあったけど、こうやってみると案外わかりやすいかもしれないわねと、オルシーはそんなことを考えて。これから向かう、フィリがついこの間まで住んでいたという「遺跡」について、想いを馳せる。
――そこにはきっと、これまでの生で得られなかった「何か」が眠っている。そんな予感がある。
自分でもそれが何なのかわからない、それでも、自分に欠けていると確信できる「何か」。どれだけ本を読んでも、誰と話をしてもわからなかった「何か」。
それはきっと、他の人は普通に持っているもので。外の人だけではない、病院の関係者たちも、入院している子供たちも当たり前のように持ち合わせていて。――なのに、ただ一人、自分だけが持ち合わせていない「何か」があると、そう感じるのだ。
(……この「何か」が何なのか、ダーラはわかってるわよね、絶対に。なのに、そのことを口にしようとしない。ああ、これだから、――本当に、この「新教」というのはタチが悪い)
きっとその「何か」は、普通の人であれば、当たり前に持っているもので。そして、その「何か」を持ち合わせていないのは、私だけじゃない。多分だけど、フィリも持っていないものなのだろう。だからこそダーラは、私とフィリを会わせたのだろうと、いまではそんな風に思う。
ダーラという人は、意味もなく隠し事をする人じゃない。あの人が言わないのなら理由があるのだろうし、そこに悪意が無いのもわかる。それでも、まるでそれが本人のためだとでも決めつけているような態度にオルシーはいら立ちを覚え、――何よりその態度が、自分のことを憐れみの目で見ているような気にさせて、本当に腹立たしいと、そんなことを思ったところで……
「……むにゃぁ、すぴぃ~」
目の前で眠るフィリの声が聞こえて。相変わらず、やっぱり困っているようにしか見えない孔雀の姿に、どこか毒気を抜かれて。
(……まずは、行って、見て、それからね)
そう心の中で呟いて、オルシーは、高ぶるりかけた心を落ち着かせ、フィリの住んでいたという「遺跡」のことを考える。ベッドと最低限の家具が置かれた小さな部屋に、メディーンが手入れしていたという庭。白くて大きな建物。そして、見渡す限り、どこまでも続く大自然。
それは、病院の中でずっと過ごしてきたオルシーには想像することすら難しい、そんな場所で。その場所が、この先もずっと病院の中で過ごすことになるであろう自分にとっていい思い出になるような、そんな場所だといいわねと、そんなことを思いながら。オルシーは、移動中に読もうと持ってきた本に手を伸ばし。
――そうして、今まで何度も目を通してきた一冊の本を手に取って。その表紙を静かにめくった。